『ご先祖さまとのつきあい方』 

一条真也です。
23日は「彼岸明け」でしたね。
みなさん、お墓参りはされましたか?
今年1月末に上梓した『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)がおかげさまで好評ですが、同書では「先祖」という一章を設けて日本人の先祖崇拝について書いたところ、大きな反響がありました。その内容のベースは以前書いた本にありました。その本は、、48冊目の「一条真也による一条本」で取り上げる『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で、「お盆、お彼岸、墓参り、そして無縁社会を乗り越える生き方」というサブタイトルがついています。2010年9月19日に刊行されました。

f:id:shins2m:20210125161733j:plainご先祖さまとのつきあい方
(2010年9月19日刊行)

 

本書は、大きな話題を呼んだ『葬式は必要!』(双葉新書)の続編です。帯には、「日本人だから、大切いしたい。」と大書され、「『ご先祖さまに申し訳ない』『ご先祖さまが見ている』――おばあちゃんの言葉に孫たちは生きる指針を見つけた。墓参りの正しいやり方から、日常のすごし方まで、家族の『絆』を結ぶ、昔からのライフスタイルを1冊に」と書かれています。

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本書の帯 

 

カバー前そでに、「『こんなことをすれば、ご先祖さまに対して恥ずかしい』『これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない』こういった先祖や志尊に対する『恥』や『責任』の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。それが今、失われつつあることが、無縁社会を生み出す原因の1つになっています。(著者)」とあります。

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
 序文 先祖を忘れた日本人
    背筋が凍る2つの事件
    日本人がおかしい
    屈折した自己表現
    覚醒剤汚染が進行する国
    増加する児童虐待の実態
    大人たちも悩んでいる
    縁とは何か
    中村天風安岡正篤
第1部 先祖を愛してきた日本人
第1章 日本人にとっての先祖とは何か?
    仏教には無縁はない
    お盆が意味するもの
    神道の「先祖祭り」は、仏教の「お盆」へ
    「おかげさま」という日本人の感謝の気持ち
    日本人の「こころ」が、お盆を必要としている
    先祖崇拝という共通項
    柳田国男の『先祖の話』
    子どもこそが先祖である
    七五三とは何か
    子どもと老人はつながっている
    老人と子どもをつなぐ「ファーカンダ」
    翁と童を視野に入れる
    墓参りは必要!
    お盆は休みのためにある?
    仏壇は先祖とつながるメディア
    日本人における「家」の役割
第2章 感謝は先祖を思うことから生まれる
    婆さんで駄目だったら、次はご先祖さま
    動物には死の恐怖がない
    死の恐怖と自我
    感謝のサイクルに入る
    感謝こそ幸福への道
    誕生日に感謝の気持ちが芽生える
    母親の命と引き換えに生まれてくる?
    親こそが先祖
第3章 死なないための方法
    「死」を考える
    「孝」にこめられた意味
    「遺体」と「死体」
    孝から恩へ
    「おかあさん」と「おとうさん」の意味
    死者は二度死ぬ
    沖縄の先祖崇拝に学ぶ
    沖縄の生年祝に学ぶ
    酒と音楽が不可欠
第4章 葬儀と先祖供養
    先祖供養と儒教
    江戸時代につくられた仏教との結びつき
    色濃く残る儒教の影
    儒教では、どう違うのか
    清め塩が意味すること
    骨に現われる日本人の祖霊観
    混ざり合った日本の宗教
    「和」と「分」の文化
    「あれもこれも」の宗教観
第5章 日本人の宗教観
    日本人が実現した三位一体
    カミやホトケよりも祖霊が大切
    聖徳太子はキリスト以上?
    日本はチャンプルー文化
    「vs」ではなく「&」
    先祖供養こそ日本最大の宗教である!
    「先祖まつり」は日本人の信仰の根幹
    仏壇は心のホーム・セキュリティ
    仏壇を大切にする北陸人
    地震が来たら仏壇の前に行け
    先祖の役割とは子孫を守ること
第2部 提案!
    先祖とくらす生活のすすめ
第6章 家系を考える
    先祖を知ることは何を意味している?
    先祖が心を癒してくれる
    「文化装置」としての家系図
    長男以外にも家系図
    戸籍や名前が手掛かりに
    母方のルーツも調べてみよう
    両親は30歳のときに何をしていたのか
    家系図を調べること
第7章 年中行事の中のご先祖さま
    神事・仏事は先祖供養の中にある
    先祖と子孫がつながる人生儀式
    神事が学べる正月
    初詣で学ぶ神事
    仏事の年中行事、お盆
    盆踊りは必要!
    花火は先祖供養
    彼岸という仏事
    墓参りの作法
    月忌法要、年忌法要の意味
    仏壇は「見える化」のシンボル
第8章 その他の年中行事
    自らが「先祖」に近づく長寿祝い
    2つの「死の学び」方
    七五三こそ子孫の祭り
    厄払いも先祖の力を借りて
    結納は必要!
    クリスマスと先祖供養
    サンタクロースの正体
第9章 先祖とくらす14の方法
    給料の明細を神棚や仏壇に飾る
    食事が心を癒す
    掃除で身につく感謝の気持ち
    手元供養の重要性
    言葉の中で生まれる先祖供養
      先祖を想う14の方法
    1 仏壇にお茶をあげて、自分も飲む
    2 仏壇に花をあげて、ながめる
    3 仏壇のロウソクに火をともして、ながめる
    4 仏壇の線香に火をつけて、香りを嗅ぐ
    5 先祖の好物を自分も味わう
    6 先祖が好きだった歌をうたう
    7 先祖が愛読した本を朗読する
    8 先祖が生きた時代背景を調べる
    9 先祖が植えた木に触れる
   10 先祖ゆかりの地に行ってみる
   11 わが家の家系図を調べる
   12 わが家の苗字について調べる
   13 先祖に報告、相談する
   14 月を見上げる
第10章 先祖と隣人を大切にする
    日本人は必ず不幸になる?
    死は不幸な出来事ではない
    先祖、家族、隣人を大切にする
    今こそ、沖縄復帰しよう!
    柳田国男のメッセージ
「生命の輪は廻る~あとがきに代えて」
「参考文献」

