一条真也です。
22日、全互協総会オプションの仙台観光ツアーで、伊達家の菩提寺でもある「瑞巌寺」を訪れました。国宝に指定されており、桃山様式を極めた本堂は、2016年4月に大規模改修を終え、堂々とした姿を見せてくれました。
瑞巌寺を背に
いざ、国宝・瑞巌寺へ
瑞巌寺の説明板
公式HPの「沿革」には次のように書かれています。
「瑞巌寺は正式名称を『松島青龍山瑞巌円福禅寺』といい、現在臨済宗妙心寺派に属しております。開創は平安の初めにさかのぼります。天長5年(828)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・堂衆とともに松島に来て寺を建立しました。この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けました」
鰻塚
まずは境内を見学しました
境内の観音像
鉄道犠牲者の慰霊碑
続いて、瑞巌寺HP「沿革」には書かれています。「藤原氏滅亡の後は鎌倉幕府が替わって大檀越となりました。北条政子は当時学徳一世に高かった見仏上人に仏舎利を寄進し、夫の菩提を弔わせています。その仏舎利・寄進状は今に伝わっております。この天台宗延福寺は鎌倉時代中期、開創以来28代約400年の歴史をもって滅しました。天台宗延福寺にとって替わった寺は、法身禅師が開山とされ円福寺と命名されましたが、正確な開創年はわかっておりません。歴代住持の経営努力によってその勢力を岩手県南部にまで伸長していき、寺格も五山十刹に次ぐ諸山から、やがて十刹の高位に昇りました。しかし、戦国時代を経て次第に衰退し、妙心寺派に属するようになりました」
瑞巌寺の本堂
瑞巌寺の庭園
瑞巌寺の本堂前で
瑞巌寺の中堂
境内のようす
続いて、瑞巌寺HP「沿革」には書かれています。
「慶長5年(1600)関ヶ原の戦いが終了した後、仙台に治府を定めた伊達政宗は、仙台城の造営と併せて神社仏閣の造営も行い、塩竃神社・仙台大崎八幡宮・陸奥国分寺薬師堂を相次いで完成させました。当寺の造営は特に心血を注いだ事業でした。用材を紀州(和歌山県)熊野山中から伐り出し、海上を筏に組んで運びました。大工は梅村彦左衛門家次一家や、刑部(鶴)左衛門国次ら名工130名を招き寄せております。工事は慶長9年(1604)、政宗自ら縄張りを行って始まりました。丸4年の歳月をかけ、慶長14年(1609)に完成しております」
松島を望む門へ
この樹木が津波から国宝を守った!
続いて、瑞巌寺HP「沿革」には書かれています。
「伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は110余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。しかし、明治維新を迎え王政復古の政策は廃仏毀釈を惹起し、さらに伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃が瑞巌寺を始め松島の諸寺院を直撃し、零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになりました。瑞巌寺はそれでも時の住持太陽東潮の努力により、ようやく維持されていたのですが、明治9年(1876)、天皇の行在所となり、内帑金千円が下賜され、復興の契機となりました。現存する本堂・御成玄関、庫裡・回廊は国宝に、御成門・中門・太鼓塀は国の重要文化財に指定されております」
2019年8月23日 一条真也拝