小倉に落ちるはずの原爆

一条真也です。
毎日暑いですが、8月は日本人にとって死者を想う月です。
8日、「サンデー毎日」2017年8月20・27合併日号が発売されます。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第92回目のタイトルは、「小倉に落ちるはずの原爆」です。


サンデー毎日」2017年8月20・27合併日号



今年も、8月9日がやってきます。
「長崎原爆の日」です。わたしにとって、1年でも最も重要な日です。
わたしは北九州市の小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。そして、日々、生きていることの不思議さを思います。なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからです。



72年前、原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたか。広島に投下された原爆では、約14万人の方々が亡くなられました。当時の小倉・八幡の北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集していたために、広島以上の数の犠牲者が出ただことでしょう。



当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。
よって原爆が投下された場合は確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのです。
その事実を知ってから、わたしはずっと「なぜ、自分は生を受けたのか」「なぜ、いま生きているのか」について考えるようになりました。



まさに、長崎原爆は、わたしにとって「他人事」ではない「自分事」なのです。わたしも含めて、小倉の人々は、長崎原爆の犠牲者の方々を絶対に忘れてはならないと思います。しかし、悲しいことにその事実を知らない小倉の人々も多いのです。



そこで「長崎原爆の日」の当日、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで各全国紙に「鎮魂」のメッセージ広告を掲載しています。
ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきたようです。
その日は、いつも小倉にある本社の総合朝礼で、わたしが社員のみなさんに長崎原爆の話をし、最後に全員で犠牲者への黙祷を捧げます。



家族葬直葬・・・・・・日本では葬儀の簡略化が進んでいます。
死者が軽んじられているような気がしてなりません。しかし、生者は死者に支えられて生きています。わたしは、つねに「死者のまなざし」を感じながら生きたいと思います。


サンデー毎日」2017年8月20・27合併日号の表紙



2017年8月8日 一条真也