 

本書は、「血縁」再生の書です。本書を書いた2010年は、「無縁社会」や「葬式は、要らない」という言葉が生まれた時代でした。わたしは、「『無縁社会』が叫ばれ、血縁が崩壊しつつある今こそ、日本社会のモラルをつくってきたはずの『先祖を敬う』という意識を復権しなければなりません」と書きました。仏壇、お盆、墓参り、先祖供養・・・・・・といった冠婚葬祭的ガイドから、家紋、苗字、系図等の知識、そして心穏やかになる家族の暮らし方まで、一貫して「先祖とともに日々を暮らす」ライフスタイルの哲学を記しています。

 

わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちに他なりません。その流れを意識したとき、何かの行動に取り掛かる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは次のように考えるのです。「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」・・・こんな先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。

 

いま、わたしたちに必要なのは先祖を意識し、先祖とくらす生活です。別に特別なことをすることではありません。日常生活の中で、先祖を意識してほしいということです。本書には、簡単に実行できる先祖を意識する方法がたくさん紹介されています。わたしたちは、先祖とつながっています。ぜひ、それをもう一度意識して生きてみませんか。そんなライフスタイルを提案する本が本書です。

 

村上春樹氏といえば、日本を代表する作家です。ノーベル文学賞に一番近い日本人とも言われています。新作を書くたびに驚異的なベストセラーとなり、ますますそのカリスマ性を高めています。2010年、彼はエルサレム賞を受賞しました。イスラエルガザ地区攻撃で多くのアラブ人が死亡したこともあり、イスラエルには国際的な批判が高まっていました。

 

当然、そんな国の文学賞を受賞した村上氏もいろいろと言われました。多くの人々は「辞退すべきだ」と主張しましたが、彼はあえて受けました。そして、エルサレムに出かけ、二月十五日に英語で受賞スピーチを行い、その中で「高く堅牢な壁と、そこにぶつかれば壊れてしまう卵があるなら、私は常に卵の側に立とう」と語りました。彼の言葉は、一人の作家の勇気ある平和のメッセージとして有名になりました。言うまでもなく、「壁」とは体制であり、「卵」とは一般民衆をさしています。

