一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「仕」です。

 

鉄道ガード下の居酒屋などで、酔ったサラリーマンがチューハイか何かを片手に後輩にクダを巻いています。「どうせ俺たちなんか、会社の歯車だからよー!」との言葉が聞こえます。まことにありふれた光景ですが、このような光景にふれると、わたしはいつも腹が立ってきます。会社員が会社の歯車なのは当たり前の話ではないですか。部下だって上司だって、いや社長だって会社の歯車です。



仕事であれスポーツであれ、組織を構成する個々人は、すべて歯車なのです。大リーグのイチローも、サッカーの本田圭佑も、みんなチームの歯車でした。でも、彼らは単なる伝達歯車ではなく、チームを動かす駆動歯車でした。わたしは毎年の入社式の際に新入社員に向けて、「あなた方は会社の歯車です。でも、自ら会社を動かすような歯車になって下さい」と訴えかけます。会社人は、組織の歯車であることを強く自覚し、歯車に徹することによって、会社のなかで光り輝くのです。

 

 

そして、上司とは部下に仕える歯車です。少し前から、「サーバント・リーダーシップ」という言葉をよく聞くようになりました。上司は部下の成功に奉仕すべきだとするリーダーシップ・モデルです。古代から「優れたリーダーは、自らに仕える者に仕える」という知恵は存在しました。歴史上、天性のリーダーとされた人々の記録を見ると、そこから「リーダーの権力と権限は下の者から与えられる」という真理が導き出されてきます。

 

 

「顧客の時代」である現代、顧客と直接的に接する現場スタッフの存在が重要になってきます。すると、リーダーシップの核心は、いかに組織メンバーたちを自分に従わせるかということから、いかに顧客接点に従事する人々に貢献するかという方向へと移行するのです。アメリカの地方代理店から世界第三位の旅行会社へと急成長したローゼンブルース社は「顧客第2主義」という一見ショッキングな経営理念を持っています。では、何が第一かというと、社員です。「企業は顧客でなく、社員を第一に考えるべきだ」という基本理念によって、同社はわずか30年で実に売上げ300倍にまで成長したのです。


「顧客はそれをどう感じているのか?」といぶかる人もいるでしょう。企業にとって社員が第一でも、社員にとってお客様はもちろん最優先です。ローゼンブルース社は、アフタヌーン・パーティーやランチタイム学習といった社員を重視する数々の具体策をもって、顧客サービスにおいて確固たる評判を築きました。リーダーの仕事とはサービス業であり、上司は部下の成功に奉仕すべきなのです。なお、「仕」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

龍馬とカエサル

龍馬とカエサル

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2023年1月25日 一条真也

 

一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「用」です。

 

 

人使いに関しては、やはり中国の古典のなかに至言が多いです。例えば、『老子』には、「善く人を用いる者はこれが下となる」とあります。人使いの名人は相手の下手に出るのだというのです。また老子は、力を誇示したり乱用したりせず、どんな相手にも謙虚な態度でへりくだる「不争の徳」を持てば、逆にリーダーとして人に立てられると主張しました。『通俗編』には、「疑わば用うるなかれ、用いては疑うなかれ」とあります。「疑ったら使うな、使ったら疑うな」の意味ですが、人使いの真髄でしょう。信頼のおけない人間は初めから登用するな、これはと見込んで登用したら、とことん信頼して使えというのです。



わが国における人使いの名人といえば、まず徳川家康の名が思い浮かびます。家康は、常に「人材の用い方は、まずその人間の長所を取らなければならない。これは、良い医者が薬を用いるのに似ている。下手な医者は、病人の病状にお構いなく、やたら薬を調合するが、これは間違いだ。良い医者は、病状に合わせて、最も効く薬を少量調合する。人の使い方も同じである」と言っていたそうです。また家康は、こうも言っていました。「人間には、それぞれ耳の役、口の役、鼻の役を果たすような機能がある。長所短所があるし、能力も違う。鷹は空を飛ぶからこそ鷹であって、鵜は水に入るからこそ鵜である。鵜に空を飛ばせ、鷹に水をくぐらせるのは愚である。しかし、そういう使い方をする上役が多いのは悲しむべきことである」とも。



さらに家康は、以下のように言いました。
「人を用いるときに、ふたつのことを注意すべきだ。ひとつは、賢を尊ぶことである。もうひとつは能を生かすことである。生まれつき、謙虚な忠誠心を持って主君に奉公し、ものに接しても寛容温厚で自分の才能を鼻にかけない、聡明で事務に熟達する者は、仕事を任すべきである。これが賢を尊ぶということである。また非常に優れた才能を持っている人材がいるとする。しかしその行動は必ずしも立派ではない。しかし、それを抜擢して使うべきである。それが能を使うということだ。能を持つ人間は、得てして驕りたかぶり、人格的にも問題が多いが、そういうことを気にせず大いに登用することが必要であろう」



家康は、これらの言葉を実践しました。本多正信鷹匠から、大久保長安能楽師から登用されました。本多は、徳川幕府草創期の優秀な国家経営者となり、家康を助けました。大久保は優れた民政家となりました。日本の鉱山を発掘し、家康に日本中の金銀を献じたのも大久保でした。 家康は偉大な「人間通」であったと言えるでしょう。なお、「用」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。

