「生と死」を考える対談

一条真也です。東京に来ています。
20日の19時から、ブログ「『生と死』を考える学び対談」で紹介したトークショーに出演しました。対談相手は、ご存知、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生です。はてさて、何が起こるやら?


会場の「amu」の入口で



このトークショーは、ブログ『じぶんの学びの見つけ方』で紹介した本から生まれたイベントで、さまざまなジャンルの人が「学び」について大いに語るものです。会場は、恵比寿の「amu」というイベントスペースです。「amu」は、お花屋さんと一緒になっている不思議なスペースです。


開場前のようす



この日は、冠婚葬祭業界から日冠の小泉博久社長、出版業界からは「出版界の預言者」こと水曜社の仙道弘生社長、「出版寅さん」こと内海準二さん、「出版界の木下藤吉郎」こと造事務所の堀川尚樹さんなどが来て下さいました。また、ブログ「古事記〜天と地といのちの架け橋〜」で紹介した東京ノーヴィレパートリーシアターのみなさんも来て下さいました。感謝!


満月交感 ムーンサルトレター』について語る

10年目を迎えた「ムーンサルトレター」について



会場では、フィルムアート社の編集者である二橋彩乃さんが、『じぶんの学びの見つけ方』フィルムアート社編(フィルムアート社)を、また水曜社のスタッフの方が鎌田先生との往復書簡をまとめた『満月交感 ムーンサルトレター』上下巻(水曜社)を販売されていました。今年は、鎌田先生と満月の夜に交わす「ShinとTonyのムーンサルトレター」の10周年にあたり、記念に『満月交感 ムーンサルトレター』の続編も出版する予定です。


法螺貝を奏上する鎌田先生

法螺貝の音が鳴り響きました



19時になって、トークショーが開始されました。冒頭、このイベントを企画・立案された二橋さんより、「大人の遊び」シリーズイベントの紹介、鎌田先生とわたしの紹介を行って下さいました。それから、鎌田先生の法螺貝の音が鳴り響いた後、わたしたち二人のフリートークが繰り広げられました。


魂をデザインする』での対談が出会いでした

なつかしい思い出話に花が咲く



まず、わたしが鎌田先生との出会いについて説明しました。初めてお会いしたのは『魂をデザインする』(国書刊行会)での対談でした。そのとき、鎌田先生から「月にお墓をつくればいい」というお話を聴いて、わたしは大変なショックを受けました。その後、『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)を一気に書き上げたほどです。


サンレー」の社名の3つの意味について



自己紹介を兼ねて、主催者からテーマを与えていただいた「サンレーにおける『生と死』のとらえ方、考え方」について述べました。パワーポイントでサンレー 社名の由来を紹介しながら、まずは「産霊(むすび)」について語りました。「産霊(むすび)」は「太陽光線(SUNRAY)」とも密接な光があり、それが見事に表現されているのが「天の岩戸開き」の神話ではないかと述べました。儀式の根本である「礼」の精神を讃える「讃礼」も含めて、すべては暗闇を明るく照らすことにつながるとして、最終的には「明るい世直し」こそがサンレーの最終目標であると述べました。


日本人の他界観

月こそ「あの世」である!

宇宙葬について



そして、サンレーがめざす4大「永遠葬」として、現在取り組んでいる葬儀イノベーションを紹介しました。日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが「樹木葬、「海洋葬」、「月面葬」、「宇宙葬」に対応しています。新しい葬儀イノベーションはそれらの他界観を見事にフォローしています。「月への送魂」の動画も流しました



禮鐘の儀」について



それから、現実的な儀式イノベーションとして「禮鐘の儀」を紹介し、動画も流しました。これは、葬儀での出棺の際に霊柩車のクラクションを鳴らさず、鐘の音で故人を送るセレモニーです。紫雲閣では、昨今の住宅事情や社会的背景を考慮し、出棺時に霊柩車のクラクションを鳴らすのではなく、禮の想いを込めた鐘の音による出棺を提案します。使用する鐘は、宗教に捉われない鰐口を使います。また、サンレー独自のオリジナル出棺作法として、3点鐘(3回叩く)による出棺とします。この3回というのは「感謝」「祈り」「癒し」の意味が込められています。あと、「サンレー」に通じる「三禮」という意味もあります。会場のみなさんは、この「禮鐘の儀」に多大な興味を抱かれたようで、身を乗り出して動画を観られていました。


フリートークで発言する鎌田先生

鎌田先生の発言を聴く

大いに語り合いました

笑いの絶えないトークショーでした



わたしに続いて、鎌田先生のフリートークの時間です。
鎌田先生は、これまでの御自身の歩みを中心に、縦横無尽にさまざまなお話をされました。それから、二人のフリートークの時間となって、わたしたちは「生」と「死」、神話と儀式について大いに語り合いました。


途中、フィルムアート社のイベントということで、映画の話をしました。
話題のイギリス・イタリア合作映画「おみおくりの作法」についてです。この映画の最大のテーマは「葬儀とはいったい誰のものなのか」という問いです。死者のためか、残された者のためか。ジョン・メイの上司は「死者の想いなどというものはないのだから、葬儀は残されたものが悲しみを癒すためのもの」と断言します。わたしは、多くの著書で述べてきたように、葬儀とは死者のためのものであり、同時に残された愛する人を亡くした人のためのものであると思います。


葬儀は誰のためのものか?



