『MISSING 失われているもの』

MISSING 失われているもの

 

一条真也です。
22日から「GoToトラベル」が開始されましたが、全国で感染者は増え続けており、完全に「第2波」のただ中にあります。本来は23日から東京五輪が始まるはずだったというのが信じられません。この日に開催予定だった「開会式」に、わたしは参加することになっていたのです。生まれて初めての五輪の開会式参加を非常に楽しみにしていたのですが、その機会は永遠に失われてしまいました。思えば、今回のコロナ禍では、多くのものが失われたように思います。
『MISSING 失われているもの』村上龍著(新潮社)を読みました。著者の本を読んだのは本当に久しぶりです。

 

 

著者は、1952年長崎県佐世保市生まれ。武蔵野美術大学在学中の1976年、麻薬とセックスに溺れる自堕落な若者たちを描いた『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、および芥川賞を受賞。代表作には、『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』『五分後の世界』『希望の国エクソダス』『半島を出よ』など。

f:id:shins2m:20200525171609j:plain本書の帯

 

本書のカバー表紙には、写真館で撮影したような母親と息子の写真、そして若い女性の顔写真がコラージュのように使われ、ノスタルジックな雰囲気を強く漂わせます。
帯には「この女優に付いていってはいけない――。」と大書され、「小説家は、母の声に導かれ彷徨い続ける。『限りなく透明に近いブルー』からひと筋に続く創造の軌跡!」「こんな小説を書いたのは初めてで、もう二度と書けないだろう」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には「5年ぶり、待望の長篇小説!」として、「いつまでたっても決して楽に流れない龍さんに対する尊敬を感じた。これに比べたらこんなに向き合っていても私はまだ逃げている。というか、『逃げない』の極限が彼なので、しかたない。決してスカッとしたとは言いがたい最後なのに、ものすごく救われた。小説の力を思い知った」という作家・吉本ばなな氏の言葉が紹介されています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっていますが、章名には日本映画を飾る名作のタイトルが散りばめられています。

第1章「浮雲

第2章「東京物語

第3章「しとやかな獣」

第4章「乱れる」

第5章「娘・妻・母

第6章「女の中にいる他人

第7章「放浪記」

第8章「浮雲」Ⅱ

第9章「ブルー」

第10章「復活」

 

 

本書を読んで、わたしは、ブログ『猫を棄てる』で紹介した村上春樹氏のエッセイを連想しました。ヒッピー文化の影響を強く受けた作家として、村上春樹氏と著者は共に時代を代表する作家と目され、「W村上」などと呼ばれてきました。ノーベル文学賞候補の常連となった春樹氏が国民作家にして世界的人気作家となった今、彼に対する著者の想いには複雑なものがあると推測されますが、この『MISSING 失われているもの』という作品は、著者名を知らされずに「これは村上春樹の新作ですよ」と言われても信じてしまうほど、村上春樹っぽい作品です。よく「春樹は内を向き、龍は外を向く」などと言われますが、この作品は徹底的に人間の内面に向かっています。

 

そして、著者の内面は「母」の記憶と分かちがたく繋がっています。小説なので、すべてが著者自身の人生と合致するわけではないでしょうが、母親が佐世保で教師をしていたことなど、「限りなく自伝に近いノベル」といったところでしょうか。くだんの『猫を棄てる』は春樹氏が自分の父親について語ったエッセイですが、本書は著者が自分の母親についてこれ以上ないほど深く語っています。そして、両者に共通しているのは、父や母について語ることで、自分自身について語っていることです。いずれも「自分探し」を超えた「自分の根っこ探し」であると思います。

 

著者は幼い頃、旧朝鮮のほぼ南端、馬山の近くの小さな村に家族とともに住んでいました。日本が戦争に負けた日、朝鮮人たちが著者の家に押し寄せ、家族が皆殺しになりそうでしたが、朝鮮人の長老が「ここはいい、ここは襲ってはいけない」と言って、暴徒を押さえました。「ここはいい」というのはどういう意味かというと、著者の両親は雇っている朝鮮人たちに優しかったようです。敗戦後、著者の一家は軍艦で日本に引き揚げましたが、艦内では食料は支給されませんでした。残り少ない米を甲板で炊いて食べたのですが、「両親は、底抜けのお人好しで、米はほとんど残っていなかったのに、食料がなくて飢えていた人たちに握り飯を作って配ったりした。自分たちが飢えるかも知れないのにバカじゃないのかと、わたしは両親に文句を言ったが、それは間違いだときつく言われた」と書かれています。

 

「困っている人を助けると、いつか自分も助けられる」
 母親はそんなことを言ったが、説得力があった。両親のそういった考え方のおかげで、わたしたちは朝鮮人の襲撃を免れたのだと、そのときすでに何となく気づいていたからだ。実際に、船の中で、両親たちが正しかったことを身をもって知った。握り飯をもらった人の中に医師がいて、ひどい船酔いに苦しんでいたわたしたちに、ミカンは絶対に食べてはいけない、これを食べなさい、そう言ってどこからかリンゴを入手して食べさせてくれたのだった。苦しくても、横になっていないで、なるべく起きて、立ち上がって、遠くをみるとよい、医師はそんなことも教えてくれた。
(『MISSING 失われているもの』P.120)

 

このくだりを読んだとき、わたしは、『猫を棄てる』に出てくる村上春樹氏の父のことを思い出しました。2009年、エルサレム賞を受賞したときのスピーチで、春樹氏は「わたしの父は、去年90歳で亡くなりました。父はもと教師でしたが、たまに僧侶の仕事もしていました。京都の大学院にいたときに徴兵された彼は、中国戦線に送られました。わたしは戦後に生まれましたが、父の毎朝の習慣を目にすることがよくありました。彼は、朝食の前に自宅にある小さな仏壇に向かい、長いあいだ深く真剣な祈りを捧げるのです。なぜ、そんなことをするのか。一度、彼に尋ねたことがありますが、そのとき、『すべての人々のために祈っている』と答えました。そして、『味方も敵も関係ない。戦争で亡くなった人全員の冥福を祈っている』と言いました。仏壇の前に座った父の背中をながめながら、父の周囲には死の影が漂っているような気がしました」と述べました。

 

心ゆたかな社会 「ハートフル・ソサエティ」とは何か
 

 

この「すべての人のために祈っている」という村上春樹氏の父親の言葉は、『MISSING 失われているもの』で著者の母親が口にする「困ってい人を助けると、いつか自分も助けられる」に通じています。どちらの言葉も,徹底した「隣人性」というものに支えられています。拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)で描いた新時代のビジョンもにも、他者への思いやりに基づく「隣人性」が欠かせません。それにしても、自分の親の思い出がこのような高い倫理観に基づく「心ゆたかな言葉」とともに在るとは、なんと幸せなことでしょうか。どんなに財産を遺すよりも、子どもの人生を良き方向に導く「心ゆたかな言葉」を遺すほうが大切であり、それこそが親の最大の役目ではないでしょうか。

 