 

龍馬とカエサル

龍馬とカエサル

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2023年1月25日 一条真也

最強寒波の中の朗報

一条真也です。
最強の寒波が到来している北九州で寒さに凍えています。すると、冷凍怪獣ぺギラじゃなくて、朗報が来ました。「晴れ着に墨汁?かけた疑いで会社員逮捕 二十歳の記念式典で」という毎日新聞配信のニュース記事です。

ヤフーニュースより

 

記事は、「北九州市で8日にあった『二十歳の記念式典』で参加女性の晴れ着に墨汁のような黒い液体をかけたとして、福岡県警小倉北署は24日、同市若松区大池町、会社員、平井英康(よしのり)容疑者(33)を器物損壊容疑で逮捕した。調べに対し『そのようなことはしていない』と容疑を否認しているという。逮捕容疑は8日午前11時15分ごろ、同市小倉北区北九州メディアドーム近くのコンビニ店内で、同市在住の女性会社員(20)が着ていた着物の裾や帯などに黒い液体を振りかけたとしている。同署によると、同じ式典の参加者から同様の被害届が10件出されており、いずれも被害者の後ろから黒い液体がかけられたとみられる。平井容疑者の手口と似ており、同署は余罪を追及する方針。【林大樹】」と書かれています。



犯行場所がコンビニというのは意外でしたね。コンビニといえば、ブログ「時代は、コンパッション!」で紹介したACジャパンの素晴らしいCMの舞台ではないですか! それから、逮捕された人物が33歳というのも意外でした。もっと若い、それこそ20歳の若者か、反対に世を恨んでいるような老人が犯人ではないかと想像していたからです。33歳とは、また中途半端な年齢ですね。でも、もう事の善悪がわかる分別はついている年齢で、もしこの容疑者が犯人ならば、同じ日本人として情けない限りです。犯行の動機が気になります。とにかく捕まって良かったです。ですが、被害に遭われた方々のお気持ちを思うと許せません。器物損壊というよりも心を傷つけた罪の方が重いです。なにしろ、一生に一度の「晴れの日」を台無しにされ、心に深い悲嘆が残ったのです。その方々の心のケアがきちんとされることを願うばかりです。

ヤフーニュースより

 

それにしても、小倉北署はよく見つけましたね。全国的に有名な広域指定暴力団を壊滅に追い込んだり、さすがは日本最強の警察署です。今回も、見事なファインプレーでした。ヤフーニュースのコメント欄の中には、犯人に被害者の悲しみに応じた罰を与えてほしいというものが多いです。中には「(墨汁を)誰か犯人に頭からかけてあげて」といったものもありましたが、もしこの人物が犯人ならば、頭からかけるどころか飲ませたいと思う人も多いことでしょう。ともかく、今後の報道に注意していきます。



2023年1月24日 一条真也

最強寒波はぺギラのせい?

一条真也です。
10年に1度の強烈な寒波が日本に襲来しています。北日本から西日本の日本海側では大雪となり、たった1日で1メートル近くの雪が降る所もあるそうです。

ヤフーニュースより


サンレー本社の駐車場に雪が降る


サンレー社長室の窓から

 

北九州もマイナス3℃の気温で、雪が降っています。サンレー本社の窓の外は吹雪です。今日24日は、日本付近は次第に強い冬型の気圧配置となり、明日25日の寒気のピークには、上空約1500メートル付近でマイナス18℃以下の寒気が東北南部まで、九州南部や四国、関東南部にはマイナス15℃以下の寒気が流れ込むとのこと。



これは10年に1度ともいえる強烈な寒気です。このため、広い範囲で大雪や厳しい寒さに見舞われる見込みだそうです。こんな最強寒波が来るなんて・・・・・・わたしは、「まるでぺギラが来たみたいだな」と思いました。ぺギラとは、日本初の怪獣特撮TVドラマである「ウルトラQ」の第5話に登場した冷凍怪獣です。身長40メートル、体重20000トン。もともとは南極に生息しており、現地を訪れた観測隊にマイナス130℃にも達する反重力光線などで、大きな被害を与えました。その皮膚は厚さ30センチで現代兵器の攻撃を一切意に介しません。


今夜はDVDでぺギラの雄姿を拝みます!

 

ぺギラの弱点は「ぺギミンH」という物質でした。それが搭載されたミサイルにより一度は撃退されるものの、後に真夏の東京に出現。その回のサブタイトル「東京氷河期」の通り、強烈な寒波による大被害をもたらしました。しかし、この回でも最後は「ペギミンH」を積んだセスナ機の特攻により撃退され、東京から逃げ去りました。いずれのエピソードにおいても、ぺギラは撃退こそされたものの最終的に死亡はしていません。倒す手段が存在しない風船怪獣バルンガを除けば、「ウルトラQ」怪獣で最強と推すファンも多いそうです。今夜は、寒さに震えながら「ウルトラQ」のDVDを観て、ぺギラの雄姿を拝みます!

