立花隆さん死去

一条真也です。
「知の巨人」として知られるジャーナリストで評論家の立花隆(本名・橘隆志)さんが4月30日、急性冠症候群のため亡くなられていました。80歳でした。葬儀は故人と遺族の意思により家族葬で行われたそうです。

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毎日新聞」2021年6月23日朝刊 

 

毎日新聞」6月23日朝刊には、「立花隆さん、死去」「調査報道の先駆者」の見出しで、立花さんの経歴を紹介しています。それによれば、立花さんは1940年、長崎市生まれ。両親ともクリスチャンの家庭で育ちました。教員だった父が赴任していた中国・北京で敗戦を迎えました。東京大文学部仏文科を卒業した64年、文芸春秋に入社し雑誌記者となるが66年に退社、フリーとなりました。67年に東京大文学部哲学科に学士入学。在学中から雑誌などにルポや評論などを発表。

 

 

74年には月刊「文芸春秋」に「田中角栄研究 その金脈と人脈」を発表。首相だった田中氏の政治手法を入念な取材と裏付け調査で明らかにし、田中氏退陣のきっかけとなった。同企画は「調査報道の先駆」「雑誌ジャーナリズムの金字塔」として高く評価されました。

 

 

その後は「日本共産党の研究」など政治をテーマとした執筆を続ける一方、米国のアポロ計画で月に渡った宇宙飛行士を取材し、その内面の変化をたどった「宇宙からの帰還」や、人の死、人が生きていくことの意味を問うた「脳死」「脳死再論」、さらには「臨死体験」など科学分野でも多数の意欲作を残しました。

 

 

後進の育成にも力を入れました。東京大で非常勤講師や客員教授などを歴任。ゼミ出身者が作家や記者、編集者などになりました。2007年にがんの告知を受けて手術。以後自らの体験を雑誌に発表するなど、がんに関する取材・執筆を続けました。他の主な著作に「中核VS革マル」「農協 巨大な挑戦」「ロッキード裁判傍聴記」「シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界」「天皇と東大 大日本帝国の生と死」「武満徹・音楽創造への旅」など。多分野に及ぶ活躍で菊池寛賞(83年)や毎日出版文化賞(87年)、司馬遼太郎賞(98年)などを受賞しています。

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わが書斎の立花隆コーナー

 

故人についての思いは、わたしは、ブログ「立花隆講演会」ブログ『立花隆の本棚』ブログ『知の旅は終わらない』などに書きました。ちなみに、わたしは立花さんの本をたくさん読んでいますが、代表作といえる『田中角栄研究』も『中核vs革マル』は読んでいません。著者の書いた本の中で特に強く影響を受けたのが『宇宙からの帰還』と『臨死体験』です。この両書を参考文献として、わたしは『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会幻冬舎文庫)を書きました。

 

 

『宇宙からの帰還』は最初のベストセラーとなりました。同書を書いた理由について、立花さんは「僕の興味の中心は、宇宙体験という、人類史上もっとも特異な経験をした宇宙飛行士たちは、その体験によって、内的にどんな変化をこうむったかということでした。人類が170万年間もなれ親しんできた地球環境の外にはじめて出るという体験は、それがどれだけ体験者自身に意識されたかはわからないけれども、体験者の意識構造に深い内的衝撃を与えずにはおかなかったはずだと考えたのです」と述べています。

 

宇宙からの帰還 (中公文庫)

宇宙からの帰還 (中公文庫)

 

 

実際の取材については、立花さんは「宇宙飛行士というのは、基本的にはボルトとナットで出来ているタイプが多いと言われています。技術屋であまりロマンティックな人々ではない。ボーッと地球に見とれていたために、大気圏突入のための操作の時間がちょっと狂ってしまって、あやうく宇宙に弾き飛ばされかけた宇宙飛行士がいたくらいだから、基本的にはボルトとナット型じゃないと務まらないわけです。特に旧ソ連では、宇宙飛行士は同時に模範的共産党員でなくてはならないわけで、ガチガチの唯物論者で、内面の問題なんかにはまったく関心がないというタイプが多いんですね」と述べています。一方、アメリカという国は、非常に熱心な宗教国家の側面があり、底の部分ではみんな内面への関心を持っているといいます。著者が取材した飛行士の多くが、「こんなことを聞かれたのは、はじめてだ。よく聞いてくれた」とか「いままで人に充分に伝えられなかったことを、やっと伝えられたような気がする」と言ってくれたそうです。

