『月の裏側』

月の裏側 (日本文化への視角)


一条真也です。
『月の裏側』クロード・レヴィ=ストロース著、川田順造訳(中央公論新社)を読みました。「日本文化への視角」というサブタイトルがついています。人類学者の眼差しが捉えた日本、日本人、日本文化に関する文章を集成した内容となっています。國學院大學の副学長である石井研士先生から薦められた本です。石井先生は「学際的とはまさにこのことだと感じています」といった感想をメールで送って下さいました。


本書の帯


帯には著者の横顔の写真とともに、「20世紀後半の思想界をリードした知の巨人は、かくも深く日本を理解し、そして愛した」と書かれています。
アマゾンの「出版社からのコメント」には以下のように書かれています。
親日家として知られた著者は、五度にわたって日本を訪れています。本書では1979年から2001年の間に日本について書かれた文章を集めました。それらのほとんどは、今回初めて日本語に翻訳・紹介されるものです。巻末には日本滞在中の著者を撮影した写真も収録しています。原書は2011年にフランスで刊行されて話題を呼び、多くの国々でも翻訳されました。訳者は直接レヴィ=ストロースに教えを受け、『悲しき熱帯』(中公クラシックス)の名訳でも知られる川田順造氏。小社が満を持して送り出す日本語版です」



本書の帯の裏


本書の「目次」は以下のようになっています。
「序文」(川田順造
世界における日本文化の位置
月の隠れた面
因幡の白兎
シナ海のヘロドトス
仙突 世界を甘受する芸術
異様を手なずける
アメノウズメの淫らな踊り
知られざる東京
川田順造との対話
「出典」
「著者紹介」



「世界における日本文化の位置」で、著者は日本神話について以下のように述べています。
「日本の古い神話にいくつもあるこのような例から、どんな結論を引き出すべきでしょうか。私がいま要約してお話しした神話上の出来事で、日本だけに固有のものは1つもありません。すでに申しましたように、世界のさまざまな地方にもあるのです」



著者は、日本神話の本質を次のように語ります。
「日本では神話と歴史の領域は相容れない関係にあると考えられていませんし、独自の創作と借用についても同様です。もしくは――美的側面の話題で議論をしめくくるなら――漆芸や陶芸に見られる洗練を極めた技と、自然のままの素材や民芸風の製品――一言でいえば、柳宗悦が『不完全の芸術』と呼んだもの――に対する嗜好とのあいだにも対立は感じられないのです。さらに驚かされるのは、科学と技術の前衛に位置するこの革新的な国が、海原猛氏がいみじくも強調したように、古びた過去に根を下ろしたアニミズム的思考に、畏敬を抱き続けていることです。神道の信仰や儀礼が、あらゆる排他的発想を拒む世界像を有していることを知れば、これも驚くにあたらないでしょう。宇宙のあらゆる存在に霊性を認める神道の世界像は、自然と超自然、人間の世界と動物や植物の世界、さらには物質と生命とを結び合わせるのです」



また著者は「感性のデカルト主義」として、日本音楽について以下のように語っています。
西洋音楽とは異なって、日本音楽には和音の体系がありません。音を混ぜることを拒否するのです。日本音楽は、そのかわりに音を混ぜないで抑揚をつけるのです。さまざまな動きが、音高や、速さや、音色に変化をつけます。音色には、楽音と噪音が巧みに組み込まれています。西洋で噪音と見なされる虫の鳴き声が、日本では昔から楽音の範疇に属することを忘れてはなりません。その結果、和音体系に相当するものが、個別に発せられるさまざまな音色を用いることによって、持続性のなかで実現されるのです。しかもそれは短い時間でなされるので、これらの音色は一緒に1つの総体を形成できます。西洋の音楽では、さまざまな音が同時に響き合って和音を生みます。日本の和音は、同じ瞬間ではなく時間の流れのなかで生まれます。それでも和音は存在しているのです」