本書を読んで『猫を棄てる』を連想した理由は他にもあります。本書の冒頭から、いきなり猫が登場し、しかも著者に対して言葉をかけるからです。この猫は子猫のころから、著者の書斎で一緒に過ごしており、執筆中もいつも傍らにいる存在です。漱石の時代から、猫が作家のパートナーであることはお約束ですが、それにしても猫が人間の言葉を話すとは! 驚いた後で、著者は「猫は、何も発信していないのかも知れない。おそらくリフレクトしているのだ。わたしが思っていること、考えたことが、猫に反射される形で、わたしに返ってきている。猫の言葉ではない、わたしの言葉なのだ」と思います。そんな著者に向かって、猫はこう言うのでした。

 

「やっと気づいたか。よくあることだよ。別に、おかしくなったわけじゃない。無意識の領域から、他の人間や、動物が発する信号として、お前自身に届く。とくに、思い出したくもないこと、自身で認めたくないこと、意識としては拒んでいて、無意識の領域で受け入れていることなど、そんな場合に、お前は、誰か他の人間や動物や、あるいは樹木、カタツムリやミミズでもいいんだが、それらが発する信号として、受けとって、それを文章に書いたりしてきたんじゃないのか。表現者の宿命だ。表現というのは、信号や情報を発することじゃない。信号や情報を受けとり、編集して、提出することだ」
(『MISSING 失われているもの』P.6~7)

 

注文の多い料理店 (新潮文庫)

注文の多い料理店 (新潮文庫)

 

 

表現することの秘密を明かしたようなこの言葉は、宮沢賢治が、生前に出版した唯一の童話集『注文の多い料理店』の「序」で、「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらつてきたのです」という一節を連想させます。あまりにも有名な一節ですが、じつはアンデルセンの『絵のない絵本』の模倣であるという説があります。たしかにそういった見方も可能ですが、まったく違った見方もできます。そして、その見方のほうが賢治の創作の秘密と密接に関わっていると、わたしは思います。すなわち、「虹や月あかりからもらつてきたのです」という言葉が比喩でも誇張でもなく、事実そのものだったのではないかという見方です。賢治は虹や月あかりからのメッセージを受けとれる一種の霊能力者だったのではないかということです。賢治にせよ、『MISSING 失われているもの』の主人公にせよ、表現者というものは基本的にシャーマンなのではないでしょうか。それでは、著者の無意識の領域で何が起こっているのか。著者の考えをリフレインする猫は言います。

 

「ミッシング。まさにそれだ。お前が、探そうとしているのは、ミッシングそのものなんだ。何かが失われている。ある世界から? お前自身から? おそらく両方だろう。お前は、今、何が失われているのかを、知りたいと思っている。確かに、何かが失われている。そして、何が失われているのかを、誰も知らないし、知ろうともしない。それで、お前は、どうすればそれがわかるのか、どこへ行けばいいのか、誰と会えばいいのかも、本当は知っている。以前、お前の背後霊について、どうのこうのと言った女がいただろう。まずあの女を探すんだな。若い女だった。確か、女優だったかな。風俗嬢だったかな。どちらでもないし、どちらでもあるかも知れない。そのあたりは、お前の専門だ。お前が好きな公園を巡り、いつものように超高層ビルが林立する景色をじっと眺めて、どこへ行けば、あの女に会えるか、考えるんだ」(『MISSING 失われているもの』P.7)



そこから、幻の女を探して主人公の小説家は「混乱と不安しかない世界」に迷い込みます。その予兆はありました。彼は制御しがたい抑うつや不眠に悩み、カウンセリングを受けていたのです。そして、「真理子」という名の1人の女優が迷宮の扉を開けるのですが、主人公は真理子と寝たことがあるのか、寝たことがないのかもわからなくなったまま、彼女と定宿のホテルで食事をしたり、部屋で飲んだりするのでした。ここから先は夢野久作の『ドグラマグラ』みたいな現実と虚実の間、覚醒と睡眠の境界、さらにはこの世とあの世の狭間が入り混じった混沌とした世界になるのですが、ホテルの「廊下」が重要な意味を持つところや、なつかしい倦怠感など、井上陽水が作詞・作曲して沢田研二が歌った「背中まで45分」を思い出しました。日本のポップスとしてはきわめて異色なこの幻想的かつ耽美的な歌は、明らかにこの迷宮のような小説の世界観に通じます。そう、『MISSING 失われているもの』を映画化かドラマ化するとしたら、主題歌はジュリーの「背中まで45分」しかありません!

 

MISSING 失われているもの (村上龍電子本製作所)
 

 

2020年7月23日 一条真也

『サイレンス』

サイレンス (文春文庫)

 

 一条真也です。
21日、東京都の新型コロナウイルス感染者は237人で、大阪府は72人、愛知県と福岡県はともに1日の過去最高となる53人でした。これは第2波、来ましたね。本当に22日から「GoToトラベル」を開始するのでしょうか?
『サイレンス』秋吉理香子著(文春文庫)を読みました。最近話題になったホラー小説が読みたくなって、ブログ『小説 シライサン』ブログ『禁じられた遊び』で紹介した本と一緒にアマゾンで購入したのですが、面白くて一気に読了!
著者は、兵庫県生まれ。早稲田大学第一文学部卒。ロヨラ・メリーマウント大学大学院にて、映画・TV製作修士号取得。2008年、「雪の花」で第3回Yahoo!JAPAN文学賞受賞。09年、同作を含む短編集『雪の花』でデビュー。その後、図書館司書として勤務するかたわら、『暗黒女子』を発表。この作品を数々のイヤミス作品を生み出し、今や「イヤミス界の新旗手」と呼ばれています。ちなみに、イヤミスとは、後味が悪く、嫌な気持ちで終わるミステリー作品のことだとか。殺人犯側のゾッとする心理描写や悲しい結末を描き、謎が解けてスッキリすることはなく、むしろ不快感を味わう作品のことだそうです。初めて知りました!

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本書の帯

 

本書の表紙カバーには、美しい女性の顔が描かれ、帯には「一気読み必至の偏愛サスペンス」「最もゾッとしたし、最も好みである――澤村伊智(解説)」「婚約者が雪深い孤島で突然失踪・・・故郷の島には恐ろしい‟秘密”があった」と書かれています。

f:id:shins2m:20200525172318j:plain本書の帯の裏

 

帯の裏には、以下の内容紹介があります。
「深雪は婚約者の俊亜貴を連れ故郷の雪之島を訪れる。結婚をしてありふれた幸せを手にいれるはずだった。ところが祝宴の席で深雪は思いもよらないことを島民たちから知らされ、状況は一変する。やがて俊亜貴は行方不明に・・・・・・。この島、何かがおかしい―――。人間の奥底にある執着心と狂気を描いた傑作サスペンス」

 

