読書文化で日本復活

一条真也です。
当ブログで「『緊急事態宣言』を『読書宣言』と陽にとらえて、大いに本を読みましょう! 」と訴え続けているわたしですが、「週刊新潮」5月7日・14日ゴールデンウィーク特大号に作家・数学者の藤原正彦氏の「緊急提言 コロナ後の世界 今こそ読書文化で日本復活」という記事を読み、我が意を得た思いをしました。非常に示唆に富んだ内容でした。

f:id:shins2m:20200509161901j:plain週刊新潮」5月7日・14日ゴールデンウィーク特大号

 

藤原氏は、全世界的な新型コロナウイルスの蔓延で、はっきりしてきた対立が2つあるといいます。1つは、中国の覇権主義とそれを警戒する国々との対立です。そして、もう1つは、グローバリズム新自由主義)と国民国家の対立です。
これら2つの対立が鮮明になったことで、世界各国では具体的に以下の4つの動きが顕著になります。第1は、国民国家への回帰がさらに発展して、トランプ政権のような自国ファーストが強く叫ばれるようになる。第2は、自由に対する規制が強化される。さらに今後は失業者が急増し、彼らを守るために、移民も規制する必要が出てきます。第3は、経済至上主義への懐疑が強まる。そして第4は、格差の是正と福祉政策が強化されます。

 

国家と教養(新潮新書)

国家と教養(新潮新書)

 

 

幕末の頃、世界中を植民地にしたヨーロッパ人が最後にやってきたのが極東の日本です。彼らは江戸の本屋で庶民が立ち読みしているのを見て、「これはとても植民地にはできそうにない」と思ったそうです。藤原氏は、著書『国家と教養』(新潮新書)の中で、「教養」とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力だと喝破します。その教養を育てるものは、もちろん読書です。そして、国民の読書を支えるものは図書館や書店ですが、日本においては書店の数が減少する一方です。

 

本屋を守れ 読書とは国力 (PHP新書)

本屋を守れ 読書とは国力 (PHP新書)

  • 作者:藤原 正彦
  • 発売日: 2020/03/13
  • メディア: 新書
 

 

藤原氏には、『本屋を守れ 読書とは国力』(PHP新書)という最新刊があります。日本人の15歳の読解力はOECD経済協力開発機構)の学習到達度調査で急落しました。月に1冊も本を読まない中高生や、移動時間に新聞や文庫本を読まず、スマホしか見ない大人たちが増え、町の本屋の数は減る一方です。著者いわく、これらは国家全体に及ぶ「読書離れと教養の低下」にほかなりません。めざすは「書店の復活」だといいます。

f:id:shins2m:20200417153028j:plain近刊『心ゆたかな社会』(現代書林) 

 

さらに、緊急提言で藤原氏は以下のように述べています。
「これからもっとも大事なことは、コロナを奇貨としてよりよい社会、よりよい国にするということです。転んでもただで起きないことです。今、大切なのは楽観力です。有史以来、コロナよりはるかに悲惨な天災、疫病、飢饉、戦争をくぐり抜けてきた日本民族には、やさしさに加え不屈の精神があります。コロナ程度に負けるはずがないのです」
これは、100冊目の「一条本」となるわが近刊『心ゆたかな社会』(現代書林)におけるメッセージに通じます。

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西日本新聞」2020年4月21日朝刊

 

藤原氏の言う「今、大切なのは楽観力」というのも、まったく同感です。それは、わたしの言う「何事も陽にとらえる」ということにほかなりません。先日の「西日本新聞」の連載コラム最終回のタイトルでもある「何事も陽にとらえる」とは、父の教えです。今回の新型コロナウイルスによるパンデミックを陽にとらえ、前向きに考えるとどうなるか。それは、何と言っても、世界中の人々が国家や民族や宗教の枠を超えて、「宇宙船地球号」の乗組員だと自覚したことに尽きるのではないでしょうか。その意味で、「パンデミック宣言」は「宇宙人の襲来」と同じかもしれません。新型コロナウイルスも、地球侵略を企むエイリアンも、ともに人類を「ワンチーム」にする存在なのです。アフター・コロナは人と人が温もりを求め合う「心ゆたかな社会」です。世界は必ず良くなります。あなたはきっと幸せになります。
そう信じて、ともに前に進んでいきましょう!



2020年5月9日 一条真也

『ポップ・スピリチュアリティ』

ポップ・スピリチュアリティ: メディア化された宗教性

 

一条真也です。延長された「緊急事態宣言」を「読書宣言」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう! 
『ポップ・スピリチュアリティ』堀江宗正著(岩波書店)を読みました。「メディア化された宗教性」というサブタイトルがついています。著者は、1969年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科附属死生学・応用倫理センター准教授。死生学、スピリチュアリティ研究。2000年、東京大学大学院人文社会系研究科宗教学宗教史学博士課程満期退学。博士(文学)。聖心女子大学文学部准教授を経て現職。著書に、ブログ『スピリチュアリティの行方』で紹介した本などがあります。 

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には、パワースポットらしき注連縄が巻かれた大木の写真が使われ、帯には「『スピリチュアル・ブーム』とは何だったのか? 20年の総括」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

本書の帯の裏には、以下のように書かれています。
「宗教についても心理学や医学などの知識についても、ある程度は知っているが、それを全面的に支持せず、心や魂の問題を理解して解決するのに使えるものは使うというプラグマティックな意識を持った人々のスピリチュアリティ、その中でも理解しやすく、実践しやすく、人気(ポピュラリティ)を基準として選別されたもの、SNS上で人々自身がメディアとなって流通させてゆくもの、本書が扱うのはそのような『ポップ・スピリチュアリティ』の、21世紀に入ってからのテーマ別の動向である」

 

また、カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「アカデミックな『スピリチュアリティ』は定着せず、霊を信じる『スピリチュアル・ブーム』が起こったが、バッシングを受けて衰退した。このような見方に本書は再考を迫る。それはグローバルに同時多発するスピリチュアリティの日本的な現象にすぎない。『前世療法』の体験談から探る現代の輪廻観。『パワースポット』でパワーが体験される仕組み。ライトノベル、アニメ、SNSなど『サブカル』を操っている『魔術師』たち・・・。『ブーム』を超えて東日本大震災の後も拡散と深化を続ける、その各メディアでの展開を緻密に読み解く」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」

第1章  スピリチュアリティとは何か
     ――概念とその定義

第2章  2000年以後の日本における
     スピリチュアリティ言説

第3章  メディアのなかのスピリチュアル
     ――江原啓之ブームとは何だったのか

第4章  メディアのなかのカリスマ
     ――江原啓之とメディア環境

第5章  スピリチュアルとそのアンチ
     ――江原番組の受容をめぐって

第6章  現代の輪廻転生――輪廻する“私”の物語

第7章  パワースポット現象の歴史
     ――ニューエイジスピリチュアリティ
       から神道スピリチュアリティ

第8章  パワースポット体験の現象学
     ――現世利益から心理利益へ

第9章  サブカルチャーの魔術師たち
     ――宗教学的知識の消費と共有

「参考文献」
「あとがき」

 

「はじめに」で、著者は以下のように述べています。
「日本では1970年代から『宗教』団体の外で個人主義的な宗教文化的資源の消費が始まる。それは、オカルト、精神世界、ニューエイジなどと呼ばれてきた。95年のオウム真理教地下鉄サリン事件を経て、下火になるかと思いきや、2000年代にはテレビ・書籍を中心に『スピリチュアル・ブーム』が起こる。そのピークはだいたい2007年あたりで、江原啓之がテレビ出演を中止した後に衰退したと思われている。しかし、実際にはテレビなどのマス・メディアを素通りしているだけである。出版やネット・ユーザーの動向を見る限り、東日本大震災以後にも関心の盛り上がりが見られる。インターネット、SNSなど、従来とは異なるメディアを通じて拡散と深化は続いている。それは、人々自身がメディアとなって情報を伝え合うという新しい状況に根ざしている。一方、インターネットは激しい論争が繰り広げられる場所でもある。『スピリチュアル』という言葉は『虚偽・詐欺・軽信』というイメージで批判されるようになり、当事者は『スピリチュアル』という言葉を使用するのを避けるようになっている」

 

著者によれば、「スピリチュアリティ」という言葉を比較宗教・比較文化的な分析概念として使用し、グローバルに起こっているスピリチュアリティをめぐる動きのなかで日本の状況をとらえてみようというのが本書の狙いであるといいます。著者は、「宗教はもともとメディアであり続けた。とくに近代以降の宗教は、書物を通じて同一の内容の教えを共有し、伝えるメディアになろうとした。また信者になることは、布教を通して自分自身がメディアになることであった。そのあとになっているのは、同一の意味内容を保持する書物というメディアのメタファーである。だが、キリスト教の聖書も仏教の経典も、元をたどれば口コミや伝承の世界に根ざしている。そこから立ち上がって、抽象的な概念や教義を作り上げてきたのが『宗教』である。それは、もっと大きな人類の歴史のなかでは極めて特殊なものである」と述べます。

 

また、著者は「『宗教』を相対化し、宗教ではないけれど、何か自分にとって大切な価値観を表明し、伝えようとする人々がいる。そのような人々が日々に更新し続けているポップ・スピリチュアリティの世界は、現代的な現象ではあるが、むしろ文字以前の、つまり『宗教』以前の人々の精神生活の有様に近いものであるかもしれない。そこには科学的に誤った信念や倫理的に不適切な行動が含まれているかもしれない。しかし、『宗教』に比べれば流動的であり、公的に議論することで正されると期待できる」とも述べています。

 

 

第1章「スピリチュアリティとは何か――概念とその定義」では、本書が現代日本におけるスピリチュアリティに関わる様々な文化現象を扱うことが示され、日本では、「オカルト」「精神世界」「ニューエイジ」「スピリチュアル(名詞的用法)」などと言葉が移り変わり、指示される現象の強調点も移り変わることを指摘して、著者は「こうした用語の乱立を踏まえ、これらを広く括るために島薗進は『新霊性運動』『新霊性文化』という分析概念を提唱し、やがてカタカナ語の『新しいスピリチュアリティ』を使用するようになる。筆者もこれにならい、当事者の自称とは別に比較宗教学的な分析概念として『スピリチュアリティ』を使うことにする」と述べています。一方、このスピリチュアリティ概念を使用するにあたっては、もともとのキリスト教的な文化的背景、英語圏での用法の歴史、学術的背景を踏まえる必要があるとして、「特に概念構築に貢献してきたのは心理学で、後に宗教社会学に取り入れられた」と指摘しています。



第2章「2000年以後の日本におけるスピリチュアリティ言説」では、6「マス・メディアにおける『スピリチュアル』」として、「スピリチュアル・カウンセラー」として一世を風靡した江原啓之を取り上げ、「江原のユニークさとは、片仮名語の使用による『ファッショナブル』な印象、トラウマ指向心理学の援用、伝統的な霊信仰への根づきと刷新、メディアを介した消費主義との結びつきとしてまとめられる。知識人の片仮名スピリチュアル/スピリチュアリティの使用は、伝統的な霊信仰からの決別を含意していたが、江原はよりポピュラーなレベルで根深い霊への関心を引きつけつつ、トラウマ心理学的な語彙を用いて、伝統的外観から離脱し、『癒し』と同等の成功を、ほぼ独力で成し遂げたのである」と述べています。



また、7「根強い『霊』への関心」として、著者は「確固たる霊信仰ではないとしても、霊への関心は、ポピュラーなレベルで、特に低年齢層を中心に根強く続いていた」と指摘し、「それは信仰というよりは、『学校の怪談』などの現代民話や都市伝説という物語の形をとって伝達されている。他方、オウム事件以後、知識人とマス・メディアは、霊的なものを宗教的なものとして遠ざけてきた。知識人は『霊』という言薬を取り除いた片仮名の『スピリチュアリティ』を好み、『無宗教』と自覚する末期患者(高齢者が多いと思われる)のスピリチュアル・ケアにも対応してきた。しかし、それではより若い大衆の霊への関心には十分に応えられない」と述べています。



続いて、著者は、近年の高齢者が「霊」を信じず、逆に若者の方が信じている傾向については、各種の世論調査でも確かめられているとして、「その間隙を埋めたのが、江原啓之の、『スピリチュアル』であった。江原はポップ・スピリチュアリティ領域における霊への関心に応えつつ、トラウマ指向の心理学の知見を積極的に取り入れ、霊信仰を片仮名語の『スピリチュアル』でイメージ・アップし、マス・メディアに載りやすいものへと作り替えた」と述べます。



