葬祭責任者会議

一条真也です。
24日の午後から、 サンレーグループの葬祭責任者会議が行われました。わたしは、いつものように社長訓話を行いました。「コミュニティセンター」「グリーフケア」「セレモニー」をテーマに、1時間にわたって話しました。

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最初は、もちろん一同礼!

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葬祭責任者会議のようす

 

わたしは、まず、ブログ「北九州市災害時支援協定調印式&記者会見」で紹介した北九州市と株式会社サンレーの間で結んだ「災害時における施設の使用に関する協定」についてお話しました。「葬儀をする施設」から「葬儀もする施設」へ。セレモニーホールからコミュニティセンターへ。互助会の理念である『相互扶助』の実現をめざして、そして地域に不可欠な施設としてこれからも地域に貢献させていただきたいと願っています。 

f:id:shins2m:20190624163605j:plainグリーフケアについて話しました 

 

それから、グリーフケアについての基本的な話をしました。「グリーフケア」とは一般に「悲嘆からの回復」という意味で使われます。「悲嘆」といっても、さまざまな種類がありえます。上智大学グリーフケア研究所の特任前所長である髙木慶子氏は、以下のように「悲嘆を引き起こす七つの原因」というものを紹介しています。1.愛する人の喪失、2.所有物の喪失、3.環境の喪失、4.役割の喪失、5.自尊心の喪失、6.身体的喪失、7.社会生活における安全・安心の喪失。以上の7つです。

f:id:shins2m:20190624165719j:plain「悲嘆を引き起こす7つの原因」

 

わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれています。東日本大震災の被災者の人々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失ってしまいました。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは計り知れないといえるでしょう。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくする行為です。

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多重喪失者について

 

わたしたちの人生とは、ある意味で「出会い」と「別れ」の連続であり、別れに伴う「悲しみ」も影のように人生についてまわります。愛する人を亡くすか、あるいは、それを予期しなければならない立場に立たされた人は、必ずといっていいほど、「悲嘆のプロセス」と呼ばれる一連の心の働きを経験させられます。死にゆく人の家族は、愛する人の死を予期したときから、「準備的悲嘆」と呼ばれる一連の悲しみを経験します。そして、実際に死別に直面したのち、さらにいくつかの段階を経て、その衝撃から立ち直ってゆくのです。

f:id:shins2m:20190624171049j:plainグリーフ・エデュケーションについて

 

死生学の第一人者として知られる上智大学名誉教授で哲学者のアルフォンス・デーケン氏は、「悲嘆教育」と訳されるグリーフ・エデュケーションを提唱しています。愛する人を亡くしたとき、どういう状態に陥ることが多いのか、どんな段階を経て立ち直ってゆくのか、悲嘆のプロセスを十分に商家できなかった場合はどんな状態に陥る危険性があるのかなど、人間として誰もが味わう死別の悲しみについて学ぶのがグリーフ・エデュケーションです。

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デーケン氏の考えを紹介

 

デーケン氏は、欧米や日本で、たくさんの末期患者とその家族、また患者が亡くなったあとの遺族たちのカウンセリングに携わってきました。1人ひとりの人生がそれぞれかけがえのないものであるように、愛する人を亡くすという体験とそれに伴う悲しみのプロセスも、人それぞれです。しかし、風土、習慣、言語は違っていても、みな同じ人間である以上、そこにはある程度まで共通するパターンが見られるといいます。

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デーケン氏による「悲嘆のプロセス」

 

デーケン氏による「悲嘆のプロセス」の十二段階は以下の通りです。1.精神的打撃と麻痺状態、2.否認、3.パニック、4.怒りと不当惑、5.敵意とルサンチマン(うらみ)、6.罪意識、7.空想形成、幻想、8.孤独感と抑うつ、9.精神的混乱とアパシー(無関心)、10.あきらめ―受容、11.新しい希望―ユーモアと笑いの再発見、12.立ち直りの段階―新しいアイデンティテの誕生。
ただし、デーケン氏自身も述べているのですが、悲嘆の感情の変化はこのプロセス通りに推移するわけではありません。それでも悲しみというものを処理していくうえで大いに参考になる考え方だと言えます。

f:id:shins2m:20190624171657j:plain「葬儀をあげる意味」について

 

それから、「葬儀をあげる意味」について話しました。
古今東西、人間はどんどん死んでいきました。この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる「こころ」に1つの「かたち」を与えることが大事であり、ここに、葬儀をあげる最大の意味があります。
では、この「かたち」はどのようにできているのか。昔の仏式葬儀をみてもわかるように、死者がこの世から離れていくことをくっきりとした「ドラマ」にして見せることによって、動揺している人間の「こころ」に安定を与えるのです。

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物語による「こころの安定」について

 

ドラマによって「かたち」が与えられると、「こころ」はその「かたち」に収まっていき、どんな悲しいことでも乗り越えていける。つまり、「物語」というものがあれば、人間の「こころ」はある程度、安定するものなのです。逆にどんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、「こころ」はいつもグラグラ揺れ動いて、愛する肉親の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。死者が遠くへ離れていくことをどうやって演出するかということが、葬儀の重要なポイントです。それをドラマ化して、物語とするために葬儀というものはあるのです。

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葬儀とは何か?