また、アマゾンの内容紹介には、こう書かれています。
「《舞台は雪深い孤島。島の護り神である「しまたまさん」は願い事を叶え、護ってくれるという・・・》島一番の美人で、かつてはアイドルを目指していた深雪。現在は夢を諦め東京の芸能プロダクションでマネージャーをしている。婚約者である俊亜貴と三年ぶりに故郷の島を訪れるが、彼には深雪に言えない秘密があった・・・。その秘密が明らかになった時、深雪の運命が狂い始める。イヤミス界の新旗手による、一気読み必至のサスペンス小説。細かく散りばめられた伏線の意味に気づいたとき、思わず背筋が凍ります」

 

主人公の深雪は中学生時代にはトップアイドルになれる素質を持っていたものの、住んでいた島を離れて東京に移住することを父親から許されず、芸能人になるという夢を諦めました。彼女は、自分の夢を奪った島に対して複雑な感情を抱いています。その島に住む人々は、「しまたまさん」という島の守護神を信仰しています。「しまたまさん」とは何か。漢字で「島霊様」と書き、深雪の言葉を借りれば、「島と海を護る神様のこと。元日には島の子供たちが『しまたまさん』として、一年の豊漁と安全を祈願するの。船着き場から出発して、お寺までの道のりを、お囃子をしながら練り歩く。そうやって、島全体をお清めする」そうです。離島によく見られる土俗信仰であることがわかります。
わたしは、こういう場所がけっこう好きなので、「GoToトラベル」で旅するなら、こんな島に行ってみたい!

 

秘祭 (新潮文庫)

秘祭 (新潮文庫)

 

 

ホラー小説には、辺鄙な地方に伝わる奇怪な風習を描いた作品で、民俗学的興味にあふれた「奇習もの」とでも呼べるジャンルがあります。「フォークホラー」などと呼ばれます。たとえば石原慎太郎氏の『秘祭』などもその1つです。沖縄の離島とか、中国地方の山奥(横溝正史の世界がまさにそう!)とかに伝わる異常な怪奇習俗をテーマにしたものが多く、過疎地に対する悪質な偏見であると批判する見方もあるようです。宗教哲学者の鎌田東二先生も、明らかに八重山諸島を舞台とした『秘祭』には離島に対する差別意識があると憤慨されていました。この『サイレンス』には、特定の祝祭や儀式は登場しません。ただ、島に根付いている「しまたまさん」信仰の存在がほのめかされているだけです。しかし、結局は島に住む人々が前近代性と排他性の塊であるように描かれていることは間違いありません。ミステリーとして面白いのですが、その舞台である孤島の描き方にどうしても偏見が感じられて残念でした。

 

あと、深雪の婚約者である俊亜貴のクズぶりは、よく描けていました。東京生まれの彼は大手の広告代理店に勤務し、芸能界にも顔が広いイケメンです。深雪の幼馴染である達也という青年は、初めて会った俊亜貴が浮気相手と電話している場面に遭遇します。じつは、その相手とは深雪がマネージャーを務めるアイドルタレントだったのですが、それを知った達也は「深雪は純粋で一途な島の女だ。裏切られても、きっと赦して一緒になる。そして仕事も信用も失った男を、一生懸命支えるこういう男が一番たちが悪い。女にだらしなく金にもルーズで、けれども母性本能をくすぐることに天才的に長けている。そしてほとばりが冷めたら、また同じことを繰り返す」と思うのでした。


わたしは、この俊亜貴についての描写を読むにつれ、アンジャッシュの渡部健を連想しました。そういえば、彼の妻である佐々木希も、雪のように白い肌を持つ雪国生まれの美女ということで深雪のイメージそのものです。俊亜貴は知識が豊富で、説明が的確でわかりやすいという設定で、そこに深雪は惹かれたことになっています。これも、もろに渡部健と佐々木希に重なります。週刊誌などの報道によれば、佐々木希は「グルメ王」と呼ばれ、各種の検定資格を持っている渡部の知識の豊富さと説明の上手さに惚れたようで、今でもベタ惚れで「離婚しない」と言っているそうです。わたしぐらいのトシになると、彼女の父親の心境で、「この男は、たちが悪い。必ずまた過ちを繰り返すタイプだから別れたほうがいいのになあ」などと思ってしまいます。

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週刊文春」6月25日号より


 

 

もっとも二人のあいだには1歳になる息子さんもいるそうなので、「離婚する、しない」は本人同士の問題です。わたしなどが心配するのは完全に大きなお節介なのですが、「それでも」と思わずにはいられません。そんなこんなで、ネタバレにならないように慎重に書くと、『サイレンス』では最後に俊亜貴が悲惨な目に遭います。正直、わたしは「ざまあみろ!」と思ってしまいました。ということで、この物語を読み終えて、非常にスカッとしました。わたしにとっては「イヤミス」ではなく、「スカミス」だったようです。(笑)

 

サイレンス (文春文庫)

サイレンス (文春文庫)

 

 

2020年7月22日 一条真也

『禁じられた遊び』

禁じられた遊び (本のサナギ賞受賞作) (ディスカヴァー文庫)

 

一条真也です。
禁じられた遊び』清水カルマ著(ディスカヴァー文庫)を読みました。著者はフリーライターで、合気道二段。2018年、第4回本のサナギ賞大賞を受賞。翌年、受賞作『リジェネレイション』を『禁じられた遊び』に改題し出版。
それにしても、わたしは「本のサナギ大賞」という存在を初めて知りました。なんでも、株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワンが主催している賞で、未発表の作品を現役の書店員が審査・投票し、世に出したい作品を選ぶのだそうです。2014年に創設されましたが、「本のサナギ」という名称は、「本の虫」である書店員が、「本のサナギ」を見つけ、ベストセラーという「蝶」に育てて羽ばたかせたい、という思いから名づけられたとか。大賞受賞作品は、初版部2万部で書籍化されるそうです。 

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本書の新カバーの下部

 

本書のカバー表紙には、ゾンビの手のような灰色で血だらけの手に顔をつかまれた少年が描かれ、「湿った土の中で熟成された女の怨念が、腐肉を纏って甦り、あなたを追い詰める・・・・・・その恐怖を存分に味わって欲しい。『リング』著者 鈴木光司氏推薦」「新人デビュー作が、口コミだけで驚異の4万部突破!」と書かれています。

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本書の新カバーの裏の下部

 

カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「伊原直人は、妻の美雪と息子の春翔と共に幸せな生活を送っていた。しかし、念願のマイホームを購入した矢先、美雪が交通事故に遭い、死亡してしまう。絶望する直人に対し、春翔は『ママを生き返らせる』と美雪の死体の指を庭に埋め、毎日熱心に祈りを捧げる。同じころ、フリーのビデオ記者、倉沢比呂子のまわりで奇怪な出来事が起こり始める・・・・・・」
また、カバー裏表紙の下部には、各地の書店員さんたちの推薦の言葉が並んでいます。見れば見るほど、「本屋大賞」を連想してしまいますね。

 