 

 

もちろん、この言葉も多くの人々に深い感動を与えた素晴らしいメッセージですが、わたしにはスピーチの中の次のくだりが非常に印象に残りました。英語で語られた言葉を意訳すると、以下のようになります。
「わたしの父は、去年90歳で亡くなりました。父はもと教師でしたが、たまに僧侶の仕事もしていました。京都の大学院にいたときに徴兵された彼は、中国戦線に送られました。わたしは戦後に生まれましたが、父の毎朝の習慣を目にすることがよくありました。彼は、朝食の前に自宅にある小さな仏壇に向かい、長いあいだ深く真剣な祈りを捧げるのです。なぜ、そんなことをするのか。一度、彼に尋ねたことがありますが、そのとき、『すべての人々のために祈っている』と答えました。そして、『味方も敵も関係ない。戦争で亡くなった人全員の冥福を祈っている』と言いました。仏壇の前に座った父の背中をながめながら、父の周囲には死の影が漂っているような気がしました」

 

村上春樹にご用心

村上春樹にご用心

 

 

この村上春樹氏の言葉を聞いたとき、わたしには1つの謎が解けたような気がしました。その謎とは、「なぜ、村上春樹の文学には、つねに死の影が漂っているのか」ということです。実際、彼の作品にはおびただしい「死」が、そして多くの「死者」が出てきます。哲学者の内田樹氏は『村上春樹にご用心』(ARTES)の中で、「およそ文学の世界で歴史的名声を博したものの過半は『死者から受ける影響』を扱っている。文学史はあまり語りたがらないが、これはほんとうのことである」と述べています。そして、近いところでは村上春樹のほぼ全作品が「幽霊」話であるというのです。もっとも村上作品には「幽霊が出る」場合と「人間が消える」場合と二種類ありますが、これは機能的には同じことであるというのです。このような「幽霊」文学を作り続けてゆく村上氏の心には、きっと、すべての死者に対して祈りを捧げていた父上の影響があるのかもしれません。それは、「死者との共生」という意識につながります。

 

決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)
 

 

日本にはもともと祖霊崇拝のような「死者との共生」という強い文化伝統がありますが、どんな民族の歴史意識や民族意識の中にも「死者との共生」や「死者との共闘」という意識が根底にあると思います。2009年に逝去したSFの巨匠アーサー・C・クラークは、名作『2001年宇宙の旅』(ハヤカワ文庫)の「まえがき」に、「今この世にいる人間ひとりひとりの背後には、三0人の幽霊が立っている。それが生者に対する死者の割合である。時のあけぼの以来、およそ一千億の人間が、地球上に足跡を印した」(伊藤典夫訳)と書きました。クラークがこの作品を刊行したのは1968年ですが、わたしにはこの数字が正しいかどうか知りませんし、また知りたいとも思いません。それよりも問題なのは、わたしたちの傍には数多くの死者たちが存在し、わたしたちは死者に支えられて生きているという事実です。

 

多くの人々が孤独な死を迎えています。亡くなっても長いあいだ誰にも発見されない「孤独死」、葬儀に誰1人として参列者のいない「孤独葬」も増加しています。このような今日、わたしたちに必要なのは死者たちを含めた大きな「魂のエコロジー」とでも呼ぶべき死生観であると思います。病死、餓死、戦死、事故死、自死孤独死、大往生・・・・・・これまで、数え切れない多くの人々が死に続けてきました。わたしたちは常に死者と共生しているのです。絶対に、彼らのことを忘れてはなりません。死者を忘れて生者の幸福などありえないと、わたしは心の底から思います。

 

では、死者を忘れないためにはどうすべきか。お盆やお彼岸に先祖供養をするのもよし、毎日、仏壇に向って拝むのもよし。でも、わたしは1つの具体的な方法を提案したいと思います。その「死者を忘れない」方法とは、宗教の枠も民族の壁も超える方法です。それは、月を見るたびに、死者を思い出すことです。わたしは、いつも行なっていますが、実際に夜空の月を見上げながら亡くなった人を想うと、本当に故人の面影がありありとよみがえってきます。わたしは、月こそ「あの世」であり、死者は月へ向かって旅立ってゆくと考えています。