 

2023年1月24日 一条真也

「ファミリア」 

一条真也です。
23日の夜、コロナシネマワールド小倉で日本映画「ファミリア」のレイトショーを観賞。ハリウッド映画で、わたしが好きな某作品の日本版といった感じでした。現代日本社会は血縁も地縁も薄くなって「無縁社会」などと呼ばれますが、その中での人と人との繋がりを描いていました。


ヤフーニュースの「解説」には、こう書かれています。
「生まれ育った環境や国籍を超えて家族になろうとする人々を描く人間ドラマ。陶器職人と海外で暮らすその息子、在日ブラジル人青年らが、強い絆で結ばれていく。『いのちの停車場』などの成島出が監督を務め、『凪の海』などのいながききよたかが脚本を担当。『峠 最後のサムライ』などの役所広司大河ドラマ「青天を衝け」などの吉沢亮をはじめ、オーディションで選ばれた在日ブラジル人のサガエルカスやワケドファジレ、室井滋松重豊、MIYAVI、佐藤浩市らが出演する」

 

ヤフーニュースの「あらすじ」は、以下の通りです。
「陶器職人として一人山里に暮らす神谷誠治(役所広司)を、仕事でアルジェリアに赴任中の息子・学(吉沢亮)が、婚約者ナディアと共に訪れる。一時帰国した学は、結婚を機に仕事を辞めて陶器職人になるというが、誠治はそれに反対する。一方、誠治が暮らす隣町の団地に住む在日ブラジル人のマルコス(サガエルカス)は、以前助けてもらった誠治に亡き父親の面影を重ねていた」


ひょんなことからマルコス(サガエルカス)というブラジル人青年を助けた神谷誠治(役所広司)と息子の学(吉沢亮)は、在日ブラジル人たちが住む団地で開かれた屋外パーティーに招待されます。それは近所の人々が集まって、料理を作って、酒を飲んで、歌って踊る・・・・・・・まさに「隣人祭り」でした。隣人祭りといえば、前日に観たブログ「非常宣言」で紹介した韓国映画にも登場しました。2日続けて、たまたま観た映画に「隣人祭り」が登場したことに、わたしは驚きました。シンクロニシティというより、何か大きな潮流を感じます。もともと「映画は時代の予言者である」と考えているわたしですが、人と人との繋がりを断ち切られたコロナ禍の時代を経て、アフターコロナには「隣人祭り」が世界的に流行するかもしれないと思いました。その屋外パーティーで、誠治と学の親子はブラジル人中年女性たちから「ハンサムな2人ねえ」とモテモテでした。それもそのはず、役所広司吉沢亮の親子なら最強のイケメン親子ですね!


隣人祭り」が登場する映画といえば、クリント・イーストウッドが監督・主演した「グラン・トリノ」(2009年)を思い出します。イーストウッドの監督作品の中でも最高傑作と呼び声の高い作品です。妻に先立たれ、息子たちとも疎遠な元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)は、自動車工の仕事を引退して以来単調な生活を送っていました。そんなある日、愛車グラン・トリノが盗まれそうになったことをきっかけに、アジア系移民の少年タオ(ビー・ヴァン)と知り合います。やがて二人の間に芽生えた友情は、それぞれの人生を大きく変えていくのでした。朝鮮戦争従軍経験を持つ気難しい主人公が、近所に引っ越してきたアジア系移民一家との交流する姿が感動的でしたが、その舞台が「隣人祭り」だったのです。民族や国籍が違っても、一堂に会して、食べて飲んで、歌って踊る。「隣人祭り」には、あらゆる差異を無化して、人々を一体化させる力があります。


隣人の時代』(三五館)

 

拙著『隣人の時代~有縁社会のつくり方』(三五館)で詳しく紹介しましたが、「隣人祭り」は近所の人々との縁、すなわち地縁を強化するイベントです。地縁と並んで大切なのが血縁です。すなわち、家族であり、先祖です。現代人はさまざまなストレスで不安な心を抱えて生きています。ちょうど、空中に漂う凧のようなものです。そして、わたしは凧が最も安定して空に浮かぶためには縦糸と横糸が必要ではないかと思います。縦糸とは時間軸で自分を支えてくれるもの、すなわち「先祖」です。この縦糸を「血縁」と呼びます。また、横糸とは空間軸から支えてくれる「隣人」です。この横糸を「地縁」と呼ぶのです。この縦横の二つの糸があれば、安定して宙に漂っていられる、すなわち心安らかに生きていられる。これこそ、人間にとっての「幸福」の正体だと思います。


グラン・トリノ」では、アジアの移民一家は悪党どもに狙われますが、「ファミリア」でもブラジル人たちが半グレどもに狙われます。問題解決に主人公が乗り出す点、またその手段も含めて、「ファミリア」には明らかに「グラン・トリノ」の強い影響が見られます。そう、役所広司は和製クリント・イーストウッドを演じたわけです。役所広司は今や世界的にも有名な日本を代表する俳優ですが、「ファミリア」では初老の陶器職人の役でした。彼はじつは孤児で、児童養護施設の出身でした。同じ施設の出身である刑事を佐藤浩市が演じていましたが、2人の競演は素晴らしかったです。役所が67歳、佐藤が62歳ですが、どちらも人生の悲哀を表情や仕草に表しており、何よりも「間」が秀逸でした。今や人気絶頂で「国宝級イケメン」などと呼ばれる吉沢亮も、この2人の存在感と色気の前には影が薄くなっていましたね。