さらに、8「日本人の無宗教の宗教性」として、著者は以下のように述べています。
「日本人の多くが無宗教となったのは、自然なことではなく、江戸幕府、明治政府以来の宗教政策によるところが大きい。そこでは、『宗教』は、政府によって管理・統制されるべきものとして社会的に位置づけられてきた。また、生業と結びついた年中行事や、イエと結びついた通過儀礼・葬送儀礼も、社会習俗として位置づけられたため、日本人の多くはそれを『宗教』と見なさない。だが、それらの儀礼や人々の信念のなかには、死者に対する敬慕の念、自然への恐れや感謝などが入り込んでいる。それは、死者の霊や自然に息づくエネルギーやパワーへの関心とさほど距離がない」



そして、9「スピリチュアリティのゆくえ」として、著者は「『無宗教の宗教心』を育んだ伝統行事・儀礼の基盤であった氏子や檀家の結束が薄れると同時に、有名社寺がますます人を集め、財力を蓄え、不特定の個人向けの行事を拡大する傾向は、2010年代に入るとパワースポット・ブームや御朱印集めの形を取って、ますます顕著となる。『伝統的』と認知された宗教的実践は、新しい宗教運動に警戒を抱く人々にも受け入れられやすい。特定の信仰を強制しない修行への自由な参加という形態は、スピリチュアリティに関心を持つ人々を広く引きつけるだろう」と述べるのでした。



第3章「メディアのなかのスピリチュアル――江原啓之ブームとは何だったのか」では、3「テレビ番組の相談事例から――スピリチュアル・カウンセリングの構造」として、著者は「江原のスピリチュアル・カウンセリングは、霊観念を介在させているにもかかわらず、通常の心理学的カウンセリングと多くの共通性を有することが分かった」と述べます。その構造をまとめると、(1)霊視(シッティング)により、相談者は江原に急速に信頼を寄せるようになる。(2)問題の遠因を過去の失敗や喪失や被害に求める。(3)問題を問題として感じている相談者の認知そのものを変え、本来的には善なる性質が逆説的に問題を悪化させ、固定化していることを指摘する。(4)その善なる性質を、守護霊の性質と結びつけることによって、相談者が孤独ではなく、問題解決能力を潜在的に持っているということを示す。そして著者は、これらの構造は「臨床心理学では順番に、ラポールの形成、トラウマ理論への依拠、リフレーミング、エンパワーメントなどと呼ばれるものに近い」と指摘します。



さらに、「筆者は、江原を決して特別視するつもりはなく、熟練の宗教家や評判の良い占い師は、その時代の心理療法的な技法に関心を持ったり、あるいは経験にもとづいて無自覚に実現したりしていることが多いと考える。とはいえ、宗教的治療者の多くは、宗教的な病因論や儀礼的な治療法を前面に押し出すことが多い。ところが、江原の場合は、総じて心理学的な病因論に依拠する比率が高く、時おり浄霊や除霊もおこなうが、最終的には相談者本人の自覚と決断に問題解決をゆだねることが多い」と述べ、江原が書籍では「ガイド役」、テレビでは「カウンセラー」というイメージを自ら演出していることは「呪術的実践による直接的援助より、霊的な世界観や価値観の伝達による自立的成長の間接的支援を重視していることを示唆する」と指摘しています。



4「江原の思想の特徴――霊的真理の八つの法則」では、著者は、江原と宗教との関係性について述べています。
「江原は、自らをスピリチュアリストとし、宗教と一緒にされたくないと考えているようだが、日本の新宗教にはもともと神霊との交流をおこなうシャーマニズム的な要素がある。その一つである大本教から別れた浅野和三郎が日本にスピリチュアリズムを紹介したという経緯もある。そして、それが再びGLAや幸福の科学などのより新しい新宗教(新新宗教と呼ばれることもある)に流れこんでゆく。こうした『霊界』観念を軸とする宗教思想の発展のなかに、江原の思想は位置づけられる。これらの教団の信者は、江原の教えにさほど違和感を抱かないだろう(実際、筆者は新宗教の男性幹部の妻が江原のファンとなって幹部が困惑する話はよくあると、複数の教団関係者が集まる場で聞いたことがある)」


7「ブームのゆくえ――スピリチュアリティ言説の状況から」では、人々と具体的に関わらずにメディアを介してのみ情報を伝達する「心理―霊」的なカリスマという「江原モデル」は、「カルトはバッシング、オカルトはブーム」という日本のメディア状況と、「霊を信じるが無宗教」という層に適合的であったと指摘し、著者は「この成功例により、今後も同様のカリスマが登場する可能性がある。反オカルト論者も巻き込んで、透明性と共通言語が本当に成立すれば、霊に関するビジネスには自浄作用が働き、社会的信頼が高まるかもしれない。だが、これはメディア主導のスピリチュアル・ビジネスが、『宗教』を圧殺し、新しい宗教とデなることの予兆かもしれない。そこで提供されるのは、最終的な真偽にこだわらず、役に立つかどうか、面白いかどうか、日常生活をおびやかさないかどうかという条件をクリアした情報のみである。若年層における都市伝説の流通、メディアにおける占いの定着、古くから存在するがますます高まりを見せるファンタジー人気、そして本章で取り上げた江原ブームなどは、その好例と言える」と述べます。



 続けて、著者は以下のように述べています。
ポストモダンとも呼ばれる価値観や信念の多様化・流動化・相対化した社会においては、このようなプラグマティズム的な信念、あるいは(社会性を欠く場合)コミットメントなき信念が主流となる。それが、欧米では『スピリチュアルだが宗教的ではない』個人、日本では『霊を信じるが無宗教』という一般的態度、これらを総称するなら理解しやすさ、実践しやすさ、人々の支持を特徴とするポップ・スピリチュアリティとして表面化していると言えるだろう。いずれもプラグマティズム的な信念のあり方である以上、宗教のような『最終的な解決』は期待できないし、人々もはじめから期待しない。ブームは作り出され、使い果たされてゆく。そのなかで、一部の人々は、一時的な現実逃避を繰り返すようになるかもしれない。江原自身の『霊的真理』を広めたいという真剣な意欲と、江原ブームの置かれている文脈とのギャップは著しい。しかし、彼自身、どこかでその半端さや矛盾や欺瞞を感じながら、それに乗っているのである」



第4章「メディアのなかのカリスマ――江原啓之とメディア環境」では、5「テレビ『天国からの手紙』――ミディアム・ヒーラーとして」で、著者は、年に2回ほどの特別番組として2004年からフジテレビ系列で放送された「江原啓之スペシャル 天国からの手紙」を取り上げ、江原は、霊視や霊言を介して、遺族にしか分からない事実を言い当て、死者の言葉として整合するようなメッセージを伝える。遺族は、驚きながらリアリティをもってそれらを受け止めている。また、『グリーフ・ケア』という用語が紹介されていることから、死別の悲嘆に関する心理学的知見を江原が意識していることがうかがえる。除霊や浄霊を常とする霊能者の呪術的・宗教的救済とは異なり、相談者本人が悲嘆から回復するのを助ける心理的な癒しが目指されている。自らの存在意義を見失ってしまった遺族が故人との絆を再確認することで生きる意味を取り戻すのを助けるという実践は、東日本大震災の被災者に対する宗教者によるスピリチュアル・ケアとも近い。しかし、遺族を癒すのが江原の伝える死者のメッセージそのものだという点は、グリーフ・ケアやスピリチュアル・ケアの域を超えている。遺族の自責の念は『誰も悪くない』という死者のメッセージによって癒され、死別後の孤独は、実は死者が語りかけていたという光景に置き換えられる。そうして、見えなくなっていた家族の絆がリアルに思い描かれる」と述べています。この著者の指摘は非常に的確かつ重要であると思います。



そして、第5章「スピリチュアルとそのアンチ――江原番組の受容をめぐって」の冒頭を、こう書きだしています。
「1970年代のオカルト・ブーム以来、超常現象や心霊現象を扱ったテレビ番組はある一定の視聴率を稼ぎ、テレビの世界でその存在価値を認められてきた。とはいえ、それは恒常的な地位を占めていたわけではない。むしろ、ブームと衰退を繰り返してきたと言ってよい。たとえばユリ・ゲラー宜保愛子など、人々を引きつける存在が現れる。番組制作側は、彼らが視聴率を稼ぐことを確認すると、彼らを繰り返し出演させる。それに伴って知名度が上がると、懐疑派から批判が続出する。台頭してはバッシングを受け、衰退する。それがいわゆる『オカルト番組』、超常現象を扱う番組がたどる運命であった。それはまるでモグラ叩きのように、アンダーグラウンドにあったものが表に出ると一斉に叩かれるという図式である」
これは、わが国におけるオカルト・ブームの構図を見事に説明しているように思います。



第6章「現代の輪廻転生――輪廻する“私”の物語」では、「スピリチュアリティと死生観」として、「輪廻」の問題が取り上げられます。著者は「輪廻は、日本では仏教由来の伝統的死生観として考えられがちだが、実は葬式仏教の先祖祭祀とは矛盾する」としながらも、「輪廻と先祖祭祀の矛盾を処理する方法はいくつかある。1つは、分裂した信念体系を使い分け、矛盾を自覚しないというものである。もう一つは、死者はしばらく生まれ変わらないと考え、記憶のある近親者のみを追悼すること(メモリアリズム)である。しかし、祖霊の系列を真剣に祀る先祖祭祀からは離れる。先祖祭祀の立場から輪廻を統合するものとしては、先祖は仏になった死者である(浄土へ往生、あるいは追善供養を経て成仏)という観念がある。この場合、六道輪廻は成仏しない死者に限定される。仏教の教理を表面上は保持しているが、このような輪廻の局限化は、死んですぐに仏になって生まれ変わらないと考えるのであれば、実質的な無効化に等しい」と述べています。



著者は、論理的にもっとも整合的な融和策は民俗的輪廻観とでも言うべきものであるとして、「ラフカディオ・ハーンは、1896年の時点で、日本人には西洋流の薄くて透明で内側に宿っている個性ある『霊 ghost』の観念がないと書いている。西洋流の『自己』とは、仏教においては無数の前世 preexistenceの行為と思念との総計であるカルマ(業)が作る幻想 illusionsの一時的合成体であり、神道においても複数の死者の霊(=神、祖先)の集合体である。それを若い学生から教育のない最貧層の百姓までもが信じている、と記述している。このことから、ハーンの観察する当時の日本人は、自分が複数の前世ないし祖霊の集合体からの生まれ変わりであるという死生観を持っていたことが分かる。このような死生観であれば、先祖祭祀と輪廻の矛盾は解消されるだろう」と述べています。



さらに著者は、日本民俗学創始者である柳田國男の死生観に言及し、以下のように述べています。
「時代を下って、柳田國男は六道輪廻の思想は日本にはなく、死者の霊が浄化されると大きな霊体、『神』と呼ばれるものと一体化して個性をなくし、以前の個性のままでは生まれ変わらないとした。その一方で、床下に小児の墓を設けて生まれ変わりを早めようとする事例、子どもと故人の類似性を取り上げて「この児は誰さんの生まれ替りだ」などと観念する事例から、『必ず同一の氏族に、また血筋の末にまた現われると思っていたのが、わが邦の生まれ替りだったかと』推測している。イエの先祖や氏神などと呼ばれる祖霊集団にいったん融合して、そこから生まれ変わるという、イエを基体とする輪廻観である。この輪廻観なら先祖祭祀と両立可能である」

 

先祖の話

先祖の話

 

 

著者は「もとより日本人の死生観を1つに代表させることはできない」として、「インド起源の輪廻の説話が文字通り信じられていたとは言えない。貴族の輪廻の観念がどの程度民衆に広まっていたか定かでない。輪廻を無効化した死後即成仏の観念や先祖祭祀も、寺請制度やイエ制度に適したものであり、日本史を一貫した普遍的なものとは言えない。民俗的輪廻観/祖霊観/他界観も、普遍化するには根拠が薄い。むしろ異なる死生観が多元的に並存し、時代・地域・階層によって強調点が移動するというのが、日本人の死生観の現実であろう」と総括しています。

 

 

また、「20世紀の輪廻転生観」として、著者は超能力者として知られたエドガー・ケイシーの思想などに触れた後で、「現代のスピリチュアリティの領域でもっとも影響力があり、頻繁に引用・参照されるのは、精神科医ブライアン・ワイスの『前世(退行)療法』だろう。これは、退行催眠によって前世を想起し、現世の問題を解決するという療法である。前世の状況、その死から光あふれる中間世への移行、『マスター Master』(現在は肉体のなかにいない高度に進化した霊)との出会い、現世への計画的な誕生の有り様が、催眠中のクライエントの口から語られる」と述べています。「マスター」という言葉については、「神智学その他を介して広くニューエイジで流通している言葉で、輪廻をやめて昇天(次元上昇)した霊を指すことが多いが、ワイスの本に出てくる『マスター』たちは、浄化されてはいるが完全に輪廻をやめた存在ではないようである」と説明します。



