バリ島で葬儀の本質に気づく

一条真也です。
8日、これから福岡空港へ向かい、北陸へ飛びます。
明日9日、加賀紫雲閣の竣工式が行われるのです。
ところで、 日本経済新聞電子版の「ライフ」に連載中の「一条真也の人生の修め方」の連載第20回目となるコラムがアップされました。今回のタイトルは、「バリ島で葬儀の本質に気づく」です。



日本経済新聞電子版「ライフ」トップページ



トップ画面には「バリ島で葬儀の本質に気づく」がイラスト入りで紹介されています。先日、インドネシアのバリ島に行ってきました。わたしが会長を務める冠婚葬祭の業界団体の研修視察として、じつに四半世紀ぶりの訪問でした。数日前にインドネシア中部ロンボク島のリンジャニ山が噴火しました。そのため、海峡を挟んだ位置にあるバリ島のデンパサール国際空港は火山灰が上空に広がったので閉鎖されたので心配でしたが、無事に到着しました。



バリ島で葬儀の本質に気づく



わたしたちは、「風葬の村」として知られるトルニャン村も訪れました。「風葬」とは、遺体を野ざらしのまま朽ち果てさせる葬法です。かつては、沖縄や奄美諸島をはじめとする日本にもその風習が残されていました。おびただしい数の頭蓋骨とともに、死後一週間ほどの遺体もあり、わたしは合掌しました。バリ島の中でも、トゥルニャン村はけっして豊かな村ではありません。おそらくは風葬の習慣が残っているのは経済的な事情もあるように思えますが、風葬は人あたり日本円でだいたい60万円ぐらいかかるそうです。どんなに貧しい人でも亡くなれば、村人たちが助け合って60万円の葬儀を出してあげるわけです。もちろん、村にあるヒンドゥー教の寺院において葬送儀礼がきちんと執り行なわれます。わたしは、葬儀とは人類普遍の「人の道」であることを再認識しました。儀式も行わずに遺灰を火葬場に捨ててくるという日本の「0葬」は、どう考えても異常です。



また、バリ島では火葬による死者の葬いが、伝統的な生活の中で人々の最大の関心事であり、愉みにさえなっています。そのように葬儀を何よりも重んじるバリ島において、「芸術とは何か」について考えました。
わたしは、芸術の本質とは「魂を天上に飛ばすこと」だと考えています。人は芸術作品に触れて感動したとき、魂が天上に一瞬だけ飛ぶのではないでしょうか。 絵画、彫刻、文学、映画、演劇、舞踊といった芸術の諸ジャンルは、さまざまな中継点を経て魂を天上に導くという、いわば間接芸術です。楽聖ベートーヴェンは「音楽は直接芸術である」と述べましたが、わたしは葬儀こそは真の直接芸術ではないかと思います。なぜなら、葬儀とは「送魂」という行為そのものだからです。バリのヒンドゥー寺院で、聖なるガムランの調べを聴きながら、そんなことを考えました。



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なお、第21回目のアップは12月22日(火)で、タイトルは「妻への挽歌3000回」です。先月、日本で大変な偉業が達成されました。
今は亡き愛する人へ送ったレターが3000通に達したのです。それは便箋に書かれたものではなく、ブログに綴られました。故人へのメッセージの量としては、おそらくギネスブック級ではないでしょうか?
次回は、そんな話を書きます。どうぞ、お楽しみに!



次回も、どうぞお楽しみに!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年12月8日 一条真也