「ファミリア」で渋い父親役を演じた役所広司ですが、この日のコロナシネマワールド小倉では、「ファミリア」の上映前に、同じく役所広司が父親役の新作映画の特報がスクリーンに流れました。「銀河鉄道の父」です。役所が宮沢賢治の父を演じ、菅田将暉、森七菜と親子役で初共演。ブログ『銀河鉄道の父』で紹介した門井慶喜氏の小説の映画化です。門井氏が大量の宮沢賢治資料の中から父・政次郎について書かれた資料をかき集め、賢治の生涯を、父親の視線を通して活写しました。同作は究極の親子愛を描いた傑作として、第158回直木賞を受賞した。わたしは、この本を読んで大変感動しました。それで、拙著『心ゆたかな読書』(現代書林)でも取り上げています。映画「銀河鉄道の父」は「ファミリア」と同じく成島出監督作品です。「家族」がテーマというのも共通していますね。5月5日公開とのことで、絶対に観ます!


結魂論』(成甲書房)

 

「ファミリア」に話を戻しましょう。
誠治の息子・学は、アルジェリア人女性のナディアが結婚します。ナディアも誠治と同じく孤児でした。彼女の両親はアルジェリアの内戦で命を落としたのです。親しい友人たちも、次々と亡くしました。悲しい思いをたくさんしてきたにもかかわらず、ナディアはいつも幸せそうに笑います。そんな彼女を「本当にいい子だ」と誠治は温かく迎えるのでした。故郷に帰ってきた学が、誠治に向かって「ここで家族を作りたいんだ。父さんも一緒に」、「遠く離れた土地で話す言葉も、育った環境も違うのに、俺たちは家族になるんだ。世界ってすごいね」と言います。そう、家族を作ることは新しい世界を作ること。これほど偉大なことはありません。そして、その偉業は結婚という営みから始まるのです。拙著『結魂論〜なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)で詳しく述べましたが、「結婚は最高の平和である」というのが、わが持論です。「ファミリア」を観て、改めてそれを強く思いました。


いま、「結婚は最高の平和である」と言いました。その最高の平和を脅かすものこそテロであり、戦争です。アルジェリアに帰った学とナディアの夫婦はテロに巻き込まれ、人質になります。それを日本で知った誠治の狂乱ぶりは見ていて辛いものがありました。敵国の兵士ならまだしも、何の関係もない第三国の民間人を人質にしたり、ましてや殺害する非道は絶対に許せません。そして、人質の安否を心配する家族の憔悴ぶりを見るにつけ、人質解放の目的で現地に乗り込んで行く者こそ最高のヒーローだと思いました。過去に、日本にもそんなヒーローがいました。アントニオ猪木です。1990年の湾岸危機で、突如クウェートに侵攻したイラクは、当時クウェートにいた日本人41人などを人質としてイラクに連行・国外移動禁止処分にしました。政府間の人質解放交渉は難航しましたが、猪木がイラクで「平和の祭典」を行うことを発表。外務省はこれに難色を示しましたが、猪木は個人で費用を負担してトルコ航空機をチャーター、関係者や人質被害者41人の家族46人と共にトルコ経由でバグダードへ入った。このイベントの開催後に、在留日本人と全人質が解放されたのです。


猪木といえば、ブラジル移民として知られます。父の会社が倒産した猪木一家は、13歳の時に貧困を抜け出せるかもしれないという希望から、母親、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡り。、サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごしました。ブラジル移住後最初の1年半は、農場で早朝5時から夕方の5時までコーヒー豆の収穫などを中心に過酷な労働を強いられたといいます。「ファミリア」では、ブラジルの貧しい者たちが「日本で働ければ、3年で家が建つ」という甘い囁きに乗って日本にやって来たものの、直後にリーマン・ショックが起こって勤務先の会社が次々に倒産。ブラジル移民たちは地獄を見たわけですが、かつて猪木一家のように日本からブラジルに移住した人々も現地で地獄を見たのです。そんな地獄を見た猪木寛至少年が力道山に見出されて、日本でプロレスの人気者となり、後に政治家になってイラクの日本人人質の解放に尽力したことを思うと、なんだか泣けてきます。映画の中では、ブラジル人の青年たちから成る「GREEN KIDS」というグループが「脱獄」というラップ曲を歌っていましたが、なかなか良かったです。


ブログ「時代は、コンパッション!」に書いたように、わたしはもともとラッパーになりたいと思っていました。「たたくより、たたえ合おう。」というACジャパンの公共広告を見て、その想いが強くなりました。このCMの「たたくより、たたえ合おう。」というコピーは、まさに「コンパッション」そのものです。この秀逸なコピーに触発されて、わたしも「コンペティションよりコンパッション!」というコピーを思いつきました。「コンペティション」とは競争という意味ですが、「競い合いより、思いやり」というメッセージですね。かつて、わたしは「また会えるから」というグリーフケア・ソングを作詞したことがありますが、「コンパッション!」というラップ・ミュージックも作詞したいと思いました。Yo!Yo! コンペティションよりコンパッション♪ 競い合いより思いやり♪ Yeah!」といった感じです。(笑)先日、新宿の伊勢丹メンズ館で還暦用の赤いボルサリーノを買ったので、それを被ってパフォーマンスしたいYo!