第7章「パワースポット現象の歴史――ニューエイジスピリチュアリティから神道スピリチュアリティへ」では、1「1980年代のパワースポット――天河神社の登場」として、ブログ「天河大弁才天社」で紹介した神社が取り上げられます。そして、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二氏が登場します。著者は、天河の名を世に広めた宗教学者として鎌田氏を紹介し、「鎌田は、パワースポットとしての天河を見出し、積極的に評価し、その地位を固めた立役者と言っても過言ではない。また、鎌田は天河との関わりを通して、彼自身の宗教学的な聖地論を形成し、それによって天河を世界各地の聖地とつなげる視点を提示した」と述べています。

 

 

また著者は、「宇宙船の船長」こと天河神社の柿坂神酒之祐宮司にも言及しながら、「鎌田の宗教論は、神道に属する神社という日本固有のスピリチュアリティと関わりのある聖地の評価を含むが、他の国や地域の聖地をも同様に評価するため、必ずしも排他的なナショナリズムにならない。たとえば、鎌田は柿坂の『神社は宇宙船なり』という言葉を引き、またメイソンJ.W.T.Masonの『神ながらの道』を参照しながら、神社は『神霊の乗り物』であり、『自然の霊性・万物の霊性・宇宙の霊性と交通する回路』であり、『バリの聖地やアメリカ・インディアンの聖地やケルトの聖地とつながっている』という。したがって、鎌田にとって、神社とは地球上の数々の『聖地』の一形態でしかない」と述べています。

 

聖地感覚 (角川ソフィア文庫)

聖地感覚 (角川ソフィア文庫)

  • 作者:鎌田 東二
  • 発売日: 2013/10/25
  • メディア: 文庫
 

 

続けて、著者は鎌田氏の聖地論について、「それでは聖地とは何であるか。鎌田は、アメリカ・インディアンの聖地を精査した環境心理学者であるスワンJ.Swanを参照し、聖地とは『人間を[他の場所より]ずっと容易に霊的な意識状態へ導く力を持って』おり、『浄化・治癒・変容・洞察が生起するような場所』と規定する。また、ゲーテJ.W.GoetheやシュタイナーR.Steinerなど、ドイツのロマン主義神秘主義の思想家を頻繁に参照し、山頂の岩は地球が生成する始原の光景を幻視できる場所であり、地球と直接つながる場所であり、それが神道においては奈良県三輪山のように神の降りる岩座として特別視されると考える」と説明しています。

 

聖地への旅―精神地理学事始
 

 

さらに、著者は鎌田氏の聖地論について、「そのような聖地に行くことを通して、人間は天と地の媒介となることができる。鎌田はそのことの例証として、モーセがホレブ山で神に『裸足になれ』と命じられたことを引用する。このように彼が天河神社をはじめとする日本の様々な神社を評価するのは、神道という宗教の施設だからではなく、宗教を超えた霊性との交流を可能とするチャンネルだからである。鎌田の天河論と聖地論には、神道スピリチュアリティの再評価という面と、世界各地の聖地に地球と宇宙の神々を媒介する機能を見出そうとする同時期のニューエイジスピリチュアリティの反映という面の両方がある。それはこの時期のパワースポット論が神道には偏っていないということを示す」と述べるのでした。


開運! パワースポット「神社」へ行こう

 

6「神道スピリチュアリティナショナリズム」として、著者は「日本ではパワースポットは仏教ではなく神道と強く関係づけられる。仏教は、欧米では宗教よりもスピリチュアリティに近いが、日本ではむしろ既成宗教の一つである。神道、とくに鎌田東二のような思想家たちが創造的に定式化した古神道が日本のニューエイジにおいて占める位置は、欧米におけるネオ・ペイガニズムや先住民のスピリチュアリティの位置に相当する。これらは世界宗教以前の古代のスピリチュアリティを表象するものと考えられている。実際、ヨークは日本の神道をその自然崇拝ゆえにペイガニズムの1つと見なしている。他方、神道は組織宗教であり、戦前においては権威主義的な教えと強力な天皇崇拝とともに、国民を戦争に導いてきた。それは権威主義的な宗教組織を嫌うニューエイジャーにとって受け入れがたいはずだ」とも述べています。ちなみに、わたしは『開運! パワースポット「神社」へ行こう』(PHP文庫)という本を監修しました。

 

スピリチュアリティの興隆―新霊性文化とその周辺

スピリチュアリティの興隆―新霊性文化とその周辺

  • 作者:島薗 進
  • 発売日: 2007/01/24
  • メディア: 単行本
 

 

本書の版元は岩波書店です。著者は「あとがき」で、岩波書店から出版された類書としては、著者自身の書である『スピリチュアリティのゆくえ』(2011)、島園進著『スピリチュアリティの興隆――新霊性文化とその周辺』(2007)、リゼット・ゲーパルト『現代日本スピリチュアリティ――文学・思想に見る新霊性文化』(2013)などを紹介しています。島薗氏の著書には『現代宗教とスピリチュアリティ』(2012、弘文堂)もあります。

 

現代宗教とスピリチュアリティ (現代社会学ライブラリー8)

現代宗教とスピリチュアリティ (現代社会学ライブラリー8)

  • 作者:島薗 進
  • 発売日: 2012/12/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

これらの先行研究を紹介した後で、著者は「本書は、内容も論調もこれらの系譜上に位置づけられる。まず宗教学の立場から書かれていること、宗教と関わりつつそれと距離をとろうとする『スピリチュアリティ』を扱っていること、日本を主な対象としているがグローバルな視野を持っていること、ポピュラー文化から政治的意味にわたる広い領域に目配りしていること、スピリチュアリティを賛美も非難をせず多角的にとらえようとしていることなどである。だが、これらの類書はどちらかと言えば、知的な言説の分析に傾きがちである。本書の特色は、よりポピュラーな次元でのスピリチュアリティをとらえ、インターネット時代のスピリチュアルな個人のあり方に迫ろうとする点にある」

 

バラエティ化する宗教

バラエティ化する宗教

  • 作者:石井 研士
  • 発売日: 2010/10/01
  • メディア: 単行本
 

 

本書には、島薗進先生や鎌田東二先生といった、日頃からわたしが師事している方々も登場しており、興味深く読むことができました。ブログ『バラエティ化する宗教』ブログ『オカルト番組はなぜ消えたのか』で紹介した本などのテーマとの共通性も観られましたが、本書の分析はさらに鋭いと感じました。特に、江原啓之についての考察が秀逸でした。本書は「スピリチュアリティ」について総合的に考える最適のテキストであると思います。

 

ポップ・スピリチュアリティ: メディア化された宗教性
 

 

2020年5月9日 一条真也

『怪異の表象空間』

怪異の表象空間: メディア・オカルト・サブカルチャー

 

一条真也です。延長された「緊急事態宣言」を「読書宣言」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう! 
『怪異の表象空間』一柳廣孝著(国書刊行会)を読みました。「メディア・オカルト・サブカルチャー」というサブタイトルがついています。著者は、1959年生まれ。横浜国立大学教授。日本近現代文学・文化史専攻。著書に『〈こっくりさん〉と〈千里眼〉』(講談社)、『催眠術の日本近代』(青弓社)などがありますが、いずれも名著で、わたしの愛読書です。また、ブログ『無意識という物語』で紹介した著書、ブログ『オカルトの帝国』で紹介した編著、ブログ『怪異を歩く』ブログ『怪異を魅せる』ブログ『怪異とは誰か』で紹介した監修書なども好著です。

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には、「こっくりさん」を行っている明治時代の古写真が使われ、「日本の近現代は怪異とどう向き合ってきたのか。明治期の怪談の流行から1970年代のオカルトブーム、そして現代のポップカルチャーまで、21世紀になってもなおその領域を拡大し続ける『闇』の領域――怪異が紡いできた近現代日本の文化表象をたどる」と書かれ、「加速する『闇』への想像力」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」

第1部 怪異の近代

第1章 怪談の近代

コラム「明治の怪談会と百物語本」

第2章 心霊としての「幽霊」 

      近代日本における「霊」言説の変容をめぐって

第3章 怪談を束ねる 

      明治後期の新聞連載記事を中心に

第4章 心霊データベースとしての
    『遠野物語

コラム「天命学院講習六」
コラム「明治の熊本と催眠術」
コラム「新聞記者が見た『千里眼事件』」

第5章 田中守平と渡辺藤交
      大正期の霊術運動と「変態」

コラム「その後の太霊道
コラム「全国精神療法家大番附

第6章 霊界からの声 音声メディアと怪異

コラム「夏は怪談」

第2部 オカルトの時代
        と怪異

第7章 心霊を教育する
      つのだじろう「うしろの百太郎」の闘争

第8章 オカルト・
    エンターテインメント
    の登場 
つのだじろう恐怖新聞

第9章 オカルトの時代と
              『ゴーストハント』シリーズ

第10章 カリフォルニアから吹く風
        オカルトから「精神世界」へ

第11章 「学校の怪談
      の近代と現代

第12章 幽霊はタクシーに乗る
        青山墓地の怪談を中心に

第3部 ポップカルチャー
      のなかの怪異

第13章   薄明を歩む 
                          熊倉隆敏もっけ

第14章   ご近所の異界
                          柴村仁我が家のお稲荷さま。

第15章   学校の異界/妖怪の学校
                          峰村ひろかず『ほうかご百物語

第16章   キャラクターとしての
     都市伝説
                          聴猫芝居『あなたの街の都市伝鬼!』

第17章   境界者たちの行方
                         「もののけ姫」を読む

「注」「初出一覧」
「あとがき」
「事項索引」「人名索引」

 

「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「怪異とは何か。辞書的に言えば、読んで字の如く『怪しいこと、普通とは異なること』となる。つまり、常識では計り知れない出来事や現象のことであり、このなかには化物、変化、妖怪、幽霊の類も含まれる。ここで問題にすべきは、私たちが『怪しい』『普通とは違う』と判断する基準である。怪異を認識したり否定するために採用した、私たちの『理屈』のありようと言ってもいい。私たちは、なぜそれを怪異と見なしたのか。または、どのような思考回路を経て、その現象を『ない』と判断したのか。この思考の中身、プロセスにこそ、時代や地域特有の文化的感性が潜んでいる。怪異とは、私たちがこの日常、この現実を把握するために使用している認識の枠組みの、陰画なのである」

 

続いて、著者は「それぞれの時代、それぞれの地域にあって、人々は心安らかに生きるために、いくつかの枠組みを設定し、それらの枠組みによって『常識』の地平を作り上げてきた。これらの枠組みで処理できない現象が『怪異』である。しかし、怪異を『怪異』のまま放置するのは怖すぎる。だから怪異には、『怪異』専用の枠組みが用意される。幽霊とか、妖怪といった解釈の枠組みである。これらの枠組みの設定や配置は、時代や場所によって異なり、変化する。そのつど怪異は、その時空間における現実と非現実の狭間をまざまざと浮かび上がらせる。だとすれば、怪異はそれぞれの時空間を映す鏡とも言える。ならば怪談とは、怪異に対する時代認識や地域の認識を内包した、特異な物語の形式と説明し得る。一方で、怪談は『声』の文化という側面を持つ。江戸時代に至って、口承文化としての講談や落語が生まれ、怪談をまたこうした舞台で語られるようになった」と述べます。

 

怪異は、わたしたちのイメージの投影として立ち現われるとして、著者は以下のようにも述べています。
「私たちにとってもっとも恐ろしいモノが、それにふさわしい形を纏って顕現する。ならば怪異は、自己認識の問題となる。またそれはしばしば、自己を定位するのに不可欠な他者との関係性の問題となる。したがって怪異という問題系は、自己とは何かという問いになると同時に、他者とは何かという問いと結びつく。ならば『幽霊より、生者の方がよほど恐ろしい』というお決まりのフレーズは、そのように語る当人の恐ろしさを強調することになってしまう。またこのフレーズは、ただ単に『生者が怖い』という意味に収まらない。私たちが幽霊という表象を纏わせて外部に捨てざるを得なかった『他者』の重みが、私たちを脅えさせるのだ。この『他者』の背後には、友人や恋人がいる。家族がいる。親族がいる。共同体がある。地域がある。社会がある。国家がある。時代がある。これらと自己とのきしみ、歪みこそが、怪異を生み出す原動力となるのである」

 

