上智大グリーフケア講義

一条真也です。
ブログ「上智大フューネラル講義」で紹介した講義は19時30分に終了しました。10分間の休憩を挟んで、19時40分から「グリーフケアの時代」と題した講義を行いました。グリーフケア研究所で「グリーフケア」について語るとは、まさに「釈迦に説法」の極みであり、とても勇気が要ることですが、わたしも実践を重ねてきている自負がありますので覚悟を決めました。


グリーフケアの時代



上智大学といえば、日本におけるカトリックの総本山ですが、わたしはブッダの話をしました。「釈尊」ことブッダは、「生老病死」を苦悩としました。
わたしは、人間にとっての最大の苦悩は、愛する人を亡くすことだと思っています。老病死の苦悩は、結局は自分自身の問題でしょう。でも、愛する者を失うことはそれらに勝る大きな苦しみではないでしょうか。
配偶者を亡くした人は、立ち直るのに3年はかかると言われています。幼い子どもを亡くした人は10年かかるとされています。こんな苦しみが、この世に他にあるでしょうか。一般に「生老病死」のうち、「生」はもはや苦悩ではないと思われています。しかし、ブッダが本当に「生」の苦悩としたかったのは、誕生という「生まれること」ではなくて、愛する人を亡くして「生き残ること」ではなかったかと、わたしは思うのです。


ブッダの真意について推測しました



それでは、ブッダが苦悩と認定したものを、おまえごときが癒せるはずなどないではないかという声が聞こえてきそうです。たしかに、そうかもしれません。でも、日々、涙を流して悲しむ方々を見るうちに、「なんとか、この方たちの心を少しでも軽くすることはできないか」と思いました。
ユダヤ教のラビでアメリカのグリーフ・カウンセラーであるE・A・グロルマンの言葉をもとに、わたしは次のようにアレンジしました。
 

親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。

 

それぞれ大切なものを失い、悲しみの極限で苦しむ方の心が少しでも軽くなるようお手伝いをすることが、わが社の使命ではないかと思うようになったのです。そして、わたしは『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を書きました。さらに2010年6月21日、愛する人を亡くした人たちの会「月あかりの会」を発足させました。


愛する人を亡くした人へ・・・・・・



のこされた あなたへ』では、「葬儀ができなかったあなたへ」「遺体が見つからないあなたへ」「お墓がないあなたへ」「遺品がないあなたへ」「それでも気持ちのやり場がないあなたへ」と、具体的な「あなた」へのメッセージを綴り、最後に「別れの言葉は再会の約束」という文章を書きました。
葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、東日本大震災での地震津波原発事故のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、「人間の尊厳」というものが問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けていたのです。


東日本大震災について



この国に残る記録の上では、これまでマグニチュード9を超す地震は存在していませんでした。地震津波にそなえて作られていたさまざまな設備施設のための想定をはるかに上回り、日本に未曾有の損害をもたらしました。じつに、日本列島そのものが歪んで2メートル半も東に押しやられたそうです。それほど巨大な力が、いったい何のためにふるわれ、多くの人命を奪い、町を壊滅させたのでしょうか。 あの地震津波原発事故にはどのような意味があったのでしょうか。 そして、愛する人を亡くし、生き残った人は、これからどう生きるべきなのでしょうか。 そんなことを考えながら、残された方々へのメッセージを書き綴ってみました。
もちろん、どのような言葉をおかけしたとしても、亡くなった方が生き返ることはありませんし、その悲しみが完全に癒えることもありません。
しかし、少しでもその悲しみが軽くなるお手伝いができないかと、わたしは一生懸命に心を込めて『のこされた あなたへ』を書きました。



愛する人と死に別れることは人間にとって最大の試練です。
しかし、試練の先には再会というご褒美が待っています。
けっして、絶望することはありません。
けっして、あせる必要もありません。
最後には、また会えるのですから。
どうしても寂しくて、悲しくて、辛いときは、どうか夜空の月を見上げて下さい。 そこには、あなたの愛する人の面影が浮かんでいるはずです。
愛する人は、あなたとの再会を楽しみに、気長に待ってくれることでしょう。 今日は、そんなことをお話してみました。


時にはユーモアを交えながら・・・・・・



わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失った。しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。
愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。


「ボランティア」から「グリーフケア」へ



1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき、被災者に対する善意の輪、隣人愛の輪が全国に広がりました。じつに、1年間で延べ137万人ものボランティアが支援活動に参加したそうです。ボランティア活動の意義が日本中に周知されたこの年は、「ボランティア元年」とも呼ばれます。16年後に起きた東日本大震災でも、ボランティアの人々の活動は被災地で大きな力となっています。そして、2011年は「グリーフケア元年」であったと言えるでしょう。グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。被災した方々、大切なものを失った人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられました。


グリーフケアとは(1)

グリーフケアとは(2)



それから、わたしは「自死」の問題についても話しました。
ちょうど前日に『自死 現場から見える日本の風景』瀬川正仁著(晶文社)という本を読みました。同書には「宗教と自死」という章があり、そこには自死者に対するカトリックの態度が以下のように書かれていました。
「693年のトレドの宗教会議で、『自死者はカトリック教会から破門する』という宣言がなされ、『自死』が公式に否定されたのだ。さらに名教皇といわれた聖トマス・アクィナスが『自死は生と死を司る神の権限を侵す罪である』と規定したことで、『自死=悪』という解釈が定まったといわれている。その結果、自死者は教会の墓地に埋葬してもらえないという時代が長く続いた」