たとえ愛する人が死者となっても、残された人との結びつきが消えることはありません。その問題について深く考えた人物が、ドイツの神秘哲学者ルドルフ・シュタイナーです。彼は人智学という学問の創始者として知られていますが、よく「人智学を学ぶ意味は、死者との結びつきを持つためだ」と語ったそうです。 死者と生者との関係は密接であり、それをいいかげんにするということは、わたしたちがこの世に生きることの意味をも否定することになりかねないというのです。


死者について語り合いました



この世の人間は死者との結びつきを持てるのでしょうか。そういうことを考える前に、まず言えるのは、死者が現実に存在していると考えない限り、その問題は解決しないということです。つまり、死者など存在しないということになってしまえば、いま言ったことはすべて意味がなくなってしまいます。ところが、仏教の僧侶でさえ、死者というのは、わたしたちの心の中にしか存在していないという人が多いのです。そういう僧侶は、人が亡くなって仏壇の前でお経をあげるのは、この世に残された人間の心のために供養しているのだというのです。もし、そういう意味でお経をあげているのなら、死者と結びつきを持とうと思っても、当人が死者などいないと思っているわけですから、結びつきの持ちようがありません。死んでも、人間は死者として生きています。しかし、その死者と自分との間には、まだはっきりした関係ができていないと考えることがまず前提にならなければならないのです。


議論は深まってゆきました・・・・・・



シュタイナーは多くの著書や講演で、「あの世で死者は生きている」ことを繰り返し主張しました。彼は、こう言いました。今のわたしたちの人生の中で、死者たちからの霊的な恩恵を受けないで生活している場合はむしろ少ないくらいです。ただそのことを、この世に生きている人間の多くは知りません。そして、自分だけの力でこの人生を送っているように思っています。シュタイナーによれば、わたしたちが死者からの霊的恩恵を受けて、あの世で生きている死者たちに自分の方から何ができるのかを考えることが、人生の大事な務めになるのです。以上のような考えを述べました。


真のARTとは・・・・・・



わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であると思っています。
約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていました。「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、埋葬という行為には人類の本質が隠されています。それは、古代のピラミッドや古墳を見てもよく理解できます。「心の時代」などと言われますが、それは主に「哲学」「芸術」「宗教」から構成されます。いずれも、肉体を超越して精神を純化させる試みであり、「死」というものが最大のテーマとなります。さらに、わたしはすべての人間の文明や文化の根底には「死者との交流」という目的があったのではないかと推測しています。怪談もそうですが、写真や映画といったメディアも「死者への想い」から誕生したのではないかと考えています。その考えをまとめるために、長らく構想を温めていた『唯葬論』の執筆をついに開始しました。


「写真」と「映画」について



たとえば、写真は一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれています。心霊写真というものがありますが、あれはじつは19世紀の欧米の写真館がサービスで故人の遺影と遺族の写真を合成していたグリーフケア・メディアでした。
一方、映画は「時間を生け捕りにする芸術」ではないでしょうか。
そして、映画とは「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するグリーフケア・メディアであるように思えてなりません。実際、映画を観れば、わたしが好きなヴィヴィアン・リーにだって、グレース・ケリーにだって、高倉健菅原文太にだって会えます。


イスラム国」について


話は変わって、わたしは「イスラム国」についても述べました。
イスラム国」は、人質にしていたヨルダン人パイロットのモアズ・カサスベ中尉を焼き殺しました。これを知ったわたしは、湯川さんや後藤さんの斬首刑以上の衝撃を受けました。イスラム教では火での処刑は禁じられており、火葬さえ認められていません。遺体の葬り方は、土葬が原則です。イスラム教において、死とは「一時的なもの」であり、死者は最後の審判後に肉体を持って復活すると信じているからです。また、イスラム教における「地獄」は火炎地獄のイメージであり、火葬をすれば死者に地獄の苦しみを与えることになると考えます。よって、イスラム教徒の遺体を火葬にすることは最大の侮辱となるのです。「イスラム国」は、1月20日付で火での処刑を正当化する声明を発表しています。自分たちの残虐行為を棚に上げてイスラム教を利用するご都合主義が明らかです。


ミュシャの「主の祈り」を紹介

わたしの理想である「月下四聖図」を紹介



わたしは、葬儀を抜きにして遺体を焼く行為を絶対に認めません。
かつて、ナチスやオウムが葬送儀礼を行わずに遺体を焼却しました。ナチスガス室で殺したユダヤ人を、オウムは逃亡を図った元信者を焼いたのです。しかし、「イスラム国」はなんと生きた人間をそのまま焼き殺しました。このことを知った瞬間、わたしの中で、「イスラム国」の評価が定まりました。わたしたち日本人は、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」「直葬」あるいは遺骨を火葬場に置いてくる「0葬」といったものがいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「人間尊重」に最も反するものであり、ナチス・オウム・イスラム国の闇に通じているのです。


