一条真也です。ベトナムのハノイ市に来ています。
ハノイ最古の仏教寺院である「鎮国寺」に行きました。
鎮国寺は「チャンクオック寺」とも呼ばれ、川のほとりから仏塔がよく見えます。
「知ろうベトナム! 鎮国寺」というサイトには、以下のように寺の「歴史」が書かれています。ちょっと長いですが、引用します。
「この寺は現在はホータイ(西湖)の東側、タインニエン通り沿いのキムグー(金魚)島にあります。もともとは6世紀リー・ナムデー(李南帝)の時代、紅河のほとりのイエンホア村(現在のイエンフー通りあたり)に建立され、カイクオック(開国)寺と名付けられました。1440年、後レー(黎)朝の第2代皇帝レー・タイトン(黎太宗)の時代に、アンクオック(安国)寺と改名されます。
1616年(後レー朝後期)、紅河の土手が崩れてきたため、村人たちが現在の場所に移しました。この島は以前、リー(李)朝時代(1010〜1225)には王族の避暑地として使われ、翠華宮という離宮がありました。1620年頃に村人が堤防(コーグー堰)を築いた際に、堤防より寺に渡る道も作られました。この堤防が今のタインニエン通りになっています。1639年当時、実権を握っていたチン(鄭)氏の命によって、寺の増築が行われ、門・回廊などが付け加えられて、現在の規模になりました。その後、後レー朝の第11代皇帝レー・ヒートン(黎煕宗)の時代、寺はチャンクオック(鎮国)寺と改名されました。この時代には中国から曹洞宗が伝わり、この寺は拠点となっていたようです」
1815年、グエン(阮)朝初代ザーロン(嘉隆)帝により修築されたのが現在の伽藍です。1842年、第3代ティェウチ(紹冶)帝は、当時は一地方都市であったハノイの寺に『国』の文字を使うことを禁じ、チャンバック(鎮北)寺と名前を変えてしまいました。しかし、人々からは鎮国寺と呼ばれてきました」
高い仏塔が見えてきます
多くの墓塔が並んでいます
仏塔の前庭のようす
正面の門をくぐると、左手に高い仏塔が見えてきます。
この仏塔は五重塔どころか、なんと十二層になっています。
また、仏塔の周辺には歴代の僧侶たちを祀った墓塔があります。
祖師堂のようす
聖母道の聖母と皇子
達磨と歴代住職の像
鎮国寺の歴代住職の像
仏塔から少し離れた場所に「祖師堂」があります。
ここには「聖母道の聖母と皇子」「達磨と歴代住職の像」などがあります。
よく観察すると、歴代住職の遺影なども飾られています。
中央の道に戻り、そこから突き当りまで行くと、本堂の前の庭に出ます。
この造りは、16世紀に始まった「内エ外口」様式というそうです。
上から見ると「エ」字形の本堂に「口」字形の回廊、客殿、僧房が取り囲むように連結しているからです。堂内には多くの神仏が祀られており、さながら宗教テーマパークといった観があります。
黄金の三世仏たち
向かって左から周倉、関羽、関平
向かって左から武官、徳翁、文官
本堂の奥の最上部には、三世仏である阿弥陀如来(過去仏)、釈迦如来(現在仏)、弥勒菩薩(未来仏)が鎮座しています。この三世仏は、時空を超えて、人々を救ってくれるとされています。弥勒菩薩とは、釈迦如来の滅後56億7000万年後にわれわれの住む人間世界に出現し、釈迦如来の教えで救われなかった人々をことごとく救済するという「未来仏」です。
また、ここには中国人が信仰する関羽、徳翁なども祭られています。
本堂の前には、大きな菩提樹もあり、わたしが訪れたときは多くの白人たちが樹の下に集まっていました。この菩提樹は、1959年にインドのラージェーンドラ・プラサード大統領によって植樹されたものだそうです。巨大な菩提樹、高い仏塔、そして豪華絢爛な仏像が、神々しい非日常空間を創り出していました。
*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。
2014年3月12日 一条真也拝