著者は世界史的スケールで日本を見ます。そして、以下のように述べます。
アメリカの発見が、人類史の大事件であったことは確かです。4世紀後の日本の開国が、正反対の性質を持ちながらも、もう1つの大事件であったことを、私たちは理解し始めています。北アメリカは、住民はわずかでしたが、未開発の天然資源に溢れた新しい世界でした。日本が国際関係の舞台に登場したとき、この国もまた1つの新世界と見なされました。しかし自然資源には恵まれていませんでした。そのかわり住民たちが、国の豊かさを作っていました」



驚いたのは「石田梅岩」と「心学」が登場したことでした。
著者は、以下のように述べています。
「18世紀に石田梅岩が創始した心学運動は、生きている現実、自己を表現することだけを求める現実を映し出しています。その現実とは、階級や環境がどうであれ、それぞれの個人が自分を尊厳の中心、意味の中心、自発性の中心であると感じている、まだ開かれた精神をもった人間性という現実です。こういう恵まれた状態がこれからも長く続くかどうかはわかりませんが、日本では一人一人が熱心に、自分のつとめをよく果たそうとしていることに心を打たれます。外国人旅行者の目には、この快活な善意は、自国の社会的道徳的風土と比べて、日本民族の大きな美徳に見えます」



「世界における日本文化の位置」の最後で、著者は述べます。
「日本文化は、東洋に対しても、西洋に対しても、一線を画しています。遠い過去に、日本はアジアから多くのものを受け取りました。もっと後になると、日本はヨーロッパから、さらに最近では、アメリカ合衆国から、多くのものを受け取りました。けれども、それらをすべて入念に濾過し、その最上の部分だけを上手に同化したので、現在まで日本文化はその独自性を失っていません。にもかかわらず、アジアや、ヨーロッパや、アメリカは、根本から変形された自分自身の姿を、日本に見出すことができるのです。なぜなら今日、日本文化は東洋に社会的健康の模範を、西洋には精神的健康の模範を提供しているからです。今度は借り手の側になったこれらの国々に、日本は教訓を与えなければならないのです」



「月の隠れた面」では、明治維新について次のように述べています。
「想像をたくましくすると、私は明治時代に日本で起こったことを、その1世紀前の1789年にフランスであったことと比較してみたくなります。なぜなら明治は、封建制(厳密な意味での封建制ではありません。この問題についてはこのシンポジウムで極めて的確な見解を聞かせていただきました)から資本主義への移行の時期でしたが、フランス革命は瀕死の封建制、そして有産階級の役人とわずかばかりの土地にしがみつく農民たちが生み出しつつあった資本主義、この両方を破壊したからです。もしもフランスの革命が上から、王に対抗するのではなく王によって――封建制のなかで継承された特権を貴族から取り上げるが、富には手をつけないというやり方で――行われたとしたら、貴族だけがあえて手を出していた大きな企て(資本主義)が飛躍的な発展を遂げていたかもしれません。18世紀フランスと19世紀日本は、国民を国家共同体に同化させるという同じ問題に直面していました。1789年の革命が明治維新のようなやり方で進行していたら、おそらく18世紀フランスはヨーロッパにおける日本になっていたでしょう」



本書の書名にもなっている「月の裏側」とは何か。著者は述べます。
「いわば月の、目に見える側――エジプト、ギリシャ、ローマ以来の旧世界の歴史――からではなく、月の隠れた側――こちらは日本学者、アメリカ学者の領分です――から歴史に取り組む者にとって、日本史の重要性は他の歴史、つまり古代世界や、古典期以前のヨーロッパの歴史の重要性と同じくらい戦略的な意味を持ってきます。太古の日本がヨーロッパと太平洋全体の架け橋の役割を果たし、日本とヨーロッパそれぞれのシンメトリックな――似通っていながら対極にある――歴史を発展させたと考えるべきでしょう。赤道を境に季節が逆になるのとやや似てはいますが、領域も軸も異なっています。ですから、今回のシンポジウムのテーマであるフランス―日本という角度からだけでなく、遥かに広い視野から、人類の過去の最大の謎である領域に近づく重要な鍵を、日本が握っているように思えるのです」



