日出紫雲閣竣工式  

一条真也です。
27日の朝、小倉から車で大分県速見郡日出町に向かいました。
この日、日出紫雲閣の竣工清祓御祭の神事が行われるのです。


完成した日出紫雲閣の外観

日出紫雲閣の前で

日出紫雲閣の前は、菜の花がいっぱい!

まるで自宅のような控室

自宅のように便利です

シティホテルのような休憩室

シティホテルのようなバスルーム



サンレーグループとしては、日出紫雲閣大分県内で9番目、全国で73番目(いずれも完成分)のセレモニーホール(コミュニティセンター)です。
すでに3月7日には、大分県別府市別府鉄輪紫雲閣がオープンし、6月には別府亀川紫雲閣がオープン予定です。日出紫雲閣は別府湾を一望できる場所に位置しています。ご親族の方々が我が家のようにくつろげる控室を完備しており、小規模葬から大規模葬までご利用いただけます。大切な方との時間をゆっくりと過ごせる空間をご提供いたします。完成したばかりの施設の前は、菜の花がいっぱいでした。


本日の神饌

本日の式次第

さあ、神事式場へ!

竣工清祓御祭のようす



神事の進行は、サンレー大分総務課の白鳥課長が担当。
神事は地元を代表する神社である「日出若宮八幡神社」の小石護久宮司にお願いしました。 開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。


一同礼!

清祓之儀のようす

玉串奉奠し、柏手を打ちました

神酒を拝戴しました



それから、玉串奉奠です。祭主に続いて、主催者である株式会社サンレー社長のわたしが玉串を奉奠しました。それから、関係各位のみなさんが次々に玉串を奉奠しました。その後、撤饌、昇神之儀、そして閉式と、滞りなく竣工式を終えました。その後、宮司さんの発声で神酒を拝戴しました。


主催者挨拶をしました



それから、いよいよ主催者挨拶です。わたしは次のように挨拶しました。
「このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しく思います。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています」


日出について話しました



また、わたしは日出について以下のように話しました。
「日出は大分県の中部、国東半島の南端部に位置します。『日出』とは『日の出ずる』という意味です。現在残る日出城は慶長6年(1601)から慶長7年(1602)8月に日出藩の初代藩主木下延俊(豊臣秀吉正室高台院(北政所、おね、ねね)の兄である木下家定の子)が、義兄であった細川忠興の支援を受けて築城しました。別名『暘谷(ようこく)城』と呼ばれますが、これは、3代藩主の木下俊長が 中国の古書である『淮南子』の一節『日は暘谷より出でて咸池に浴す(日出於暘谷 浴于咸池)』から引用して名づけたと伝えられます。『太陽の光』を意味する『サンレー』にぴったりの地名ですね」


日出は学問に熱心な土地です



また、わたしは以下のようにも述べました。
「日出は非常に学問に熱心な土地で、帆足萬里(ほあし ばんり)という大学者を輩出しています。安永7年(1778年)生まれの帆足萬里は、豊後国日出藩出身の江戸時代後期の儒学者経世家です。三浦梅園、広瀬淡窓とともに「豊後三賢」の1人と言われます。14歳の時、脇蘭室(脇愚山)に学び、21歳の時に大阪の中井竹山・京都の皆川淇園にも学びました。日出藩の藩校の教授に任じられ、天保3年(1832)には日出藩家老となり財政改革に行いました。その後は、『西崦精舎(せいえんせいしゃ)』という私塾を開いて子弟の教育にあたりました。近隣の豊前国中津藩にも聘されて、野本白巌・福澤百助(福澤諭吉の父)・村上玄水など数多くの門人を抱えました」


日の出ずる その名のままに 悲しみを光で照らす 道に到らん  



さらに、わたしは以下のように述べました。
「そして日出といえば、忘れてはならないのが、致道館(ちどうかん)です。安政5年(1858)、15代藩主木下俊程侯の命により日出城二の丸に開校した藩校です。木造2階建て、門を含め家屋全体が旧態のまま残されており、現存する県下唯一の藩校ですね。開校当時の通達によると学問を修めるだけでなく、礼節、道徳を尊重する人間づくりが行われていました。武士だけでなく広く一般の人にも入学を許可し、8歳以上の子弟は必ず入学させ、寮生、通学生合わせて250人が学びました」
そして、わたしは「このような『礼』を重んじる藩校があった地に施設を作ることができ、礼業であるサンレーとしては嬉しい限りです」と述べ、太陽の光には暗闇の照らすグリーフケアの力があると説きました。
そして、最後は以下の道歌を詠みました。


日の出ずる その名のままに
悲しみを光で照らす 道に到らん(庸軒)  



山形支配人の決意表明を受けました



その後、山形支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影しました。
また、12時からは食事会が行われました。冒頭、わたしが「新しいエリアに進出し、さらなる発展に弾みをつけましょう!」と挨拶しました。それから、みんなで、マリエールオークパイン日田の特製弁当を美味しくいただきました。最後は、大分事業部の祐徳取締役によるサンレー恒例の「末広がりの五本締め」でお開きとなりました。


食事会のようす

食事会の冒頭、挨拶をしました

美味しいお弁当でした

最後は「末広がりの五本締め」で



その後、わたしは車で小倉駅に戻り、そこから新幹線で名古屋へ。
明日は、名古屋の互助会さんが新しい結婚式場をオープンするので、竣工披露パーティーに出席してから、再び小倉へ。その後は、商工会議所の会議に参加してから、松柏園ホテルで開かれる「新・北九州の会」で日本銀行の北九州支店長さんのお話を聴く予定です。「サンデー毎日」の連載が修了しても、あいかわらず大忙しです。「天下布礼」に休みなし、であります。


「大分合同」「朝日」「読売」「毎日」新聞3月27日朝刊

般若心経 自由訳

般若心経 自由訳

2018年3月27日 一条真也