 

 

世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きていました。そして、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えるでしょう。人類において普遍的な信仰といえば、何といっても、太陽信仰と月信仰の2つです。太陽は、いつも丸い。永遠に同じ丸いものです。それに対して月も丸いけれども、満ちて欠けます。この満ち欠け、時間の経過とともに変わる月は、人間の魂のシンボルとされました。つまり、絶対に変わらない神の世界の生命が太陽をシンボルとすれば、人間の生命は月をシンボルとします。

 

人の心は刻々と変化変転します。人の生死もサイクル状に繰り返します。死んで、またよみがえってという、死と再生を繰り返す人間の生命のイメージに月はぴったりなのです。地球上から見るかぎり、月はつねに死に、そしてよみがえる変幻してやまぬ星です。また、潮の満ち引きによって、月は人間の生死をコントロールしているとされています。さらには、月面に降り立った宇宙飛行士の多くは、月面で神の実在を感じたと報告しています。月こそ神のすみかをイメージさせる場所であり、天国や極楽のシンボルともなります。

 

「葬式仏教」という言葉があるくらい、日本人の葬儀や墓、そして死と仏教との関わりは深く、今や切っても切り離せませんが、月と仏教の関係も非常に深いのです。お釈迦さまことブッダは満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったそうです。ブッダは、月の光に影響を受けやすかったのでしょう。言い換えれば、月光の放つ気にとても敏感だったのです。わたしは、やわらかな月の光を見ていると、それがまるで「慈悲」そのものではないかと思うことがあります。ブッダとは「めざめた者」という意味ですが、めざめた者には月の重要性がよくわかっていたはずです。「悟り」や「解脱」や「死」とは、重力からの解放に他ならず、それはアポロの宇宙飛行士たちが報告している「コズミック・センス」や「スピリチュアル・ワンネス」といった宇宙空間における神秘的な感覚にも通じます。

 

東南アジアの仏教国では今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。ある意味で、仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。太陽の申し子とされた日蓮でさえ、月が最高の法の正体であり、悟りの本当の心であり、無明つまり煩悩や穢土を浄化するものであることを説きました。日蓮は、「本覚のうつつの心の月輪の光は無明の暗を照らし」「心性本覚の月輪」「月の如くなる妙法の心性の月輪」と述べ、法華経について「月こそ心よ、華こそ心よ、と申す法門なり」と記しています。日蓮も月の正体をしっかりと見つめていたのです。

 

仏教のみならず、神道にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっています。「太陽と死は直視できない」という有名なラ・ロシュフーコーの言葉があるように、人間は太陽を直視することはできません。しかし、月なら夜じっと眺めて瞑想的になることも可能です。あらゆる民族が信仰の対象とした月は、あらゆる宗教のもとは同じという「万教同根」のシンボルなのです。キリスト教イスラム教という一神教同士の対立が最大の問題になっている現代において、このことは限りなく大きな意味を持っています。

 

人類の生命は宇宙から来たと言われています。わたしたちの肉体をつくっている物質の材料は、すべて星のかけらからできています。その材料の供給源は地球だけではありません。はるかかなた昔のビッグバンからはじまるこの宇宙で、数え切れないほどの星々が誕生と死を繰り返してきました。その星々の小さな破片が地球に到達し、空気や水や食べ物を通じて私たちの肉体に入り込み、私たちは「いのち」を営んでいるのです。わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿であり、入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。

 

宇宙から来て宇宙に還るわたしたちは、宇宙の子なのです。そして、夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継基地そのものです。人間も動植物も、すべて星のかけらからできている。その意味で月は、生きとし生ける者すべてのもとは同じという「万類同根」のシンボルでもあります。かくして、月に「万教同根」「万類同根」のシンボル・タワーを建立し、レーザー(霊座)光線を使って、地球から故人の魂を月に送るという計画を思い立ち、実現をめざして、いろいろな場所で構想を述べ、賛同者を募っています。シンボル・タワーは、そのまま、地球上のすべての人類のお墓ともなります。月に人類共通のお墓があれば、地球上での墓地不足も解消できますし、世界中どこの夜空にも月は浮かびます。それに向かって合掌すれば、あらゆる場所で死者の供養ができます。

