なぜ、いま、墓じたくなのか?

一条真也です。
沖縄に来ています。今日は海洋散骨のセレモニーに立ち会うのですが、あいにく天候があまり良くありません。午後からは晴れて欲しいです。
さて、わたしは、NIKKEI STYLE「一条真也の人生の修め方」を連載しています。第29回目となるコラムが本日アップされました。


なぜ、いま、墓じたくなのか?



今回のタイトルは、「なぜ、いま、墓じたくなのか?」です。先日、「日経おとなのOFF」がお墓の特集を組み、わたしも誌面に登場しました。わたしのページは「『家』の墓から『個人』の墓へ 親と自分の墓じたく」というタイトルでした。お墓を継ぐ人が減り、お墓の在り方が大きく変化しています。これからの「お墓」の問題と正面から向き合う内容で、なかなか好評でした。 「自分のお墓をどうするか」と考えるようになったのは、ここ数年のこと。



お墓が「家墓」から「個人墓」に変化してきています。つまりお墓が「家」のものから、「個人」のものに変容してきているのです。かつてはお墓の中に、いくつもの遺骨が入っているのは当たり前でした。長男の嫁であれば、死んだら嫁ぎ先の墓に入ることに誰も疑問をもちませんでした。しかし、今はどうでしょうか。「死んでからも、夫と同じお墓にはいたくない」という女性が増えています。また長男といえども、先祖のお墓ではなく自分らしいお墓に入りたいと願う人もいます。お墓も大家族型から、核家族化してきたということです。ここには少子高齢化無縁社会の問題も含まれています。



墓じまい・墓じたくの際には、家族ときちんと話し合うことが大切です。これはビジネスにおけるホウレンソウと同じで、基本は「報告・連絡・相談」なのです。コミュニケーションで重要なことは、「何を伝えたか」ではなく「何が伝わったか」ですが、葬儀、お仏壇、お墓も同様です。言葉にしなければ相手が考えていることは「推測」するしかありません。大事なことは自分から主体的に親、子ども、配偶者に話しかけることなのです。





次回も、どうぞお楽しみに!



なお、第30回目のアップは4月27日(火)です。
タイトルは「海洋散骨について考える」です。
本日、これから沖縄の海で海洋散骨を行います。
そこで感じたこと、考えたことを書きます。
海洋散骨は、大いなる海に還ってゆく新しい「永遠葬」のセレモニーです。
次回は、そんな話を書きます。どうぞ、お楽しみに!


*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年4月12日 一条真也