一条真也です。
『昭和プロレスを語ろう!』小佐野景浩&二宮清純著(廣済堂新書)を読みました。元・週刊ゴングの名編集長・小佐野氏とプロレスファンとしても知られるスポーツジャーナリストの二宮氏が人々を熱狂させた昭和プロレスを数々の名レスラー、名勝負を語りながら懐かしみ、さらにはその本質論、ヒール論にも迫った本です。
本書のカバー表紙の下部
本書のカバー表紙には、勝利者トロフィーを持つジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲の雄姿の写真が使われ、「馬場・猪木から、藤波・長州、鶴田・天龍、タイガーマスクまで、裏話満載で贈るファン必読の書!」「●昭和プロレスは‟大人の世界”満載だった!?」「●馬場と猪木の対立よあの日の『もしも・・・』」「新日本・全日本誕生の真相とは?」「●アリ・猪木戦とは何だったのか?」「●本物のヒールは誰だ?」と書かれています。
本書のカバー裏表紙
また、カバー裏表紙には「昭和プロレスの生みの親、力道山。その力道山の急逝で昭和プロレスの遺伝子はジャイアント馬場・アントニオ猪木へと受け継がれ、人気は絶頂を迎えるが、団体分裂の中で両雄は対立と挑発を繰り返す。さらには藤波・長州、鶴田・天龍が次の時代を作るべく入り乱れ、タイガーマスクの登場によって終焉に向かう昭和プロレス。あの時代の熱気と舞台裏を、国際プロレスの輝き、ブラッシー、エリック、ブッチャー、シンなど名ヒールも含めて語り尽くした、ファン必読の書」と書かれ、「本書の内容」が紹介されています。
本書の「目次」は、以下の通りです。
序章 昭和プロレスと力道山
第1章 馬場と猪木――もし二人が闘っていたら……
第2章 馬場と猪木――対立と挑発の果てに――
第3章 馬場・猪木の次は誰だ?
――藤波・長州・鶴田・天龍の時代
第4章 国際プロレスを語ろう!
――第三極の不思議な魅力
第5章 ヒールで語る昭和プロレス
――‟最恐”は誰だ?
終章 タイガーマスクと昭和プロレスの終焉
――昭和プロレスが教えてくれたこと
「サンデー毎日」2017年5月7日・14日合併号
「昭和プロレス」といえば、わたしは2017年5月に「サンデー毎日」に連載していた「一条真也の人生の四季」の第78回目で、「昭和といえばプロレスだ!」というコラムを書きました。担当編集者から「『昭和といえばプロレス』というのはおかしい。あまりにも偏っている」と言われましたが、無視しました。わたしは、「『昭和』といえば、あなたは何を思い浮かべますか。戦争の暗い歴史、高度成長の明るい時代を連想する人もいるでしょうが、わたしはなんといってもプロレスです。『昭和プロレス』という言葉がありますが、昭和はプロレスが最も輝いていた黄金期でした。残念ながら、今ではプロレスがリアルファイトでないことは周知の事実です。しかし、わたしが夢中でプロレスを観ていた頃はまだ真剣勝負の幻想がありました」などと書いています。
さらに、わたしは「村松友視氏のベストセラー『私、プロレスの味方です』(情報センター出版局)を読んでからは、いっそうプロレスが好きでたまらなくなりました。なにしろ、新日本プロレスも全日本プロレスも全テレビ放送を10年以上完全録画していたほどです。それも、SONYのベータマックスで! 目をつぶれば、今も猪木、坂口、藤波、長州、初代タイガーマスク、アンドレ、ブロディ、ハンセン、ホーガンらの雄姿が瞼に浮かんできます。ああ、あの頃に戻りたい!」とも書きました。とにかく、10代後半から30代前半ぐらいまでプロレスのことばかり考えていたように思います。
