誰にも「人生の四季」がある  

一条真也です。
小倉の桜も咲き、もうすぐ満開です。ウグイスも鳴き始めました。この時期、しみじみと「四季のある日本に生まれてよかった」と思います。
27日、「サンデー毎日」4月8日号が発売されます。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第123回のタイトルは、「誰にも『人生の四季』はある」です。
ブログ「毎日新聞出版訪問」に書いたように、今回が最終回です。


サンデー毎日」2018年4月8日号



2年半にわたって連載してきたこのコラムも、今回で最終回です。
これまでのご愛読に心より感謝するとともに、みなさまに連載を修めるラスト・メッセージをお伝えしたいと思います。最後は連載タイトルの「人生の四季」についてお話ししましょう。



冠婚葬祭業を営んでいると、日々、多くの「愛する人を亡くした人」にお会いします。100歳を超える高齢で大往生された方から、生まれたばかりの赤ちゃんまで、亡くなられた人の年齢は、さまざまです。
一般に、高齢であればあるほど悲しみはより浅く、若ければ若いほど悲しみはより深いとされています。



わたしは、すべての人間は自分だけの特別な使命や目的をもってこの世に生まれてきていると思います。この世での時間はとても大切なものですが、その長さはさほど重要ではありません。
明治維新を呼び起こした1人とされる吉田松陰は、29歳の若さで刑死しましたが、その遺書ともいえる『留魂録』に次のように書き残しました。
「今日、死を決心して、安心できるのは四季の循環において得るところがあるからである。春に種をまき、夏は苗を植え、秋に刈り、冬にはそれを蔵にしまって、収穫を祝う。このように一年には四季がある」



そして、松陰は人間の寿命についても次のように述べました。
「人の寿命に定まりはないが、十歳で死ぬ者には十歳の中に四季がある。二十歳には二十歳の四季がある。三十歳には三十歳の四季がある。五十歳、百歳には五十歳、百歳の四季がある。私は三十歳で死ぬことになるが、四季は既に備わり、実をつけた」
松陰の死後、その弟子たちは結束して、彼の大いなる志を果たしました。



松陰の四季が生み出した実は結ばれ、その種は絶えなかったのです。
松陰だけでなく、「人生の四季」は誰にでもあります。
せめて、四季折々の出来事を前向きに楽しみながら、後の世代に想いを託し、最後は堂々と人生を卒業してゆきたいものですね。
それでは、また会う日まで!


サンデー毎日」2018年4月8日号の表紙



最終回の原稿を校了したとき、担当編集者の徳丸さんから、「長い間、連載原稿をご執筆いただき、ありがとうございました。殺伐とした話題の多い誌面の中で、とても貴重なアクセントになる原稿123本をいただき、感謝申し上げます。個人的にも勉強になる内容も多く、ありがたい機会となりました」とのメールを頂戴しました。こちらこそ、ありがとうございました。わたしにとっても、人生初体験の週刊誌連載は良い思い出になりました。
一条真也の人生の四季」はおかげさまで好評につき、再編し直して、6月に毎日新聞出版から単行本化されます。刊行されましたら、ぜひお買い求め下さい。どうぞ、よろしくお願いいたします。


一条真也の人生の四季」を修めました・・・・・・



2018年3月27日 一条真也