メダルを噛むことについて

一条真也です。
25日、「出版寅さん」こと内海準二さんがサンレー本社に来られました。さまざまな出版企画の打ち合わせをした後、夜は佐久間進会長と松柏園ホテルで会食されました。わたしも参加したかったのですが、ブログ「ブランチリーダーの会講演」で紹介した講演会と懇親会があったため、叶いませんでした。


「スポーツ報知」2014年2月25日号



佐久間会長と内海さんの会食では、ソチ五輪の話題で大いに盛り上がったようです。なんといっても、佐久間会長は三度の飯よりもオリンピック観戦が好きなのです。ソチ五輪は現地時間の23日、すべての日程を終えて閉幕。日本勢のメダル数は、金1、銀4、銅3で計8個でした。これは、1998年の長野五輪のときの10個(金5、銀1、銅4)に次ぐ、冬季五輪で歴代2位の記録だとか。これまでの2位は、92年のアルベールビル五輪のときでした。


「スポーツ報知」2014年2月25日号



さて、五輪でメダルを獲得した選手のお決まりのポーズである「メダル噛み」について、ネットを中心に、その是非を問う議論が盛り上がっています。
発端となったのは、日本オリンピック委員会(JOC)会長・竹田恆和氏の子息である慶應大学講師の竹田恒泰氏の発言でした。竹田氏が「メダルは噛むな。品がない上に、メダルを屈辱することになる」(原文ママ)とツイートしたのが発端となったようです。竹田氏といえば「明治天皇の玄孫」として知られています。家系は伏見宮家より分かれた北白川宮家の分家にあたる竹田宮家 で、戦後、皇籍を離脱しています。最近は皇族関係の著書も多く書かれており、宮中儀礼にも詳しいようです。華原朋美さんとの交際発言でも話題を振りまいた方ですね。



わたしは竹田氏の主張には共感しますが、ツイートという表現方法では発言内容が軽く聞えてしまうというか、誤解を招きやすいですね。140字で伝えられるような内容のメッセージではありません。だから、わたしはツイッターを絶対にやらないのです。わたしの想いは到底140字には収まりきれません。もっとも、5・7・5・7・7の31文字には収まりますけどね。(微苦笑)



竹田氏は23日に放送された読売テレビたかじんのそこまで言って委員会」に出演しました。ツイッターでの「メダルは噛むな」発言が議論を呼んでいることに対して、「ソチ五輪の選手に言ったわけではない」などと釈明しました。自身のツイッター発言が賛否両論を呼んでいることに対して、竹田氏は「誤解がある。ツイッターは文字数が限られていて、言葉足らずなものがある」と釈明し、「ソチ五輪の選手のことを言ったわけではありません」と弁明。
さらには、「かつて長野オリンピック(1998年)とかで、見るに堪えないようなコメントを吐いた若者がいたんです」と強調しました。この竹田氏の釈明には、番組に出演していたケビン・メア元米国務省日本部長が「言い訳になってないよ」と反論したとか。メア氏は「私は前のオリンピック(について)だとしても、(竹田氏の発言は)うるさい奴だと思うね。選手でもないのに、叱る立場にないと思う」との意見を述べたそうです。


メダルを噛むことは是か非か?



2月13日、ノルディック複合で銀メダルを獲得した渡部暁斗選手が、メダル授与式の前にチームの成田収平監督から「メダル噛むな」と指示されていたことを告白し、ガリガリ議論は加熱してきました。メダルを噛む行為は、冷静に考えれば決して品格のあるものではありません。「メダル・チョコレート」に見立てて食べるマネした選手がいたのでしょうか。2月16日のJ−CASTニュースには、このガリガリ起源について次のように紹介しています。
「選手がメダルを噛むようになったのは何がきっかけだったのだろうか。ネットでよく『起源』だと例に出されているのが1988年のソウルオリンピックの男子水泳200メートル自由形で優勝したオーストラリアのダンカン・アームストロング選手の写真で、読売新聞が『勝利ガリガリ』という見出しで報じたものだ。」



J−CASTニュースは,
次のように補足しています。
「実は、読売新聞は10年後の1998年3月19日付けの夕刊で、この写真についてと、メダルを噛む行為の『起源』を説明している。この写真の配信元はロイター通信で、オリンピック選手がメダルを噛んでいる写真がメディアに出たのはこれが初めてだと考えられる。写真説明には『勝利の味を、文字通りかみしめる』となっていたのだが、ロイター通信とAP通信になぜ噛むことになったのかを取材したが『よく分からない』という返事だった。そして噛む行為はソウル五輪以前にもあった可能性もあり『起源は確定できず』と締めている」



わたしの個人的な印象からいえば、2000年のシドニー五輪で金メダルを獲得した高橋尚子選手が、笑顔で金メダルを噛む姿が強く印象に残っています。
2006年のトリノ五輪女子フィギュアで金メダルを獲得した荒川静香選手は、キスをするにとどめていたそうです。2012年のロンドン五輪の女子レスリングで金メダルを獲得した吉田沙保里選手も迫力満点の形相で噛み付いていましたね。誰が噛んで、誰が噛んでいないか・・・人の記憶とは覚束ないものです。



(メダルを噛むと絵になる?)