この物語の主人公であるフリーのビデオ記者、倉沢比呂子は、冒頭から邪悪な霊によって想像を絶する恐怖体験をします。それによって1年間も精神病院に入院しなければならないほど心を病んでしまうのですが、その霊は死霊ではなく生霊でした。比呂子が密かに想いを寄せる直人の妻・美雪が自らの超常的な能力(テレパシー)で比呂子の秘めた恋心を知り、呪いによって比呂子を苦しめるのでした。それがグラスを粉々に砕いたり、切れていたテレビのスイッチを入れて最大音量で流したり、電話機を燃やしたり・・・・・・といったやりたい放題で、「エクソシスト」の悪魔も驚くような物理現象のオンパレードで、「おいおい、生霊がここまでやるか!」と突っ込みたくなるような過剰ぶりなのです。生霊といえば、『源氏物語』の六条御息所が有名ですが、あれは陰湿で地味だから怖いのであり、本書のように派手な生霊というのはまったく怖くありません。これでは、単なる暴走エスパーです。しかも、比呂子は直人と不倫してたわけではなく、ただ憧れていただけなのです。それなのに、1年間も精神病院に入らなければいけないほどの恐怖を味わうのは理不尽きわまりないと思うのですが・・・・・・。



本書には、大門という霊能力者が登場します。
もともとは真言宗の僧侶でしたが、素行不良で宗派を追われ、テレビの霊能番組で活躍するという、ずばり織田無道を連想させる男です。その大門は「この世には幽霊などおらん」と断言し、釈迦だって、死後の世界があるとは一言も言っていないと説明します。さらには「人は死んだらなんにもなくなり、一切は無に帰するのだ。だから幽霊なんて怖がる必要はない」と言うのですが、それに対して比呂子が「だけど、あなたはテレビで先祖の霊が祟っているとか言ってたじゃないの」と言うと、大門はこう答えるのでした。

 

「あんなものは嘘っぱちだ。いいか、よく聞け。死んだ人間には何もできん。幽霊などというのは、みんな生きている人間が見させているのだ。たとえば、自殺のあったホテルの部屋に幽霊が出るという噂があるとする。そこに泊まった人間は必ず夜中に息苦しさを覚えて目を覚まし、部屋の真ん中で首をつっている人間の姿を見るという噂だ。事前に、その部屋で自殺があったと知っていれば、気味悪い先入観から、夢や幻を見てしまう可能性もあるだろう。けれども宿泊客たちは誰ひとりとして、その部屋で自殺があったことなど知らんのだ。それなのに幽霊を見るのだから霊は本当に存在するのだ、とまわりの人間たちは思うかもしれないが、それが曲者なのだ。ホテルの従業員や近所の人間は、その部屋で自殺があったことを知っている。客が泊まりにくると、『この客は自殺があった部屋で眠るのか。かわいそうに。何も出なければいいが・・・・・・』と思い、その念が夜中に客に悪夢を見させたり、揺り起こして幻を見させたりするのだ。すべては生きている人間の仕業。人間がいない場所には憎悪もない。幽霊も存在せんのだ。本当に怖いのは生きている人間だ」(『禁じられた遊び』P。162~163)

 

たしかに幽霊など存在しませんでした。すべての霊現象は生きている人間が起こすものであり、比呂子は美雪の生霊に苦しめられました。そして、生霊よりもさらに恐ろしい存在を知ります。それは、生と死の狭間で蠢いているものの怨念でした。いわば「この世で一番恐ろしいもの」であるとも言えますが、それが比呂子を襲うことになったそもそものきっかけは、直人が息子の春翔に「トカゲのしっぽを埋めると再生するよ」と小さな嘘をついたことでした。その嘘を信じた春翔は、愛する母のが交通事故で死んだとき、ちぎれた指先を土に埋めて、再生させようと必死に祈るのでした。その後、土の中で再生した美雪が比呂子を滅ぼそうとし、次から次に奇怪な出来事が起こります。物語は「これでもか!」というほどオドロオドロしい展開となっていく一方で、正直、これも冒頭の生霊のパワー行使と同じく、やりすぎだと思いました。デビュー作で、しかもホラーとあって、著者はちょっとサービス過剰でしたね。

 

 

この『禁じられた遊び』という小説は文庫で400ページ近くありますが、物語の展開が早くて、あっという間に読めました。ライトノベルと言ってもいいような読みやすさでしたが、もともとのタイトルは『リジェネレイション』でした。そして、明らかにホラー小説の歴史に残るある名作の影響を濃厚に受けています。“モダン・ホラーの帝王”ことスティーヴン・キングの『ペット・セマタリー』です。競争社会を逃れてメイン州の田舎に越してきた医師一家を襲う怪異を描いていますが、ジェイコブズの古典的名作『猿の手』にも通じる「死者のよみがえり」というテーマに真っ向から挑んだ、恐ろしくも哀切な家族愛の物語です。



『ペット・セマタリー』は1983年に発表されましたが、原稿自体はそれ以前に完成していました。かねてから「あまりの恐ろしさに発表を見合わせている」と噂されていた作品で、キング自身は「妻のタビサがこの本を私に発表させたがらない」と述べていました。愛するが故に、呪いの力を借りてまでも死んだ家族を生き返らせようとしてしまうという「家族愛の哀しさ」と「人間の愚かさ」を描いたモダン・ホラーの傑作です。1989年にパラマウントから映画化されましたが、邦題は「ペット・セメタリ―」でした。ブログ「ペット・セメタリ―」で紹介したように、2019年にもリメイクが作られていますが、前作の欠点を補った完全版として高い評価を得ています。日本では2020年1月17日に公開されました。



さて、『禁じられた遊び』といえば、1952年のフランス映画の名作を思い浮かべない人はいないでしょう。監督はルネ・クレマン、出演はブリジット・フォッセーとジョルジュ・プージュリーフランソワ・ボワイエ(フランス語版)の小説を原作とし、戦争で孤児となった5歳のフランス人少女の運命を描いた映画です。Wikipedia「禁じられた遊び」の「ストーリー」には、「1940年6月、ドイツ軍から逃げるため街道を進む群衆の中に、幼い少女ポーレットがいる。そこに戦闘機による機銃掃射があり、ポーレットは一緒にいた両親と愛犬を失ってしまう。ポーレットは愛犬の死体を抱きながら川沿いの道を彷徨い、そこで牛追いをしていた農家の少年ミシェルと出会う。ミシェルの家庭は貧しかったが、ポーレットが両親を亡くしていることを知り、彼女を温かく迎え入れる。ミシェルはポーレットに親近感を持ち、無垢なポーレットもミシェルを頼るようになる」と書かれています。



