「みどりの日」に庭へ!

一条真也です。
ゴールデンウィークの最中ですが、自宅の書斎で今月13日の町田そのこ氏(本屋大賞作家)とのグリーフケア対談&29日の玄侑宗久氏(芥川賞作家)との仏教対談の準備をしています。5月4日は「みどりの日」ですね。

おニューのジャケットで庭へ!


緑のはざまを陽光が降り注ぐ!

 

わたしの妻の名前は「緑」というのですが、もちろん全国の緑サンのために国が休日を定めたわけではありません。祝日法の第2条によれば、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としています。ならば、「みどりの日」には庭に出て、新緑の輝きを満喫したいと思います。わたしは、毎日をバタバタと忙しく過ごしています。せめて、「みどりの日」ぐらいはと思って、今年は松屋銀座で求めたおニューのド派手なサマー・ジャケットを羽織って庭に出ました。

庭で草むしりをしました


緑・緑・緑の洪水!

 

庭に出ると、心の底からリラックスします。
わたしは、もともと庭園ほど贅沢なものはないと思っています。いくら立派なハードであろうが、庭園には絶対かないません。庭ほど、人の心を豊かにするものはないのです。西洋における庭園は、旧約聖書に出てくるエデンの園を再現する試みでした。人気のイングリッシュガーデンでも幾何学的なフランス式庭園でもみんなそうです。



そのエデンの園をもっとも忠実に再現しようとしたのがイスラムの庭園文化でした。コーランにおいて、アラーの神はまさしく、楽園を庭園として規定しました。そしてイスラムの人々は、来世にそれを熱望するだけでなく、現世においてもそのイメージを実現しなければならないと考えたのです。そのあたりは、拙著リゾートの思想河出書房新社)やリゾートの博物誌(日本コンサルタントグループ)に詳しく書きました。


中国では道教の思想による神仙庭園が発達し、日本では仏教の庭園文化が花開きました。寺院の境内に極楽浄土の荘厳を試み、寺院の環境から生じる雰囲気によって信仰心を強めようとしたのです。ここに寺院庭園の1つの形式として浄土式庭園が生まれます。庭園とは、天国や極楽、つまりハートピアの雛形だったのです。


わが庭こそハートピア!

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オリュンポスの神々が見守る

馬と獅子のいる庭園

池の上にも緑が・・・

 

以前、わたしはリゾート・プランナーをやっていたことがあります。この世に楽園をつくろうと思って、数多くのリゾート計画に携わりました。その多くはバブル崩壊などで立ち消えになりましたが、現代人の病んだ心を癒す幸福の空間としてのリゾートは必要だと今でも思います。わたしにとっての楽園とは、わが家の庭なのかもしれません。


緑の中で物思いに耽る・・・

喉が渇きました

 

2024年5月4日 一条真也

『心ゆたかな映画』 

一条真也です。
109冊目の「一条真也による一条本解説」をお届けいたします。心ゆたかな映画(現代書林)です。「HEARTFUL CINEMAS ハートフル・シネマズ」のサブタイトルがついています。480ページのボリュームで、2022年11月15日に刊行されました。

心ゆたかな映画』(現代書林)


本書の帯


本書の帯の裏

 

本書の帯には、「映画は、愛する人を亡くした人への贈り物」「ネットで大人気の映画レビューが待望の書籍化!!」「世界的大ヒット作からミニシアターの佳作までを網羅した厳選の100本」と書かれています。

心ゆたかな読書』と『心ゆたかな映画

 

本書は、『心ゆたかな読書』(現代書林)の姉妹本です。読書と映画鑑賞は教養の両輪だとされていますが、ともにその目的は心をゆたかにすることにあります。わたしがブログを書き始めたのは2010年からですが、多種多様な記事の中で、最も人気があるものの1つが本の書評であり、映画の感想です。本書に収めた100本の映画レビューも、わたしの公式ブログである「一条真也の新ハートフル・ブログ」に掲載した記事をもとに構成されています。

一条真也の映画館」のTOPページ

 

もともと、読書ブログには大量のアクセスが寄せられていましたが、最近は映画ブログも負けないくらいに注目されてきたようです。新作映画の感想をブログにアップした直後から膨大なアクセスが集中することもしばしばで、ネットの検索結果でもよく1位になっています。ブログ記事は「一条真也の映画館」という映画レビュー専門サイトにも再掲載していますが、こちらもよく読まれています。


本書の目次は、以下の通りです。 
「まえがき」
第1章 ミュージック&ミュージカル

ボヘミアン・ラプソディ

ロケットマン

エルヴィス

美女と野獣

アラジン

レ・ミゼラブル

ラ・ラ・ランド

グレイテスト・ショーマン

ジュディ 虹の彼方に

ウエストサイド・ストーリー


第2章 ラブロマンスに酔う

マリアンヌ

カフェ・ソサエティ

君の膵臓をたべたい

蝶の眠り

ラストレター

スパイの妻

花束みたいな恋をした

アンモナイトの目覚め

男と女 人生最良の日々


第3章 ヒューマンドラマに涙する

ライフ・イットセルフ

ベル・エポックでもう一度

ミナリ

コーダ あいのうた

羊と鋼の森

いのちの停車場

そして、バトンは渡された

ワン・セカンド 永遠の24フレーム

ボイリング・ポイント/沸騰

トップガン マーヴェリック



第4章 ファンタジーで夢の世界へ

シェイプ・オブ・ウォーター

ア・ゴースト・ストーリー

ルイスと不思議の時計

ジョジョ・ラビット

コーヒーが冷めないうちに

DESTINY 鎌倉ものがたり

今夜、ロマンス劇場で

おらおらでひとりいぐも

異人たちとの夏

夜叉ヶ池


第5章 SF映画でワクワクする!

シン・ゴジラ

バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生

ワンダーウーマン

イエスタデイ

テネット

夏への扉―キミのいる未来へ―

レミニセンス

ドント・ルック・アップ

DUNE/デューン 砂の惑星

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム


第6章 ホラーだって心ゆたかに!

カメラを止めるな!

マザー!

ファーザー

ヘレディタリ―/継承

ボーダー 二つの世界

ドクター・スリープ

アントラム/史上最も呪われた映画

ライトハウス

アンテベラム

ラストナイト・イン・ソーホー



第7章 死生観とグリーフケア

世界一キライなあなたに

アマンダと僕

君を想い、バスに乗る

魂のゆくえ

私のちいさなお葬式

永い言い訳

ハチとパルマの物語

ムーンライト・シャドウ

ドライブ・マイ・カー

アイ・アムまきもと


第8章 社会を持続させるシネマ

ムーンライト

グリーンブック

存在のない子供たち

ジョーカー

ザ・ホワイトタイガー

ミッドナイトスワン

朝がくる

189

梅切らぬバカ

MINAMATA~ミナマタ


第9章 歴史とドキュメンタリー

キングダム

花戦さ

三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実

最後の決闘裁判

オフィサー・アンド・スパイ

彼らは生きていた

ホテル・ムンバイ

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

ハウス・オブ・グッチ

オードリー・ヘプバーン


第10章 アニメーションの楽園

かぐや姫の物語

思い出のマーニー

君の名は。

この世界の片隅に

竜とそばかすの姫

リメンバー・ミー

ソウルフル・ワールド

劇場版『鬼滅の刃』無限列車編

劇場版 呪術廻戦 0

シン・エヴァンゲリオン劇場版

「あとがきに代えて~ありがとう、小倉昭和館

死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

わたしが映画の本を書くのは、『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)に続いて、本書が二冊目です。前作では、「あなたの死生観が変わる究極の50本」というサブタイトルのとおりに、映画館の暗闇の中で生と死を考える作品を厳選しました。長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる映画、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる映画、死者の視点で発想するヒントを与えてくれる映画などを集めてみました。



わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると考えています。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。すなわち、写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。


だからこそ映画の誕生以来、時間を超える物語を描いたタイムトラベル映画が無数に作られてきたのでしょう。そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思います。


死を乗り越える映画ガイド』を刊行した後も、わたしはたくさんの映画を観ました。すると、今度は奇妙な現象が起きました。どんな映画を観ても、グリーフケアの映画だと思えてきたのです。ジャンルを問わず、どんな映画にも死者の存在があり、死別の悲嘆の中にある登場人物があり、その悲嘆がケアされる場面が出てきます。この不思議な現象の理由として、わたしは3つの可能性を考えました。1つは、わたしの思い込み。2つめは、映画に限らず物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした映画が増えているということです。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしていました。

 

 

わたしが何の映画を観てもグリーフケアの映画に思えるということを知った宗教哲学者の鎌田東二先生からメールが届きました。それによれば、何を見ても「グリーフケア」に見えるというのは、思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも「グリーフケア」の要素があるのだといいます。哲学者アリストテレスは『詩学』第六章で、「悲劇」を「悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして,この種の感情のカタルシスを達成することにある」と規定しましたが、この「カタルシス」機能は「グリーフケア」の機能でもあるというのです。しかし、アリストテレスが言う「悲劇」だけでなく、「喜劇」も「音楽」もみな、「カタルシス」効果を持っているので、すべてが「グリーフケア」となり得る。そのような考えを鎌田先生は示して下さいました。なるほど、納得です!