90年代以降、出版界を中心にちょっとした「怪異」ブームが続いていますが、怪異への関心は、突然変異のように90年代の日本に発生したという訳ではないとして、著者は「80年代ならば新々宗教ブーム、精神世界ブーム、ニューサイエンスブーム、夢枕獏菊地秀行荒俣宏が主導した伝奇バイオレンスブームなどに注目すべきだろうし、70年代ならば、雑誌『幻想と怪奇』が創刊され、小栗虫太郎夢野久作久生十蘭らが再評価された『異端文学』ブーム、予言や超能力、心霊写真やこっくりさんが流行したオカルトブームなどのトピックを特記することができる。さらに遡れば、戦後から60年代にかけては怪談映画ブーム、秘境ブーム、怪獣ブーム、妖怪ブームが存在していた。また戦前には、明治後期に端を発する怪談ブームとも呼ぶべき現象が文壇を席巻している。このように過去へ過去へと遡っていけば、そもそも江戸時代が怪談の時代、怪異の時代だったではないか。振り返れば日本の庶民は、はや500年にわたって怪異に脅え、怪異と戯れ、怪異を楽しんできたのだ」と指摘しています。

 

 

第1部「怪異の近代」の第1章「怪談の近代」では、明治後期に怪談に対する解釈枠が大きく動いたことが紹介されます。その一因は、西洋における科学的心霊研究が流入したことでした。従来の怪談をめぐる共通認識が揺らぎ、「妖怪学」の権威であった井上円了的な解釈格子がうまく機能しなくなりますが、それに代わる新たな解釈格子こそが心霊学であり、その代弁者として登場したのが、平井金三でした。神智学招聘と仏教復興で知られる彼は、日本の近代宗教史に重要な足跡を残した明治の英学者でした。

 

明治41(1908)年、平井金三は、日本のプロテスタント新宗教の指導者であった松村介石とともに「心霊的現象研究会」を設立しました。この会は「幽霊研究会」などと呼ばれ、当時の新聞には「輓近物質的科学の進歩は実に驚くべく従て宇宙万般の事物は悉く物質科学によりて解釈し其解釈を下す能わざるものは荒誕無稽として一概に排斥致します、けれども世に不思議と称せらるる現象は古より今に至る迄往々人の実験する所で」「今や欧米の科学者は大いに此方面に心を傾注し心霊的現象研究会を開いて只管研究に余念なき有様です」などと書かれていました。

 

心霊と神秘世界

心霊と神秘世界

  • 作者:福来 友吉
  • 発売日: 1986/04/22
  • メディア: 単行本
 

 

心霊的現象研究会の発足によって、欧米の科学的心霊研究を新たな規範として霊的世界の解明をめざす、新たな視座が公に示されたわけですが、この研究会には「帝大の博士」も参加しました。その中には、日本最初の心理学者である元良勇次郎、後に千里眼事件の主役の1人となる福来友吉がいました。著者は「明治40年前後における怪談の復権、怪談会の復活は、かつて機能していた円了フレームから、欧米の科学的心霊研究をバックボーンとする平井のフレームへと移行したことが大きく影響していると考えられよう」と述べます。

 

心霊的現象研究会発足の記事を契機として、日本の新聞メディアはSPR(英国心霊研究協会)を中心とする、海外の科学的心霊研究の動向を報じ始めます。この時期の新聞報道の中には、「幽霊と云うものは意識の作用によりて現るるものであって」「相愛して居るものの或るものが或る作用を起した場合又は怨恨措く能わざる一刹那に於て起る意識的作用が其対象の或者に感応したる場合に於て空間又は其の一人の心に出されるのが即ち幽霊である」(野波十畆「幽霊(二)」、明治42・9・5、九州日報)といった、幽霊の定義に関わる言及もありました。

 

夏目漱石 琴のそら音 (日本幻想文学集成)

夏目漱石 琴のそら音 (日本幻想文学集成)

  • 作者:夏目 漱石
  • 発売日: 1994/06/01
  • メディア: 単行本
 

 

同様の指摘が夏目漱石の「琴のそら音」にもありました。「遠い距離に於いてある人の脳の細胞と、他の人の細胞が感じて一種の化学的変化を起す」のが幽霊である、という一節ですが、著者は「これらの指摘は、物理的な実在としてその有無が問われてきた幽霊に対して、発想の転換を促すものだった。いわゆる幽霊=テレパシー説である。SPRの代表的な研究成果のひとつと評価されているポドモア、ガーニー、マイヤーズ『生者の幻像』(1886)が提示した仮説だが、この飯説は遠く日本でも、大きな影響を与えていた」と述べています。

 

この時期、幽霊現象を意識伝達=テレパシーとして解釈する見方が流行していましたが、著者は「こうした形での幽霊の復権は、科学を経由した新たな解釈格子のなかで、怪談が再構築されていくプロセスを提示していて興味深い」とした上で、「神秘的な現象に科学的、合理的な解釈を提供することで怪異を解消する、啓蒙主義的な流れのなかで出てきた仮説とも言え、その意味ではこの幽霊もまた、円了の『心怪』、すなわち『天地自然の道理に本づきて起れる妖怪」で「心理学の道理に照して研究すべきもの」に該当する』と述べます。

 

続けて、著者は幽霊について以下のように述べます。
「たしかに幽霊=テレパシー説に従えば、幽霊とは死に瀕した人間が近親者に送る思念であり、脳がそれを受信して幻影を脳内に映し出したに過ぎない。この幻影を、人は幽霊と認識してしまう。それは、外部から送られてきた思念を脳内で現実化したものであって、物理的な実在とは異なる。とはいえ、この幻像を幽霊ではないと安易に否定できるだろうか。体験者からすれば、それは明らかなる実在である。脳の外側の存在なのか、それとも内側の存在なのか。それは体験者からすれば、どうでもよい。問題は、それが体験者にとってリアルであるかどうか、である」

 

さらに、著者は「科学(心霊学)を経由したところで語られる怪談は、テレパシーといった概念の導入によって、新たなリアリティを獲得した。かつては神経のトラブルによる誤認とみなされた怪異が、同じ神経作用という文脈にありながら、精神の感応作用による脳内での『リアル』の構築といった説明によって、にわかに現実化されたのである。幽霊は、実体として存在しなくてもかまわない。脳内におけるバーチャルリアリティもまた、立派な実在なのだ」と述べます。

 

無意識という物語―近代日本と「心」の行方―

無意識という物語―近代日本と「心」の行方―

  • 作者:一柳 廣孝
  • 発売日: 2014/05/20
  • メディア: 単行本
 

 

そして、「おわりに」で、著者は「明治末年の千里眼事件を経由することで、心霊学的な認識は擬似科学として排斥されていく。しかし怪談は、新たなリアリティのもとで再編された。脳という新たな怪異の場所を見いだすことで、語るべき怪異の次元は拡大した。さらに、催眠術ブームを契機として明治末年から本格化するフロイト精神分析の紹介は、心の奥底に潜む『無意識』への関心を呼び起こした。中央から地方へと拡大した異界への眼差しが、身体の、そして意識の内なる異界へと向けられることで、怪談が語るべき内容と、それに意味を提供する解釈枠は、格段に立体化していくのである」と述べるのでした。

 

第2章「心霊としての『幽霊』」では、「『霊』を科学する――催眠術から心霊学へ」として、著者は述べています。
「『心霊』が浮上する明治中期、その推進力のひとつとなったのは、当時の催眠術ブームである。それは『煩悶の時代』の影響とあいまって、科学的唯物論に対する唯心論、精神論の場を作り上げた。催眠術は容易に自己変革を果たすことができる特異な『術』として受容されたが、そのリアリティを支えた概念は『精神力』だった。精神は、肉体を凌駕する」

 

この「精神力」の証明として当時の催眠術書にしばしば取りあげられたのは、死の間際にある人間が遠隔地にいる血縁者、知人のもとに姿を現わしたという例でした。催眠術ブームにおける「精神力」の存在を科学の領域から下支えしたのが、欧米における心霊学の普及でした。心霊学は、霊に対する科学的なアプローチとして受容されたのです。著者は「精神力の根元には、霊的実在がある。その霊的実在について、科学的な証明を試みていた心霊学の実践によって、いわゆる『精神力』は『科学』のお墨付きを得たとみなされた」と述べます。

 

 

また、「『心霊』としての幽霊」として、心霊学が人間の死をめぐる根源的な問題へ切り込む可能性の総体として評価されていることを指摘し、「心霊現象に対して科学的なアプローチを試み、霊の実在を探る心霊学の実践は、『正当』科学では対処できない問題の解明に寄与できると考えられていた。しかし、明治末期の千里眼事件以降、日本において心霊学は『科学』としての権威を失う。以後、日本の科学アカデミズムは、心霊学に対して一定の距離を置くようになる」と述べています。とはいえ、心霊学は、大正期に入ると哲学、文学、民俗学など、多様な文化領域のなかで注目されていきます。著者は、「こうした動きのなかには、科学の側が心霊学の試みを導入し、幽霊に対する新たな解釈格子を提示する試みも散見される。古典的な幽霊像については否定しつつも、科学的立場から、部分的・限定的に幽霊の実在を認めると主張するものである」と述べています。

 

そして、当時の心霊学について、著者は「心霊学の成果を踏まえた一連の『幽霊』をめぐる言説は、怨霊としての『幽霊』を、人間の原寸大の姿、日常的な生の営みのなかに押し戻した。『幽霊』は、人間の脳のなかで生じる生理的活動の、外部への投影に過ぎない。また、このようなイメージを獲得することで、『幽霊』は科学的な言説圏の内部に回収することが可能になる。従来の重く淀んだイメージから解放された『幽霊』は、かくして科学機器によって測定可能な、または写真という形でその姿を画定することができる観察対象に変貌した。このような『幽霊』は、すでに霊魂信仰と結びついた実体性から切り離されている。現象としての幽霊。脱色された幽霊。『心霊』は『幽霊』をガス抜きし、科学の寸法に合致するところまで無色化するための場として機能したのである」と述べるのでした。

 

明治期怪異妖怪記事資料集成

明治期怪異妖怪記事資料集成

  • 発売日: 2009/01/01
  • メディア: 大型本
 

 

第3章「怪談を束ねる」では、明治後期の新聞連載記事を中心に考察されていますが、その冒頭を、「闘争の場としての『怪異』」として、著者はこう書きだしています。
「明治期に新たな言説の場として発展しつつあった新聞メディアは、明治30年代半ばになると積極的に怪談を取り上げはじめた。長らく幽霊や妖怪は前時代の迷信の象徴として排斥の対象とされてきたが、かといって怪異に関する話題が消え去った訳ではない。巷で語られるトピックとして、読者は怪異を扱った記事に関心を抱いていたようだ。おそらくそこには、上から押し付けられた『文明開化』に対する庶民の違和感も反映していただろう」

 

第6章「霊界からの声」は、音声メディアと怪異についての考察ですが、その冒頭を、「放送局と怪談」として、著者は以下のように書きだしています。
「放送局は怪談と親和性が高い。では、なぜ放送局に怪談が多いのか。その理由についても、さまざまに語られている。いわく、放送局は人々の欲望が凝縮した場であるから、霊が集まりやすい。またいわく、芸能人には霊的感受性の強い者が多いので、たびたび霊を見てしまうのだ・・・・・・。そもそも電波と霊には何らかの関係があり、だからこそ放送局には霊が顕現しやすいといった説明もある。心霊現象が起きるさい、しばしば電気機器に異常が生じるのは、そのせいであるとされる」

 

霊界五十年 (1959年)

霊界五十年 (1959年)

 

 

戦前戦後の心霊シーンで活躍した作家の長田幹彦は、電波と心霊の関係について、「冷媒が過去の人霊と、波長といってはおかしいけれども、電波に同調させ」「うまいぐあいに調子が合うと、すっとそこへ過去の人霊が現れてくるのではないか」「テレビやラジオの作用が、人間の霊活動の一番原始的な形だと思っていただきたいのです」などと語っていますが、彼も参加していた座談会で、大本教の出身で、生長の家の創設者でもある谷口雅春も「神とは宇宙に満ちている生命の波動なんですね。電波といってもいいが・・・・・・。その波動を姿に見るということは、その霊感者が一種の感受装置をもっておって、それによって翻訳をして、こういう形だというように見るわけですよ」と語っています。

 

生命の實相 1 総説篇・實相篇上〔頭注版〕

生命の實相 1 総説篇・實相篇上〔頭注版〕

  • 作者:谷口 雅春
  • 発売日: 1962/05/01
  • メディア: 単行本
 

 

この発言について、著者は「谷口は波動、電波そのものがすでに霊的存在であり、その波動を音声化、形象化する装置として霊媒を捉えている。また彼は、おそらくフレデリック・マイヤーズやウィリアム・ジェームズらの潜在意識説、ユング集合的無意識説などを踏まえて、個人の意識の『波』の根本に『宇宙の心』を見てもいる。霊の顕現を、波動とそれを受信するラジオのイメージで捉える長田や谷口の発想の背景には、おそらく1920年代に顕在化する、音声メディアと心霊イメージの独自の接合プロセスが隠されている。そして、この不可解な接合の様態からは、近代が抱え込んだ「科学」のイメージに潜む奇妙な屈折のありようが明らかになるだろう」と述べています。