また、Wikipedia「禁じられた遊び」の「ストーリー」 には、「ポーレットは死というものがまだよく分からず、神への信仰や祈り方も知らなかった。ポーレットはミシェルから『死んだものはお墓を作るんだよ』と教えられ、愛犬の死体を人の来ない水車小屋に埋葬し、祈りをささげる。愛犬がひとりぼっちでかわいそうだと思ったポーレットは、もっとたくさんのお墓を作ってやりたいと言い出す。ミシェルはその願いに応えてやりたくなり、モグラやヒヨコなど、様々な動物の死体を集めて、次々に墓を作っていく。二人の墓を作る遊びはエスカレートし、ついには、十字架を盗んで自分たちの墓に使おうと思い立つ。そのころ、馬に蹴られて寝込んでいたミシェルの兄が亡くなり、ミシェルは父が用意した霊柩車から飾りの十字架を盗む。十字架が消えていることに父が気づいてミシェルを問い詰めると、ミシェルは隣人がやったのだと言い逃れをする。葬儀に参列したポーレットが教会にある美しい十字架を気に入ったので、ミシェルはその十字架も盗もうと教会を訪れるが、失敗して神父に追い返される。すると、それを聞いたポーレットは、ミシェルの兄が埋葬されている墓場にも十字架は沢山あると言い出す。ミシェルとポーレットは、爆撃で光る夜空の下、墓場から多くの十字架を盗みだして自分たちの墓地へと運ぶ」とも書かれています。

 

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

  • 作者:白川 静
  • 発売日: 2003/01/01
  • メディア: 文庫
 

 

わたしは、幼いミシェルとポーレットの「遊び」には、葬儀の原点があると思っています。わたしは古今東西の人物のなかで孔子を最も尊敬しています。なぜ、わたしは孔子に心を惹かれるのか。まずは、冠婚葬祭業というわたしの仕事の偉大な先達ということがあげられます。孔子の母親はもともと葬儀や卜占にたずさわる巫女であり、「原儒」と呼ばれる古代の儒教グループも葬送のプロフェッショナル集団でした。この事実は、中国文学者・白川静氏の名著『孔子伝』で明らかにされました。孟子の母親は、孟子が子どもの頃に葬式遊びをするのを嫌って家を3回替えた、いわゆる「孟母三遷」で知られていますが、孟子の師である孔子も子ども時代にはよく葬式遊びをしたようです。

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

  • 作者:一条真也
  • 発売日: 2017/12/25
  • メディア: 文庫
 

 

ミシェルとポーレットの「禁じられた遊び」とは虫や小動物の亡骸を地中に埋めて十字架を立てて祈りを捧げるという、小さな子どもによる「葬式遊び」でした。どうも「遊び」と「葬式」の間には強い関連性があるようです。そういえば、古代の日本では天皇の葬儀にたずさわる人々のことを「遊部(あそびべ)」と呼びました。そんなことを『唯葬論』(サンガ文庫)などに詳しく書きましたので、興味がある方はご一読下さい。

 

禁じられた遊び (ディスカヴァー文庫)

禁じられた遊び (ディスカヴァー文庫)

 

 

2020年7月21日 一条真也

「財界九州」に『心ゆたかな社会』が紹介されました

一条真也です。
コロナ禍で雑誌の流通なども混乱しているようですが、「財界九州」7・8月合併号に拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)の紹介記事が掲載されました。

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記事は「Rader」のコーナーに、著書を持ったわたしの写真とともに、「100冊目の著書『心ゆたかな社会』を上梓 サンレー佐久間庸和社長」のタイトルで以下のように書かれています。
「冠婚葬祭のサンレー北九州市)の佐久間庸和社長(ペンネーム・一条真也)が100冊目(一部共著、監修書などを含む)の著書となる『心ゆたかな社会』(現代書林、1650円)を上梓した。同書は新型コロナウイルスが終息した後に社会がどうなるかを描き、思いやりにあふれた『心の社会』の到来を予見している。佐久間社長は『これからの社会はすべての人が幸福を目指して、思いやり、感謝、癒やし、共感などが価値を持つハートフル・ソサエティを目的とするべきだと考え、サブタイトルにしたためた』と話している。同社長は、広告代理店勤務を経て創業者である父の後を継ぎ、2001年にサンレー社長に就任。広告代理店時代の1988年に当時の流行をエッセ一風にまとめた『ハートフルに遊ぶ』で、文壇デビュー。昭和、平成、令和の3時代を通してさまざまなジャンルの書を著している。現在、社業のかたわら、 上智大学グリーフケア研究所九州国際大学客員教授も務めている」

 

心ゆたかな社会 「ハートフル・ソサエティ」とは何か
 

 

2020年7月20日 一条真也

『小説 シライサン』

小説 シライサン (角川文庫)

 

一条真也です。
19日、東京では新たに188人の新型コロナウイルス感染が確認。4日ぶりに200人を下回ったわけですが、日曜日は休みの検査機関が多く、PCR検査数が少ないので、新規の感染者数も少なくなります。まだまだ油断できません。
さて、「感染」するものといえば、「ウイルス」の他にも「呪い」がありますが、「呪い」をテーマにした『小説シライサン』乙一著(角川文庫)を読みました。著者4年ぶりの完全新作であり、著者が監督を務める映画の原作小説となっています。東日本大震災が発生した2011年の8月の後半に、わたしはブログ『夏と花火と私の死体』で紹介した処女作をはじめ、ブログ『天帝妖狐』ブログ『平面いぬ。』ブログ『暗黒童話』ブログ『死にぞこないの青』ブログ『暗いところで待ち合わせ』ブログ『GOTH』ブログ『ZOO』ブログ『失はれる物語』ブログ『小生物語』、山白朝子名義で書いたブログ『死者のための音楽』中田永一名義で書いたブログ『百瀬、こっちを向いて』ブログ『吉祥寺の朝日奈くん』、そして最初に読んだブログ『箱庭図書館』などで紹介した本を一気に読みました。1978年生まれで、当時33歳だった著者は「現代日本のホラー小説界における若手ナンバーワン」などと呼ばれていましたが、著者の小説を読むのはそれ以来です。

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本書の帯

 

本書の帯には「目ヲソラシタラ、死ヌ。」と書かれた映画のポスターで使われた画像とともに、映画「シライサン」の情報が記載され、「乙一4年ぶりの完全新作は、自身監督作品の原作小説!」と書かれています。この映画は2020年1月10日に公開され、わたしはDVDで鑑賞しました。



本書のカバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「親友の変死を目撃した山村瑞紀と、同じように弟が眼球を破裂させて亡くなった鈴木春男。それぞれ異様な死の真相を探る中、2人は事件の鍵を握る富田詠子から、ある怪談話を聞かされる。それは死んだ2人と詠子が旅行先で知った、異様に目の大きな女の話だった。女の名を頑なに告げなかった詠子だが、ひょんなことからその名を口に出してしまう。『お2人は・・・呪われました』―その日から瑞紀たちの周囲でも怪異が起き始め・・・」



わたしは原作よりも先に映画を観たのですが、ホラー映画が三度の飯よりも好きな人間として言わせてもらうと、「うーん・・・」でしたね。主演の飯豊まりえは結構好きな女優であり、彼女の演技はなかなか良かったと思うのですが、ストーリーがあまり怖くなかった。それから、シライサンをモンスターとして画面に映し過ぎだと感じました。本当に怖い対象は、ギリギリまで観客の想像力に委ねるべきであり、あまり堂々と何度も登場されると白けてしまいます。