グリーフケア映画の講義もしました

 

死別の悲嘆に寄り添うグリーフケアは、わたしの人生と仕事におけるメインテーマのひとつです。わたしが経営する冠婚葬祭会社では2010年から遺族の方々のグリーフケア・サポートに取り組んできましたし、副会長を務めた一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会では、グリーフケアPTの座長として、グリーフケア士の資格認定制度を立ち上げました。2018年からは上智大学グリーフケア研究所の客員教授も務めさせていただき、そこでは、「グリーフケアとしての映画」をテーマに、具体的な作品の紹介も含めて講義をしました。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

さらには、拙著愛する人を亡くした人へ(現代書林)を原案とするグリーフケア映画君の忘れ方の製作も決定し、2025年1月の公開を予定しています。「グリーフケア」とは心の喪失を埋める営みであり、わが造語である「ハートフル」にも通じます。そして、わたしは映画評にとって最も大切なこととは、それを読んだ人がその映画を観たくなることだと思っています。グッドコメントであれ、バッドコメントであれ、読者がその映画を観たいと思うレビューを心がけて書いてきました。本書で知った映画を観て、心ゆたかになっていただければ、こんなに嬉しいことはありません。

 

 

2024年5月4日 一条真也

憲法記念日に思う

一条真也です。
5月3日は「憲法記念日」でした。この日、各地で集会が行われました。岸田総理は憲法改正について、「先送り出来ない重要な課題だ」と訴えました。

ヤフーニュースより

 

岸田総理は憲法改正を目指す団体の集会にビデオメッセージを寄せ、「憲法改正は先送りできない重要な課題であり、国民に選択肢を示すことは政治の責任だ」と国会での積極的な議論に期待を寄せました。また、「政治改革の議論と併せて、憲法改正という重要な課題について、党派を超えて連携しながら、真摯に議論を行う姿を国民の皆様にお見せしていきたいと考えています」と述べました。



一方、都内の別の場所では憲法改正に反対する集会が開かれました。立憲民主党の逢坂代表代行は、「法律を犯しているかも知れない裏金議員、この方々が果たして憲法の議論をする正当性はあるんでしょうか」と述べ、日本共産党の田村委員長は「改憲改憲と叫んでいる勢力の中心的なところにいる人たちほど、古い政治にしがみついているんじゃないでしょうか」と述べています。



確かに、今の自民党政権が何を言っても説得力がないことは事実ですが、自民党の不祥事と憲法改正の議論を一緒にするのも違う気がします。わたしは、日本国憲法は改正されるべきだと思います。どこの国も憲法改正を普通に行ってきており、77年間にもわたって変わらない日本国憲法はすでに「世界最古の憲法」です。これだけ長い時間が経過すれば、国際情勢や国民生活も激変します。憲法だってアップデートしなければなりません。



わたしは、同じ日本が生んだ憲法でも、604年に制定された「十七条憲法」こそは人類史上最高の憲法であると思います。「十七条憲法」の冒頭に記されているのは、日本人なら誰でも知っている聖徳太子の「和を以て貴しとなす」です。聖徳太子は、574年に用明天皇の皇子として生まれました。本名は「厩戸皇子」ですが、多くの異名を持ちます。推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、622年に没しました。



聖徳太子は内外の学問に通じ、『三経義疏』を著わしたとされます。また、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立しました。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞などは「和国の教主」と呼びました。しかし、太子は単なる仏教保護者ではありません。その真価は、神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描いたことにあります。



日本人の宗教感覚には、神道も仏教も儒教も入り込んでいます。よく、「日本教」などとも呼ばれますが、それを一種のハイブリッド宗教として見るなら、その宗祖とはブッダでも孔子もなく、やはり聖徳太子の名をあげなければならないでしょう。聖徳太子は、まさに宗教における偉大な編集者でした。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を実現する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・・・・3つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのです。


 

この太子が行った宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭といったように、さまざまな形で開花していきました。その聖徳太子が行った最大の偉業は、推古天皇12年4月3日(ユリウス暦604年5月6日)に「十七条憲法」を発布したことでしょう。儒教精神に基づく冠位十二階を制定した翌年のことであり、この十七条憲法こそは太子の政治における基本原理を述べたものとなっています。


サンレー社長室の「以和為貴」(平澤興謹書)の額と

 

十七条憲法は、普遍的人倫としての「和をもって貴しとなす」を説いた第一条以下、その多くは儒教思想に基づいています。ただし、三宝(仏法僧)を敬うことを説く第二条などは仏教思想です。さらには法家思想などの影響も見られ、非常に融和的で特定のイデオロギーにとらわれるところがありません。この多様性と寛容性に富んだ憲法こそが日本最初の憲法だったのです。そして、ここで説かれた「和」の精神が日本人の「こころ」の基本となりました。


 

聖徳太子の実在を疑う見方も多く、その実像はきわめて謎に満ちていますが、わたしは聖徳太子とは虚像も実像も超越した「和」のシンボルのような超人であると思っています。伝説で語られる太子のキャラクターの中には、ブッダ孔子老子もイエスさえも、その面影を見ることができます。まさに、聖徳太子とはあらゆる宗教や民族の対立を超えて「和」を実現する「理想の聖人」であり、「夢の聖人」だったのでしょう。ちなみに、わたしは聖徳太子の偉業については世界をつくった八大聖人(PHP新書)および知ってビックリ! 日本三大宗教のご利益―神道&仏教&儒教(だいわ文庫)、そして和を求めて(三五館)に詳しく書きました。


和を求めて』(三五館)

 

2024年5月3日  一条真也

『世界の一流は「雑談」で何を話しているのか』

世界の一流は「雑談」で何を話しているのか

 

一条真也です。
『世界の一流は「雑談」で何を話しているのか』ピョートル・フェリクス・グジバチ著(CROSSMEDIA PUBLISHING)を読みました。「年収が上がる会話の中身」というサブタイトルがついています。


本書の帯

 

著者は連続起業家、投資家、経営コンサルタント、執筆者。プロノイア・グループ株式会社代表取締役、株式会社TimeLeap取締役、株式会社GA Technologies社外取締役モルガン・スタンレーを経て、 Googleで人材開発・組織改革・リーダーシップマネジメントに従事。2015年に独立し、未来創造企業のプロノイア・グループを設立。2016年にHRテクノロジー企業モティファイを共同創立し、2020年にエグジット。2019年に起業家教育事業のTimeLeapを共同創立。ベストセラー『NEW ELITE』他、『パラダイムシフト 新しい世界をつくる本質的な問いを議論しよう』『世界最高のコーチ』など執筆。ポーランド出身。


本書の帯の裏

 

本書の帯には、「さりげなく相手の心をつかむSmall Talkのコツ」と書かれています。また、帯の裏には「上司はマネジメントするより雑談をしなさい」「営業マンは説明するより雑談をしなさい」「『会議』も『1on1』も『商談』も不要! 雑談のすごい効果とは?」と書かれています。さらにカバー前そでには、「一流が『本題』に入る前に必ず聞くこと・話すこと」とあります。


アマゾンより

 

ここが違う!「世界」の雑談と「日本」の雑談
・日本の雑談には「定番のフレーズ」が多い
・一流は「その人」に特化した雑談をしている
・なぜ日本のビジネスマンは雑談が苦手なのか?
・ひとつの質問だけで、多くの情報が得られる
・欧米の一流は周到な「準備」をして雑談に臨む
・一流が雑談に求めているのは「リベラルアーツ


アマゾンより

 

強いチームをつくる「社内雑談力」の極意
Part1 
グーグルは雑談とどう向き合っているのか?
Part2 
なぜ「社内の雑談」が重要なのか?
Part3 
マネジャー(上司)に求められる雑談とは?
Part4 
メンバー(部下)に必要な雑談


アマゾンより

 

武器としてのビジネスの雑談
・ビジネスの雑談には4つの「目的」がある
・日本のビジネスマンは相手と
   「上下関係」を作ってしまう
・ビジネスの相手と「対等」な関係を
    作るためのアプローチ
・エグゼクティブな雑談で「スクリーニング」している
・教養は時間がかかるが「質問力」は短時間で身につく
・「聞きにくいこと」を質問する時に便利なフレーズ


アマゾンより

 

こんな雑談は危ない!6つのNGポイント
雑談のNG01 
相手のプライベートに、いきなり踏み込まない
雑談のNG02 
「ファクト」ベースの質問は意外に危険
雑談のNG03 
ビジネスの場で「収入」の話はしない
雑談のNG04 
「シチュエーション」を考えた雑談を心がける
雑談のNG05 
「宗教」の話は無理に避ける必要はない
雑談のNG06 
「下ネタ」で距離感が縮まることはない

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
はじめに 
「日本人は『雑談』を世間話や無駄話と考えている」
第1章 「世界」の雑談と「日本」の雑談
第2章 強いチームをつくる「社内雑談力」の極意
第3章 武器としてのビジネスの雑談
第4章 こんな雑談は危ない! 6つのNGポイント
おわりに 「リモートワークの増加が
                      雑談の重要性を浮き彫りにした」


