富屋食堂

一条真也です。
6月12日の朝、わたしたちは、特攻基地のあった知覧に向かいました。
まずは、富屋食堂を訪れました。「特攻の母」と呼ばれた故・鳥浜トメの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品・写真などが展示されています。隣接する富屋旅館は、戦後の昭和27年に特攻隊員の遺族を知覧に泊めるために作られました。


復元された富屋食堂

7年ぶりに訪問しました

現在の富屋旅館の前で



鳥浜トメの物語」というHPには、次のように書かれています。
「『富屋食堂』が開業したのは、昭和4年のことでした。
太平洋戦争末期、『富屋食堂』は帝国陸軍の指定食堂となります。
そのため、たくさんの特攻隊員が訪れるようになったのでした。
富屋食堂』を切り盛りしていたトメは、そんな隊員さんたちを我が子のようにかわいがり、家財を投げ打ってもてなします。いつしか隊員さんたちは、トメのことを『おかあさん』と呼ぶようになりました。しかし、その関係が深かった分、トメは悲しい現実をたくさん目の当たりにすることになるのです。
戦後――御遺族や生き残られた方々が知覧を訪れたとき、身を寄せる所、泊まる所がないと困るだろうという気持ちから、隊員さんたちが当時訪れていた建物を戦後翌年買い取り、トメは旅館業を始めます。
それが『富屋旅館』の始まりです」


「特攻の母」を偲びました



富屋食堂のメニューは、うどん・そば・丼ものなどでした。
夏場は、かき氷なども出し、繁盛したそうです。隊員たちは、みなトメの気さくな性格と食堂の家庭的な雰囲気に惹かれました。
昭和17年に最初の少年飛行兵10期生が到着したとき、トメは隊員たちを我がこのように面倒を看ました。まだ幼さの残る隊員たちも、トメのことを「お母さん」と呼ぶようになりました。だが戦況は悪化し、小さな知覧の町にも、いよいよ特攻という非情な作戦が遂行されるのでした。


映画「ホタル」の説明板



富屋食堂を一躍有名にしたのは、「ホタル」の物語です。
食堂を愛用していた宮川三郎という軍曹が、「明日ホタルになって帰って来るよ」と言い残し出撃しました。すると、その夜、富屋食堂にいた人々(トメと娘たち、出撃前の隊員たち)の前に1匹のホタルが飛んできたのです。それを観た隊員たちは「宮川だ! 宮川がホタルになって帰ってきた!」と叫び、みんな涙を流しながら「同期の桜」を歌ったそうです。


また、教育隊からの常連だった光山文博という少尉は、トメに向かって「俺は朝鮮人だよ」と打ち明けました。いよいよ出撃が決まったとき、光山少尉は故郷の歌を歌いたいと言って、トメの前で「アリラン」を泣きながら歌ったそうです。
上原良司という少尉は、いつも「日本は負けるよ」と言っていたそうです。心配したトメが「憲兵隊に捕まるから止めなさい」と言いましたが、聞きませんでした。自由の国に憧れていた上原少尉は、最後まで自由主義者として出撃しました。



これらのエピソードは、高倉健主演の「ホタル」(2001年、降旗康男監督)、石原慎太郎制作総指揮・脚本の「俺は、君のためにこそ死ににいく」(2007年、新城卓監督)といった日本映画にも描かれています。
久しぶりに、これらの作品をDVDで観直してみたくなりました。



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2013年6月12日 一条真也