柳田國男の想いを語りました



それにしても、この日本で「直葬」が流行するとは・・・さらには、あろうことか「0葬」などというものが発想されようとは! なぜ日本人は、ここまで「死者を軽んじる」民族に落ちぶれてしまったのでしょうか?
そんな疑問が浮かぶとき、わたしは「日本民俗学の父」と呼ばれる柳田國男の名著『先祖の話』の内容を思い出します。『先祖の話』は、敗戦の色濃い昭和20年春に書かれました。柳田は、連日の空襲警報を聞きながら、戦死した多くの若者の魂の行方を想って、『先祖の話』を書いたといいます。日本民俗学の父である柳田の祖先観の到達点です。柳田がもっとも危惧し恐れたのは、敗戦後の日本社会の変遷でした。具体的に言えば、明治維新以後の急速な近代化に加えて、日本史上初めてとなる敗戦によって、日本人の「こころ」が分断されてズタズタになることでした。


柳田の危惧は現実のものとなった



柳田の危惧は、それから60年以上を経て、現実のものとなりました。
日本人の自殺、孤独死、無縁死が激増し、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」も増えています。家族の絆はドロドロに溶け出し、「血縁」も「地縁」もなくなりつつあります。『葬式は、要らない』などという本がベストセラーになり、日本社会は「無縁社会」と呼ばれるまでになりました。この「無縁社会」の到来こそ、柳田がもっとも恐れていたものだったのではないでしょうか。彼は「日本人が先祖供養を忘れてしまえば、いま散っている若い命を誰が供養するのか」という悲痛な想いを抱いていたのです。


正直な想いを述べました

鎌田先生がじっと聴いて下さいました



今年は終戦70周年の年です。日本人だけでじつに310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって70年目の節目なのです。今年こそは、日本人が「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る年であると思います。いま、柳田國男のメッセージを再びとらえ直し、「血縁」や「地縁」の重要性を訴え、有縁社会を再生する必要がある。わたしは、そのように痛感しています。そして、英霊たちの魂の行方を想いながら『唯葬論』を書き上げる覚悟です。また、島田裕巳氏の『0葬』への反論の書として『永遠葬』も並行して執筆しています。


内容の濃いトークショーでした



わたしは、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の会長も務めています。互助会は戦後の横須賀で生まれ、全国に広まりました。国学や日本民俗学が「日本人とは何か」を追求したのなら、わたしはその答えは冠婚葬祭にあるように思います。互助会の使命とは、「日本人とは何か」を一歩進めて、儀式によって「日本人を幸福にする」ことではないかと最後に述べました。


「死んだらどうなるのか?」という質問が出ました

「死後の世界はイメージアート」とお答えしました



続いて、質疑応答の時間となりました。最初の質問者の方は「死んだらどうなるのですか?」といきなりド直球で訊ねてきました。
わたしは「死後の世界は一種のイメージアートだと思う。臨死体験者の談話を見ても、各人の信仰などが反映している。わたしは月のことばかり考えているので、死んだらきっと月に行くと思う。そして、月で地球上の縁者を見守りながら、二人の娘が妊娠したら、その体内をめがけて飛び込み、自分自身の孫として生まれ変わるような気がする」と答えました。


「死の恐怖をなくす方法は?」という質問も出ました

「生前から墓をつくること」とお答えしました



続いて、女性の方から「この世界は恐怖に満ちています。恐怖のない生き方をするにはどうすればいいのですか?」という質問が出ました。わたしは「人間にとって最大の恐怖は死ぬことではないかと思いますが、わたしは死ぬのが怖くありません。というのも、本を出版するたびに墓を建てたような気がして、心が軽くなるのです。わたしにとって著書を上梓することは生前に墓をつくることに等しく、それは生きた証を残すことだと思います。わたしにとっては出版ですが、他の方にとっては演劇であったり、映画を作ることだったり、何かを創造することかもしれません。また、わたしは最近、『決定版おもてなし入門』という本を書いたのですが、わが社のようなサービス業でお客様に『おもてなし』をすることも立派な墓づくりであると思います。生前に墓をどんどん作れば、不安のない人生が送れるのではないでしょうか」とお答えしました。


有意義なトークショーでした



世の中には、なんと「奇人変人倶楽部」というものがあるとか。
何を隠そう鎌田先生が同会の設立者の1人であり、わたしも誘われています。(苦笑)会場のみなさんにとって、「緑色の奇人」と「紫色の変人」の対談はいかがでしたでしょうか?今夜は、わたしが普段から考えていることを鎌田先生に話したので、わたし自身はスッキリしました。鎌田先生のお話も、また大変興味深いものでした。こうして恵比寿の熱い夜は過ぎていきました。鎌田先生をはじめ、フィルムアート社のみなさん、水曜社のみなさん、ご来場下さった方々に心より御礼を申し上げます。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2015年2月21日 一条真也