はじめに「日本人は『雑談』を世間話や無駄話と考えている」の冒頭を、著者は「僕は東欧ポーランドで生まれて、ドイツやオランダ、アメリカで暮らした後、千葉大学の研究員として2000年に来日しました。今から23年前のことです。日本では、ベルリッツで異文化間コミュニケーションやマネジメントコンサルティング部門を立ち上げたり、モルガン・スタンレーで組織開発や人材育成を担当してから、グーグルに入社し、人材育成統括部長として組織改革やリーダーシップマネジメントに従事してきました。現在は、起業家、経営コンサルタント社外取締役として、主に人材・組織開発のためのコンサルティングコーチング、研修などを手がけています」と書きだします。


「グーグル流・雑談の特徴とは?」では、グーグルで「Let′s chat!」というフレーズが頻繁に飛び交っていたことが紹介されます。直訳すれば、「雑談しましょう!」という意味になりますが、世間話や無駄話をするわけではありません。アジェンダ(行動計画)が成立していない段階で、お互いのプランや課題をシェアして、「どんなプロジェクトができるのか?」、「どんなアウトプット(成果)を目指すのか?」、「どこに問題があるのか?」などについて、オープンで「ざっくばらん」な情報交換をすることが目的であるとして、著者は「グーグルは、全員がフレックスタイムで働いており、仕事をする場所も自宅であったり、カフェであったり、自由に選んでいますから、コミュニケーションの機会を意識的に増やしておかないと、仕事に支障が出る可能性があるのです。これがグーグル流の『雑談』の正体です」と述べています。


世界のビジネスシーンで、一流のビジネスマンが交わしているのは、日本的な雑談ではなく、「dialogue」に近いものだといいます。ダイアログとは「対話」という意味ですが、単なる情報のやりとりだけでなく、話す側と聞く側がお互いに理解を深めながら、行動や意識を変化させるような創造的なコミュニケーションを目指した会話です。また、最近実施する企業が増えている「1on1」ミーティングは、メンバー個々のパフォーマンスの向上を目指すものです。外資系企業や一部のIT企業では10年ほど前から導入されていましたが、その背景にあるのは、チームのメンバーがプライベートな問題を抱えていると、著しく仕事のパフォーマンスが落ちるという考え方が定着したことだといいます。コロナ禍によるテレワークの増加によって、メンバーの孤立化の問題が表面化したことも、「1on1」の実施に拍車をかけているとか。


第1章「『世界』の雑談と『日本』の雑談」の「日本の雑談には『定番のフレーズ』が多い」では、ポーランド人である著者は日本語は非常に覚えやすい言語だと思っているとして、日本人は気づいていないかもしれないが、日常的に交わされる会話には「定番のフレーズ」が多いという特徴があるといいます。例えば、「お疲れ様です、ピョートルさん」「どうも、お疲れ様です」「いつもお世話になっております」「こちらこそ、お世話になっています」といったような言葉です。著者は、「シニカルな見方をすれば、日本人の雑談は、『社交辞令』と『演技』と『決まり文句』の3つで構成されているといえます」と述べます。


「日本人が『自己開示』に慣れていない理由」では、ヨーロッパやアメリカでは、「社交的な会話」ができることが美徳とされていることが紹介されます。社会や政治、経済、歴史など、あらゆることについて自分なりの意見を持ち、それを話すことは「大人の嗜み」と考えられているとして、著者は「欧米の人たちは、子供の頃から自分の意見を持ち、それを表現して自己開示する・・・・・・という教育を受けていますが、日本ではそうした教育は重要視されていません。決められたカリキュラムを学ぶとか、受験勉強でも暗記が優先されていますから、自分の頭で考えて、自分の意見を持ち、それを表現することに慣れていないのだと思います」と述べています。現在は、日本でも「ダイバーシティー&インクルージョン」(多様な人々がお互いの個性を認め、一体感を持っている状態)の考え方が強くなっているのが現状です。著者は、「多種多様な価値観を持つ人たちと良好な人間関係を構築し、お互いに信頼感を深めていくためには、雑談を通して自己開示していくことが大事だと思います」と述べます。



「雑談を通じて『ラポール』を作る」では、世界の第一線で活躍するビジネスマンたちが雑談を通して「手に入れたい」と考えているのは、次の3つのことだといいます。(1)お互いに「信頼」できる関係を築く
(2)お互いが「信用」できることを確認する
(3)お互いを「尊敬」できる関係を作る
著者は、「雑談を通して、『信頼』と『信用』、『尊敬』のある関係を築いて、心理学でいう『ラポール』を作ることを目指しています。ラポールとは、お互いの心が通じ合い、穏やかな気持ちで、リラックスして相手の言葉を受け入れられる関係性を指します」と述べています。


「目の前の相手に対して『無条件の肯定的関心』を持つ」では、ビジネスの場で交わされる会話は、すべてが「営業行為」と考える必要があるとして、著者は「何らかの価値を相手に提供し、それと引き換えに何らかの価値を得る・・・・・・。その一連の行為が会話であり、雑談なのだと思います。人と人が交わす会話には、必ず『意図』があります。いくら会話をしても、そこに意図がなければ、人間関係は成立しません。世界のビジネスマンにとっては、その意図を達成するためのツールが雑談なのです」と述べています。


ここで大切なのは、無条件の肯定的関心だけでなく、「empathy」(エンパシー)を持って会話をすることだといいます。エンパシーは「共感」と訳されていますが、厳密には、自分と異なる考え方や価値観を持つ相手に対して、「相手が何を考えているのか?」とか、「どう感じているのか?」を想像する能力を指します。著者は、「ただ相手の考えや気持ちを理解したり、想像するだけで終わるのではなく、『相手の感情に合わせる』ことや、『相手の隠れた意図を汲み取る』ことまでを含みます」と述べています。


「日本は世界に類がない『ハイコンテクスト社会』」では、欧米と日本の雑談の違いは、日本が「ハイコンテクスト社会」であることにも理由があると考えられるといいます。コンテクストとは、空間的、時間的、社会的な「場面」、「文脈」、「背景」といった意味合いを含む心理学の概念です。著者は、日本について「『以心伝心』という言葉に象徴されるような、相手の気持ちや意図を『察する』とか『忖度する』、『空気を読む』、『行間を読む』というコミュニケーションが成立しやすい社会であり、そもそも自己開示の必要がなかったり、自分の好みを相手に伝えることが必ずしも美徳とは考えられていません。日本は世界でも類がないほどの『ハイコンテクスト社会』と位置づけられています。これに対して、欧米の国々は人種や文化、価値観がバラバラですから、言葉でストレートに情報交換をする必要があります。自分の意見を相手にハッキリと伝えることで会話が成り立つ『ローコンテクスト』な社会が形成されているのです」と述べます。


「ビジネスの雑談は『BtoB』ではなく『CtoC』」では、流動的で変化の激しい現代のビジネスでは、商談やプレゼンの場で効果を発揮するのは、マーケティング戦略でいう「BtoB」(Business to Business=会社対会社)の関係ではなく、あくまで「CtoC」(Consumer to Consumer=個人対個人)の関係性であると指摘します。その上で、著者は「会社の看板や規模で押し切れるほど、現在のビジネス環境は甘くありませんから、戦略的な雑談がますます重要な時代になっていると考える必要があります」と述べています。


「一流が雑談に求めているのは『リベラルアーツ』」では、その冒頭を著者は「ヨーロッパの国々では、日本やアメリカと比べて『教養』が重要視されています。ビジネスで雑談をする場合でも、相手が大学を出ているならば、それなりの知識を持っていることを前提として、会話が進んでいきます。専門知識はそれぞれ違っても、歴史や政治、アートなどについて、『このレベルの話はできるはず』という水準を見越して話題を選んでいます」と書きだしています。日本のビジネスマンは雑談を潤滑油と考え、その場の緊張感を解きほぐして相手との心理的な距離感を縮める効果を期待していますが、世界のビジネスマンが雑談に求めているのは、「リベラルアーツ」だというのです。


「『グローバル』な視点と『トランスナショナル』な考え方」では、その冒頭を著者は「世界で活躍するビジネスマンが雑談で重要視しているのは、『グローバル』な視点と国の枠組みを超えた『トランスナショナル』な考え方です。それぞれの国によって、文化や価値観が大きく異なりますから、その違いをどう乗り越えて信頼関係を築き、ビジネスで成果を出していくか・・・・・・に意識を集中させているのです」と書きだしています。また、「気の利いている人であれば、『英語で話してもいいですか?』という確認の言葉があって、お互いの理解を深めるために、あえて英語を選択すると思います」とも述べます。


「『トランザクション文化』『リレーション文化』」では、最初にビジネスがあり、その後で付き合いが始まるという、いわば「トランザクション」(商取引)の文化があることが指摘されます。アングロサクソン系の人たちの飲み会は、ほとんどが「打ち上げ」となり、今後の付き合いを深めていくために、お互いの人間性を確認し合うような雑談を交わすといいます。これに対して、日本はビジネスが成立する前の段階で、「どうぞ、よろしく」とお酒を酌み交わし、お互いの関係性を深めてから一緒に仕事を始めるとして、著者は いわば、『リレーション』(人間関係)の文化です。日本では、ビジネスを成立させるための雑談が求められますから、相手に安心感を与え、不安なく仕事ができるという状況を作ることが大切ですが、どうしても『接待』的な意味合いが強くなる傾向があるようです」と述べます。