ラップは、コンパッション・レッドで行きたいYo!

 

2023年1月24日 一条真也

「非常宣言」

一条真也です。
4月から新型コロナウイルス感染症法上の位置づけが季節型インフルエンザと同じ5類に引き下げられ、屋内でのマスクも義務化されなくなりそうです。緊急事態宣言だった時代がすっかり過去のものとなりましたが、22日の日曜日、シネプレックス小倉で韓国映画「非常宣言」を観ました。イ・ビョンホンソン・ガンホの韓国二大スター共演のこのパニック大作に非常に感動しました。わたしのための映画だとも思いました。なにしろ、この映画のオープニングとラストは「隣人祭り」のシーンなのです。また、最後にはドビュッシーの「月の光」が流れるのです!


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「2人の男性が大切な人を守るために奮闘する姿を描くパニックドラマ。妻が乗った便がバイオテロの攻撃を受けたことを知った刑事と、その便に乗り合わせた乗客が、テロを何とか食い止めようとする。監督などを務めるのは『ザ・キング』などのハン・ジェリム。『ベイビー・ブローカー』などのソン・ガンホ、『KCIA 南山の部長たち』などのイ・ビョンホンのほか、チョン・ドヨン、キム・ナムギル、イム・シワンらが出演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「娘とハワイに向かう飛行機恐怖症のジェイ・ヒョク(イ・ビョンホン)は、空港で自分たちにつきまとっていた若い男性(イム・シワン)が、同じ便に乗っていることに不安を覚える。飛行機が離陸して間もなく乗客の男性が死亡したことをきっかけに、乗客たちが次々と命を落としていく。一方、妻とのハワイ旅行をキャンセルした刑事のク・イノ(ソン・ガンホ)は、妻が乗った飛行機がバイオテロの標的になったことを知る」


「非常宣言」とは、飛行機が危機に直面し、通常の飛行が困難になったとき、パイロットが不時着などを要請することです。しかしながら、わたしたち日本人はどうしても、あの「緊急事態宣言」を連想してしまいますね。コロナ禍の中で企画された作品かと思いきや、以外にもコロナ前から構想はあったそうです。最近の岸田首相の外遊ではマスクをしていない首相が自由に行動する姿がテレビに映し出されましたが、いよいよ今年4月から日本でも屋内マスクの義務化がなくなりそうです。しかし、わたしは4月以降も、また完全にコロナ終息の宣言が出されても、常にマスクだけは携帯しておこうと思います。もちろん、飛行機や新幹線に乗るときは必ず携帯します。映画「非常宣言」の中で何が一番怖かったかといえば、致死率の高いウイルスが機内に蔓延しているにもかかわらず、乗務員も乗客も誰1人としてマスクを着けていないことでした。あと、アトピーの女の子が感染したと誤解され、無理やり隔離されるところがかわいそうでしたね。


ところで、昨年の一条賞(映画篇)の第1位(大賞)作品は、ブログ「トップガン マーヴェリック」で紹介したトム・クルーズの主演映画でした。戦闘機の飛行シーンが迫力満点のヒューマンドラマでしたが、本作「非常宣言」の旅客機の飛行シーンはそれに勝るとも劣らないド迫力でした。考えてみれば、戦闘機は1人乗りですが、旅客機は多くの乗客の生命を預かっています。パイロットが抱くストレスや責任感は旅客機の方が上かもしれません。その旅客機を乗っ取るハイジャックを描いた映画は無数にありますが、「非常宣言」に登場する航空機はテロリストによってバイオテロに遭います。昔ならバイオテロなどSFの世界の話でしたが、日本人は1995年の「地下鉄サリン事件」で日常の中で現実に起こり得るバイオテロの恐怖を身に沁みて知っています。ましてや、そこで使われるのが致死率の高い未知のウイルスとあれば、いまだ世界がコロナ禍の中にある現在、恐怖の度合いは高まります。


YouTubeにアップされた「非常宣言」の本編映像は、操縦不能になった飛行機が墜落していくシーンを収めています。犯人によってまかれたウイルスに操縦士が感染し、操縦不能となった機体は地上に向かって、旋回しながら急降下していきます。機内では、悲鳴が響き渡る中、天井に打ちつけられる乗客たち。機体の高度は下がり続け、着々と地上へと近づいて行きます。その後、本物の飛行機を使ってセットを作り上げたという、墜落シーンの撮影の裏側を収めたメイキングが映し出されます。実際の旅客機の機体に回転台を搭載した電動装置を設置し、機体を360度回転させるという韓国映画初の試みで撮影が行われたそうです。さらに、現職のパイロットを招き、セットのディテールを強化。飛行情報を入力するモニターの色味などかなり細かい部分まで実際のモデルを再現しているとか。手持ちカメラによる撮影手法で没入感と臨場感も作り出しており、ハン・ジェリム監督は「観客にこれは映画だと思って観てもらうのではなく、本当に飛行機に乗っているような気分になって映画を観てほしかった。それが手持ちカメラを選んだ理由だ」と語っています。