シライサンはいわゆる悪霊ですが、彼女と遭遇した者はずっと彼女を見ていまければなりません。見ているあいだは大丈夫ですが、目を離すと両目の眼球を破裂させられて殺されます。まるで、彼女には「承認」欲求があるように思えます。それから、シライサンにまつわる怪談を耳にした者は呪われ、彼女の訪問を受けるのですが、怪談を知っている人間が多数いれば、その可能性は小さくなります。つまり、彼女に関する情報を「拡散」し続ければ、呪いを受けるリスクは減少していくのです。

 

新訂 妖怪談義 (角川ソフィア文庫)

新訂 妖怪談義 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:柳田 国男
  • 発売日: 2013/01/25
  • メディア: 文庫
 

 

「承認」と「拡散」という2つのキーワードから浮かび上がるのはSNSです。名作「リング」はビデオソフト、「着信アリ」は携帯電話についてのホラーでしたが、「シライサン」はSNSというメディアについてのホラーというよりも、SNSそのもののメタファーとなっているのです。もっとも、【シライサン怪談】のベースは日本民俗学であり、柳田國男が研究した「ベトベトさん」とか「ゴウキさん」といった、1人で歩いていると後ろからついてくる妖怪、「ダイダラボッチ」や「一つ目小僧」などの目が1つの妖怪の民間伝承などが登場人物によって紹介されます。また、怪談が生まれた舞台は「目隠村」という犬鳴村みたいな前近代的な謎の村落となっています。

 

 【シライサン怪談】を語った人物として溝呂木弦という20年前に死亡した民俗学者が登場しますが、この人物が興味深かったです。なぜなら、彼は「地方の習俗、地域に根差した冠婚葬祭の儀式について研究していた人物」だったのです。彼には『結婚と葬儀』(!)と題された著書があり、「F県Y市の山間にかつてあったという村で行われていた葬儀のやり方についてページが割かれている。その村では、死者を火葬する際、両手を合掌の形にして、左右の手を貫くように紐を通し、鈴を取り付けたという。万が一、死者が起きた時に音が鳴って知らせるためらしい。全国的に見ても変わった風習であり、そうした葬儀のやり方から、その土地の死者に対する考えかたが窺える」と書かれています。

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

  • 作者:一条真也
  • 発売日: 2017/12/25
  • メディア: 文庫
 

 

 興味深い記述ですが、異様に目の大きな女「シライサン」は鈴の音と共に現れます。つまり、この奇妙な葬儀のやり方が「シライサン」という悪霊を生み出しているわけなのですが、これはおかしいと思いました。『唯葬論』(サンガ文庫)の「幽霊論」の中で、「葬儀」と「幽霊」は基本的に相容れないとして、わたしは「葬儀とは故人の霊魂を成仏させるために行う儀式である。葬儀によって、故人は一人前の『死者』となるのである。幽霊は死者ではない。死者になり損ねた境界的存在である。つまり、葬儀の失敗から幽霊は誕生するわけである」と書きました。意図的に幽霊を生み出すことが目的なら、それは明らかに葬儀ではありません。禍々しい闇の儀式に過ぎません。わたしは、そう思いました。

 

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

愛する人を亡くした人へ ―悲しみを癒す15通の手紙

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2007/07/04
  • メディア: 単行本
 

 

葬儀に関するくだりでは非常に違和感を抱きましたが、グリーフケアに関連する印象深いくだりがありました。わたしには、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)というグリーフケアの書があり、さまざまな考え方を紹介しましたが、『小説シライサン』に印象深い言葉を見つけました。シライサンの呪いによって眼球が破裂して亡くなった鈴木和人という大学生の部屋で遺品整理をしていたとき、彼の父親が死生学に関する本を見つけ、ページを開くと、そこには「メメント・モリ(死を想え)」と書かれていました。父親はさびしそうな表情で本のページをめくり、その様子を故人の兄である春男が眺めています。弟が死んでも、父はその理不尽さに激高もしなければ、嗚咽して泣くこともしませんでした。かといって父に悲しみという感情が欠落しているわけではなく、昔から淡々としている人でした。春男と和人の母親は彼らが幼少の頃に亡くなっているのですが、「おそらく、母が死んだときに涙が涸れたのだろう」と春男は考え、父に声をかけます。

 

 「お袋が死んだときは、どうだった?」
「おまえは、憶えてないか。小さかったもんな」
 父は本を閉じて春男を見る。
 象や鯨を思わせる穏やかな目だ。

「大事な人が死ぬと、ひとつだけ、いいことがある。何かわかるか?」
「いいこと? あるわけないでしょ、そんなの」
 愛する人の死は悲劇でしかない。それ以外の肯定的な要素なんてあるわけがない。
 父は、少しだけ笑いながら言った。その表情からは、同時に悲しみも感じられた。
「あのな、死ぬのが、怖くなくなるんだ。あいつも、死の恐怖を乗り越えて、あの世にいるんだって思うとな、なんか、死を、受け入れられるんだよなあ」
 そう言うと父は背中を向けた。和人の本を段ボール箱に詰める作業へ戻る。丁寧に一冊ずつ、表紙についた埃を拭ってから箱に詰めた。ゆっくりとしたその動作を見ていると、何故かわからないが和人の死を悼んでいるのが伝わってきて胸が締めつけられた。
(『小説 シライサン』P.98~99)

 

死を乗り越える読書ガイド 「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド
 

 

ここには、故人の死という冷酷な現実を父と兄が受容する様子が感動的に描かれています。それは、まさにグリーフケアの風景です。グリーフケアという営みの目的には、「死別の悲嘆」に対処することと、「死の不安」を克服することの両方がありますが、ここで父親が語った言葉にはその両方が含まれています。ちなみに、春男は「愛する人の死は悲劇でしかない。それ以外の肯定的な要素なんてあるわけがない」と断言しますが、肯定的な要素とまでは言えないにしても、愛する人の死には悲劇を超えた意味はあります。わたしは、そんな意味の数々を『愛する人を亡くした人へ』にまとめました。8月11日に発売される『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)の最後には同書について詳しく紹介しています。よろしければ、ご一読下さい。

 

小説 シライサン (角川文庫)

小説 シライサン (角川文庫)

  • 作者:乙 一
  • 発売日: 2019/11/21
  • メディア: 文庫
 

 

2020年7月20日 一条真也

コロナからココロへ

 一条真也です。
18日に東京都が確認した新型コロナウイルスの新たな感染者は290人でした。16日は286人、17日は293人で、3日連続で200人を超えています。このようなコロナ禍の中、19日に「産経新聞」から「コロナ『自粛』で祈り、供養の機会『増えた』 日本香堂調査『大切な故人、心の拠りどころに』」というネット記事が配信されました。

f:id:shins2m:20200719122320j:plainヤフー・ニュースより  

 

