バガン

一条真也です。
14日、ミャンマーヤンゴンからバガンに入りました。
ミャンマーマンダレー管区にある地名で、旧名は「パガン」です。


バガン空港の前で

バガン空港のようす

バガン空港の土産物屋

操り人形が名物です

わたしが買った操り人形



バガンにある一連の仏教遺跡は、カンボジアアンコール・ワットインドネシアのボロブドゥールとともに「世界三大仏教遺跡」のひとつと称されています。イラワジ川中流域の東岸の平野部一帯に、大小さまざまな仏教遺跡が林立しています。バガンとは広くこの遺跡群の存在する地域を指します。すなわち、ミャンマー屈指の仏教聖地なのです。


オールドバガンの仏教遺跡群

仏教遺跡群をバックに



城壁に囲まれたオールドバガンは考古学保護区に指定されています。
また、点在するパゴダや寺院のほとんどは11世紀から13世紀に建てられたもので、大きいものや小さいもの、鮮やかな白色をしたものや赤茶色をしたものがあります。仏塔の数は、じつに3000を超えるといわれています。



その歴史ですが、Wikipediaバガン」には以下のように書かれています。
バガン遺跡は、16平方マイルのエリア内にある。建造物の大多数は西暦1000年代から1200年代に建てられたもので、当時のバガンは、最初のビルマ統一王朝であるパガン朝の都であった。西暦874年に、Pyinbya王が都をパガンに移した後に、主要な都市となった。しかし、それぞれの治世ごとに遷都することがビルマの慣習であったため、アノーヤター王の時代まで都は再び放棄されることとなった」



「1057年、アノーヤター(アニルッダ)王はモン族の都であったタトゥン王国を征服し、パーリ語で書かれた三蔵の経典を取り戻した。仏教僧や、職人のほか、こうした文物は、バガンを宗教的、文化的な中心地に作り変えるために役立った。低地ビルマの僧の助けを借りて、アノーヤターは上座部仏教の国教化を進め、上座部仏教の盛んなスリランカとも交流した。12世紀から13世紀になると、スリランカやインド、カンボジアのアンコール朝やタイからの仏僧や学生を引きつけ、パガンは仏教研究の国際的な中心地となった。 クビライの下賜品を断った後の1287年に、王朝はモンゴル人に滅ぼされた。その後の歴代君主によっても放棄され、おそらくモンゴル人の掠奪を受けた街は、政治的な中心としての地位を失っていったが、その後も仏教研究の場としては繁栄を続けた」


シュエズィーゴン・パゴダにて

ティーロミンロー寺院にて

アーナンダ寺院にて、ラックの柴山社長と

スラマニ寺院にて

タビニュ寺院」にて

夕日の名所・シュエサンド―・パゴダにて



ちなみに、「世界三大仏教遺跡」のうち、アンコール・ワットとボロブドゥールはユネスコ世界遺産に登録されています。しかし、バガン遺跡は登録されていません。ミャンマー政府による世界遺産登録の試みは失敗に終わりました。これには、明白な理由があります。
国家平和発展評議会(SPDC)が、元来の建築様式を無視し、元のものとは似つかない近代的な建材を使用し、無計画に遺跡のストゥーパ、寺院、建造物を修復してしまったのです。また、軍事政権がゴルフコース、舗装された高速道路を建設したり、南西のMinnanthu近郊に高さ61メートルもの展望台を建ててしまったためです。
まったく、無知な連中が馬鹿なことをしたものですね!
でも、世界遺産には登録されなくとも、バガンは素晴らしい仏教都市です。


世界遺産失格の原因となったとされるバガン・タワー

バガン・タワー屋上からの眺めは最高!



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年 10月15日 一条真也