バイオテロで攻撃された韓国機は、最初はサンフランシスコ空港に着陸を試みますが、アメリカに拒否されます。次に成田国際空港に着陸しようとしますが、日本にも拒否されます。これを観たとき「反日映画か?」と思い、少し嫌な気分になりました。もちろん自国の国民の安全のためには受け入れの可否は賛否あるものの、日本ならダイヤモンドプリンセス号のケースのように受け入れるのではないかと思います。少なくとも、市街地上空で日本の自衛隊機が民間機に威嚇射撃したり、撃墜しようとしたりするなど有り得ないですね。しかし、韓国側は「日本の言い分も分からなくない」と責めていませんでした。それどころか、韓国でさえ着陸を拒否する人々が大半だったのです。ついには「着陸反対!」のプラカードを掲げたデモ隊が韓国中の空港に出現する始末。「デモ隊って、そんな数時間で組織できるの?」とツッコミたくなりましたが、母国の冷たい反応を知った機内の乗客たちは、「家族に感染させたくない」と思い始め、「着陸しなくていい」と言い出します。それを受けたパイロットのジェイ・ヒョク(イ・ビョンホン)は「着陸しない」と地上に宣言するのでした。


死を覚悟した乗客たちは、スマホで家族にテレビ電話をかけ、最後のメッセージを伝えます。娘に連絡した母親は「愛してるよ、幸せになって」と言い、祖母に連絡した女子学生は「おばあちゃん、いつもご飯を作ってくれたのに『まずい』なんて言って、本当にごめんなさい。もう一度、おばあちゃんのご飯が食べたいよ」と泣きながら伝えます。これを見て、わたしの涙腺は崩壊しました。家族を大切にする彼らの姿を見て、わたしは韓国に今も生きている儒教の精神性を感じました。そして、1985年8月12日に日本航空123便が群馬県多野郡上野村の山中ヘ墜落した航空事故を思い出しました。520名もの人命が奪われたこの事故では、墜落する最中、多くの乗客たちが家族へのメッセージを手書きのメモに残しました。現在ならスマホでテレビ電話もできるし、LINEもできますが、当時は手書きのメモを残すしか方法がなかったのです。


「非常宣言」では、機内で脅える女子高生たちも登場します。数人で身を寄せ合って泣きながら死の恐怖と戦う彼女たちの姿を見ながら、わたしは、韓国のセウォル号沈没事故を思い出しました。2014年4月16日朝、修学旅行中の高校生325人を含む一般の乗客と船員、計476人を乗せたセウォル号が海に沈みました。この事故は、乗客・乗員の死者299人、行方不明者5人、捜索作業員の死者8人を出し、韓国の海難史上最悪の惨事と言われています。事故原因については船体の故障や検査制度の不備、不適切な改造、過積載などが挙げられていますが、事故発生後の救助体制についても乗員や海洋警察の過失が問われています。本来は救助可能な事故であるにもかかわらず、多くの人命を失った悲劇でしたが、ひたすら船内で死の恐怖と戦い、最後はそのまま死ななければならなかった高校生たちの絶望と無念を思うと、今でも泣けてきます。わたしは、「非常宣言」に登場する女子高生たちと彼らの姿が重なって仕方ありませんでした。


「非常宣言」は、韓国映画です。これまで航空機の運航をベースとしたサスペンスなどの映画はハリウッド映画の独壇場でした。思いつく映画は多々ありますが、ブログ「ハドソン川の奇跡」で紹介した映画もその1つです。今やハリウッドの至高の存在となったクリント・イーストウッド監督の名作で、2016年に公開されました。2009年に実際に起こった「USエアウェイズ1549便不時着水事故」の真相を追ったドキュメンタリータッチの映画です。故障した航空機を米ニューヨークのハドソン川に無事着水させた出来事と、操縦していたサレンバーガー元機長のその後を描いています。ただ、この映画には一部フィクションがありました。事故後、トム・ハンクス演じるサレンバーガー機長が聴聞会にかけられ、激しい追及を受けるシーンです。実際には、米国では意図的な犯罪行為でない限り、パイロットの緊急的な操縦に対して罪を問うことはありません。監督のクリント・イーストウッドが映画的な盛り上がり(善人と悪人が必要)のために、サレンバーガー元機長に許可を取って演出したといいます。


映画「非常宣言」の最後には、ドビュッシーの「月の光」が静かに流れました。そのままエンドロールでも流れました。「月の光」はわたしの大好きな曲で、拙著「一条本」は、『慈経 自由訳』(三五館)のPVでも使いました。映画のテーマになったバイオテロの「バイオ」とは生物、つまり「いのち」ということです。『慈経』とは「いのち」のお経であり、仏教の開祖であるブッダの本心が、シンプルかつダイレクトに語られた教えです。ブッダは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる「慈しみ」の心を最重視しました。8月の満月の夜、月の光の下、『慈経』を弟子たちに説いたといわれています。数多くある仏教の諸聖典のうちでも、『慈経』は最古にして最重要なお経とされています。

慈経 自由訳』(三五館)

 