記事には、「新型コロナウイルスの感染拡大防止で続いた自粛期間中、親族など身近な故人への祈り、願いごとをする人が増えていることが『日本香堂」の調査で明らかになった。同社は『「社会的距離」を埋め合わすかのように、「心の距離」が緊密化しているのではないか』とみている』と書かれています。わたしの最新刊『心ゆたかな社会』(現代書林)では、「コロナからココロへ」として、「新型コロナが終息した社会は、人と人が温もりを感じる世界」であると訴えましたが、すでにコロナ禍の中で「ココロへ」が進行しているというのです!

f:id:shins2m:20200516165530j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

調査は自粛による意識や行動の変化を問うもので、6月23、24日に実施。全国の成人男女1036人に回答を得たそうですが、「3密」や「ステイホーム」などに関する質問への回答の他、「供養に関しても、「自分の帰省や、帰省する親族の受け入れを自粛した」(66%)、「法事、法要、葬儀への参列やお墓参りを控えた」(58・1%)と、新型コロナによる影響が鮮明となりました。

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ヤフー・ニュースより 

 

しかし、ここからが重要で、「コロナ前」と比べて、祈り、供養の習慣に変化があったかについては、「前と変わらない」が7割強を占めましたが、24・3%が「ゆかりの深い故人への祈りや願いなど心の中で語りかける機会が増えた」と回答しました。約15%が仏壇、位牌、遺影に手を合わせたり、花や線香を供えたりする機会が「増えた」とし、いずれも「減った」を大きく上回ったといいます。最後に、記事は「祈りや供養の機会が増えたと答えた人の約8割は『今後も維持・継続したい』としており、コロナ禍で先祖との『絆』を求める指向が高まっていることも明らかになった。日本香堂は『未曽有の経験に揺れ動いた心の拠りどころとして、大切な故人に見守られているような、安らぎのひとときという実感を強めているのではないか』と分析している」と結んでいます。


唯葬論』(サンガ文庫)

 

 拙著『唯葬論』(サンガ文庫)で、わたしは、「なぜ人間は死者を想うのか」という問いを立て、人間に「礼欲」という本能がある可能性を指摘しました。人間を「社会的動物」と呼んだのはアリストテレスで、「儀式的存在」と呼んだのはウィトゲンシュタインですが、儀式とは人類の行為の中で最古のもの。ネアンデルタール人も、現生人類(ホモ・サピエンス)も埋葬をはじめとした葬送儀礼を行っていました。わたしは、祈りや供養や儀式を行うことは人類の本能だと考えています。この本能がなければ、人類は膨大なストレスを抱えて「こころ」を壊し、自死の連鎖によって、とうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。


隣人の時代』(三五館)

 

また、冠婚葬祭とは「祈り」や「供養」の場であるとともに、「集い」や「交流」の場でもあります。人間には集って他人とコミュニケーションしたいという欲求があり、これも「礼欲」の表れだと言えるでしょう。冠婚葬祭などに参加しずらいコロナ禍の現状下で、人々は多大なストレスを感じていることを確認できました。拙著『隣人の時代』(三五館)では、チャールズ・ダーウィンが『種の起源』に続いて発表した『人間の由来』において、互いに助け合うという「相互扶助」が人間の本能であると主張しました。「社会的存在」である人間は常に「隣人」を必要とします。そして、キリスト教も、進化論も、ともに人類の「隣人性」を肯定しているのです。冠婚葬祭は「死者への想い」と「隣人性」によって支えられていますが、それらは「礼欲」の両輪と言えます。

香をたのしむ』(現代書林)  

 

それにしても、こんな時期に意義のある調査を実施された日本香堂さんに敬意を表します。わたしは、2009年に同社の小仲正克社長(当時)と対談しましたが、香りが「こころ」と「たましい」に与える効果について語り合い、「お線香という商品には、“日本人の想い”が託されている」ことを確認しました。この対談の内容は、2010年1月に刊行された『香をたのしむ』(現代書林)  に収録されています。

 

2020年7月19日 一条真也

『呪文』

呪文 (河出文庫)

 

一条真也です。
俳優の三浦春馬さんが亡くなられました。クローゼットの中で首を吊って死亡していたそうですが、一条真也の映画館「東京公園」で紹介した映画を観て以来のファンでしたので、かなりショックを受けました。まだ30歳と若く、これからが楽しみだったのに残念でなりません。彼は生真面目な性格で、ネットでの誹謗中傷などを憎んでいたとか。
今年1月、スキャンダルを報じられるなどした有名人に対するネット上のバッシングが激烈を極める現状に「立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか」との思いをツイッターで綴っていました。故人の御冥福を心よりお祈りいたします。
さて、少し前に、ネットでの悪意などをテーマにした小説を読みました。『呪文』星野智幸著(河出文庫)です。著者の小説を読むのは、ブログ『俺俺』で紹介した作品以来です。著者は1965年ロサンゼルス生まれ。97年「最後の吐息」で文藝賞を受賞してデビュー。『目覚めよと人魚は歌う』で三島由紀夫賞、『ファンタジスタ』で野間新人賞、『俺俺』で大江健三郎賞、さらに『夜は終わらない』で読売文学賞を受賞しています。 

f:id:shins2m:20200620141025j:plain本書の帯

 

本書の表紙カバーにはどこかの商店街の写真が使われ、帯には「その伝染が、人を殺す――。」「『この本に書かれているのは、現代日本の悪夢である。』桐野夏生氏」と書かれています。カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「さびれゆく松保商店街に現れた若きカリスマ図領。クレーマーの撃退を手始めに、彼は商店街の生き残りを賭けた改革に着手した。廃業店舗には若い働き手を斡旋し、独自の融資制度を立ち上げ、自警団『未来系』が組織される。人々は、希望あふれる彼の言葉に熱狂したのだが、ある時『未来系』が暴走を始めて・・・。揺らぐ『正義』と、過激化する暴力。この街を支配しているのは誰なのか? いま、壮絶な闘いが幕を開ける!」

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毎日新聞」電子版より

 

この小説を読もうと思ったのは、毎日新聞が5月28日に配信した「この国はどこへ コロナの時代に 作家 星野智幸さん 『自粛警察』の悪夢」という記事を目にしたからです。記事には、「緊急事態宣言下では、営業を続ける店に対し、度を過ぎた表現で休業を求める張り紙をするなどの『自粛警察』が横行した。そんな報道にふれた時、作家の星野智幸さん(54)は『あたかも自作の世界に閉じ込められたような奇妙な悪夢感を覚えた』と振り返る。星野さんは5年前、小説『呪文』で、寂れた商店街に突如現れた若きリーダーと『正義』を掲げる自警団が街を変貌させていく物語を書いた。今回の新型コロナウイルス禍で、悪夢が現実に、小説は『予言の書』のようになった」

 