 

また葬儀には、いったん儀式の力で時間と空間を断ち切ってリセットし、もう一度、新しい時間と空間を創造して生きていくという意味もあります。もし、愛する人を亡くした人が葬儀をしなかったらどうなるか。そのまま何食わぬ顔で次の日から生活しようとしても、喪失で歪んでしまった時間と空間を再創造することができず、「こころ」が悲鳴を上げてしまうのではないでしょうか。さらに一連の法要は、故人を偲び、冥福を祈るためのものです。故人に対し、「あなたは亡くなったのですよ」と現状を伝達する役割、また遺族の心にぽっかりと空いた穴を埋める役割もあります。動揺や不安を抱え込んでいる「こころ」に「かたち」を与えることが大事なのです。儀式には、人を再生する力があります。

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葬儀の5つの役割について

 

葬儀には、主に5つの役割があるとされています。それは、社会への対応、遺体への対応、霊魂への対応、悲しみへの対応、さまざまな感情への対応です。さまざまな感情とは「怒り」や「恐れ」などです。具体的には、「どうして自分を残して死んでしまったのだ」という怒り、あるいは葬儀をきちんと行わないと「死者から祟られるのではないか」という恐れなどですね。しかし、残された人々のほとんどが抱く感情とは「怒り」でも「恐れ」でもなく、やはり「悲しみ」でしょう。「悲しみへの対応」とは、遺族に代表される生者のためのもの。遺された人々の深い悲しみや愛惜の念を、どのように癒していくかという対応方法のことです。

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物語の癒しによって、世界を完全にする

 

通夜、葬儀、告別式、その後の法要などの一連の行事が、遺族に「あきらめ」と「決別」をもたらしてくれます。葬儀とは物語の力によって、遺された人々の悲しみを癒す文化装置です。わたしは、「葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人類は発狂して、とうの昔に絶滅していただろう」と、ことあるごとに言っています。ある人の愛する人が亡くなるということは、その人の住む世界の一部が欠けるということ。欠けたままの不完全な世界に住み続けることは、必ず精神の崩壊を招きます。不完全な世界に身を置くことは、人間の心身にものすごいストレスを与えるわけです。まさに、葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻すことにほかなりません。

f:id:shins2m:20190624173240j:plain葬儀=「この世」に引き戻す大きな力 

 

また、葬儀は接着剤の役目も果たします。愛する人を亡くした直後、遺された人々の悲しみに満ちた「こころ」は、ばらばらになりかけます。それを1つにつなぎとめ、結び合わせる力が葬儀にはあるのです。多くの人は、愛する人を亡くした悲しみのあまり、自分の「こころ」のうちに引きこもろうとします。葬儀は、いかに悲しみのどん底にあろうとも、その人を人前に連れ出す。引きこもろうとする強い力を、さらに強い力で引っ張り出します。葬儀の席では、参列者に挨拶をしたり、お礼の言葉を述べなければなりません。それが、遺された人を「この世」に引き戻す大きな力となっているのです。

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懇親会の冒頭で挨拶しました

f:id:shins2m:20190624182807j:plain懇親会のようす

 

今後、葬儀のスタイルもさまざまに変わっていくでしょうが、原点、すなわち「初期設定」を再確認したうえで、時代に合わせた改善、いわば「アップデート」を心がける努力が必要です。もともと、約7万年前にネアンデルタール人が死者に花を手向けた瞬間からサルがヒトになったともいわれるほど、葬儀は「人類の精神的存在基盤」とも呼べるものなのです。最後に、わたしは「葬儀なくして人類なし」と大きな声で言いました。なお、社長訓話後はサンレー本社から松柏園ホテルに移動して、懇親会が開催されました。その後は、同ホテルのラウンジで二次会も開催され、大いに情報交換、意見交換し、親睦を深めました。

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最後は「末広がりの五本締め」で

f:id:shins2m:20190624192654j:plainラウンジでの二次会のようす

 

2019年6月24日日 一条真也