本書の序章「昭和プロレスと力道山」では、「『昭和プロレス』の終わりはいつか」として、二宮氏が「僕にとっての唱和プロレスはほとんど馬場と猪木なんですよ。馬場、猪木それから天龍源一郎、ジャンボ鶴田、長州力、藤波辰爾・・・・・・。『昭和プロレス』のメインストリームですね」と語ります。それに対して、小佐野氏が「81年に国際プロレスが倒産するんですけど、その年にタイガーマスクがデビューしています。そして、翌82年のプロレス大賞のMVPを受賞したのが佐山聡のタイガーマスクなんです。この年の同賞は1月にスタン・ハンセンとの初対決でベストバウトを演じた馬場が有利と言われていたんですが、初めて馬場と猪木以外の人間が受賞した。それがタイガーマスクだったんですよ」と言えば、二宮氏が「ということは、タイガーマスクの出現あたりまでが『昭和プロレス』の時代ということになりますか?」と言うのでした。
第1章「馬場と猪木――もし二人が闘っていたら……」では、多くのプロレス・ファンが夢見たBI砲の対戦について、二宮氏が「当然、二人とも力道山と木村の試合のことは知っているわけだし、何が起こるかわからないリスクがあることは承知していますよね。そのリスクは猪木よりも馬場の方が高いでしょう」と言えば、小佐野氏が「年齢の違いを考えたらそうでしょうね。でも、もし猪木が何か想定外のことをやってきたら、馬場側のセコンドが乱入して試合を壊してしまうでしょう。それがプロレスの掟です。そんなことになって、せっかくの馬場・猪木戦が変な形で終わってしまったら、二人の問題だけでは済まないでしょう。プロレス界全体がダメになっていたかもしれないし、そういう意味では実現しなくてよかったかもしれないですね。馬場は亡くなってしまったからわからないけど、今となっては猪木もそう考えていると思う。まあ、馬場は初めからやる気はなかったでしょうけど」と言います。
「もし力道山が生きていたら……」という問いも興味深かったです。二宮氏が「力道山が後継者まで考えるということはありえなかったでしょうね。一度、頂点に立つともう降りられない。ボスザルの晩年の悲哀を見るようです」と言えば、小佐野氏は「仮に自分がリングを降りてプロデュースする側に回っても、元々がプレイヤーですから、馬場や猪木が自分より名声を得ることは許さなかったでしょうね。だって、馬場も猪木も力道山が生きている間、脳天チョップは使わなかったわけですからね。ただ、少なくともああいう形で日本プロレスが分裂することはなかったと思いますね。言われているように、当時の幹部たちが本当に堕落していたのかはわからないけど、力道山がいたら組織もビシッとしていたと思いますし。結局、僕らが見てきたのはその後の馬場と猪木の対立の歴史なんですよ。猪木が『実力日本一』を主張すれば、馬場は日本人で初めてNWA世界ヘビー級王者になる。そうしたら、猪木が今度は格闘技世界一だと互いにガンガンやり合ったことが、僕らにとってはたまらなく面白かったわけですから」と言うのでした。まったく同感ですね!
第2章「馬場と猪木――対立と挑発の果てに」では、「馬場から猪木へのしっぺ返し」として、アリ戦の前年に年末に「全日本プロレス・オープン選手権大会」が行われ、それ以降は猪木が馬場を挑発しなくなったことが紹介されます。二宮氏が「75年の12月に全日本プロレスが開催した大会ですね。海外からオールスターメンバーが集まりました」と説明すれば、小佐野氏は「そうです。国内の他団体にも門戸を開いて、国際プロレスからラッシャー木村、グレート草津、マイティ井上が出場した。そして『猪木が出るなら受け入れる』とぶち上げた。要するにこれは、猪木を潰すための大会だったんですよ。大会にはドン・レオ・ジョナサンやバロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマン、ハーリー・レイス、ディック・マードック、パット・オコーナー、ミスター・レスリング(ティム・ウッズ)、デストロイヤーなどガチンコに強いメンバーが参加して、もし猪木が参戦してきたら、彼らを次々とぶつけて潰すつもりだったんです」と言います。