記事には「コロナがもたらしたのは、未知のウイルスへの恐怖や不安感にとどまらない。感染者やその家族への中傷、医療従事者への偏見など、隠されていた排外主義を白日の下にさらした。営業を続ける施設に対する嫌がらせが相次ぎ、『死ね』『潰れろ』といった暴力的なメッセージも目立つようになった。『呪文』のストーリーさながらに――」とも書かれています。自粛警察については、「正義の暴走」や「歪んだ正義」と批判的な見方が大方ですが、彼らがなぜそのような行動に走るのか、その心理状態について『呪文』という小説は見事に言語化しています。物語の舞台となる松保商店街は、「住んでみたい憧れの街ベスト5」にランクインし、おしゃれで感じの良い飲食店がある「夕暮が丘」の隣の駅にある商店街です。どうも「自由が丘」という実在の場所をイメージさせる「夕暮が丘」には店を出せなくても松保商店街なら何とか出せる。そう思って出店したものの、店は定着せずに、次々と潰れます。これは日本全国で見られる光景ですが、そこに救世主ともいうべきリーダーが出現します。

 

そのリーダーとは、商店組合理事長の娘の夫で、若くして組合の事務局長になった図領という男です。彼は、女性が1人で飲みながら夕食のとれる「麦ばたけ」という上品な居酒屋を経営していますが、事務局長として、潰れていく店舗を継ぐ者を外部から探し出し、店を再生させていきます。それゆえ、商店組合からの信頼も厚いのですが、そこに「佐熊」という客が現れてトラブルが発生します。佐熊は「麦ばたけ」で不当な扱いを受けたことを恨み、「麦ばたけ」および松保商店街を誹謗中傷する文章をネットにアップし、炎上させます。図領のほうも泣き寝入りはせず、ブログを立ち上げて、佐熊のクレームにネット上で反撃します。そのブログの内容や彼の行動は絶賛され、不当なクレーマーに敢然と立ち向かった彼は「現代のサムライ」と呼ばれるようになるのでした。

 

このあたりは、読んでいて非常にワクワクしました。もちろんネットでの誹謗中傷に反応することにはリスクがあることは百も承知ですが、自分の店や商店街を守るためには戦わなければならないこともあります。わたしもブログを10年以上続けており、それなりのアクセス数もありますが、基本的に他人を攻撃する文章は書かないことにしています。それでも、わが社やわが業界が一方的な誹謗中傷を受けた場合はブログで応戦する態勢はいつも整っています。以前、大手の専門葬儀社の社員が互助会を中傷する内容をブログに書いていたことがありました。その人間の氏名も職場も特定でき、なんとも間抜けなことに彼は某テレビ局の葬儀特集に出演したので顔の画像もバッチリ押さえることができました。

 

わたしは「さあ、これから退治するか!」と意気込んでいたのですが、社内に「相手にしないほうがいいですよ」と説得してくる者がいて、そのままになっています。その後、彼は葬儀関係の本を出版してまったく売れなかったので意気消沈したのか、ブログの内容もトーンダウンしていきましたが、また変な真似をしたときは、いつでも迎撃ミサイルを発射する用意はできています。ちなみに木村花さんの件もあり、これからは一切、ネットで匿名での発信ができないように法整備をすればいいと思います。名前を隠し、顔を隠すから、みんな平気で卑怯な真似ができるのです。実名でブログを立ち上げ、クレーマーと正面から対決し、喝采を浴びて「現代のサムライ」と呼ばれるようになった図領は、その後も数々の仕掛けを打ち、ことごとく成功を収めます。彼の元にはシンパというか、彼を支持する者が集い始め、彼らによって結成された自警団「松保未来系」が誕生します。

 

この「松保未来系」の姿が現在の「自粛警察」に重なるのですが、未来系のメンバーの1人である犬伏についての次のような描写があります。
「災害や天変地異、巨大な事故やテロが起きると、犬伏は普段の無気力から一変して活性化するのだった。悲劇のにおいがすると元気になる。それほど、自分は人間が嫌いなのだと思っていた。自ら破壊する行動を取り続ける愚かな人間という種族を、軽蔑していた。戦争などという究極の破壊行動が起こったら、誰よりも忌み嫌いながら、同時に生き生きとするかもしれない。そしてそんな自分こそ、愚かな人類の代表だった。自分が滅びることは、象徴的に人類の滅亡を意味している。だから犬伏は自分が滅亡することを目指していた」(『呪文』P.137~138)

 

また、未来系の中心人物である栗木田についての次のような描写もあります。
「少々いかがわしい携帯電話の販売店に勤務し、うだつの上がらない仕事ぶりに自分でもうんざりしつつ、でもこれが俺だからと諦めていたが、その日の帰宅時、乗っていた電車が線路上で止まってしまって、車掌からは何の説明もなく30分以上が経ち、車内に怒りが渦巻いたとき、佐熊は突発的に非常コックを使ってドアを開けると線路を走って車掌室に乗り込み、車掌を絞め上げ、停車の理由と見通しを車内放送で説明させたのだった。人生であれほどの充実感と有能感を覚えたことはなかった。こんな取り柄が自分にはあったのかと、生まれ変わったような気分だった。そうして『世直し』に手を染め始めると、自信ができて仕事のほうもほんの少しうまくいくようになった。世直しをしていれば、職場の理不尽は耐えられた。それでにわかに世直しにのめり込んでいった。同じようなことをしている連中が他にも大勢いることをネットで知り、気分の上でつるむために『世直し同盟』を結成した。お互いの手柄を競い合うようにして、世直しを過激化させていった」(『呪文』P.168)

 

まさに、自粛警察の人々の心情を語っているかのような文章です。未来系の人々は自身が「クズ」であることを自覚し、激しい罵倒による徹底的な自己否定を受けることで覚醒し、その過程で「クズ道というは死ぬことと見つけたり」という金言に行き着くのでした。まるで、かつての連合赤軍を連想してしまいますが、クズたちは最後に救いのないカタストロフィーを迎えます。読んでじつに嫌な気分になる小説ですが、その一方で現在の日本社会を活写していることに驚きます。『呪文』が発表された2015年は、近隣国や在日外国人へのヘイトスピーチが頻発した時期と重なります。寛容さが失われつつある社会に心を痛めた著者は、「悪夢のような未来を避けられたら」と願って本書を執筆したそうです。

 

また、著者は「極端な形を取った、おぞましい物語を見せることで『そうはなりたくない』と読む人に思わせることを期待した。コロナという病がそれを現実化してしまうなど想像もしていませんでしたが、こうなってみると、意外というよりは『やはり、そうなってしまったか』という感覚の方が強い。この国はヘイトを許す土壌を、長い時間をかけてつくってきましたから」とも毎日新聞のインタビューで語っています。確かに『呪文』は救いのない嫌な結末の物語ではありますが、未来系の人々は自分たちが「クズ」と自覚していたことはまだ救いがあるという見方もできます。ネットで他人を誹謗中傷し続ける匿名の投稿者も、「死ね」「潰れろ」といった暴力的なメッセージを放つ自粛警察も、さらにはコロナの最前線で闘う医療従事者やその家族に対して理不尽な差別感情を抱く連中も、みんな自分の正体が「クズ」であることを自覚する必要があるでしょう。

 

呪文 (河出文庫)

呪文 (河出文庫)

 

 

2020年7月19日 一条真也