「アメノウズメの淫らな踊り」では、『古事記』とエジプト神話が比較されています。著者は、この2つの神話について以下のように述べています。
「まず、忘れてはならないのは、『古事記』とエジプトの物語のあいだには、3千年か、もしくはそれに近い年代の隔たりがあることだ。比較論者は、数千年を飛び越えて、終わりを始めと結びつけようと試みることが、あまりに多い。彼らは、この巨大な歳月のあいだに、あたかも何も起こらなかったかのように言うが、それは何が起こったか知らないからにすぎない。けれども、我々に知られていないその数千年の歴史が、変動や、断絶や、出来事において、他の歴史と同じように豊かでなかったと想像する権利を、我々はまったくもっていない。無論、個別に確証を示せるものは別だが、それ以外については、時間的、空間的に大きく隔たった作品のあいだに、系譜上のつながりや借用があったのではないかと、あらかじめ想定しないように心すべきだ」



続いて、本書の中でも最も重要なことが以下のように述べられています。
潜在的にいたるところにあるこれらの原初的な性格は、それでいながら常に表現されているわけではない。『古事記』は利用できる限りの神話的素材を、あまりに完璧に整理しているので、その翻訳が初めてヨーロッパで刊行されたときには、かつてはすべての人類が共有していた原初の大神話――ドイツ人はUrmythus『原神話』と呼んだ――の反映がそのまま自分たちのところまでたどり着いたと迷わず考える学者もいた。そして事実、『古事記』の作者は、横断軸における移動のありさまが、変換の一覧表のなかにその位置を占めるべきことを、はっきりと認識していた。この項目を埋めるべく、作者は手持ちの素材を使った。動物の短い話だが、神話的思考を操作する見事なやりくりの例だ。詩人であるよりは学者だった『日本書紀』の編者たちは、同じ必要を感じなかったか、もしくは『因幡の兎』に対して批判的な態度をとった。そして彼らはこの挿話を無視したか、あるいは意図的に排除した」



著者は「エジプトのセトとスサノオ」として、以下のように述べます。
「類似を問題にするのには留保が必要だとしても、逆に、差異は考察を育むことができる。2つの作品で対応する登場人物が、同一の機能を果たすことがある。エジプトのセトと日本のスサノオは、地上あるいは地下の世界で神々の仲間から排斥されたあと、天上では太陽神の傍らで嵐の神になるべく喚ばれた、気性が激しく恐ろしい神格として、相互に入れ替えが可能だ。スサノオはまず天へ、次いで陸へという2つの対立する方向への行路を開く、ないしは容易にすることを、アメノウズメに課し、エジプトの物語では、ハトホルは、特異で、だが同時に多義性を帯びた――象徴的には天界だが、物語に記されている字義通りには地上界の――行路を取りもどすのに、日本の女神と同じ方法に頼る。そして、この天界の行路を妨害する者の役を、日本ではスサノオ、エジプトでは猿の神が演じ、日本で猿の神に対応する者が、これとは正反対の役割を演じている。このことは、スサノオとサルタヒコという、日本最古の神々の恐るべき二柱の間に、もしかするとありえたかもしれない結びつきについて、改めて考えるように促している」

 

そして、「川田順造との対話」において、著者は以下のように深い愛情をもって日本について語るのでした。
「日本を見ると、とくに民衆文芸や神話では、アメリカ研究者の注意を喚起するような呼応に気づかされます。ただ、注意しなければならないのは、それは日本とアメリカのあいだの場合だけではないということです。それは3つが組になったものの一部です。日本で見出すものをアメリカで、アメリカで見出すものを日本で再発見しますが、それは東南アジア島嶼部、とりわけセレベス諸島にも見出されるものなのです。ですから、こう言ってよければ、あなたが研究で好んで用いている「文化の三角測量」におけるような、三角形の3点の組み合わせがあるのです。そして、忘れてはならないのは、1万5千年から2万年前には、日本は大陸アジアの一部をなしていて、同様に東南アジア島嶼部も、大陸アジアに付着していたということです。ですから、何千年ものあいだ、人間の移動や考えの交換がありえたでしょうし、そのようにして形成された共通の文化遺産の断片を、私たちは、アメリカ、日本、東南アジア島嶼部に再発見するのです」



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2016年4月13日 一条真也