 

長田幹彦が霊を電波のイメージで解説するにあたって参考にしたのは、イギリスの物理学者でSPRのメンバーでもあったオリヴァー・ロッジが著書『空間のエーテル』などで展開したエーテル説でした。エーテルについて、著者は「エーテルとは、科学とオカルトの両極にまたがり、長きにわたって影響力を行使してきた仮想物質である」と説明します。エーテルについては、古代から盛んに議論されてきました。アリストテレスエーテルを第五元素に認定し、地球は水に囲まれ、水は空気に囲まれ、空気はエーテルに囲まれていると考えました。ジョルダーノ・ブルーノは、神は無限の一者であり、宇宙はその展開であり、エーテルは天上界と地上界のあらゆる物質のなかに浸透していると主張しました。著者は、「空間の充塡物質とみなされたエーテルは、物理学では光学の領域で、オカルト(神秘主義)では霊魂との関連のなかで、議論の対象となった」と指摘しています。

 

また、著者はエーテルについて、こうも説明します。
「18世紀後半の科学界において、エーテルはもっとも重要な仮想物質のひとつだった。例えばニュートン(1642~1727)は、エーテルを空気よりさらに希薄で精妙かつ強い弾性を備えた媒質とし、光や磁気はこのエーテルによって伝播すると考えた。またオカルトの領域では、エーテルは肉体、精神とともに人間を構成する要素のひとつであり、肉体と霊魂とを繋ぐ透明な微粒子の集合体とされた。この微粒子は宇宙的、普遍的な流体の一部が固体化したもので、ある種のエネルギー、生命流体である。またその一方でエーテルは、身体活動を促進させる各種のエネルギーを体内に吸収する器官とも捉えられた。科学とオカルトという相反する領域において微妙にイメージを共有しつつ発展したエーテル概念は、20世紀初頭に至るまで、この全く異質なフィールドで重要な位置を占め続けた。そして、オリヴァー・ロッジこそ、このふたつの領域の『エーテル』が交差する場所で放たれた、最後の光芒だった」

 

 

SPRにとっても、霊界通信の可能性の模索は、メスメリズム(催眠術)研究、物理的心霊現象の探求、幽霊屋敷の解明などとともに、その設立以降、もっとも重要な研究テーマの1つでした。こうした中、刊行されたのがロッジの著書『レイモンド』(1917)でした。
同書の内容は、第一次世界大戦に従軍中の1915年に戦死したロッジの末子レイモンドが、霊媒を通じて霊界から現世に送ってきた通信の記録です。同書の翻訳が日本で刊行されると、水野葉舟は訳書の序に「この書が持っている精厳な良心と、事実の索合とは、私達にどれほど次の世界を明らかに覗きこませたことか! ここで私達はあの不可知のものとして絶望していた闇黒の中に、現世の知識の明るさがかすかに射しこんでゆくのを感じさせられるのである」と記し、高橋五郎は「冥界通信中の王である、鶏群の孤鶴である、群峯中の富嶽である」と絶賛しました。

 

『レイモンド』はわずか2ヶ月のうちに6版を重ね、3年間で4万部が刊行されましたが、著者はこう述べています。
「『レイモンド』は第一次世界大戦の犠牲者を悼む人々に大いなる慰めを与えた。キリスト教の権威が揺らいだ20世紀初頭の西欧社会において、霊の実在を強く訴えた同書は新たな福音と受け止められた。そして、心霊学のいう『霊界』を、科学的な『通信』技術の比喩で把握するという認識フレームは、まさにロッジの思想を体現した枠組みであるとともに、大戦によってクローズアップされた革新的な通信技術への注目が、本来の文脈とは異なる形で現われたものと言えよう」

 

著者は、「ラジオ・テレパシー・心霊」として、「エーテルを媒介にしたロッジの科学とオカルトにまたがる思想は、近代日本にもさまざまな影響を与えた。口ッジが無線電信研究の先駆者であり世界的権威であったこと、さらに心霊学における霊界通信の古典ともされる『レイモンド』の著者だったことが、放送システムと心霊イメージを結合させる大きな力となった。それはテレパシーへの関心ともあいまって、新たな音声メディアへの期待と連動した。しかもこのような動きは、西欧心霊学の研究成果と深く結びついている」と述べています。

 

 

著者によれば、そもそもロッジを含めた初期SPRのテレパシーに関する基本的な見解は、ウィリアム・クルックス(1832~1919)によって提示されているといいます。彼はタリウム元素の発見や陰極線の実験などで知られた、英国を代表する化学者、物理学者でした。クルックスは遠隔思考伝達作用を、エーテルとその振動という仮説から説明しようと試みましたが、その仮説は、フランク・ポドモアやフレデリック・マイヤーズらによって、人が死の前後に遠く離れた肉親などの前に姿を現わすという「幻像」の研究に結実したのでした。

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『うしろの百太郎』(講談社

 

第2部「オカルトの時代と怪異」の第7章「心霊を教育する」では、わたしも小学生時代に熱中した心霊マンガの名作『うしろの百太郎』(つのだじろう)が取り上げられます。同章の冒頭を、著者は「1973年、オカルトブームの発生」として、以下のように書きだしています。
「心霊をめぐる問題群は、ときには宗教のレベルで、またときには科学というイデオロギーの問題とリンクして、近代以降日本でもくりかえし焦点化されてきた。そして今なお、それは大きな課題として屹立しつづけている。近代になってこの問題群と対峙した知のひとつは、西欧近代の科学と宗教との葛藤から生まれた心霊学である。それは、心霊に対して科学が提示した、斬新な参照枠と考えられた。やがて明治末年には『新しき科学』として、心霊学は日本でも華々しく紹介されている。しかしじきに擬似科学と判定され『科学』の領域から遺棄された結果、心霊学は長きにわたってマニアックな知とみなされてきた」

 

しかしながら、こうした流れを一変させる事態が生じたとして、著者は「第一次オイル・ショック後、終末論的な気配が忍び寄り、新第宗教、予言、超能力、UFOなどに関心が集まるなか、心霊学にもとづいて心霊に関する知識を教授する場が、巨大なメディアのなかに現われたのだ。つのだじろう『うしろの百太郎』(73・12・2~76・1・4号、『週刊少年マガジン』。以下『百太郎』と略記する)(図18)、同『恐怖新聞』(73・9・3~75・8・18号、『週刊少年チャンピオン』)の登場である。この2作品は心霊の世界をリアルなタッチで描き、また霊界、幽界、守護霊、地縛霊、浮遊霊、ポルターガイストといった心霊用語について言及するなど、心霊学という知のフィールドを喧伝して、大きな反響を呼んだ」と述べています。

 

「右手にジャーナル、左手にマガジン」という、大学生の愛読週刊誌を示す流行語の登場は70年代初頭でした。そのマガジンで長期にわたり人気を博した「百太郎」の影響は無視できないとして、著者は以下のように述べています。
「『百太郎』は従来の怪奇マンガとは異なる、心霊学的な認識布置にもとづく新たなマンガジャンルの先駆となった」と評価します。また、「『百太郎』は、オカルトに対する解釈格子としての心霊学という新たなコンテクストの登場と、そうした動きに対する強烈な反発の様相をテクスト内に刻印することとなった。そこには近代以降パターン化されている心霊と科学、およびメディアとの相克が、位相を変えながら刻み込まれている」

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恐怖新聞』(秋田書店

 

第8章「オカルト・エンターテインメントの登場」では、『うしろの百太郎』と並ぶ、つのだじろうの名作『恐怖新聞』が取り上げられますが、著者は「同じ心霊系の物語といっても、両作品のスタンスは異なる。『うしろの百太郎』がほぼ心霊世界に特化された物語であるのに対して、『恐怖新聞』はオカルト全般をあつかうエンターテインメントを標榜している」と指摘しています。オカルト全般を扱うにあたって、『恐怖新聞』は「白の頁(霊の世界)」「赤の頁(怪奇の世界)」「青の頁(宇宙の世界)」「黒の頁(伝説の世界)」「紫の頁(悪魔の頁)」という5つのカテゴリーが用意されていました。もっとも、そこには大きな偏りがあり、白の頁が10話、赤の頁が11話であったのに対し、紫の頁はたったの1話でした。
その1話がブログ『タロットの秘密』で紹介した「悪魔のカード」という物語でした。映画「エクソシスト」に酷似した悪魔祓いのエピソードとタロットカードの解説を兼ねた欲張りなストーリーだったことを記憶しています。

f:id:shins2m:20200429171426j:plain『世界怪奇スリラー全集』(秋田書店

 

著者は、『恐怖新聞』の連載時に柱に掲載されていた書籍広告に注目します。『恐怖新聞』のページでもっとも頻繁に紹介されていたのは『世界怪奇スリラー全集』と『世界怪奇ミステリー全集』(ともに秋田書店)でした。著者は、「これらの全集は児童向けに編まれたもので、『怪奇』『スリラー』『ミステリー』といったキーワードが示すとおり、1960年代の怪奇幻想ブームを反映したものである。この時期のブームを牽引した庄司、中岡、南山、さらに黒沼健といった執筆者たちの何人かは、70年代のオカルトブームと怪奇幻想ブームの架橋を担うこととなる。『恐怖新聞』連載時の書籍広告からは、この後『怪奇』『スリラー』が消滅し、それに代わって『心霊』『オカルト』が勃興してくる、その過渡期の様相を垣間見ることができるだろう」
ちなみに、オカルト少年だったわたしは、ここに紹介されているすべての全集を購入し、そのすべてを読破しました。

 

 

第9章「オカルトの時代と『ゴーストハント』シリーズ」では、「超常現象の解釈枠」として、こう述べています。
「70年代オカルトブームのバックボーンのひとつを形成していたのが、科学的心霊研究としての超心理学である。それは怪しげなモロモロを科学的な研究対象に変える、魔法の杖の役割を果たした。例えば中岡俊哉は心霊写真について語るとき、心霊現象に対する科学的アプローチという点を強調し、心霊写真の価値について言及していた。しかし、それが成功したかどうかは微妙だ。明治末年以降の心霊学イメージ、擬似科学としての科学的心霊研究という側面を呼び起こし、超心理学もまたオカルトのひとつであるという認識を払拭し得なかった。超心理学に対する否定的な眼差しは、今も消えていない」

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わが書斎の「地球ロマン」、「迷宮」、ついでに「夜想」! 

 

第10章「カリフォルニアから吹く風」では、オカルトから「精神世界」へ向かっていく80年代の風潮が描かれていますが、著者は「70年代後半からは、雑誌『地球ロマン』(絃映社)や『迷宮』(迷宮編集室)、または八幡書店がしばしば取り上げた偽史・霊学・霊術・催眠術への関心の惹起、または大陸書房徳間書店が牽引した超古代史ブーム、80年代末期の古神道への注目といった、日本的オカルティズムの系脈が浮上しているものの、あくまでメインストリームを形成していたのは西欧的オカルティズムだったと言っていいだろう。その流れは90年代の初頭に至って、アメリカ西海岸を経由して日本にやってきた、精神世界ブームという形で顕在化する」と述べています。ちなみに、わたしは「地球ロマン」も「迷宮」もバックナンバーを全部持っていますし、そのすべてを熟読しました。八幡書店の高価な書籍も、大陸書房徳間書店から刊行されたオカルト関連書もほとんど持っています。

 

 

作家・ジャーナリストの中島渉氏は1980年代を宗教バブルの時代、90年代をその残滓と世紀末化の加速の時代とし、80年代を席巻したムーブメントとして三つのN、すなわちニューサイエンス、ニューエイジニューアカデミズムを挙げていますが、宗教学者島薗進氏は「精神世界」と「ニューエイジ」を、新しい宗教文化の地域的に異なる現われと捉え、これらの動きを「救済宗教」でも「近代合理主義」でもない第三の道を目指すものとして、新霊性運動と命名しました。アメリカでは1977年頃から「精神世界」という語が用いられはじめ、日本では『別冊宝島16 精神世界マップ』(80・2、JICC出版局)あたりを契機にカテゴライズされたといいます。ちなみに、この本はわたしの大の愛読書で、何十回も読み返しました。

 

 

わがグリーフケア研究の師でもある島薗氏によれば、新霊性運動とは「個々人の『自己変容』や『霊性の覚醒』を目指すとともに、それが伝統的な文明やそれを支える宗教、あるいは近代科学と西洋文明を超える、新しい人類の意識段階を形成し、霊性を尊ぶ新しい人類の文明に貢献すると考える運動群である」といいます。その特徴として「固定的な教義や教団組織や権威的な指導体系、あるいは「救い」の概念といったものをもたず、個々人の自発的な探求や実践に任せる傾向が強い」こと、「信仰と科学を対立的にとらえることなく、科学的な認識と霊性の深化とが一致できると考え、比較的、学歴にめぐまれた層に支持者が多い」ことを、島薗氏は指摘しています。