第2章「強いチームをつくる『社内雑談力』の極意」のPart1「グーグルは雑談とどう向き合っているのか?」の「社員が自分の意見を経営陣にぶつける機会が用意されている」では、その冒頭を著者はいかのように書きだしています。
「グーグルはアメリカの雑誌『フォーブス』が選ぶ「働きがいのある企業ランキング」で何度も世界の第1位に選ばれています。その理由のひとつは、社内コミュニケーションを重視していることにあります。どの分野の企業でも、従業員や部下が抱える一番の不満は「上司から十分な情報が得られない」、「上司が何を考えているのかわからない」という点にあります」


グーグルでは、社内のコミュニケーションを充実させることが、部下の幸福感の維持につながると考えているそうです。その象徴的な例が、毎週金曜日の午後に開かれているTGIF(Thanks Google It′s Friday)という全社的なミーティングだと指摘し、著者は「ここでは、社会や経営幹部が壇上にあがり、会社の方向性や新規事業、新商品などについて、全社員に説明をします。その場には、お酒やおつまみも用意してあり、参加者同士がフランクに議題について話し合うことができますが、ポイントは普段は接することのない経営幹部に対して、ダイレクトに質問ができることです」と述べます。


Part2「なぜ『社内の雑談』が重要なのか?」の「『雑談をするチームは生産性が高い』というエビデンス」では、日本の大手広告代理店が、興味深い実験結果を発表していることが紹介されます。それは、パフォーマンスを出しているチームと、パフォーマンスを出していないチームの働き方を比較検討するという試みだとして、著者は「あるチームは空き時間を見つけるとメンバー同士で雑談ばかりしていたのに対して、あるチームは仕事以外の話は一切していなかったといいます。その結果、雑談をしていたチームの方が、圧倒的にパフォーマンスが上回っていることが明らかになったのです」と述べています。


「職場の雑談には7つの『相乗効果』がある」では、具体的に以下の7つの相乗効果を紹介しています。
(1)職場の人たちと仕事以外の「つながり」ができる
(2)お互いの「信頼感」が高まる
(3)職場の「心理的安全性」が高まる
(4)「働きやすい環境」が生まれる
(5)仕事の「モチベーション」が高まる
(6)ミーティングで「発言」しやすくなる
(7)会議の結論に「納得」して働けるようになる


「働く女性が新たに直面している『慈悲的性差別』」では、その冒頭を著者は以下のように書きだしています。
「女性の活躍やダイバーシティインクルージョンに対する意識の高まりによって、最近では、女性に対する『ベネヴォレント・セクシズム』(慈悲的性差別)も問題化しています。ベネヴォレントとは、『親切な』とか『慈悲深い』という意味ですが、一見すると善意や親切心のように見える方法で表現される性差別のことを指します。『女性社員にストレスのかかる仕事を任せるのはかわいそうだ』とか、『小さな子供がいる女性には、負担が伴う仕事は任せるべきではない』などが代表的なケースです」


Part3「マネジャー(上司)に求められる雑談とは?」の「『キャリア・カンバセーション』も雑談で対応できる」では、キャリア・カンバセーションについて説明されます。それは、マネジャーとメンバーが「仕事観」や「期待値」などを共有して、お互いの理解を深め合いながら、キャリアへの意識を育んでいくことです。 海外の企業や外資系企業では一般的ですが、日本でも大手企業だけでなく、社員を資産と考えて大事にしている中小企業でも実施する会社が増えています。キャリア・カンバセーションの主なテーマは、「現在、何に興味や関心を持っているか?」「短期と長期の将来についての希望」「現在の目標や実現可能なキャリアの選択」「目標を達成するための準備や具体的なアクションの構想」などです。


「マネジャーはもっと自分の『弱み』を開示していい」では、著者がこれまで接してきた優秀なマネジャーには、ひとつの共通する特徴があることが紹介されます。それは、仕事ができる人ほど「腰が低い」ということです。著者は、「これは経営トップにも共通しますが、海外でも日本でも、優秀なリーダーほど尊大な態度を取ることはなく、常に謙虚な姿勢で相手と向き合っています。相手を見下すような不遜な態度のリーダーは、一時的には成功することがあっても、それが長続きすることはありません。リーダーに資質があるとすれば、それは発想力とか行動力ではなく、常に謙虚な姿勢を貫ける人間的な強さにあるように思います」と述べています。


第3章「武器としてのビジネスの雑談」の「相手を喜ばせることより、本質的な雑談を目指す」では、露骨なヨイショ話などは逆効果になることもあることが指摘されます。相手と信頼関係を築くには、雑誌を通じてラポールを作ることが大切であり、ラポールを作るための「3原則」は次のようになるといいます。
(1)相手が「何を大切にしているか?」を知る
(2)相手が「何が正しいと思っているか?」を知る
(3)相手が「何を求めているか?」を知る


第4章「こんな雑談は危ない! 6つのNGポイント」のNG03「ビジネスの場で『収入』の話はしない」では、日本企業では、他人の「懐事情」を詮索するのは不躾な行為と考えられていますから、無遠慮に相手の収入を聞くことは「ご法度」とされていることが指摘されます。海外の企業や外資系企業の場合は、マナーとしてだけでなく、そもそも給料やボーナスの額を明らかにすることを雇用契約就業規則などで、禁止している企業が多いとして、著者は「同じチームで働いていても、そこには極端な『賃金格差』が生じているため、自分のモチベーションを保ったり、無駄な軋轢を避けるためにも、お互いの年収は聞かないのが不文律です」と述べています。


雑談のNG05「『宗教』の話は無理に避ける必要はない」では、著者は「日本のビジネスマンは、『海外の相手と雑談をする時は宗教の話は避けるべき』と考えていますが、僕はそれが正解とは考えていません。中途半端な知識を披露したり、その是非を議論するのは問題外ですが、相手とビジネスをするのであれば、雑談を通して、きちんと話をしておく必要があるからです。相手がイスラム教の人であれば、お祈りの時間とビジネスが重なった場合、どのように対応すればいいのか、あらかじめ知っておく必要があります。ヒンドゥー教の人であれば、基本的には肉を食べませんから、ランチや会食の前に事前にチェックしておくことが求められます」と述べます。

100文字でわかる世界の宗教』(ワニ文庫) 

 

宗教についてダイレクトな質問をするのではなく、「どのような日常を過ごしていますか?」「食べられないものはありますか?」「お酒は飲みますか?」と聞けば、知りたい情報は得ることができると指摘して、著者は「『ビジネスの場だから宗教の話はNG』なのではなく、相手を尊重して、不快な思いをさせないために、聞くべきことはきちんと聞くという姿勢が大事です」と述べるのでした。そのあたりは、わたしの監修書である100文字でわかる世界の宗教(ワニ文庫)などが参考になるのではないかと思います。

 

雑談のNG06「『下ネタ』で距離感が縮まることはない」では、わたしの業界にもいるのですが、日本のビジネスマンには、雑談で「下ネタ」を話したがる人がいます。その数はさすがに時代と共に減っているとは思いますが、中高年層には少なからず生き残っているようです。著者は、「男性同士であれば、下ネタを話題にすることで、お互いの距離感が縮まったように感じられます。その場に女性がいても気にすることはなく、女性も楽しんでいるだろうと勝手に思い込んでいる人もいます。残念ながら、どちらも勘違いであることは、すでに世の中の常識になっています」と述べます。



おわりに 「リモートワークの増加が雑談の重要性を浮き彫りにした」では、ビジネスの場における雑談では、どんな話をする場合でも、次の4つのポイントを常に意識することが大切であるといいます。
(1)相手を驚かせないレベルの「自己開示」をして、自分という人間を知ってもらう
(2)好奇心を持って、相手の「人間性」や「人となり」を知ろうとする
(3)「信頼関係」の構築が目的であることを忘れない
(4)相手と「ラポール」を作れているか、客観的な目で観察しながら話す
こうした雑談を丁寧に積み重ねていくことが、ビジネスで成果を生み出すための「原動力」となるといいます。本書は、非常にわかりやすく雑談の効果やその生かし方について説明しており、勉強になりました。

 

 

2024年5月3日 一条真也

『いつも「話が浅い」人、なぜか「話が深い」人』

いつも「話が浅い」人、なぜか「話が深い」人: 「あの人は深い」と言われる話し方 (詩想社新書, 38)

 

一条真也です。
毎月1日は、サンレー北九州の本部会議後に昼食会を開きます。食後は、コーヒーを飲みながら全員が3分ほどのショート・スピーチをするのが習慣です。人前で話をするのはなかなか難しいものですが、わが社の幹部社員はみんな話が上手なので、感心しています。スピーチといえば、『いつも「話が浅い」人、なぜか「話が深い」人』齋藤孝著(詩想社新書)が参考になります。「『あの人は深い』と言われる話し方」というサブタイトルがついています。著者は1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、明治大学文学部教授。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。文化人として多くのメディアに登場。著書多数。


本書の帯

 

