閖上地区

一条真也です。
22日、全互協総会オプションの仙台観光ツアーに参加しました。まずは、宮城県名取市閖上地区を訪れました。名取川南岸の、太平洋に面する漁港を有する港町です。

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閖上地区に建つ神社

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神社の上に建つ祠

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震災に耐えた松

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出雲殿の浅井社長と

1697年、仙台藩主・伊達綱村が大年寺の落慶に参拝しての帰途、山門内からはるか東方に見えた波打つ浜を「あれは何というところか」と問うたところ、近侍の者が「『ゆりあげはま』にございます」と答えました。重ねて「文字はどう書くのか」と問うたところ、「文字はありません」と答えました。これを受けて綱村は「門の内から水が見える故に、今後は門の中に水と書いて閖上と呼ぶように」と言い、仙台藩専用の「閖」という文字が出来た故事があります。江戸時代には仙台藩直轄の港で、仙台に魚介類を売り栄えました。

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被災状況を説明されました

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被災地の祈り

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犠牲者の名前が記された慰霊碑

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ボランティアさんの説明を聴きました

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慰霊碑の下に建つモニュメント

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皇太子同妃両殿下行啓記念碑


この閖上地区は、東日本大震災で多大な被害を受けました。閖上地域の人口は、大震災前の2011年2月末時点で5612人でした。しかし大津波で壊滅した閖上は、かつて活気に満ちた漁港を中心にほとんど更地と化してしまいました。現在の人口は約2400人となり、犠牲者だけでなく多くの住民が閖上から姿を消したことを物語っています。日和山の慰霊碑の高さは8メートル以上ですが、これは3・11の津波の高さと同じだそうです。それを聞いて、絶句しました。わたしは、慰霊碑の前で黙とうし、犠牲者の方々に鎮魂の祈りを捧げました。

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戦前から建つ慰霊碑

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地震が来たら津波に用心」と記されていました


多くの人が犠牲になった主因は他地域と同様に、「まさかここまで津波は来ない」との思い込みによる避難の遅れですが、ここ閖上にはもう1つの要因、車での避難者が大渋滞に巻き込まれて身動きが取れないまま多数の人命が失われたことが挙げられます。日和山の慰霊碑のすぐ近くには、戦前からの慰霊が並んでいました。その中の昭和8年に建てられた慰霊碑の冒頭には「地震があったら津波に用心」と書かれていました。この場所はもともと公園で、わたしたちに説明して下さった「震災を伝える会」のボランティアさんも、震災前はよくお子さんをこの公園で遊ばせていたそうです。しかし、この慰霊碑の言葉などまったく知らず、「もし知っていたら、あれだけ多くの被害者が出なかったかも」と語っていました。わたしは、先人のメッセージを伝承することの大切さを痛感しました。そして、冠婚葬祭や年中行事といった儀式文化こそは先人のメッセージの宝庫であり、後に続くわたしたちはそれらを継承する必要があると確信しました。そのことを一緒にいた全互協の儀式継創委員会の浅井委員長(出雲殿社長)にお伝えすると、浅井委員長も大きくうなずいて下さいました。

 

ボランティアさんには3人のお子さんがいらっしゃるぞうですが、津波閖上地区を襲った時、3人とも学校に行っていて連絡が取れなかったそうです。そして、一番下のお子さんには「てんかん」の症状があり、津波のパニックの中でも、ボランティアさんは自宅から「てんかん」の薬だけは無意識に持ち出したそうです。その後、お子さんたちの無事が判明し、避難所での生活がスタートしましたが、各人に必要な薬が揃っておらず困ったこと、赤ちゃんを抱えた若いお母さんたちは授乳や夜泣きに気を遣って気の毒だったことなどが語られました。ブログ「紫雲閣を避難所に」で紹介したように、わが社の施設は災害時の避難所に指定されていますので、わたしは「人間尊重の避難所づくり」を目指したいと強く思いました。東日本大震災の犠牲になられたすべての方々のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2019年8月23日 一条真也