ハノイ

一条真也です。
ベトナムに来ています。東日本大震災から3周年目となる3月11日、わたしはベトナム航空(VN)234便でホーチミンからハノイに向かいました。


ハノイ空港に到着しました

ハノイ空港の外観



ハノイ市は、ベトナムの首都で、同国の北部に位置します。
ホーチミン市に次ぐ同国第2の都市であり、政治と文化の中心でもあります。
人口は、2009年で650万人です。民族は、キン族やホア族が中心です。


ハノイは漢字で「河内」と書きます

川には船がたくさんありました



ハノイは漢字で「河内」と書きますが、当時の街(現在のホアンキエム・バーディン・ドンダー・ハイバーチュンの4区にほぼ相当)が紅河とトーリック川(蘇瀝江)とに囲まれていたことに由来するそうです。紅河の右岸にあり、国内の工業の中心地であるとともに、農産物の集散地ともなっています。


ハノイの街並み

ハノイの街並み

ハノイの街並み



Wikipediaハノイ」の「歴史」には、以下のように書かれています。
ハノイベトナムの中心都市となったのは、7世紀頃のことである。唐代には雲南南シナ海を結ぶ交易路上にあったこともあり、安南都護府がおかれ唐による南方支配の拠点となった。唐末に安南都護府の支配は形骸化し、さらに紅河が当時の海上交易網から外れていったため、その重要性は一時低下した。しかし、11世紀の李朝はこの地を都と定め、農業地帯を統治する拠点とした。李朝の成立以降、1802年に阮朝がフエに都を移すまで王都として繁栄。その間は昇竜(タンロン)、東京(トンキン)など様々な名で呼ばれてきたが、1831年に現在の名称になった。1873年にはフランスに占領され、1887年以降はフランス領インドシナの中心地となった。
1940年、日本軍の仏印進駐により、日本の事実上の占領下となるが、1945年8月にその占領状態は終了し、9月2日にハノイベトナム民主共和国北ベトナム)の独立が宣言された。その後、1946年から1954年の第一次インドシナ戦争においては、ハノイも戦場となり、一時フランス軍が占領した。
しかし、ベトナム側が戦争に勝利したことにより、ハノイベトナム民主共和国の首都となった。ベトナム戦争中は、橋などの交通施設を中心にアメリカ軍の爆撃を受けた。1976年には南北ベトナムの統一に伴い、ベトナム社会主義共和国の首都となった。2010年は、1010年に李太祖がハノイに遷都して1000年目にあたることから様々な記念行事が行なわれた。
同年10月10日には軍事パレードも行なわれている」


ハノイ市の中心部

空はどんよりと曇っていました

老朽化した建物が目立ちました



実際に訪れたハノイの空は、まるでpm2.5のように曇っていました。
ホーチミンに比べて、街中にも老朽化した建物が多いように感じました。
政府は北にあるハノイを首都として開発に力を入れたいようですが、やはりどう見てもホーチミンのほうが活気あるように思われます。
ハノイは政治都市、ホーチミンは経済都市というカラーは明確でした。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年3月12日 一条真也