本書の帯には、著者の顔写真とともに「話の『深さ』は人間の『深さ』だ」「年相応の深さを身につけたい人から、日ごろ浅い話にうんざりさせられている人にまで、『浅い話』の正体を解き明かす」「続々重版!」書かれています。また、カバー前そでには、「私たちのまわりにあふれる『浅い話』」として、「『当たり前のことばかり述べる話』『ポイントを押さえていない掘り下げ方の甘い話』『具体性がなく、終始、漠然とした話』『思い込みが強くて視野の狭い話』『ものを知らない、知識のない人の話』『思いつきだけで、思考の形跡がない話』『人生観のない話』『普遍的視点がない話』・・・・・・これら『浅い話』の問題点を解き明かし、『深い話』をする技術を説く」と書かれています。


本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
まえがき「あなたのまわりの『浅い人』」
「展開力」を伸ばす 第1章
話の「浅い人」、「深い人」の違いはここだ
「本質把握力」を鍛える 第2章
本質がわかっている人は、やっぱり深い
「具体化力」を引き出す 第3章
深い人は「エピソード」をもっている
「深さ」を伝える実践編 第4章
「あの人は深い」と言われる話し方の技術

 

まえがき「あなたのまわりの『浅い人』」では、著者は「すでに知っていることや、当たり前のことばかりを述べる話、大事なポイントを押さえていない掘り下げ方の甘い話、具体性がなく、終始、漠然とした話、思い込みが強くて視野の狭い話、ものを知らない、知識のない人の話、思いつきだけで、思考の形跡がない話、人生観が感じられない話、・・・・・・などなど、これらは、聞き手に『浅い』という印象を与えてしまうものです」と述べます。

 

第1章「話の『浅い人』、『深い人』の違いはここだ」の「話の深さ、浅さは人間の『深さ』、『浅さ』である」では、「話が浅い」、「話が深い」という印象は、その話者の人間性に対する印象ともつながってくる部分だから重要だとして、著者は「つまり、浅い話ばかりをする人は、『浅い人』とみなされてしまうことが多く、知識や情報に乏しいというだけでなく、場合によっては思考力も浅く、知的ではない印象を聞き手の人にもたらしてしまいます。一方、深い話をする人は、『あの人の話は示唆に富んでいる』、『あの人の話は刺激的だ』と、まわりから興味や好感を抱かれるものです。深い思考力を備えていて、ものごとの本質を知っている人という印象も与えますから、まわりからも一目置かれることになります」と述べています。

 

「『深い話』をするために必要な3つの能力」では、聞き手側に変化を促す「深い話」をするためには、大きく分けて以下の3つの能力が必要になってくるとして、著者は「ひとつ目は『展開力』です。情報力、知識力と言い換えてもいいかもしれません。まず大前提として、薄っぺらな話に終わらないだけの情報量と知識量が必要になります。それを自分なりに入手して、話を推進していく展開力を身につけないと、深い話を構築していくことはできません。そして2つ目が、『本質把握力』になります。上っ面をなぞっているだけの話では結局、何も相手の心には残りません。核心の部分、本質をつかみ、それを提示する力があると話はどんどん深いものになっていきます。最後の3つ目は、『具体化力』です。『提案力』と言い換えてもいいかもしれません。話が抽象的なものに終始してしまうと、結局、聞き手の心までは動かせません。具体化したり、エピソードとして話に加えることで、深い話となっていきます」と述べています。



「インターネットは、コメント欄を読むと話が深くなる」では、自分とは別の視点の情報を収集する場合、役に立つのがネットニュースであると指摘し、著者は「時事問題などについて話す際は、特に便利です。ネットのニュース記事をいくつか照合すると事の詳細を知ることができますが、それ以上に、各ニュースに付属しているコメント欄が重要だといえます」と述べます。そこに載っているコメントは、必ずしも客観的で、すべて事実に即しているとは言い切れませんが、自分とは違った別の視点を手っ取り早く知るにはとても有意義なものです。これまでまったく思い浮かばなかった別の意見に、気づかされることもよくあることだといいます。

 

 

「引用によって話はどんどん深くなる」では、教養について語られています。教養とは、さまざまな知識や古典に対する造詣の深さであって、努力して学べば、誰にでも身につけることができるものであるとし、その意味で、深さを手に入れるもっとも手っ取り早い方法が、教養力をつけるということだと指摘します。その上で、著者は「教養力を身につけるには、『古典』を読むことがお勧めです。たとえば、古典といわれるものを100冊読んでいれば、かなり教養があるというレベルだと思います。とりあえず3冊でもいいので、とにかく古典デビューするのが先決です」と述べています。

 

 

また、著者は古典の中でも、論語が特に使い勝手のいいものだと考えているそうです。これには、わたしも全面的に賛成です。著者は、「教養は、ひけらかすものではなく、こぼれ落ちてしまうものです。日常生活のなかにあるほとんどの情報には、賞味期限があります。2~3週間もすれば、更新されていたり、過去の話となっていることがほとんどです。しかし、古典の教養というものは、いつまでも鮮度が落ちず、時代によらず本質を突いているものばかりです」と述べています。

 

 

「新書、手引書を活用して『古典デビュー』しよう」では、著者は以前、渋沢栄一とフランクリン』致知出版社)という本を書いたことを紹介します。渋沢栄一は日本の資本主義の父であり、ベンジャミン・フランクリンアメリカ建国の父といわれる政治家、物理学者です。この2人のことを学ぶと、実は2人がともに、資本主義の問題点を、その黎明期から意識していたことがわかります。金儲けに走りやすく、富が一部の人に偏在しやすいことを防ぐために、ともに、道徳心の重要さを説いています。著者は、「こういった共通点から2人を掘り下げようと、私は前記の本を書いたのですが、このように、ひとつ知っているものが増えると、別の何かと関連して、知識のネットワークがどんどん広がっていくものなのです。ネットワークができると、さらに理解が深まり、記憶にも定着します」と述べます。

 

 

「話し手と聞き手の知識差が『深さ』を生む」では、著者が大学院生のときに先生に言われたそうですが、論文を書く際は、同じテーマで原稿用紙1枚でも書けるし、30枚でも書ける、500枚でも書けるようにしなさい。それが、「わかっている」ということだと言われたそうです。著者は、「本当にその通りで、私も500枚、一生懸命に書いたものです。そうして書いたものを、今度は30枚に短くする必要が出てきたときには、当然、省略もしなければならないのですが、とても中身の深い30枚になります。やはり、全体で60枚のものを30枚にするよりも、500枚のものを30枚にするほうが意味の含有率が高い、深いものとなります。このように、深い話を展開するためには、その背景にどれだけの知識と情報のストックをもっているかが重要になってくるのです」と述べます。


「『歴史』を盛り込むことで出る深み」では、歴史を学ぶのであれば、日本史と世界史をリンクさせながら両方を学ぶことを訴えます。たとえば、織田信長豊臣秀吉徳川家康の時代は、世界史ではイングランドの黄金期を築いたエリザベス1世(在位・1558~1603年)の時代でもあります。この時期、イギリスはスペイン無敵艦隊を破り(1588年)、その勢力を拡大していきます。日本も豊臣秀吉が朝鮮へと出兵(1592~93年、1597~98年)しました。しかし、その後、イングランドは海を越えて世界支配への道を進んでいきましたが、日本は朝鮮出兵をとりやめ、世界への門戸を閉ざす方向へと向かっていきます。


このように、日本史と世界史の知識をつながりで整理していると、記憶にとどめるときも容易になるといいます。また、日本史だけの知識であれば、それに精通していたとしても単にマニアとしてとらえられることもありますが、守備範囲が世界史まで広がっていると、教養のある人という印象になるといいます。日本の高校では、世界史という科目があり、多くの高校生が力を入れて勉強していますが、このような国は、実は世界では多数派ではないそうです。「これは世界に誇れる部分といってもいいでしょう」として、著者は「世界史とは、現在を読み解く最強のカギです。特に時事的なテーマを深く語る際には、必要な教養といえるでしょう」と述べるのでした。

 

 

第2章「本質がわかっている人は、やっぱり深い」の「『本質』とは斬新なものより『一見、平凡なもの』にある」では、中庸に言及。中庸とは、一見、平凡なものに見えるかもしれませんが、さまざまな意見を包摂し、ものごとの本質をとらえたものであるということができます。多くの人の納得を得ることができる絶妙のバランスであり、そこには、考え抜かれた深みがあると指摘し、著者は「中庸の大切さは、孔子も『中庸の徳たるや、それ至れるかな』という言葉を残し、いくつかある徳のなかでも、中庸が至高の徳であると指摘しています」と述べています。

 

 

古代ギリシャの哲学者、アリストテレスも『ニコマコス倫理学』の中で、中庸の徳を説いています。たとえば、「勇」とはどのような状態かといえば、それが極端に少ないと「臆病」になり、過剰であると「蛮勇」となります。臆病と蛮勇の間のちょうどいいくらいのところに「勇」があるとして、著者は「このように2千数百年前から、どちらかに偏ることのない絶妙なバランスとしての中庸が、徳というものの中心に置かれていました。そして現代でも、深みのあるものの見方や、大人としての『深さ』は、中庸であることが体現するものといえます」と述べています。

 

 

「複雑さのなかにも深さはある」では、深さとは「具体的かつ本質的」なものにあると指摘されます。それは、とてもシンプルでわかりやすい表現でありながら、そこに本質が示されていると、それが深さとなって聞き手には伝わるという意味です。しかし、そのようなわかりやすさ、シンプルさとは対極の、難解さ、複雑さにも、深さを感じさせる力があることも確かであるとして、著者は「たとえば、ガブリエル・ガルシア=マルケスの著した長編小説『百年の孤独』などはその典型です」と述べています。

 

 

「○○ワールド」というようなものを構築しているような複雑さ、難解さに、深さを感じる場合には、そこに解釈の多様性を許すような意味の広がりがあるといいます。ゲーテは自身の作品『ファウスト』について、『ゲーテとの対話』のなかで、この作品はどこかぼんやりとしていてつかみどころがなく、そこが人を惹きつけるのだろうといった趣旨のことを言っていると紹介し、著者は「『深さ』とは、発信者だけではなく、受け手が考え出しているものでもあるといえます。受け手が勝手に解釈に解釈を重ねて、感じ取っているという側面もあるのです。ただし、そうした多様な解釈を可能にするテキストは誰もが書けるものではなく、それができるのが、文学者ということになります」と述べるのでした。

 

 

2024年5月2日  一条真也

5月度総合朝礼

一条真也です。5月になりました。
ゴールデンウィークの最中ですが、1日の午前8時45分から、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールにおいて、サンレー本社の総合朝礼を行いました。

5月度総合朝礼前のようす

最初は、もちろん一同礼!