『慈経』で、ブッダは、すべての生きとし生けるものに対して「安らかであれ、幸せであれ」と言いました。「慈しみ」すなわち慈悲の心は英語で「コンパッション」と訳されます。映画「非常宣言」では、憎悪や差別や敵意をはじめ、さまざまな人間の負の感情も描かれましたが、慈悲や家族愛や友愛に代表される「コンパッション」も描かれました。そして、「コンパッション」は隣人愛にも通じます。映画の冒頭とラストシーンには、韓国の隣人祭りのシーンがあります。ラストの隣人祭りでは、ともに多くの人命を救ったイ・ビョンホン演じるジェイ・ヒョクとソン・ガンホ演じる刑事のク・イノが初対面を果たします。わたしは、深い感動をおぼえました。このような素晴らしい感動作を作れる韓国映画界は本当に凄いと思いました。迷うことなく、今年の一条賞の候補にしたいと思います。

 

2023年1月23日 一条真也

「そして僕は途方に暮れる」

一条真也です。
21日の夜、リバーウォーク北九州内のT‐JOYで日本映画「そして僕は途方に暮れる」を観ました。自堕落な日々を過ごすフリーターが、あらゆる人間関係を断ち切っていった結果、思わぬ結末を迎える物語です。学生時代に好きだったJ‐POPが主題歌と知って、なんとなく観たのですが、すごく面白かったです! 


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「映画化もされた『愛の渦』などで知られる三浦大輔が作・演出、アイドルグループ『Kis‐My‐Ft2』の藤ヶ谷太輔主演により2018年に上演された舞台を、三浦自身が映画化。ささいなきっかけから恋人や親友、家族などあらゆる人間関係を断ち切ろうとする青年の逃避行を描く。主演の藤ヶ谷をはじめ、前田敦子中尾明慶が舞台版から続投し、映画版新キャストとして『純平、考え直せ』などの毎熊克哉と野村周平、『深呼吸の必要』などの香里奈、『百花』などの原田美枝子、『今度は愛妻家』などの豊川悦司らが出演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「自堕落な生活を送るフリーターの菅原裕一(藤ヶ谷太輔)は、長年共に暮らしている恋人・鈴木里美(前田敦子)とふとしたことで口論になり、話し合うこともせず家を飛び出してしまう。それ以来親友、学生時代の先輩や後輩、姉、母のもとを渡り歩く彼は、気まずくなるとそこから逃げ出し、あらゆる人間関係から逃げ続けていく。行き場をなくして途方に暮れる裕一は、かつて家族から逃げた父・浩二(豊川悦司)と10年ぶりに再会する」

 

この映画の主人公・菅原裕一(藤ヶ谷太輔)は、絵に描いたようなクズ男です。それはもう、観ていてイライラするのを通り越して笑ってしまうほどのクズっぷり。この男に対して、恋人が怒る理由も、親友が怒る理由もよくわかります。姉や母はそれなりにクセがあって、裕一が逃げたくなる理由も少しは理解できますが、とにかく、すべては彼自身が悪い。悪いところはたくさんありますが、何よりも迷惑をかけた相手に対して「ごめんなさい」と、お世話になった相手に対して「ありがとう」が言えないことがよくないですね。「ごめんなさい」は謝罪の言葉、「ありがとう」は感謝の言葉、ともに一字にすれば「謝」ですが、人間が生きていく上で最も大切な言葉です。

人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)

 

「ごめんなさい」や「ありがとう」だけでなく、裕一は挨拶というものが苦手です。拙著『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)にも書いたように、挨拶は人間関係の要です。人は一人では生きられません。「人間」の文字そのものに、人の・あいだ・で生きる存在と示されています。人は必ず社会の中で他人と交わらなくてはならないです。そこで「人間関係」が非常に重要になってきます。人間関係において、挨拶ほど大切なものはありません。「こんにちは」などの挨拶によって、初対面の人も心を開きます。沖縄では「めんそーれ」という古くからの挨拶言葉が今でも使われています。「めんそーれ」は「かなみ」とも言われますが、これは挨拶が人間関係の要(かなめ)であることを意味します。挨拶が上手な人を「かなみぞうじ」と言い、「かなみかきゆん」は「挨拶を欠かさない」「義理を欠かさない」という意味だそうです。まさしく挨拶は人間関係の要なのですね。


裕一は困った事態になると、すぐ逃げます。逃げた先でまた困った事態になると、さらに逃げます。本当に筋金入りのクズなのですが、そんな彼が北海道・苫小牧の実家から逃げ出して雪が降る中をベンチに座っていたら、豊川悦司演じる父親の浩二に10年ぶりに再会します。この父親がまたクズ親父で、「この親にして、この子あり」といった感じです。自分が住むボロ・アパートに転がり込んだ裕一に対して、浩二は「お前に言っておく。いいか、逃げて、逃げて、逃げ続けろ。それで、どうしようもなく怖くなったら、映画の主人公にでもなったつもりで、こう思うんだ。『面白くなってきやがったぜ』って。これで、すべてが解決する」とアドバイスするのですが、これはなかなかの名言だと思いました。

 

 

