立花隆講演会

一条真也です。東京に来ています。
2日の朝、「東京国際ブックフェア」を訪れました。
新橋から「ゆりかもめ」に乗って約22分後に、国際展示場正門駅に到着。
そして、わたしは会場である東京ビッグサイトに入りました。


東京国際ブックフェアの受付にて



10時半から、評論家・ジャーナリストの立花隆氏の基調講演があり、わたしも参加しました。ブログ「瀬戸内寂聴講演会」で紹介した講演以来、東京国際ブックフェアの基調講演を聴くのは2年ぶりです。立花氏の基調講演のタイトルは「『知の巨人』が読み解く 出版の現在、過去、そして未来」というものでしたが、1500人を超える参加者がありました。立ち見まで出て、大変な盛況でした。凄いですね!


多くの参加者で埋まった講演会場

「知の巨人」が読み解く・・・・・・

講演する立花隆

立ち見も出ました・・・・・・凄い!



立花氏は11年前にも東京国際ブックフェアで基調講演をされたそうです。そのとき、「先行き真っ暗の大不況の時代であればこそ、大チャンス到来の大乱世のはじまり」と語られたとか。いま、電子書籍・デジタルの本格活用で「本」の在り方が変わり、「知の世界」の形態も変化しています。出版の次の10年を占う講演として、非常に大きな関心を集めたようです。


パワーポイントで『本は死なない』を紹介


1940年生まれで、今年で74歳になられる立花氏ですが、パワーポイントを使いながら、立ったまま話されました。冒頭で、キンドルの開発者が書いた『本は死なない』という本を紹介しながら、リーディング2.0について説明しました。じつはキンドル以前にも、日本のソニーパナソニック電子書籍リーダーを開発していたが、ビデオと同じく方式が不統一で普及しなかったこと。パナソニックは中国進出を果たし、中国政府にも食い込んで、一時は中国全土の生徒の教科書を電子書籍化する計画が実現寸前であったこと。そのような興味深いエピソードを披露してくれました。


人は何のために読むのか



それから本論に入り、「人は何のために読むのか」といった本質的な問題が取り上げられました。立花氏によれば、人が本を読むのは「エンタメ欲求」と「情報欲求」の2つがあり、それらはいずれも脳が欲求します。読書は教養教育の基本であり、立教大学で教鞭を取られていた立花氏は、「どこでもいいから、大型書店に行け」「そこで最低40分いろ」「書店内でどういうコースを辿り、どんな本を買い、どんな本を買わなかったのかの航海日誌をつけろ」ということを学生に課してきたそうです。


本はメモリーに置き換え可能か?



それから、電子書籍についても深い考察が示されました。
「本はメモリーに置き換え可能か?」「本はテキストの文字列か?」といった問題を取り上げた上で、立花氏は紙の本の価値を説きました。紙の本が絶対有利な世界として、「電子書籍には収まらない大きさ、スケール」「コピー不能な質感(クオリア)」というものを挙げました。また、古代の手写本であるマニュクリプト(手書きされた文書)の例などを紹介し、「グーテンベルク以前に戻ると考えよ」と述べました。


なんと、ユングの『赤の書』を紹介

『赤の書』から本の可能性をさぐる



その実例として、なんとユングの『赤の書(THE RED BOOK)』が紹介されたので、わたしは非常に驚きました。この本はユングが手書きで書いた大部の日記で、多くの図版が含まれています。遺族が複製本を販売しており、日本でも翻訳出版されていますが、1冊で4万円以上もします。
ユングといえば「集合的無意識」を唱えた心理学者です。立花氏は、臨死体験脳死、異常性格者、超能力などにも科学的な視点から論じることも多いことで知られます。そのため、一部では「オカルト主義者」などとも呼ばれているようですが、今日の講演でユングを正面から取り上げたことには驚くとともに、快哉を叫びたい気分でした。


ユング心理学の理論にも堂々と言及

赤の書 ―The“Red Book

赤の書 ―The“Red Book"

立花氏いわく、本には人類の共通体験がすべて詰まっており、読者はそこから「喜び」や「恐怖」などのさまざまな感情=情報を得ることができるそうです。こういった感情=情報は紙の本でしか得られません。立花氏はもう1冊、日本コロムビアから刊行された『美空ひばり』という本を紹介しました。この本も2万円以上するそうですが、分厚いだけでなく、多くのポケットがついており、その中には美空ひばりの写真だとかコンサートのチケットだとかが入っているのだとか。


電子書籍は紙の本には及ばない

「人間は唯一の本を読む動物」と喝破

わが書斎の立花隆コーナー



最後に、立花氏は「本を読む行為によって、人間は文明社会を築いてきた。人間は自分の書棚を持つことで自分を築く動物である」と喝破されました。それを聴いたとき、わたしは自宅の書斎にある立花隆コーナーを思い浮かべました。立花氏は「本を読まない人の脳は劣化していく」とも言われましたが、すべての発言がわたしのハートにヒットし、深い共感をおぼえました。


立花隆の書棚

立花隆の書棚

立花隆の読書論、出版論ですが、ブログ『立花隆の書棚』で紹介した本でも展開されています。同書の最後で、立花氏は次のように語っています。
「ぼくを含めて、オールドジェネレーションにとっては、電子本より紙本のほうが扱いやすい。心理的にフィットする。紙本じゃないと、自由自在に線を引いたり書き込みができません。電子本でも同じようなことはできることはできますが、実際にやってみると、やはり紙本のほうがずっと融通性が高い。紙本であれば、自分流のやり方で何でもできるが、電子本のそれ的な機能だとそのフォーマットに従わねばならず、自由度が低いわけです。そして、紙の本には何といっても、存在感がある。手ざわり、質感。重量感。それに、デザイン、造本、紙、印刷などなど、紙本ならではのクオリア的要素が何とも言えない。もちろん、くだらない本は、電子本でも紙本でもいいのですが、内容がいい本! これは紙本で読みたいと思います。本というのは、テキスト的なコンテンツだけでできているものではありません。いい本になればなるほど、テキストやコンテンツ以上の要素が意味を持ってきて、それらの要素がすべて独自の自己表現をする、総合メディアになっていく。そういう本の世界が好きという人が、本を一番購読する層でもあって、本の世界を経済的にも支えている。この構造が続く限り、紙本の世界はまだまだ続くと思います」


本への溢れる愛情を語った立花氏



現代日本を代表する「知の巨人」のこの言葉に、勇気を与えられる出版人も多いのではないでしょうか。じつは、今からもう20年近くも前に東京は神保町の三省堂書店で著者をお見かけしたことがあります。著者は1階の入口を入ってすぐの場所にある新刊書コーナーをながめていましたが、そのときずっと表情がニコニコしていたのが印象的でした。わたしは、「ああ、この人は腹の底から本が好きなのだなあ」と思った記憶があります。同書は、そんな稀代の本好きによる書物への「愛の遍歴」を展示した博物館と言えるかもしれません。今日の講演からも、立花氏の書物への愛を強く感じました。


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年7月2日 一条真也