前出のJ−CASTニュースでは,
“噛む行為は「絵になる」とメディアは考えている”という小見出しをつけて、以下のように述べています。
「90年代からメダルを噛んでポーズを取る行為が世界的に広がり、日本でもお約束のように思っている人もいるのだが、荒川さんのように『歯形が付くし、噛む理由がわからない』などと拒否する選手もいる。ロンドンオリンピックの女子卓球団体銀メダルの福原愛選手も噛まなかった。スポーツではないが、ノーベル医学・生理学賞に輝いた山中伸弥京都大教授も受け取ったメダルを噛んでほしいと頼まれ『そういうことはできません。貴重なものなので』と断ったが、この時は噛んでほしいと要求した記者に対し『不謹慎だ』といった激しい批判が起こった。どうやらメダルを噛むという行為はメディア側からの要求で行われ、そうした写真や映像は『絵になる』し、視聴者や読者受けがいいとメディアは考えているようなのだ」



なるほど。個々人の意思以外にマスコミによる恣意的な力が働いているわけですね。これを読んで、わたしは経営者の腕組み写真のことを連想しました。
よく自叙伝の表紙や雑誌のインタビュー記事などで、勝ち誇ったように自信満々で腕組みをした写真を撮らせる社長さんがいます。ここだけの話ですが、わたしはいつも「この人は何もわかっていないなあ」と思ってしまいます。


社長さん、腕組みはダメよ!



わたしは、普段は絶対に人前で腕組みをしないことに決めています。ビジネスマンとして絶対にしてはならないのが、腕組みと足組みだからです。江戸しぐさでは、「衰運しぐさ」として非常に嫌われました。
とくに人と会話しているときは、コミュニケーションの姿勢をとるのが礼儀です。腕組みは相手との間に柵を設けることであり、自由なコミュニケーションを拒否するという心理的圧力を与える結果になります。
そのうえに足まで組んでいれば、さらに相手を遠ざけようとすることになります。 満員電車の中で足を組むのは、自分の前に障害物をつくって、それ以上人が近づいてこないようにするということです。人が攻撃してきても、すぐに蹴ることができる防御態勢をとっているわけであり、失礼千万です。



わたしは人と接するとき、腕組み、足組みだけは絶対しないようことを心がけています。お客様を相手にするサービス業の社長が偉そうに腕組みなどしていたら、その会社は非常に危険だと思っています。
やっぱり、傲慢な印象を与えますからね。経済誌などの社長インタビュー企画でも、カメラマンの方から「腕組みをしていただけますか」とよく言われるのですが、「わたしの信条なので」ときっぱりお断りしています。

もちろん、わたしの意見に反対の方もいると思います。
「社長に何よりも必要なのは自信。自信に満ち溢れた腕組み写真を見て、頼もしさを感じる社員や顧客も多いはず」との考えもあるかもしれません。これはメダルを噛むことにも通じるのですが、「何が正しいか」という問題ではないと思います。サンレーグループ佐久間進会長は小笠原流礼法を学び、現在は実践礼道小笠原流の宗家という礼法家でもありますが、著書『わが人生の「八美道」』(現代書林)の「まえがき」に次のように書いています。
「自分の人生で何を目指してきたのか。人として、男として、夫として、父として、経営者として、業界のリーダーとして、自分は何を追い求めてきたのか。
美――「美しさだったかな」という思いに至りました。礼法を学び、おじぎを極め、会社を興し、すべてが『美』を追い求めてきた気がします。
『正しいか、正しくないか』――私にはわかりません。
『美しいか、美しくないか』――これはわかるような気がします。『美』を唯一無二の基準にして、生きてきたような気が致します」


メダルは噛むよりもキスが素敵!



「美」を基準とするならば、やはり経営者が腕組みをしたり、オリンピックの選手がメダルを噛むのは美しくないと思います。思えば、「品格」という目に見えないものの根拠とは所作の「美しさ」という目に見えるものにあるのかもしれません。最後に、わたし自身がメダルであったとしたら、やはり噛まれるのは嫌ですね。噛まれるよりは「甘噛み」、さらには「キス」がいいですね。荒川静香さんにキスされたメダルがうらやましいですな!(笑)



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2014年2月26日 一条真也