自死」について語りました



「三大世界宗教」といえば、キリスト教イスラム教・仏教ですが、イスラム教においても、仏教においても自死を否定的にとらえています。しかし、自死はけっして「自ら選んだ」わけではなく、魔や薬のせいという要素も強いと言えます。ただでさえ、自ら命を絶つという過酷な運命をたどった人間に対して「地獄に堕ちる」と蔑んだり、差別戒名をつけたりするのは、わたしには理解できません。それでは遺族はさらに絶望するというセカンド・レイプのような目に遭いますし、なによりも宗教とは人間を救済するものではないでしょうか。


上智大学グリーフケア研究所に期待すること



しかし、最近では流れが変わってきました。
同書には以下のように書かれています。
「『自死』が社会問題化し、また自死遺族たちが声をあげたことで、長い間、『自死』を差別してきた伝統宗教の世界にも変化の兆しが見えている。例えば、キリスト教の世界ではローマ法王であった聖ヨハネ・パウロ2世が1995年の『回勅』の中で、『自殺者を断罪するのではなく、自死を選ばざるを得なかった人生を神に委ねる姿勢が大切だ』と、自死者に対する過去の過ちを認めて謝罪した。もちろん、キリスト教が『自死』を正しい行為だと認めたわけではない。自死にいたった苦しみや遺された遺族の悲しみに、キリスト教があまりに無頓着だったことを詫びたのだ」
この「自死者に対して、キリスト教はどうすべきか」という問題は、上智大学グリーフケア研究所が取り組むべき最大の課題ではないかと思います。


グリーフケアの具体的内容

グリーフケアは実践がすべてです!



残りの時間は、主に「月あかりの会」で実際に取り組んできた事例を中心に報告しました。わたしは「グリーフケアは理論ではありません。いくら頭の中でこねくり回しても、実際に遺族の方に対しては無意味なことがたくさんある。とにかく実践がすべてです!」と言いました。


グリーフケアとしての読書


それから、「グリーフケアとしての読書」についても話しました。
もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。
たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子供を失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。自分が1人の子供を亡くしたのであれば、世間には何人もの子供を失った人がいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。長い人類の歴史の中で死ななかった人間はいません。愛する人を亡くした人間も無数に存在します。その歴然とした事実を教えてくれる本というものがあります。それは宗教書かもしれませんし、童話かもしれません。いずれにせよ、その本を読めば、「おそれ」も「悲しみ」も消えてゆくでしょう。わたしは、そんな本を『死が怖くなくなる読書』(現代書林)で紹介しました。


ハートフル・ファンタジー

物語こそが「死」の本質を語れる



わたしは、かつて『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という本を書きました。そこで、『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』の5つの物語は、じつは1つにつながっていたと述べました。ファンタジーの世界にアンデルセンは初めて「死」を持ち込みました。メーテルリンクや賢治は「死後」を持ち込みました。そして、サン=テグジュペリは死後の「再会」を持ち込んだのです。一度、関係をもち、つながった人間同士は、たとえ死が2人を分かつことがあろうとも、必ず再会できるのだという希望が、そして祈りが、この物語には込められています。


自著を手に質問に答えました

大いに語る鎌田先生

大いに語る島薗所長

わたしも大いに語りました



講義後は島薗先生とのトークタイム、それから質疑応答などを受けました。
鎌田先生も発言していただき、大いに盛り上がりました。
それから、「儀礼や儀式というものは形式だけで終わってしまうこともあると思うのですが、いかがですか?」という質問をされた方がいました。


「慈礼」について



「礼」が形式主義に流れるのを防ぐために、孔子は音楽を持ち出して「礼楽」というものを唱えましたが、わたしたちが日常生活や日常業務の中で、いつもいつも楽器を演奏したり歌ったりするわけにもいきません。ならば、どうすればいいでしょうか。わたしは、「慈」という言葉を「礼」と組み合わせてはみてはどうかと思い立ちました。
「慈」とは何か。それは、他の生命に対して自他怨親のない平等な気持ちを持つこと。わたしは、「慈礼」という新しいコンセプトを提唱したいと思います。「慈礼」つまり「慈しみに基づく人間尊重の心」があれば、心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔、そして冠婚葬祭サービスの提供が可能となります。
そして90分の時間が過ぎ、21時10分に連続講義は終了しました。盛大な拍手を頂戴し、感激するとともに安堵しました。



講義の後、所長の島薗先生、特任教授の鎌田先生とともに、ポルトガル料理店「マヌエル カーサ デ ファド四ツ谷」で遅い夕食を取りました。上智大学総務局の萬崎英一主幹も御一緒でした。美味しい料理とワインをいただきながら、上智大学グリーフケア研究所の今後の在り方や活動についても意見交換させていただきました。上智大学は日本におけるカトリックの「最強・最大」の組織ですが、上智大学グリーフケア研究所もグリーフケアの「最強・最大」の組織となる予感がします。わたしが客員研究員を務める冠婚葬祭総合研究所とのコラボが実現すれば素晴らしいと思います。


講義後の食事会のようす



なんといっても、現代日本における宗教学のツートップである島薗先生と鎌田先生のコンビは強力です。お二人は、日本民俗学を育てた柳田國男折口信夫のような存在感をもってグリーフケアの世界を牽引されることと思います。そして、グリーフケアはわがメインテーマでもあります。わたしも、ここ十年ほどは会社を通じて、グリーフケア・サポートの普及に取り組んできました。わたしは企業の経営者であり、異色の存在であると思います。しかし、かつて柳田國男折口信夫とともに日本民俗学の発展を支えた人物に渋沢敬三という方がいました。彼は実業家にして民俗学者でした。
詳しくは、ブログ『民俗学への招待』をお読み下さい。不遜を承知で言えば、わたしは「グリーフケア界の渋沢敬三」になりたいです!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年7月20日 一条真也