 

ムー 2020年5月号 [雑誌]

ムー 2020年5月号 [雑誌]

  • 発売日: 2020/04/09
  • メディア: Kindle
 

 

また、「80年代の新宗教と日本の雑誌メディア」として、著者は「科学と宗教を結びつけ、世界観の変革を促すグローバルな視点を軸とした多様な動きは、1980年代を通して、雑誌メディアにさまざまな話題を提供していった」と指摘します。78年には「精神世界の本」ブックフェアが開催され、その後の展開を予告しました。79年にはオカルト専門誌「ムー」が創刊、80年には、後にテレビメディアを席巻する霊能力者、宜保愛子朝日放送のワイドショー「プラスα」に出演して本格的なテレビデビューを飾っています。さらに著者は、「80年代を通してメディアを賑わせた新宗教系の事件、例えば『イエスの方舟』事件(80年)、『エホバの証人』輸血拒否事件(85年)、『真理の友教会』集団焼身自殺事件(86年)、世界基督教統一神霊協会による信者勧誘問題などは、日本の新宗教に対する特殊なイメージを確実に刻んでいった。こうしたなか、80年代後半になって、各種メディアはオカルトブームの復活を告げるのである」と述べています。

 

オカルトの惑星―1980年代、もう一つの世界地図

オカルトの惑星―1980年代、もう一つの世界地図

  • 作者:吉田 司雄
  • 発売日: 2009/02/01
  • メディア: 単行本
 

 

そして「おわりに」で、著者はこう総括するのでした。
「1980年代におけるニューサイエンスの流行は、科学の名の下にニューサイエンスが『精神世界』の理論的な基盤となることで、90年前後に台頭してくる精神世界ブームを支える土壌となった。さらに『精神世界』は、第三次宗教ブームで台頭した新々宗教のリスキーな部分に不安を感じていた若者層へ、新たな選択肢を示すことに成功した。宗教と科学を緩やかに内部に取り込み、個のレベルを突出させたこの思想運動は、90年前後の日本であったからこそ、形をなし得たと言えるだろう。90年前後のオカルトブームについて、井上章一は『物質文明の行き過ぎがオカルトを含めた精神文化を補償作用のように欲望する』『既存宗教が崩れて、なおかつ近代的な不安があるところに、オカルティズムとか超能力というのが噴き出しやすい』と述べていた。地球全体に視野を広げたグローバルな危機意識が現実のめのとして認識されていくなか、この危機を回避していく手段として『精神世界』は浮上してくる。このプロセスからは、さらに多くの問題を見いだすことができそうだ」



 第11章「『学校の怪談』の近代と現代」は、刺激的な論考が揃った本書全体の中でも特に興味深い内容でした。同章の冒頭を、著者は「近代の『学校の怪談』」として、「明治5(1872)年、日本初の学校制度を定めた学制が発せられ、さらに明治12(1879)年の教育令の公布によって、新しい学校制度が動きはじめた。全国の市町村に設置された学校は、藩校とも寺子屋とも異なる、全く新しい子供たちの共有空間だった。やがて学校は歴史を重ね、独自の文化、独自の物語を紡いでいく。そうした物語のひとつが、怪談である。学校が発足して間もなく、早くも学校では不思議な話が囁かれていた」と書きだしています。

 

著者は、多くの「学校の怪談」の中でも、尋常1年生だけに見えるザシキワラシのエピソードに注目し、「ザシキワラシが尋常1年生だけに見えるという現象は、七五三といった習俗との結びつきを暗示しているように思える。七五三は幼児の成長期の重要な段階で氏神に参拝して、彼らの守護を祈るとともに、神からも地域社会からも社会的人格を承認される儀礼である。一方『七歳までは神のうち』いう言葉がある。かつては、多くの子供たちが幼いうちに亡くなっていた。子供たちは、この世に誕生してしばらくは向こう(あの世・他界)との繋がりが残っているため、しばしば向こうへ引き戻されてしまう。しかし7歳ぐらいになるとこちらの世界に馴染み、向こうの世界とは距離が生じる。尋常1年生は、かろうじて向こう側との接点が保たれている年代である。だからこそ彼らには、他界の存在であるザシキワラシが見える。しかし、こちらの世界に順応した上級生の年齢になると見えなくなる、という話なのだろうか」と述べています。これは目からウロコでした。卓見であると思います。



また、「学校と怪談の親和性」として、学校と怪談の親和性の高さについては、すでにいくつかの指摘があることが紹介されます。例えば、民俗学者常光徹氏は「小学校に上がってくる子供たちにとって、そこは得体の知れない、手強い空間であるがゆえに想像力を刺激する場所であり、だからこそ未知なる空間の魅力を持つ」と述べています。また、小説家の岡崎弘明氏は「もともと子供たちは未知なるものへの恐怖と好奇心を強く持っており、それを実現させてくれる場所として学校を見ている」と述べます。そして著者は、「学校は、子供たちが想像力を膨らませて生み出した物語を保存し、それらを伝えていくうえで、きわめて有効な構造と機能を備えている。学校ほど光と闇、明と暗がはっきりしている空間は珍しい。昼間は子供たちの喧騒がうるさく感じるぐらいの祝祭的な空間だが、夜になると一転して静まりかえり、それが逆に恐怖感を刺激する。校舎内の教室の配置という点でも、明と暗の対照性は際立っている」と述べるのでした。この一文も目からウロコでした。



時間という点でも、学校は特異な場所であるとして、著書は「通学する子供の視点に立てば、彼らは毎年学年が上がっていくという意味で、直線的な時間のなかにいる。だが、学校側の視点に立てば、毎年ほぼ同じ行事を挙行しているに過ぎない。4月は入学式、そして夏休み、運動会や学芸会、そのうちに冬休みがきて、やがて卒業式。4月になるとまた入学式・・・・・・実は学校は、同じふるまいを延々と繰り返している時空間なのかもしれない。子供たちは学校で、直線的な時間を経由しつつ卒業していく。しかし学校自体は、ずっと循環的な時間のなかで同じ行事を繰り返している。その意味では、学校の時間は閉じている。そのために、学校で起きた事件の記憶は保存されやすい」と述べています。これまた目からウロコの卓見です。



さらに、学校は地域の特異な記憶が回収される場所でもあるとして、著者は以下のように述べています。
「例えば『この学校は、昔墓地だった』という怪談は、一概にフィクションとも言えない。各自治体が学校を作るよう明治政府から命令されても、すぐに学校が設置できるような余剰の土地など、存在しなかったはずだ。子供たちが歩いて通える距離で、しかもまとまった使える土地となると、無縁墓地などの忌地しかない。したがって、明治時代に創立した古い学校ならば、もとが墓地だったとしても、何ら不思議ではないということになる。現代にあっても、まとまった学校用地の確保は、容易ではない」



そして学校は、地域の見捨てられた神仏が集う場所でもあったとして、著者は「学校の周りで道路の拡張工事や土地の区画整理が行われたさい、捨てるに捨てられない路上の地蔵や、その土地に古くから祀られていた祠が、学校に持ち込まれるケースがある。これらの地蔵や祠は、地域共同体が昔から維持してきた記憶、歴史の象徴、モニュメントである。地域社会の未来の担い手が集う学校に、このような『土地の記憶』が置かれることで、地域全体の心性が安定するとは考えられないか。そもそも怪談は、過去の歴史を次の世代へ伝えていくツールとして、非常に優れている。こうした怪談の特徴が最もよく生かされる場のひとつが、現代にあっては学校なのである」と述べるのでした。



最後に用務員についての考察にも唸らせられました。著者は、「実は用務員は、学校文化を考える上できわめて重要な職種である。ずっと学校にいて、学校の日常を下支えしてきた。しかも転任の多い教員とは異なり、ひとつの学校に長期間勤務する場合が多い。学校に積み重ねられてきた歴史的な情報についてもっとも精通していたのは、用務員だったのではないか。しかし、主に財政的な問題によって小中学校から用務員は姿を消し、代わりに警備会社の管理へと切り替わってしまった。用務員という存在について、どこかで考える必要がある気がしている」というのです。これは、まったく気づきませんでした。しつこいようですが、目からウロコです。本書はハードカバーで384ページの研究書ですが、あまりにも面白いので一晩で一気に読了しました。日本のオカルト史を研究する上で欠かせない名著であると思います。

 

怪異の表象空間: メディア・オカルト・サブカルチャー
 

 

2020年5月8日 一条真也

『近現代日本の民間精神療法』

近現代日本の民間精神療法: 不可視なエネルギーの諸相

 

一条真也です。延長された「緊急事態宣言」を「読書宣言」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう! 
『近現代日本の民間精神療法』栗田英彦・塚田穂高吉永進一【編】(国書刊行会)を読みました。「不可視な(オカルト)エネルギーの諸相」というサブタイトルがついています。編者の粟田氏は宗教学者で、愛知県立大学愛知学院大学等非常勤講師。塚田氏は上越教育大学大学院学校教育研究科助教で宗教社会学者。吉永氏は舞鶴工業高等専門学校教授で、専門は近代仏教史、民間精神療法史です。 

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本書の帯


表紙カバーには日本髪を結った女性に手かざしで施術をしている霊術家の写真が使われ、帯には「霊術・精神療法を総覧するオカルト史」と大書され、続いて「催眠術は明治に輸入されて大正期に霊術・精神療法へと発展し、ヨーガと日本の腹式呼吸法が混じり合い、エネルギー概念が『気』に接合される。これは『呪術の近代化』『催眠術の呪術化』であり、西洋の近代オカルティズム、アメリカのニューソートと並行するグローバルなオカルティズム運動であった。その全体像を多様な視点から横断的に描く、初の本格的論集」と書かれています。

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本書の帯の裏 

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「大正時代には霊術・精神療法と呼ばれる治療法が流行し、最盛期の施術者は三万人ともいわれる。暗示、気合、お手当、霊動などによる奇跡的な治病だけなく、精神力の効果を示すための刃渡りのような見世物的危険術や、透視やテレパシー、念力のような心霊現象が彼らのレパートリーであったが、最終的には健康法、家庭療法、新宗教へと流れ込んで姿を消していった。本書は、さまざまな領域に姿を現す民間精神療法の技法と思想の系譜をひも解き、歴史研究の基礎を構築することを目指す。序論では、先行研究を検討、民間精神療法の略史を祖述した上で、精神あるいは精神療法という語が定着したゆえんを思想史的に検討する。
第Ⅰ部では、海外から流入した最新の概念や技法の土着化を検討する。近代日本に誕生した物理療法は医学と霊療術をまたいで広まり、松本道別はメスメリズム的『人体放射能』をあやつり、ラマチャラカ(引き寄せの法則の元祖、ウィリアム・ウォーカー・アトキンソンの筆名)の「ヨーガ」技法は世界を駆け巡り、日本にも流れ込む。
第II部では、舶来の不可視エネルギーと混じりあって日本で生み出された技法や思想の形成過程を追う。川合清丸がこの法を以て天下国家を平地することを大発明した『吐納法』、日本の農学博士第一号にして貴族院議員にもなった玉利喜造が説き多くの療法家から歓迎された『霊気説』、右翼思想家・三井甲之が国民宗教礼拝儀式と位置づけ実践した『手のひら療治』、時代の要請に合わせて変容を遂げた野口整体の『活元運動』にその例を見る。
第III部では、世界中で行われている日本発の民間精神療法、レイキの形成過程と今に迫る。海外から移入された技法に影響を受けて成立した『臼井霊気療法』は、その概念ごと『翻訳』されて太平洋を渡り、アメリカで広まったあとレイキとして再度日本に上陸し、セラピー文化の基盤的知識となる。
第IV部では、主要な療法家48名とその主要著作を、『序論』の時代区分にしたがい、自己治療系と他者治療系に大きく分けて紹介する。
明治以降のグローバリズムの波を受けて流入したエネルギー概念や心身技法に、日本の伝統的宗教技法が混じりあって生み出された民間精神療法は、〈呪術の近代化〉という点で西洋の近代オカルティズムに相当し、〈催眠術の呪術化〉という点ではアメリカのニューソート運動と並行する。しかも、それらはグローバルオカルティズムという輪の中につながっていたのである。その全体像をさまざまな視点から横断的に描く、初の本格的論集」

 

本書の「目次」は、以下の通りです。

序論(吉永進一

 Ⅰ 流入する科学的エネルギーとヨーガ

 第一章 物理療法の誕生――不可視エネルギーをめぐる
      近代日本の医・療・術(中尾麻伊香)