結局、猪木が出てきた場合を想定しての大会だったわけですが、猪木は参戦しませんでした。小佐野氏は、「あのメンバーを揃えたら、出てこないでしょう。『もう俺のことは口に出すなよ』という、馬場からのメッセージが届けばそれでよかったんだと思います。ただ万が一、出てきた場合に備えてマッチメイクは考えていた。馬場、日テレの原プロデューサー、そして馬場のブレーンだった森岡理右氏――当時はベースボールマガジン社顧問でのちに筑波大学教授になるんですけど、この3人で『初めにこいつを当てて、これを突破したら次はこいつを当てる』とかって、決めていたと言っていましたね」と真相を明かします。
第3章「馬場・猪木の次は誰だ?」では、小佐野氏が「猪木の凄いところは、エンターテインメントと闘いのリアルな部分のバランスですよね。今のプロレスは完全にスポーツ・エンターテインメントです。でも、猪木のプロレスは確かに『闘い』なんですよ」と言えば、二宮氏も「馬場は『プロレスはプロレスなんだ』と主張する。猪木は『プロレスは闘いだ』と。その点ではお互いにブレなかった」と言っています。また、二宮氏が「猪木のパフォーマンスは東京ドームの後方から見ていても、しっかりと伝わってくるんですよね。ありていに言えば、カリスマなんでしょうが、本人の中にマグマのような喜怒哀楽が潜んでいるから、それを伝達できるんでしょうね」と言えば、小佐野氏も「馬場はジャンボにそのことを言ったんです。『なんでお前は猪木みたいにできないんだ。猪木のあの表情、あの闘志をなんでお前は出せないんだ』って」と答えるのでした。それを聞いた二宮氏が「それはおもしろい話ですね。それは取りも直さず、馬場が猪木のことをもの凄く認めていたということですよ」と言えば、小野氏は「認めていますね」と即答します。
その鶴田について、「最強だが最高ではなかったジャンボ鶴田」として、以下の対話が展開されています。
小佐野 僕もジャンボの本(『永遠の最強王者 ジャンボ鶴田』ワニブックス)を書きましたけど、最強のレスラーであっても最高のレスラーではないというのが結論ですね。
二宮 全く同感です。タイツの紐を締め直して、なおかつ3カウントぎりぎりで起きてこられた日には、相手だって「おいおい」ってなりませんか。
小佐野 タイツの紐を直すのは馬場が一番嫌っていたことなんです。「自分で直すな。パートナーに直してもらえ」と。馬場はそういう所作にはうるさかったですからね。
二宮 「痛くもかゆくもありません」という余裕が少々嫌味に感じられるところがありました。猪木はああいうことはしなかったですよ。ただし、‟ジャンボ最強論”については意義なしです。
終章「タイガーマスクと昭和プロレスの終焉」では、小佐野氏が「平成に入ると新日本やUWF系の団体は、生みの親である猪木の影響もあって総合格闘技と交わるようになったけど、それがプロレス界の低迷を生んだ要因の1つになってしまった。その反省から、今のプロレスは、新日本も含めたどこの団体も、馬場の『プロレスはプロレスだ』という思想でやっていますよね。こういう思想や価値観の対立軸がなくなったのも、昭和のプロレスと今のプロレスの違いなのかもしれません」と語るのでした。わたしも、もう50年以上プロレスを観続けていますし、プロレスに関する本も可能な限り読み続けていますので、本書に書いてある内容のほとんどは知っていましたが、それでも知らないこともありました。輝いていた「昭和プロレス」の思い出は一生の宝物です。
それにしても、昭和プロレスを支えた最大の功労者であるアントニオ猪木が現在は病魔と闘っていることには心が痛みます。YouTubeで入院生活の様子を観ると、さらに心が痛みます。ご本人の「元気ですかー! と言って、大きな声も出せない時代になってしまいしたが この前も応援メッセージを随分 もらったようで本当にありがとうございました。 今後コロナがいずれ収まるだろうし そうなったときにね 俺自身が見たもの聞いたもの そういうテーマがいっぱい出来たんで それに向けて頑張っていきます。 いくぞ! 1・2・3・ダァーッ!」というコメントを読むと、泣けてきます。猪木さんには元気でいてほしいと願っていますし、いつまでも猪木さんを応援しています!
2021年3月23日 一条真也拝