小学生時代の油絵

一条真也です。
24日の土曜日はサンレー本社に出社。ずっと出張続きだったので、社長室でたまった書類などの整理をしていたら、実家から連絡がありました。

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小学生時代の油絵と 

 

実家の倉庫を片付けていたら、わたしが小学生高学年の頃に描いた油絵が出てきたので、「どうするか?」という問い合わせの電話でした。わたしは、「とりあえず会社に持ってきてくれないか」と頼み、額縁に収められた4点の油絵が社長室に届きました。

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「果物」

 

わたしは、岡先生と西村先生という二人の北九州出身の洋画家から油絵を習いました。美術品のコレクターだった父が両先生を応援していた関係です。今ではお二人とも日本を代表する有名な画家になられました。最初に習ったのはブログ「岡義実展」でも紹介した岡先生で、セザンヌのような印象派を思わせる絵を描かれる方でした。わたしも果物などの静物画を描いていますが、光の描き方が岡先生の指導を思わせます。

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「茶器」

 

また、岡先生の指導の下に茶器も描いていますが、これがなかなかの出来ばえであります。シンプルな茶器の中に「わび」「さび」を感じますが、何よりも茶器とは「かたち」そのものです。水や茶は形がなく不安定です。それを容れるものが器です。水と茶は「こころ」です。「こころ」も形がなくて不安定です。ですから、「かたち」に容れる必要があるのです。その「かたち」には別名があります。「儀式」です。茶道とはまさに儀式文化であり、「かたち」の文化です。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そんなことを小学生の頃から考えていたとしたら大したものです。わたしは少年時代の自分に「おまえ、えらいな!」と言いたくなりました。(笑)

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「海辺の光景」

 

岡先生の次に習ったのはシュールレアリスムに通じていた西村先生でした。わたしは当時愛読していた藤子不二雄Aのマンガ「魔太郎がくる」で初めて知ったマグリットの不思議絵のような絵を描きたいと思いました。そこで描いたのが、「海辺の光景」と題する絵です。空に浮かんだ雲のような白い唇、そして巨大な顔・・・・・・ちょっと、つげ義春のマンガも連想させるようなシュールな世界を表現しています。

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「欲望」

 

また、ゴヤの影響を受けていたと思われる西村先生の指導で、欲にかられた人間が黄金に手を伸ばそうとすると腕が白骨に変わるという「欲望」という絵も描きました。こんな絵を小学生で描くなんて、われながら、どーかしてるぜ!!
これらの絵を眺めながら、わたしは「これからは画伯として生きろ」という天の声かもしれないと思い、そのことを妻にラインしたところ、即座に「血迷うでない」との返信が届きました。ぎゃふん!

 

2018年11月24日 一条真也