デーケン先生の帰天

一条真也です。
今日は台風10号の影響でサンレー社長室のスタッフが出社できないので、自宅の書斎から13時開始の「グリーフケアPT」のZoom会議に参加します。九州の全県が暴風域に入った深夜に台風情報を得ようと思ってネットを開いたところ、「アルフォンス・デーケンさん死去 日本に死生学を広める」という朝日新聞デジタルの記事を発見し、驚きました。デーケン先生は、日本における死生学&グリーフケアの先駆け的存在で、わたしは深く尊敬しておりました。ご著書もほとんど拝読しています。

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朝日新聞デジタルより

 

記事には、以下のように書かれています。
「日本に死生学を広めた上智大学名誉教授でカトリック司祭のアルフォンス・デーケンさんが6日、肺炎で死去した。88歳だった。葬儀は11日午後4時から東京都千代田区麴町6の5の1のカトリック麴町聖イグナチオ教会イエズス会員のみで行う。喪主はイエズス会司祭・瀬本正之さん。主司式はイエズス会のレンゾ・デ・ルカ日本管区長」


また、記事には以下のようにも書かれています。
「ドイツ生まれ。イエズス会の派遣により1959年に来日し、65年に司祭に。いったん渡米し、ニューヨーク州フォーダム大学大学院で哲学博士の学位を取得。再来日し、70年代から上智大学で『死の哲学』『人間学』などを担当し、その後、死をタブー視する状況に対して『死への準備教育』を提唱した。死との向き合い方を若いうちから学び、最期まで心豊かに生きようと呼びかけた。賛同した市民による『生と死を考える会』は各地に広がり、その全国協議会名誉会長を務めた。ホスピスの普及や終末期医療の充実のための支援活動にもかかわった」

 

新版 死とどう向き合うか

新版 死とどう向き合うか

 
よく生き よく笑い よき死と出会う

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さらに、「ユーモアで包んだ一般向けの「キリスト教入門講座」は人気を呼び、40年以上続いた。著書に『死とどう向き合うか』『よく生き よく笑い よき死と出会う』など。91年には、日本に死生学という概念を定着させたとして菊池寛賞を受賞した。ほかの受賞に、全米死生学財団賞、東京都文化賞(99年)など」と書かれています。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

わたしはデーケン先生のご著書から学ばせていただき、2007年7月16日に刊行された拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)で、デーケン先生が提唱されたグリーフ・エデュケーション(悲嘆教育)を紹介させていただきました。愛する人を亡くしたとき、どういう状態に陥ることが多いのか、どんな段階を経て立ち直ってゆくのか、悲嘆のプロセスを十分に商家できなかった場合はどんな状態に陥る危険性があるのかなど、人間として誰もが味わう死別の悲しみについて学ぶのがグリーフ・エデュケーションです。

 

悲嘆のプロセスの途中で、それとは気づかずに健康を損なう人がいかに多いかを考えると、これは予防医学としても大切な課題であると、デーケン先生は述べられています。古来から、愛する人を亡くした悲しみが、「ブロークン・ハート」と呼ばれる失意の死をもたらすことはよく知られています。現代でも、悲しみのプロセスをうまく乗り切れなかったために、がん、脳卒中、心臓病などを発病したケースは決して少なくありません。ブロークン・ハートは「胸がはりさける」悲しみです。この悲しみが、残された人々の生命力を低下させ、死に至る重い病気を引き起こす力をもっているのです。ブロークン・ハートに陥らないためにも、悲嘆のプロセスについて正しく知る必要があります。

 

デーケン先生は、欧米や日本で、たくさんの末期患者とその家族、また患者が亡くなったあとの遺族たちのカウンセリングに携わってきました。1人ひとりの人生がそれぞれかけがえのないものであるように、愛する人を亡くすという体験とそれに伴う悲しみのプロセスも、人それぞれです。デーケン先生によれば、風土、習慣、言語は違っていても、みな同じ人間である以上、そこにはある程度まで共通するパターンが見られるといいます。これから、デーケン先生による「悲嘆のプロセス」の12段階を紹介したいと思います。

 