 

先祖の話

先祖の話

 

 

柳田国男が名著『先祖の話』に詳しく書いていますが、先祖の魂は近くの山から子孫たちの人生を見守ってくれているというのが日本人の典型的な祖霊観でした。ならば、地球を一番よく見ることができる宇宙空間である月から人類を見守るという設定があってもいいのではないでしょうか。また、遺体や遺骨を地中に埋めることによって、つまり埋葬によって死後の世界に暗い「地下へのまなざし」を持ち、はからずも地獄を連想してしまった生者に、明るい「天上へのまなざし」を与えることができます。そして、人々は月をあの世に見立てることによって、死者の霊魂が天上界に還ってゆくと自然に思い、理想的な死のイメージ・トレーニングが無理なく行えます。

 

世界中の神話や宗教や儀礼に、月こそあの世であるという普遍的なイメージが残っていることは、心理学者ユングが発見した人類の「集合的無意識」の一つであると思います。そして、あなたを天上から見守ってくれるご先祖たちも、かつてはあなたと同じ月を見上げていたはずです。そうです、戦前の、大正の、明治の、江戸の、戦国の、中世の、古代の、それぞれの時代の夜空には同じ月が浮かんでいたのです。先祖と子孫が同じ月を見ている。しかも、月は輪廻転生の中継点であり、月を通って先祖たちは子孫へと生まれ変わってくる。まさに月が、時空を超越して、あなたと先祖の魂をつないでくれているのです。
ぜひ、月を見上げて、想ってみてください。あなたのご先祖は、月にいます。そして、月から愛する子孫であるあなたを見守ってくれています。いつの日か、先祖はあなたの子孫として転生し、子孫であるあなたは先祖となります。

 

魂をデザインする―葬儀とは何か 一条真也対談集

魂をデザインする―葬儀とは何か 一条真也対談集

 

 

月にお墓をつくるアイデアは、宗教哲学者の鎌田東二氏と初めてお会いして対談したときに生まれたものです。1992年に上梓したわたしの対談集『魂をデザインする』(国書刊行会)に鎌田氏との対談も収録されていますが、そのとき、鎌田氏は次の注目すべき発言をされました。
「いままで先祖、先祖と過去のことばかりを考えてきた。魂の世界にいる死者のことばかりを思ってきた。でもね、自分もまた、先祖の一人なのですよ。霊を宿して現世に生きる先祖なのです。だから、先祖供養というのはまた自分の供養、自分の世界を手あつく慈しむことなのですね。そうすることで、先祖が自分たちに生まれ変わってくる魂のサイクルといいますか、連鎖を確認しあう。そのことが、とってもくっきり見えてきた」

 

わたしは、鎌田氏のこの発言をお聞きして、目から鱗が落ちた思いがしました。自分は先祖の生まれ変わりであり、自分もいずれは先祖になる。とすれば、自分は先祖の一人だし、先祖供養は自分供養でもあるということになります。しかも、そう考えると自分の子どもや子孫、自分たちの後を継いで生まれてくる者たちだって、先祖ということになります。とすれば、先祖供養はまた子孫供養でもあります。子どもを慈しみ、大切にすることは、ご先祖様を敬うことでもあるわけです。ですから、教育などを通じて子どもたちの世界を豊かにしてあげることも、子孫のために地球環境を破壊しないように配慮することも、とても大きな先祖供養だと言えるわけです。
ある意味で、本当の先祖とは過去にではなく、未来にいるのかもしれません。先祖は子孫となり、子孫は先祖となる。これぞ、魂のエコロジーです。大いなる生命の輪は、ぐるぐると永遠に廻ってゆくのです。

 

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2010/09/15
  • メディア: 新書
 

 

 

2021年3月24日 一条真也