社歌斉唱のようす


登壇して待遇改善を発表しました

 

一同礼の後、全員で社歌を斉唱しました。
その後、社長訓示の時間となり、わたしが登壇しました。まず、わたしは社員のみなさまの待遇改善の実施(内容は企業秘密!)を発表しました。企業の目的は存続にあります。そして事業を円滑に推進するためには、優秀かつ多様な人材を確保し、人材力を強化することが欠かせません。社員のみなさまの待遇改善に取り組み、より安心して働くことができる環境を整備することは、お客様に対するサービス向上につながるものと考えております。わが社は引き続き、人的資本への投資を行うとともに、みなさまのモチベーションを高めることで、中長期的な成長と企業価値の向上に努めてまいります。


R&R本を紹介しました

 

それから、わたしは最新刊の2冊の著書ロマンティック・デスリメンバー・フェス(ともに、オリーブの木)を掲げて紹介しました。そして、以下のように話しました。このたび、2冊の新刊を上梓しました。まず、33年前にコンセプトとして提案した「ロマンティック・デス」について。わたしは、「死を美化したい」、さらにいえば「死は美しくなければならない」と思いました。なぜなら、われわれは死を未来として生きている存在だからです。未来は常に美しく、幸福でなければなりません。もし未来としての死が不幸な出来事だとしたら、死ぬための存在であるわれわれの人生そのものも、不幸だということになってしまいます。わたしは不幸な人生など送りたくありません。幸福な人生を送りたいと思います。

「死のロマン主義」を訴えました

 

わたしたちは、この世に生を受けた瞬間から「死」に向かって一瞬も休まずに突き進んでいます。だからこそ、残された時間を幸福に生き、幸福に死にたい。これはわたしだけではなく誰もが願うことでしょう。言うまでもなく、わたしたち全員が「死」のキャリアです。ならば、あらゆる人々が「死のロマン主義」を必要としているのではないでしょうか。死は決して不幸な出来事ではありません。なぜなら、誰もが必ず到達する「生の終着駅」だからです。死が不可避なら、死を避ける、あるいは死を考えないのではなく、素晴らしい終着駅にするべきではないでしょうか。


前向きな死生観を持とう!


熱心に聴く人びと

 

わたしは「終活(終末活動)」を「修活(修生活動)」と言い換えています。人生を修めるという意味です。でも、相変わらず「死」はタブー視されています。人々は、死を恐れています。今こそ、人生の終着駅である「死」を考え、死までの「生」を充実させるべきではないでしょうか。わたしは「死」を考えることは人生をゆたかにする、心をゆたかにする行為であると信じています。死の不安や恐怖を乗り越えるために、前向きな死生観を現代人はもつべきではないでしょうか。

三たび、「ロマンティック・デス」を提案!

 

ロマンティック・デス』には3つのテーマを与えました。まず第1は「死」です。人間にとって永遠の謎であり、不可知の死をイメージするための手助けになればという思いからです。第2は「月」としました。死後の世界観を示す試みです。そして、第3は「葬」です。現代社会における「葬」の役割を、変わらないものと、変えていくべきものとの両面でとらえ直しました。誰もが幸福な死生観をもつことができる「ロマンティック・デス」を目指し、いま三たび、このコンセプトを提案します。


リメンバー・フェス」とは何か?

 

次に、「リメンバー・フェス」とは何か?
それは供養のアップデートです。日本人は古来、先祖の霊に守られて初めて幸福な生活を送ることができると考えてきました。その先祖に対する感謝の気持ちを形で表したものが「お盆」です。一年に一度帰ってくる先祖を迎えるために迎え火を焚き、各家庭の仏壇でおもてなしをしてから、送り火によってあの世に帰っていただくという風習は、現在でも盛んです。「春秋の彼岸」も同じですが、この場合、先祖の霊が戻ってくるというよりも、先祖の霊が眠っていると信じられている墓地に出かけて行き、供花・供物・読経・焼香などによって供養します。


なぜ、先祖を供養するのか?


熱心に聴く人びと

 

それでは、なぜこのような形で先祖を供養するのかというと、もともと2つの相反する感情からはじまったと思われます。1つは死者の霊魂に対する畏怖の念であり、もう1つは死者に対する追慕の情。やがて2つの感情が1つにまとまっていきます。死者の霊魂は死後一定の期間を経過すると、この世におけるケガレが浄化され、「カミ」や「ホトケ」となって子孫を守ってくれる祖霊という存在になります。かくて日本人の歴史の中で、神道の「先祖祭り」は仏教の「お盆」へと継承されました。

この想い、Z世代へ届け!

わが社は冠婚葬祭互助会です。毎年、お盆の時期には盛大に「お盆フェア」を開催して、故人を供養することの大切さを訴えています。しかしながら、家族葬をはじめ、直葬、0葬といったように葬儀や供養に重きを置かず、ひたすら薄葬化の流れが加速している日本にあって、お盆という年中行事が今後もずっと続いていくかどうかは不安を感じることもあります。特に、Z世代をはじめとした若い人たちは、お盆をどのように理解しているかがわかりません。お盆をはじめとした年中行事は日本人の「こころの備忘録」であり、きわめて大切な意味があります。


R&Rで死生観のevolutionを!

 

「お盆が古臭い」「形式的なものでなぜあるのかわからない」「お盆って夏休みじゃないの?」「お盆なんかなくなってもいいのでは」などの声もあるかもしれません。でも、わたしは先祖を供養してきた日本人の心は失ってはいけないと思っています。お盆という形が、あるいは名前が現代社会になじまないなら、新しい箱(形)を作ればいいのではないかと思いました。それが、ディズニー・ピクサーのアニメ映画の名作「リメンバー・ミー」からインスパイアされた「リメンバー・フェス」です。


最後に道歌を披露しました

 

Z世代にも届くように世に放った「リメンバー・フェス」という新コンセプトは、きっと、「お盆」のイメージをアップデートし、「供養」の世界そのものを大きく変えることでしょう。最後に、「インド映画に『RRR』という名作がありますが、ロマンティック・デスリメンバー・フェスで、死生観と葬儀と供養のレボリューションを起こそうではありませんか。これが、サンレー流RRRです!」と言ってから以下の道歌を披露しました。

 

弔ひと供養のかたち変われども
  亡き人想ふこころ変わらず 庸軒

 

「今月の目標」を唱和

最後は、もちろん一同礼!

 

その後は「今月の目標」を全員で唱和し、最後はもちろん「一同礼」で総合朝礼を終えました。この後は、恒例の北九州本部会議を行います。コロナ禍以降も、わが社は黒字の確保はもちろん、ベストを尽くして走ってきました。おかげさまで昨年は創業以来最高益を出すことができました。今年も、1月から好調なスタートを切ることができました。どうか、全社員の「こころ」を1つにして、最後まで前向きに走り抜きたいです!

 

2024年5月1日 一条真也

『60歳からはやりたい放題[実践編]』

60歳からはやりたい放題[実践編] (扶桑社新書)

 

一条真也です。
『60歳からはやりたい放題[実践編]』和田秀樹著(扶桑社新書)を読みました。ブログ『60歳からはやりたい放題』扶桑社新書)で紹介した本の続編です。ジャスト60歳の還暦者であるわたしには貴重な情報満載でした。著者は、1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒。東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学学校国際フェローを経て、現在は精神 科医。国際医療福祉大学教授。ヒデキ・ワダ・インスティテュート代表。一橋大学国際公共政策大学院特任教授。川崎幸病院精神科顧問。著書多数。

本書の帯

 

本書の帯には、「これさえやれば大満足人生!」と大書され、「肉を食え!」「健康診断を受けるな!」「遺産を遺すな!」「若作りをしよう!」「前向きで毎日が楽しくなる60の具体策」「ベストセラー『60歳からはやりたい放題』の進化版!」と書かれています。帯の裏には、「60歳以降の不安が解消!」「残りの人生を幸せに生きるには?」とあります。

本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
第1章 我慢しない食事こそ、健康の源
第2章 医者や健康診断に騙されるな
第3章 若作りで老化を食い止めよう
第4章 好きな趣味に没頭して前頭葉を刺激すべき
第5章 やりたい仕事を気楽に楽しむ
第6章 お金を使いまくって幸せに
第7章 他人を気にせず自分の人生を生きる!