第二章 松本道別の人体放射能論――日本における
      西欧近代科学受容の一断面(奥村大介)

第三章 ウイリアム・ウォーカー・アトキンソン
      ――別名、ヨギ・ラマチャラカ
      (フィリップ・デスリプ:佐藤清子訳)

Ⅱ 産み出す〈気〉と産み出される〈思想〉

第一章 政教分離・自由民権・気の思想
    ――川合清丸、吐納法を以て天下国家を平地す
                   (栗田英彦)

第二章 玉利喜造の霊気説の形成過程とその淵源
         ――伝統と科学の野合(野村英登)

第三章 霊術・身体から宗教・国家へ
    ――三井甲之の「手のひら療治」(塚田穂高

第四章 活元運動の歴史――野口整体の史的変容
                  (田野尻哲郎)

Ⅲ 還流するレイキ

第一章 大正期の臼井霊気療法――その起源と
         他の精神療法との関係(平野直子)

第二章 臼井霊気療法からレイキへ
    ――トランス・パシフィックによる変容
     (ジャスティン・スタイン:黒田純一郎訳)

第三章 「背景化」するレイキ――現代のスピリチュアル・セラピー
     における位置づけ(ヤニス・ガイタニディス)

Ⅳ 民間精神療法主要人物および著作ガイド
                   (栗田英彦・吉永進一

第一章 萌芽期 1868~1903年

第二章 精神療法前期 1903~1908年

第三章 精神療法中期 1908~1921年

第四章 精神療法後期 1921~1930年

第五章 療術期 1930~1945年

「あとがき」(吉永進一
「執筆者・訳者紹介」
「人名・団体名索引」

 

「序論」の「はじめに」の冒頭を、吉永進一氏は以下のように書きだしています。
「戦前日本で、呼吸法、静坐法などの健康法や、さまざまな民間療法が流行したことは知られているが、なかでも大正時代には霊術あるいは精神療法と呼ばれる治療法が流行した。暗示、気合、お手当、霊動(身体の自動運動)などによる奇跡的な治病、精神力の効果を証明するための鉄火術(灼熱の鉄棒を握る術)や刀渡り術(真剣の上に立つ術)といった見世物的な危険術、さらにはテレパシーなどの超心理現象なども、そうした療法家のレパートリーとなっていた。しかも、ひとかどの療法家たちは、団体を組織し、機関誌を発行し、会員の募集と術の宣伝に努めた。大正期には彼らの業界を指す『霊界』という語も生まれ、昭和3(1928)年に発行された『霊術と霊術家』(二松堂)という霊術家名鑑には、治療家の数は3万人とも書かれている」

 

 

それでは、どのような療法家がいたのでしょうか?
『癒しを生きた人々』(専修大学出版局)の編者の1人である田邉信太郎氏は、大正期から昭和気にかけての民間療法を、食物療法、呼吸法、強健法、霊術(催眠術、宗教的行法、心霊学等の影響を受けたもの)、霊術(身体の自動運動を用いたもの)、霊術(手のひらによる療法)、療術(カイロプラティック、オステオパシー、指圧などの手技療法、電気療法、光線療法、温熱療法など)の7つに大別しましたが、これらの民間療法に加えて、催眠術や医学的な精神療法、大本教(正式名称、大本)が宣伝した鎮魂帰神法のような憑依技術、修験、密教、法華行者、御岳行者などの拝み屋、行者たち、あるいは修養運動など、さまざまな領域が、その周辺に広がっていました。

 

霊術家の饗宴

霊術家の饗宴

 

 

「先行研究」として、吉永氏は霊術という語を発掘した井村宏次『霊術家の饗宴』(心交社、1984年)を紹介します。ブログ『霊術家の黄金時代』で紹介した本の著者でもある井村は、霊術の発展と変容を、第1期(明治元年~30年)「気合術の時代」、第2期(~大正中期)「催眠術時代」、第3期(~昭和6年)「盛期霊術家時代」、第4期(~終戦)「霊術的宗教と霊術分解の時代」、第5期(戦後)「第二次新宗教時代」の5期に分けて分析していますが、吉永氏はこれを「今なお基本的には通用する時代区分である」と評価しています。

 

霊術家の黄金時代

霊術家の黄金時代

 

 

そもそも、霊術とは何でしょうか。井村によれば、霊術は二つの源泉からはじまります。ひとつは維新後、廃仏毀釈、祈禱禁止、西洋医学の普及という新政府の施策によって打撃を受けた修験道の遺産です。それらは単純化されて気合術のような治病術に変容し、あるいは真剣白刃取りなどの大道芸に流れ込んだとされます。吉永氏はこう書いています。
「修験者から気合術師に転じた濱口熊嶽(1878-1943)は、都市部に施術所を設け、多数の患者に安価な治療を提供し大成功を収めた。気合術はその後、霊術の重要な技法となる。もう一方の源泉は催眠術である。明治20年代には気合術と混交して幻術という日本的催眠術を生み出していた。明治30年代に霊術の祖と呼ばれる桑原俊郎(1873~1906)が登場し、催眠術を変革する。催眠術の実験を繰り返すうちに、被術者の催眠を要せず、施術者の精神力だけで治療が可能であること、さらには超能力も発揮できることを「発見」し、修験の行う危険術の類も精神力によって再現可能とも主張した。この桑原說が、その後の霊術の理論面に大きな影響を及ぼした」

 

 

続いて、大正期になると田中守平(1884-1928)が太霊道で大成功を収め、急速に霊術の市場が拡大します。その影響で、陰陽道占術、密教、鎮魂帰神など、それまで秘術とされていたものが出版され、大正時代の霊術シーンが生まれたといいます。吉永氏は「つまり井村は、脱文脈化された伝統宗教的技法と呪術化した催眠術(あるいは心理学化した呪術)が結びついて霊術ブームは発生したと指摘している」と述べ、さらに井村は「霊術と霊術家」を分類して、暗示、催眠などの心理療法を中心とする「精神療法派」、手技療法、温熱光線療法などの物理療法を中心とする「療術派」、宗教教師が行う霊術、療術を指す「信仰派」、スピリチュアリズムを土台とする「心霊主義派」と並べて、「霊術派」という分類を設け、気合術、霊動術、触手術、手かざし、観念力、祈禱などを含めていることを紹介します。これは田邉氏の分類とほぼ同じである。吉永氏は「霊術とは、その母体となった催眠術や信仰療法とは区別される呪術的な治療法であり、医学と宗教のあいだの領域に位置するということになる」と結論づけています。

 

井村の霊術論に影響を受けた宗教社会学の論文があります。西山茂「現代の宗教運動――〈霊=術〉系新宗教の流行と『2つの近代化』」です。吉永氏はこう説明しています。
「西山は、1980年代当時流行していた阿含宗などのオカルト的な技法主体の新々宗教と、大正期に流行した太霊道大本教などの類似性に着目し、それらを〈霊=術〉系新宗教と呼び、『神霊・人間霊・動物霊とその構成素・作用などを操作し、それらの実在を「証明」したり、病気治しなどの除災招福をはかったりする反復的な霊術を、救済や布教の主要な武器とする新宗教』と定義した。あるいは教義信条に重点を置く『信の宗教』に対して『術の宗教』とも呼び、日本社会は明治と第二次大戦後の2度の近代化を経験したこと、近代化の盛んな時期には『信の宗教』、大正時代と1970年代以降という近代化の終焉期段階では、近代化がもたらす疲弊を非日常的な神秘経験によって回復しようとして非合理の復権が起こり、『術の宗教』が盛んになると分析している」

 

Ⅰ「流入する科学的エネルギーとヨーガ」の第一章「物理療法の誕生――不可視エネルギーをめぐる近代日本の医・療・術」では、「はじめに――霊とRay」の冒頭を、長崎大学原爆後障害医療研究所助教科学史学者の中尾麻伊香氏はこう書きだしています。
「19世紀末のX線や放射線の発見は、科学界においていまだ解明されていない新種の光線発見ブームを巻き起こした。19世紀から20世紀にかけて、電気と磁気の性質が科学的に解明されていき、放射線の性質の解明とともにこれらの不明秤量流体が電磁波として定位されていく。エーテル粒子やN線など、その後否定される発見もこの時期に相次いで報告されるが、このような時期に登場したのが千里眼である」

 

続けて、中尾氏は「千里眼が流行現象となると、科学者たちはその科学的解明を試みる。1910年9月17日に東京帝国大学で行われた御船千鶴子千里眼実験は失敗に終わったが、翌日の『東京朝日新聞』の記事から、その模様をうかがい知ることができる。そこには、『元良博士は極めて真面目な顔をして「レイが透るとすれば――」とか何とか言ひ出したら一時も黙つては居られないと言つたやうな田中館博士は「レイとは霊か、ラヂエーシヨンか」と反問をして元良博士が光線と云ふレイだと返答すると』などと記されており、心理学者と物理学者のRayと霊をめぐる混乱を伝えている」と述べています。

 

霊とRayをめぐる混乱の背景を理解するのは難しいことではないとして、中尾氏は「肉体のない身体を可視化したX線は目に見えない存在について人々が信じるきっかけを与え、強力な放射能によって刻々とその性質を変化させていくラジウムは物質が生きているという考えを呼び起こした。新しい物質観は、写真術の発明などと相まって流行していた心霊主義を活気づけ、心霊現象を科学的に解明できるかもしれないという科学者や霊術家たちの期待を生み出す」と述べます。このあたり、「Sun-Ray」「産霊」「讃礼」という三つの意味を込めたトリプル・ミーイングの社名を持つ「 サンレー」という会社を経営しているわたしは非常に興味深く感じました。ちなみに、わたしにとっては「Ray」と「霊」、そして「礼」は三位一体の世直しの鍵であります。

 

このように、Rayと霊には不思議な関係が生まれましたが、中尾氏は以下のように述べています。
「近代日本における霊と放射線の蜜月関係は、科学者が心霊現象を科学的に解明することに失敗した千里眼事件によって、一旦終わりを遂げたかに見えた。しかしその後、霊術は勢いを増し、大正期には電磁波や放射線といった不可視エネルギーをめぐる科学知識をその療法に取り入れる霊療術が数多く登場することになる。明治末期から昭和初期にかけて大流行した霊術や精神療法などの民間療法において、霊術家たちはしばしば『霊気』『霊念』『霊子』といった用語のみならず、『ラジウム』『放射能』といった電磁波や放射線をめぐる用語をその療法名につけていた。これを霊療術による科学知識の曲解や歪曲と見ることも可能かもしれない。先行研究において霊療術はしばしば近代合理主義に対するアンチテーゼとして、科学や医学とは異なる次元のものとして解釈されてきた」

 

1874年(明治7)の医制により、漢方医学から西洋医学への転換が打ち出され、漢方医たちが医学制度のなかから排除されていきました。これ以降、漢方だけでなく、鍼灸や按摩といった療法も、民間療法として存続していくこととなるりますが、中尾氏は「しかし東洋と西洋という異なる出自を持った二つの医学は、精神療法や霊術などの民間療法を含め、治療法という医療における重要な部分で、重なりあっていた」と述べます。西洋医学漢方医学・民間療法の橋渡しとなる療法、それが「物理療法」と呼ばれるものでした。

 

その物理療法について、中尾氏は「おわりに」で以下のように述べるのでした。
「物理療法は現在、医学のなかでは理学療法作業療法という名で存続している。民間療法においても電気療法、光線療法、温熱療法といった名で存続している。物理療法がこのように医学と民間の双方で生きながらえているのは、その効果が科学と非科学のあいだにあるからに他ならない。不可視エネルギーが身体にどのように作用するかは、いまだ未知数――数値化することが不可能――である。それは、計測しえない心身の状態によって左右されうる。それゆえ、Rayと霊は、ともにこの世界に存在し続けているのである」

 

第二章「松本道別の人体放射能論――日本における西欧近代科学受容の一断面」では、文化史研究家の奥村大介氏が、日本の明治期から昭和前期にかけて主張された独特の自然観・人体観を、「放射能」と「不可秤量流体(ふかひょうりゅうたい)」という科学的概念に注目して考察しています。奥村氏は「そこには西欧科学思想需要期に特有の綺想的な思想文化が見出される。それは帝国大学を中心とするアカデミズムからは遠い、いわば辺縁にあった人物である霊術家・松本道別(1872[明治5]-1942[昭和17])を通して描き出される日本近代の一断面である」と述べています。

 

「不可秤量流体」とは聞きなれない言葉ですが、奥村氏は「不可秤量流体(les fluides impondérables)とは、文字どおり、重さや体積などを計量できない――しばしば目にも見えず知覚することもできないとされる――流体のことである。もともと西欧の近世・近代の科学思想のなかで物理・化学・生物現象を説明するために導入された概念であり、熱現象を説明するために想定されたカロリック(le calorique)、燃焼現象の説明のために用いられたフロギストン(le phlogistique)、生体のさまざまな仕組みの説明原理であった動物精気(les esprits animaux)、そして光や重力を伝えるとされたもっとも普遍的な流体であるエーテル(l’éther)など、各種の『微細な流体』(les fluides subties)が仮想された」と説明しています。