①精神的打撃と麻痺状態
愛する人を亡くすと、その衝撃によって一時的に現実感覚が麻痺します。頭の中が真空になったようで、何もわからなくなってしまいます。心身のショックを少しでもやわらげようとする、心理学でいう防衛機制です。
②否認
感情だけでなく、理性も愛する人の死という事実を認めません。あの人が死ぬはずはない、きっとどこかで生きている、必ず元気になって帰ってくる、などと思い込みます。
③パニック
身近な人の死に直面した恐怖から、極度の パニック状態になります。悲しみのプロセスの初期にしばしば見られる現象です。
④怒りと不当惑
ショックがやや収まると、悲しみと同時に、自分は不当な苦しみを負わされたという激しい怒りが湧き起こります。がんのように、かなり長期間の看病が必要な場合には、怒りはやや弱められ、穏やかに経過することが多いようです。ある程度、心の準備ができるのでしょう。反対に強い怒りが爆発的に現れるのが、心臓発作などの急病や、災害、事故、暴力、自殺などによる突然の死のあとです。
⑤敵意とルサンチマン(うらみ)
残された人々は、亡くなった人や周囲の人 に対して、敵意やうらみの感情をぶつけます。最もその対象になるのは、最期まで故人のそばにいた医療関係者です。次に、死別の直後に対面する葬儀業者にぶつけることが多いようです。日常的に死を扱う側と、かけがえのない肉親の死に動転している遺族側との感情が行き違うことが原因と思われます。自分を残して亡くなった死者を責める場合も少なくありません。
⑥罪意識
過去の行ないを悔やんで、自分を責めます。
「あの人が生きているうちに、もっとこうしてあげればよかった」「あのとき、あんなことをしなければ、まだまだ元気でいたかもしれない」などと考えて、後悔の念にさいなまれるのです。代表的な悲嘆の反応です。
⑦空想形成、幻想
空想の中で、亡くなった人がまだ生きているかのように思い込みます。また、故人の食事の支度や着替えの準備など、実生活でも空想を信じて行動します。
⑧孤独感と抑うつ
葬儀などの慌しさが一段落すると、訪れる人も途絶えがちになります。独りぼっちになった寂しさが、ひしひしと身に迫ってきます。だんだん人間嫌いになったり、気分が沈んで自分の部屋に引きこもることが増える人もいます。誘われても、外出する気になれません。
⑨精神的混乱とアパシー(無関心)
愛する人を亡くし、日々の生活目標を見失った空虚さから、どうしていいかわからなくなります。全くやる気をなくした状態に陥り、仕事や家事も手につきません。
⑩あきらめ―受容
日本語の「あきらめる」には、「明らかにする」という意味があります。愛する人はもうこの世にはいないという現実を「明らか」に見つめて、それを受け入れようとする努力がはじまります。受容とは、ただ運命に押し流されることではありません。事実を積極的に受け入れていく行為なのです。
⑪新しい希望―ユーモアと笑いの再発見
死別の悲しみの中にあるとき、誰でもこの暗黒の時間が永遠に続くように思います。しかし、いつかは必ず希望の光が射し込んできます。それは、忘れていた微笑が戻り、ユーモアのセンスがよみがえることから始まります。ユーモアと笑いは健康的な生活に欠かせないものであり、次の新しい一歩を踏みだそうとする希望の生まれたしるしでもあります。
⑫立ち直りの段階―新しいアイデンティティの誕生
悲嘆のプロセスを乗り越えるというのは、愛する人を亡くす以前の自分に戻ることではありません。深い悲しみにもだえた人は、苦しい経験を通じて、新しいアイデンティティを獲得したのです。つまり、以前よりも成熟した人格へと成長しているのです。

 

以上が、デーケン先生が唱えられた「悲嘆のプロセス」です。大きな人間愛に支えられた、素晴らしい考え方だと思います。ぜひ、多くの日本人にこのプロセスを知っていただき、いつかは悲しみで満ちた心に希望の光が射してくることを願っています。そして、死生学の偉大なパイオニアであり、グリーフケアの開拓者であったデーケン先生は、大いなるミッションを果たされて天に召されました。デーケン先生の魂の平安を心よりお祈りいたします。

 

2020年9月7日 一条真也