 

脳死 (中公文庫)

脳死 (中公文庫)

 

 

『宇宙からの帰還』は今読み返しても素晴らしい名著ですが、その後、立花さんは「死」について関心を持つようになりました。長い間、「人の死とは何か」というテーマを追いかけますが、1980年代後半から90年代前半にかけては、脳死問題に取り組み、死の定義について徹底的に考え抜きました。「死後の世界」について、立花さんは「死後の世界が存在するかどうかというのは、僕にとっては解決済みの議論です。死後の世界が存在するかどうかは、個々人の情念の世界の問題であって、論理的に考えて正しい答えを出そうとするような世界の問題ではありません」と述べています。立花さんは、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の「語りえないものの前では沈黙しなければならない」という言葉を引き、「死後の世界はまさに語り得ぬものです。それは語りたい対象であるのは確かですが、沈黙しなければなりません」と述べています。

  

臨死体験 上 (文春文庫)

臨死体験 上 (文春文庫)

 

 

しかし、立花さんは「死」を直視し、「臨死体験」というテーマを追うようになります。かなりの時間を割いて仕事にしてきましたが、まず、NHKと作った「臨死体験 人は死ぬ時何を見るのか」(1991年放送、視聴率16.4%)、そしてその後に書いた『臨死体験(上・下)』(文春文庫)が大きな反響を呼びました。ブログ「NHKスペシャル『臨死体験〜死ぬとき心はどうなるのか』」で紹介した2014年に放送された2度目の番組は、前回以上に、臨死体験が起こる仕組みの解明に鋭く迫りました。立花さんいわく、それが可能になったのは23年前よりも脳科学がはるかに進歩したからだといいます。立花さんは「なにしろ2回目の番組は、脳科学の最新の知見を踏まえて、臨死体験は死後の世界体験ではなく、死の直後に衰弱した脳が見る『夢』に近い現象であることを科学的に明らかにしたものだったのです」と述べています。

 

臨死体験 下 (文春文庫)

臨死体験 下 (文春文庫)

 

 

同番組のエンディングで立花さんが述べた「死ぬのが怖くなくなった」というメッセージに多くの視聴者が共感したことを紹介しつつ、立花さんは「テレビの怪しげな番組に出まくって、霊の世界がどうしたこうしたと語る江原啓之なる現代の霊媒のごとき男がいますが、ああいう非理性的な怪しげな世界にのめりこまないと、『死ぬのが怖くない』世界に入れないのかというと、決してそうではありません。ごく自然に当たり前のことを当たり前に、理性的に考えるだけで、死ぬのは怖くなくなるということをあの番組で示せたと思っています」と述べています。

 

死はこわくない (文春文庫)

死はこわくない (文春文庫)

 

 

「死後の世界とは、夢である」と主張する立花さんでしたが、「いい夢を見るために気をつけたいことが1つあります。いよいよ死ぬとなったとき、ベッドは温かすぎたり、寒すぎたりしないようにすることです。暑すぎたり寒すぎたりすると、臨死体験の内容がハッピーじゃないものになってしまうからです。死に際の床を、なるべく居心地良くしておくのが肝腎です」とも述べています。これは傾聴すべき意見であると思いました。ちなみに、わたしも基本的に「死後の世界とは、イメージ・アート」であると考えており、人生を卒業する際には幸福で美しいイメージを描くことが大切であると思います。

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ヤフーニュースより

 

立花隆さんは、いい夢を見ながら人生を卒業されたのでしょうか? 「知の巨人」は、コロナ禍や東京五輪の強行開催について、どのように感じ、考えていたのでしょうか?  わたしはの立花さんほどの重要人物の逝去を「毎日新聞」だけが報道したことに違和感を抱いたのですが、4月30日に亡くなられていたと知って、納得しました。毎日が独自の取材で得たスクープ的情報だったのですね。それにしても、「知の巨人」がもう2カ月も前に亡くなっていたとは! 正直言って無常を感じてしまいますが、今は立花隆さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

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6月24日の各紙朝刊より
 

2021年6月23日 一条真也