 

「はじめに」では、日本人は不安を感じやすい国民性のため、「こういう病気になったら困るから節制しよう」「老後、金銭的に困ったら嫌だから節約しよう」などという懸念から、自分が本当にやりたいことにブレーキをかけてしまいがちであるとして、著者は「『認知症やがんなど病気の恐怖』や『老後2000万円問題』など、シニア世代の恐怖を煽る情報ばかりが蔓延するメディアの風潮も、その傾向に拍車をかけています。それゆえ、『急にやりたい放題にしろと言われても、老後のことを考えるととても無理だ』と思う方も多いかもしれません。ただ、長年にわたって老年精神医学に携わり、医者として数多くの高齢者を診察してきた身からすれば、『老いを過剰に恐れず、人生を楽しむ姿勢を持ち続ける人こそが、健康的で、かつ幸せに生きている』と強く確信をしています」と述べています。



第1章「我慢しない食事こそ、健康の源」のコツ1「週に1回は気持ちがワクワクする大好物を食べよう」では、30年以上にわたって高齢者を専門とする医師として、さまざまな患者と触れ合った末に著者が思うのは、60歳以降を幸せに生きられるかどうかは「老いとどのように向き合い、付き合っていくか」だといいます。そして、老いと向き合う中で、最も重要な要素は「食」であるとして、著者は「年を取ると食が細くなり、食べることをおざなりにする人も少なくありません。ですが、食べ物をおろそかにすると、その後の人生の質(Quality Of Life:QOL)が大きく低下してしまいます」と述べます。



「食生活の我慢がもたらす免疫機能の低下」では、日本人の死因は、1位ががん、2位が心疾患であることが紹介されます。一生のうちに、がんだと宣告される確率は、男性が65.5%で、女性は51.2%です。つまり、日本人の2人に1人以上は、人生で一度はがんだと宣告される時代なのです。著者は、「がんは老化現象の一部なので、長く生きていけば誰かしらどこかが、がん化することは避けられません。ただ、免疫機能を高めることで、それを遅らせることができます。だからこそ、私たちが注意するべきは『いかに免疫機能を落とさずにキープして、がんを予防するか』です」と述べています。



実際、健康を気にし過ぎて、高カロリーなものを控え、味の薄いものばかり食べていると、食事にワクワクできません。すると、脳にとって、食事が「楽しい行為」だと思えなくなってしまうとして、著者は「60歳以降は、とにかく『脳を喜ばせること』が大切なので、おいしいものを食べて楽しむほうが理に適っています。いま、『食べたい』とあなたの頭に浮かんだものを食べることは、脳へ良い刺激になります。ぜひ、好物を最低でも週1回は食べて、脳を喜ばせる時間をつくってあげてください」と述べます。



コツ2「『塩分』は控え過ぎなくていい」では、塩分は人が活動をする上では、欠かせない存在であることが指摘されます。塩分に含まれるナトリウムは、神経の伝達や筋肉の収縮、体内の水分バランスや細胞の浸透圧の調整などの役割を担っているため、不足すると疲労感や食欲低下といった現象につながりかねません。さらに怖いのが、意識の混濁を招くことだそうです。体内のナトリウムを一定に保つ役目を担うのは腎臓ですが、年齢を重ねると腎臓の動きが弱り、ナトリウムを過剰に体外へと排出してしまい、血中のナトリウム濃度を下げ過ぎてしまうことがあるとして、著者は「すると、起きてしまうのが、頭がぼんやりする意識障害や、疲労感、頭痛などの症状。道を歩いている途中、意識が遠のき、気が付いたら道に座り込んでしまったり、そのまま意識を失って、転倒して骨折したりするリスクもあります」と述べています。



コツ3「毎食ご飯一杯は食べて糖分を摂取」では、炭水化物に含まれる糖分は頭や体を動かすのに必須のエネルギーであることが指摘されます。特に、脳は、炭水化物に含まれるブドウ糖を唯一のエネルギー源としているため、炭水化物をしっかり摂らないと頭に十分な栄養素が行き渡らず、低血糖になって、頭がぼーっとしてしまいます。著者は、「頭がよく働かなければ、脳は活力を失って行動力が失われるし、日々の幸福感も下がります。そして、幸福感が下がれば、ストレスがたまり、免疫機能も下がる・・・・・・という負の悪循環にハマっていきます。



毎食、主食を減らすとしても、ご飯だと1杯分、食パンだと1枚、麺類だと1人前分くらいは食べるほうが、体には良いそうです。「糖分を摂取して認知症を予防」では、糖は認知症予防にも効果があると訴え、著者は「事実、高齢者専門の総合病院である浴風会病院に勤務していた頃、病院内では『糖尿病の人はアルツハイマー認知症にならない』という共通認識がありました。実際に糖尿病の患者さんの多くは、年齢から考えると格段に頭もしっかりしていて、受け答えもはっきりしているという印象でした」と述べるのでした。



コツ4「コレステロールを目の敵にしない」の「コレステロールは“幸せホルモン”の運び屋」では、意外と知らない人が多いのですが、実はコレステロールは、体にとって邪魔者どころか、欠かせない存在であると指摘します。まず、コレステロールは男性ホルモンの材料になるため、活力を維持したい人には必須の栄養素だといいます。特に男性は、男性ホルモンが不足すると、一気に老化が加速するとして、著者は「60代以降は、同じ年でも見た目や性格にびっくりするほどの個人差が出ますが、コレステロール不足による男性ホルモン不足が大きく影響するでしょう。見た目も行動も『しょぼくれた高齢男性』になりたくないと思うのであれば、コレステロールを避けるべきではありません」と述べています。



コレステロールは、免疫細胞の材料になる上、“幸せホルモン”と言われるセロトニンを脳へ運ぶ役割があります。血液中のコレステロールが不足すると、脳内セロトニンが減り、気持ちの落ち込みなどの症状を引き起こすと考えられるとして、著者は「私自身、精神科医として数多くのうつ病の患者さんを診断してきましたが、コレステロール値が高い人のほうが、うつ病からの回復は圧倒的に早いです。コレステロールを我慢してストレスを感じるよりは、多少のコレステロールは気にせずに、食べたいものを思い切り食べるほうが、健康に生きられる体づくりができるはずです」と述べます。



コツ5「何より大切なたんぱく質は『体重×1.5g』の摂取を目安に」では、60代以降が毎日必ず摂取してほしい栄養素がたんぱく質であると指摘。たんぱく質は、筋肉はもちろん、内臓や骨、歯、肌などの原料になります。たんぱく質が不足すると、内臓の機能がどんどん衰えていくし、筋肉や骨も弱ってしまうし、肌もハリを失い、一気に老けた印象を与えます。その他、たんぱく質は免疫機能を維持する物質の材料になるので、不足すると免疫機能が衰えてしまいます。著者は、「年を取ると風邪をこじらせて、肺炎などを起こして亡くなる高齢者が多いのは、たんぱく質の不足で免疫機能を弱らせてしまうのも一因です」と述べています。



世界で最初に平均寿命が50歳を超えたのは、世界でも肉食と乳製品の消費量が多いことで知られるオーストラリアとニュージーランドでした。その後、20世紀の初めにアメリカやヨーロッパなどの肉や乳製品を食べる文化が根付いた国々の平均寿命が50歳を超えます。さらにその50年後となる戦後、日本人もたんぱく質をたくさん摂るようになり、ようやく日本人の平均寿命が50歳を超えました。長生きするためには、たんぱく質の摂取が欠かせないのです。



コツ6「毎日、一食は『肉』を食べましょう」では、数あるたんぱく質の中でも、肉は男性ホルモンを活発化し、人を行動的にする働きがあると指摘します。2022年に90歳になられた登山家として知られる三浦雄一郎さんは、その若々しさや活力の多さで知られる人物ですが、いまだに500gのステーキをペロリと平らげるそうです。その他、99歳まで生きた作家の瀬戸内寂聴さんや105歳までご存命だった医者の日野原重明さんも大の肉好きであったことが紹介されています。



第2章「医者や健康診断に騙されるな」のコツ12「健康診断の数値を気にする必要はない」では、健康診断そのもは悪くないのですが、問題は、多くの人が健康診断の数値を過剰に気にし過ぎることだといいます。著者は、「日本では労働安全衛生法によって、会社が従業員に健康診断を受けさせる義務があるため、大半の人が年に一度は健康診断を受けています。診断を受ければ、嫌でも自分の体の数値を知らされます。そして、診断結果が異常値だった場合、正常値に戻すために、お酒をやめ、脂っこい食事を控え、運動して、薬を飲んで・・・・・・と生活習慣や食生活を見直す人が大半です。しかし、多くの人が重要視している健康診断の基準値ですが、実は当てになりません。厳しい言い方をすれば、意味のない数字ばかりです。実際、日本の健康診断は検査項目が50~60個近くありますが、科学的なエビデンスがあるものは5個程度しかありません」と述べています。これは初めて知りました。



