人の道

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は「人の道」という言葉を取り上げることにします。拙著『ハートフル・カンパニー』(三五館)において打ち出した言葉です。


ハートフル・カンパニー』(三五館)

  

わたしの本業である冠婚葬祭という営みの中核となるコンセプトは「礼」です。「礼」とは一般に考えられているようなマナーというよりも、むしろモラル、平たく言って「人の道」です。「礼」はもともと古代中国の宗教から社会規範、および社会システムにまで及ぶ巨大な取り決めの体系でした。「礼」は旧字体では「禮」と書かれますが、これは「履」の意味であり、人として履みおこなうべきみちを意味しました。

 

論語 (岩波文庫)

論語 (岩波文庫)

 

 

孔子が開いた儒教では、「仁義礼智忠信孝悌」のように徳目の1つとして、「礼」を礼儀とかマナーの意に落ち着かせようとしました。それも確かに「礼」の一部であり、後に日本に入って、小笠原流礼法として開花したことはよく知られています。
また儒教は、他者に対する思いやりとしての「仁」を最高の徳とし、「孝」の実践を最高義としました。朱子学では「仁」が徳の中心にあり、すべての徳を含む概念であるとさえしました。


礼を求めて』(三五館)

 

しかし、本来は「義智忠信孝悌」のほうが「礼」のなかに含まれていたものであり、決してその逆ではありません。「仁」は孔子が自らの理想の、新しい何かを表現しようとして採用した特別な言葉です。「仁」の概念こそ、もともとは「礼」の中にあったと言えるでしょう。さらには、倫理道徳、各種の祭祀、先祖供養、歴史、人間の集団における序列の意味などはすべて「礼」の中にあったのです!

f:id:shins2m:20190313235236j:plain決定版 冠婚葬祭入門』(PHP研究所)

 

わたしは、人の道つまりモラルとしての礼を「大礼」、礼儀作法つまりマナーとしての礼を「小礼」としています。そして、人の道のなかで最も重要な最優先すべきものは、親の葬礼であると孟子は断言しています。親の葬礼を行なうことこそは、すべての「礼」の中心となる行為であり、「人の道」を堂々と歩むことにほかならないのです。

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わが社のような冠婚葬祭互助会の商品とは、お客さまに僅かな掛け金で「人の道」を立派に歩んでいただくお手伝いです。人間が「人の道」を踏み外すことほど悲劇的で気の毒なことはありませんから、それを未然に防ぐことは「人助け」でもあるのです。

 

2021年1月3日 一条真也