この映画の主題歌である「そして僕は途方に暮れる」がヒットした1984年、"ニューアカの旗手"として知られた浅田彰氏の『逃走論』(勁草書房)という本がベストセラーになりました。「逃げろよ、逃げろ!」というメッセージの理論武装をした思想書でしたが、浩二の発言を聴いていて、この本の内容を思い出しました。『逃走論』は、「パラノ人間」から「スキゾ人間」へ、「住む文明」から「逃げる文明」への大転換の中で、軽やかに「知」と戯れるためのマニュアルとして注目を集めました。「パラノ」や「スキゾ」といった用語は、フランスの思想家であるジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリの共著『アンチ・オイエディプス』のなかで用いられ、これをバブル直前の1984年に浅田氏が『逃走論』の中で紹介したことがきっかけで流行し、その年の流行語大賞の銅賞にも選ばれました。浅田氏は「パラノ型」を「住むヒト」と定義し、「スキゾ型」を「逃げる人」と定義しました。すなわち張り巡らされたリゾームの中を縦横無尽に逃走するイメージです。スキゾ型はともすれば軟弱とか軽薄とかいったイメージで捉えられがちですが、「しなやかな感性と決断力を持った人」として捉えられたのです。

 

浅田氏の『逃走論』は映画「そして僕は途方に暮れる」の裕一のように居心地の悪い状況から実際に逃げ出すわけではなくて、あくまでも知的行為だと言えるでしょう。(『逃走論』の発表から40年後の現在から見ると、著者の浅田氏は京大アカデミズムの中にずっと定住し続けているパラノ人間のように思えて仕方ないのですが)。映画に話を戻すと、裕一がいくら逃げても解決策にはなりません。どれだけ逃げても、逃げても、その先に安住の地などはないのです。最後は裕一も逃げずに、迷惑と心配をかけ続けた恋人、親友、姉、母と向き合い、土下座して泣きながら「ごめんなさい」と言います。息子である裕一から「あんたのような人間にだけはなりたくない」とまで言われたクズ中のクズである浩二も、大晦日に家族のもとに帰ります。10年ぶりに家族4人が揃い、みんなで年越しソバを食べて(浩二と裕一はカップ麺でしたが、年が明けて、みんなで「あけまして、おめでとうございます!」と言い合う場面は感動的で、泣けました。


しかし、その感動も束の間。映画はそこで「THE END」とはなりませんでした。その後に、北海道から東京に戻った裕一に対して、前田敦子演じる恋人の里美から衝撃の告白をされます。その内容については、わたしは想像はついていましたが、人生を元通りに修復したいと願っていた裕一にとっては大変なショックな出来事でした。わたしは、前田敦子という女優について「演技が上手いのか下手なのかわからない」と思っていましたが、この告白シーンは迫真の演技でした。そして、映画全編を通して藤ヶ谷太輔の演技力が光りました。鼻水を垂らしながら号泣するというアイドルらしくないシーンには、彼の役者魂を感じましたね。それにしても、ジャニーズ事務所にはどうしてこんなに名優が揃っているのでしょうか。木村拓哉岡田准一二宮和也、そして最近では目黒蓮・・・・・・本当に、みんな素晴らしい役者です。藤ヶ谷太輔も含めて、一度、ジャニーズ名優総出演の映画を観たいですね!


本作のエンディングでは、1984年に大ヒットを記録した伝説の楽曲「そして僕は途方に暮れる」を大澤誉志幸本人が映画のための新アレンジで歌唱、この物語の余韻を心に刻みます。わたしは、詩人の銀色夏生が作詞したこの歌が大好きで、学生時代はよくカラオケで歌いました。大澤の5枚目のシングルですが、彼を代表するヒット曲となりました。その後も数多くのアーティストにカバーされています。オリコンチャートの最高順位は週間6位、累計28万2000枚のセールスを記録しています。大澤によると、もともと、この曲は「凍てついたラリー」というタイトルで、他の歌手へ提供する目的で作られた曲でした。最初は鈴木ヒロミツ、その後に鈴木雅之山下久美子にそれぞれこの曲が一旦提供されましたが、いずれもこの曲を歌う気配が一向に無く、その度に大澤の元へこの曲が戻され、最終的に銀色夏生の詞と組み合わせて、大澤自身が歌うことになったのでした。

 

プロデューサーの木崎賢治によると、この「そして僕は途方に暮れる」は、先に作った詞にメロディを付ける、いわゆる詞先で作られた楽曲だそうです。EPICソニーのプロデューサーの小坂洋二から銀色夏生を紹介され、大澤も銀色の独特な詞の世界を気に入ったため、当時大澤の楽曲の殆どを作詞するようになっていた銀色が、「そして僕は途方に暮れる」というタイトルで一度詞を書いたものの、大澤がうまく曲を付けられないまま保留となっていたとか。しかし、木崎はこのタイトルをすごく気に入っており、ずっと気になっていた詞だったため、アルバム制作中に大澤が曲作りに行き詰まった際、「凍てついたラリー」の最後の部分に、“そして僕は途方に暮れる”というフレーズがピッタリ入ることに木崎が気づいて、この曲に合わせて銀色が詞を書き直し、さらに大澤が大サビのメロディを書き足して最終形となったそうです。大澤自身もこの曲について、とても好きな曲だと述べています。1984年発売のシングルは当時、日清カップヌードルのCMソングに起用されて話題になりました。なつかしいですね!


2023年1月22日 一条真也