コツ13「将来を気にし過ぎるほうが不健康」では、健康診断の正常値にこだわり過ぎだと指摘しています。逆効果になる代表例と言えば「血圧」だといいます。血圧は、140/90mmHgが一般的な上限値とされています。著者は、「世の中では高血圧は良くないとされているので、仮に141mmHgという基準値から少しだけ高い血圧が測定された場合、多くの人は少しでも数値を下げようと一生懸命になります。でも、血圧が高いと本当に健康や寿命に害を及ぼすのかというと、現代の医学では未知の部分も多いのです。むしろ、年を取ってからは、多少血圧が高いほうが健康であるとも私は思っています」と述べています。



「未来の医学に期待するのも1つの選択」では、10年、20年後には、医学がいまよりもっと進歩している可能性があることが指摘されます。iPS細胞を用いて動脈硬化が治ったり、腎臓などの内臓が代替可能になる可能性も十分にあります。著者は、「そう考えると、将来を気にし過ぎていまをストレスフルに過ごすよりは、未来の医学に期待して、食べたいものを食べ、やりたいことをする人生を選ぶことも、1つの選択ではないでしょうか」と述べます。これは、確かに一理ありますね。何より、不治の病に冒されたからといって絶望したり、自ら命を絶つようなことは絶対に避けるべきだと思いました。



コツ15「がんにおびえず心の準備をしておく」の「がんが見つかっても『治療しない』選択肢もある」では、医師の間では、「シニア世代にとっては、がんは最も幸せな病気」と言われることもあると紹介されます。若い人ががんにかかるとまだ細胞が若いので進行が速いのですが、シニア世代の場合、症状はゆっくり進むことが多いもの。そのため、治療をせずに放置していても、亡くなる直前まではさほど体力も落ちず、痛みも感じません。がんがつらい病気だと思われるのは、抗がん剤治療や手術が大変だからこそだというのです。著者は、「がんを患った場合は、突然、亡くなるわけではないので、死ぬまでの間、自分の人生でやり残したことや気になっていることを整理する時間もあります。それゆえ、患者さんの中には『つらい治療はせず、残りの日々を最大限、楽しく生きていきたい』という選択をされる方も少なくありません」と述べます。



第4章「好きな趣味に没頭して前頭葉を刺激すべき」のコツ38「友達がいなくても趣味さえあれば問題なし」では、孤独について考察されます。著者自身は、孤独は悪いものではないと思っているそうです。孤独は時間がたてば次第に慣れていきますし、人間はこの世に生まれ落ちてから死ぬまで、結局1人でしか生きられません。「友達がいなければいけない」「仲間がいないのは不安だ」という強迫観念を捨てさえすれば、周囲に仲の良い人がいなくても、意外と気楽に生きられるものだとして、著者は「仕事などのしがらみがないなら、気の合わない人と付き合って、変なストレスをためる必要などないのです」と言い切っています。



第6章「お金を使いまくって幸せに」のコツ47「お金をバンバン使って幸せに」では、「資本主義社会で幸せなのは『お金をたくさん使う人』」として、勘違いしている人が多いのですが、資本主義社会において、「お金をより多く持っている人」が幸せになれるわけではないと指摘します。それよりも「お金をより多く使った人」のほうが幸せになれるというのです。さらに、自分の楽しみにお金を使うことで、そのワクワク感から前頭葉も活性化し、老いを遅らせることにもつながります。また、お金を使って富を周囲に循環させ、自分も他人も喜ばせることができた人は、他人から好かれるわけです。



コツ52「老後資金は『夫婦2人で1400万円』が目安」では、老後のお金の問題と言えば、わたしたちの印象として残っているのが「老後2000万円問題」ですね。ただ、この「2000万円」という数字について、あまり気にする必要はないそうです。なぜなら、この数字は、2017年の高齢夫婦無職世帯の平均収入から、平均支出を差し引くと、毎月5.5万円分赤字になるため、毎月の赤字を30年間分として、総額2000万円が足りなくなるという計算を元に、導きだされた平均値に過ぎないからです。このような知識は、読者にとって非常に重要であると思います。



経済ジャーナリストの荻原博子氏と対談した際、著者は「実際に介護を経験した人がかかった費用は、1人平均600万円」という数値を知ったそうです。医療費にしても、日本には高額療養費制度があるため、仮に高額な医療を受けてもさほどお金がかからないので、費用として200万円ほど見ておけば良いとのこと。つまり、介護費用2人分で1200万円と医療費200万円分。夫婦で合計しても1400万円あれば、最低限の介護・医療用の蓄えとしては十分だそうです。さらに、家を売るなりリバースモーゲージなどを使えば貯金はそれ以下でもいいことになるのです。



第7章「他人を気にせず自分の人生を生きる!」のコツ55「人間関係で『勝ち負け』を気にしない」では、「あの大谷翔平選手を批判する『勝ち負けを気にし過ぎる人』」として、大谷選手は実力のみならず、努力家かつ謙虚なその人柄の素晴らしさが多くのメディアを通じて伝わってくると指摘。まさに誰もが認める規格外のヒーローです。ただ、誰からも愛され、尊敬されるそんな大谷選手に対しても「彼の成績はすごいが、幸運にも立派な体に恵まれただけだ」「どうせ彼は野球のことしか知らない野球ばかだ」などと、悪口を言う人もいるとして、著者は「大谷選手のような素晴らしい人に対しても悪口を言う人は、おそらく人生の勝ち負けから離れられない人なのだと思います。そうなれば、どんな人を目の前にしても批判しか出てきません」と述べています。



学歴が高い人を見たら、「あの人は偉そうにしている」。お金持ちの人を見たら、「あの人は悪いことをしてお金を儲けているはずだ」。いつでも友達に囲まれている人を見たら、「あの人は八方美人だから嫌だ」。何を見ても自分と比べてしまい、「負けている」と思ったら、何かしらの理由をつけてケチをつけたくて仕方がない。ただ、こうした人は、当然周囲からは当然、嫌われます。若い頃ならまだ「まぁ、若いから仕方ない」と許されたかもしれませんが、60代で同じことをやっていたらあきられるのは当然だとして、著者は「さらに、次から次へと優れた人が現れるたびに、常に劣等感にさいなまれるので、精神的にもつらいものがあります。ならばいっそ、すべての勝ち負けを捨てて、『この人はここがすごい』と素直に受け入れてみてはどうでしょうか。批判をやめてみるだけで、その先の人生はぐっと生きやすくなるはずです」と述べるのでした。



コツ58「『かくあるべし』という思考を手放そう」では、「なぜ怒りを感じてしまうのか」という高齢者特有の問題が取り上げられます。それは、常識的で真面目な人であればあるほどに「人とはかくあるべし」という思考が強くなってしまうからだといいます。「かくあるべし」思考が強くなると、どうしても他人にも「こうあってほしい」という気持ちが強くなるとして、著者は「『かくあるべし』という思考は長い人生の中で徐々につくられていきます。若い頃はそのしっかりとした自分を律する強い姿勢が仕事や家庭で生かされたと思うのですが、年を重ねてからの「かくあるべし」思考は周囲との摩擦の原因になりかねません。もし『自分は少し怒りっぽいタイプかもしれない』『他人に厳しい傾向がある』と感じる人は、いまからでも遅くはないので、何事も『ほどほど』という思考を身に付けてください」と述べています。



コツ60「大きな1つの喜びより、小さなたくさんの喜び」では、大切な人を失ったとき、何か受け入れられないような不幸な出来事が起こったとき、「もう駄目だ」と落ち込んでしまう気持ちは分かるとしながらも、著者は「ただ、落ち込むことで余計、自分が苦しくなってしまう。ならば、どこかで思い切りをつけて、別の楽しいことを考えるほうがいいのです」と述べます。著者は、「私の個人的な意見ですが、大きな幸せを一個持っているよりも、小さな幸せをたくさん持っている人のほうが落ち込みは少ないように思います。何か落ち込むようなことがあっても、この先の人生には数々の小さな幸せが自分を待っている。そう思うと、自然と気持ちも明るくなるのではないでしょうか」と述べるのでした。



本書には、高カロリーなものも食べていいし、塩分も糖分も摂取していいし、アルコールも飲んでもいいと書かれています。また、あまり体型にこだわらず、小太りぐらいがちょうどいいというのが著者の持論です。「これは楽でいいや!」と思ったのは、わたしだけではありますまい。しかし、健康診断は受けるな、医者から貰った薬は飲むなという類のメッセージは、「これは鵜呑みにして大丈夫かな?」と、ちょっと心配になりました。著者は医師とはいっても精神科医ですので、このへんは読者も各自でしっかり調べられた方がいいと思います。

老福論』(成甲書房)

 

しかしながら、精神科医ならではの「こころ」に関する部分は大いに共感できました。特に、脳が喜ぶこと、具体的には前頭葉に刺激を与えることの大切さを訴えている部分に感銘を受けました。わたしの場合は、読書と映画鑑賞とカラオケがそれに当たる行為だと思います。最後の「大きな1つの喜びより、小さなたくさんの喜び」の内容も全面的に賛成です。そう、拙著老福論(成甲書房)でも訴えたように、「老い」について考えることは「幸福」について考えることなのです。本書を読んで、そのことを再確認しました。

 

 

2024年5月1日 一条真也