 

この中でも「エーテル」は特に有名です。奥村氏は「化学理論の発展、生理学・解剖学的知識の蓄積、熱力学の形成によって、フロギストン、動物精気、カロリックなどが否定され、各種のエネルギー概念や生体の定量可能な電気・化学的作用(神経の電位変化や内分泌系の作用)として理解されるようになっても、エーテルが本当に存在するのか否かという問題は、19世紀末あるいは20世紀初頭まで、西欧の科学思想において、重大な関心事であり続けた」と述べます。

 

エーテル」と並んで、有名なのが「動物磁気」です。
動物磁気とは、ドイツに生まれ主としてパリで活躍した医師メスメル(Franz Anton Mesmer,Frédéric-Antoine Mesmer,1734-1815)が提唱した概念です。奥村氏は「メスメルが18世紀末に行なった動物磁気治療術(メスメリスム〉(le mesmérisme)は、宇宙にあまねく拡がる不可視にして不可秤量の磁気流体をコントロールし、人体内部のこの流体の流れを整えることで、心身の疾患を治療するという術であった。今日では、一種の催眠術と考えられるこの療術は、18世紀末の欧州各地そして新大陸をも席巻する一大流行となる。メスメルの一派は調和協会なる結社をつくってメスメリスムの普及をはかり、この活動は順調に成果をあげる。そしてこの協会は、フランス大革命へと至る政治的急進思想を育む秘密結社のような役割を果たす)と説明しています。

 

 

メスメリスムは明治期の日本にも影響を与えました。「日本におけるメスメリスムの受容と流行」として、奥村氏は以下のように述べています。
「明治期においてメスメリスム=催眠術は日本に盛んに紹介され、一種の文化的な流行現象の様相を呈している。たとえば、夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905[明治38])には、苦沙弥先生が医師の甘木から催眠術を施される(が、まったく催眠にかからない)という描写がある。また、さきに言及した森鷗外にも『魔睡』(1909[明治42])という小説がある。これは妊娠中の妻が医師に魔術(催眠術)をかけられ眠っているあいだに陵辱されたのではないかという疑念をもつ夫(大学教授)の心情吐露という体裁の物語である」

 

 

続けて、奥村氏は「あるいは、谷崎潤一郎の『幇間』(1911[明治44])では、梅吉という芸者が幇間の三平に催眠術をかけ、実際には術は効いていないのだが、三平は梅吉を喜ばせるために催眠にかかったふりをするという場面がある。バルザックシェリーら19世紀前半の西欧の文学者が作成のテーマを扱ったように、20世紀初頭の我が国の文学にも、紹介されたばかりの催眠術がさっそく描かれていたわけである」と述べています。

 

 

Ⅱ「産み出す〈気〉と産み出される〈思想〉」の第一章「政教分離・自由民権・気の思想――川合清丸、吐納法を以て天下国家を平地す」では、「はじめに」の冒頭を、栗田英彦氏が以下のように書きだしています。
「『気』は、東アジアの思想史において不可欠な概念である。古代中国に端を発し、中国思想の輸入とともに日本列島にもたらされた気の概念は、近世には、養生論(健康法)から社会政策にまでおよぶ、特定の思想や宗教に止まらない知の共通基盤となっていた。しかし明治維新以降、「文明開化」の推進によって西洋諸学の概念と方法が公式に導入され、気の思想の地位は相対的に低下していくことになる。とはいえ、これによって、気の観念が消滅したわけではない。気は、さまざまな日常語として状在し続けていたし、本書の諸論考が示すように、西洋諸学の概念を組み込みながら、民間精神療法(霊術)、修養、食養などの実践のなかで再構築されていた。近現代における気の思想と実践は、こうした代替療法運動のなかで賦活されていったのである」

 

 

続けて、栗田氏は以下のように述べています。
「こうした運動の思想的意義については、島薗進『〈癒す知〉の系譜』(2003年)が論じている。島薗によれば、代替療法運動は、単に『迷信』として切り捨てられるべきものではなく、『正統文化』『主流文化』となった近代科学のゆがみを照らし出す『異種の光源』とも呼べ『民間』の知であり、さらに、生活現場から立ち上がりながら、『生きがいある生とは何か』という問いに答えうるような宗教思想、宗教運動であるとされる。近代思想史において代替療法を扱う意義を示した重要な議論だといえよう」



また、「平田国学と気の思想」として、栗田氏は、明治維新は近代科学と結びついた「文明開化」のみならず、「復古」の側面を持つことを指摘します。それはまず、1868(慶応3)年の王政復古の大号令、翌明治2年の神祇官設置、翌々年の大教宣布の詔に始まる大教宣布運動として現れますが、この運動を推進するにあたって重要な役割を果たしたのが、平田篤胤(1776-1834)の国学であったとして、「明治維新イデオロギーとして、平田派国学が果たした役割は大きい」と述べています。



篤胤の描きだす神道的世界観(復古神道)は多元的な構造を持ちますが、栗田氏は主に3つに分けます。1つめは、造化三神天之御中主神・高産霊神・神産霊神)の働きによって天地万物が生まれたという創造神話です。2つめは、天を天照大御神が地を皇孫(=天皇)が主宰するという統治神話であり、平田独自の顕幽の二元的世界です。そして3つめは、天皇が「顕界」(=現世)を主宰するのに対して、大国主神が死後の霊魂の行き先である「幽界」を主宰するというものです。栗田氏は「平田は、死後の霊魂の行方を定めることが『大倭魂』の確立において重要だと考えていた。こうした創造神話や祭神や顕図の世界観を重視する神道説を、ここでは〈神道=神話論〉と呼んでおく」と述べています。

 

Ⅲ「還流するレイキ」の第一章「大正期の臼井霊気療法――その起源と他の精神療法との関係」では、「レイキ」が取り上げられます。「レイキとは何か」として、明星大学等の非常勤講師で宗教社会学者の平野直子が、「『レイキ』というピーリング技法がある。手のひらを体にあて、そこから「レイキ(霊気)」と呼ばれる一種の生命エネルギーを流すことで、心身の調子を整えようというものだ」と説明しています。平野氏は、「レイキは宇宙に満ち、万物に流れる癒しのエネルギーであり、基本的に人間は誰もがそれを利用できるとされる。ただし、人間は普通の状態ではそれをうまく扱えない(『つまっている』『うまくつながらない』などと言われる)ため、『マスター』『ティーチャー』などと呼ばれるランクの高いセラピストから『霊授』『アチューンメント』という一種の儀式を受け、それを調整する必要がある」とも述べています。



「儀式」と聞くと興味が湧きますが、平野氏は「この儀式はたいてい、セラピストが開くセミナーにおいて、基本的な知識のレクチャーや、手当てや呼吸法などの実修などとあわせて行われる。セミナーを受けるには、一定の受講料(日本では数万円台)が必要とされる。初級のセミナーを受ければ、レイキを使った癒しが自分でできるようになるが、さらに『遠隔治療』などの高度な能力を得たければ、より上級のセミナーを受け、より『深い』知識や技法、癒しの力を強める『シンボル』(手当ての前に指で描いたりする特殊な図像)を学ぶことになる」と説明しています。



また、「レイキと日本の1920年代におかる『精神療法』」として、平野氏は以下のように述べています。
「世界中のレイキ実践者にとって、日本は非常に重要な国なのである。日本は彼らが尊敬するレイキの考案者、臼井甕男の出身地だからだ。宇宙の癒しのエネルギーに身を預けてリラックスし、心身ともにこだわりをなくすことで、より良い状態へと向かう――こうしたレイキの考え方は、臼井を生んだ日本の霊的・精神的背景から生まれたのだと理解されやすい。臼井は禅の修行を行ったあと、京都の鞍馬山で21日間の断食を行った末、レイキを『感得』したとされている。鞍馬山には今、この臼井の体験をしのび、レイキの真髄に触れようと試みる、世界中のレイキ実践者が訪れている」



臼井甕男が考案したレイキとは何だったのか?
平野氏は、「臼井が考案したレイキ(霊気療法)は、当時流行していた代替療法―近代的な、生物医学に基づく医療制度が普及した社会で、それらへの不満を背景に生まれるオルタナティブな医療――のひとつであり、なかでも当時『精神療法』と呼ばれていたグループに属するのだった。この『精神療法』は、催眠術を下敷きに、古今東西の心身に関する知や技法を組み合わせて作られたもので、その発案者たちからすれば伝統を受け継ぐものというより、『最新(もしくは次世代)の治療法』だった」と述べています。

 

催眠術の日本近代

催眠術の日本近代

 

 

さらに、「精神と身体をつなぐ理論」として、平野氏は以下のように述べています。
「1903(明治36)年を中心とした大ブームのあと、1908年に催眠術の濫用は法的処罰の対象になったのだが、桑原天然や古屋鉄石といった催眠術の教授団体を主宰していた人々の一部は、そのまま『精神療法家』『霊術家』として活動を続けていった。このことから、在野の催眠術教師たちが規制をきっかけに『精神療法』に看板を掛けかえていったと表現されることが多い。ただそれだけではなく、催眠術のブームは当時の人々が『精神療法』を理解する土壌を作ったとも考えられるのである」

 

では、「精神療法家」とは何だったのか?
「精神療法家」たちは、古今東西のさまざまな概念や考え方を寄せ集め、組み合わせて、しばしば壮大な世界観や体系をつくり出したとして、平野氏は以下のように述べています。
「『不可視であるが物質にはたらきかけ得るもの』という発想は、当時の物理学における『エネルギー』『光線』『放射線』などと重ねあわせられた。つまり、精神や霊は、不可視ではあるが身体の生物学的・生理学的プロセスに影響を与えうる、生命の『エネルギー』なのである。さらにこの生命エネルギーたる精神や霊は、『気』や『プラーナ』『オーラ』といった、各地の伝統のなかにあった「生命力」のような概念と結びつけられた。このような精神や霊の力は、瞑想や座法、呼吸法などの実践で、活性化させたり、操作したりすることができるとされた。これにより、心身の状態を整えたり、向上させたりすることが、病気治療となるのである。また、活性化した精神や霊の『エネルギー』をお手当てなどで伝達することにより、他人の病気治療も行えるという」

 

 

そして、平野氏は「このような考え方の代表例は、やはり田中守平太霊道だろう。太霊道は1910年に創設された、『精神療法』団体の草分け的な存在で、しばしばその代名詞でもあった。田中は、宇宙や社会、自己などすべての根本となる実体を『太霊』と呼び、物質も精神も、太霊の一部である『霊子』が『発現』したものであるとした。霊子の『有機的発動』が精神、『無機的発動』が物質(身体)で、両者の結びつきが生命であるとされる。田中は太霊と霊子の理論により、心身を一元論的にとらえて扱うことを目指しているが、その説明には一貫して『無機/有機』『物質/精神』という二項対立が貫かれている」と述べるのでした。

 

井村宏次の『霊術家の饗宴』や『霊術家の黄金時代』を読んで、霊術や精神療法というものに興味を抱いたわたしに、本書は最新の研究成果を学ばせてくれました。最近は感染症やウイルスの本ばかり読んでいたわたしは、未知の身体科学についてのイマジネーションの翼を広げることができました。現在、新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるっていますが、100年前はスペイン風邪が猛威をふるっていました。当時は霊術家や精神療法家の全盛期だったはずですが、彼らは不可視のウイルスに対してどのように考え、どのように感染予防し、どのように治療していたのでしょうか。そのことが非常に気になりました。

 

近現代日本の民間精神療法: 不可視なエネルギーの諸相
 

 

 2020年5月7日 一条真也

『霊術家の黄金時代』

霊術家の黄金時代

 

一条真也です。延長された「緊急事態宣言」を「読書宣言」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう! 
『霊術家の黄金時代』井村宏次著(ビイング・ネット・プレス)を読みました。明治末から昭和初めにかけて活躍した霊術家についての論考を集めた本で、著者が逝去した2014年に刊行されました。著者は、大阪生まれ。東洋医学超心理学研究者。立命館大学法学部卒業後、商社に3年間勤務。退社後、明治東洋医学院にて鍼灸医術を習得するとともに、関西外国語短大英米語学科を卒業。鍼灸東洋医学臨床歴30年、その間に英・米・欧人を含む精鋭の後進を育て日本式伝統鍼灸術を伝えました。1972年に生体エネルギー研究所を設立。主宰者として、超心理学、超医術を実践・研究する。「気」と「サイ」の実験的研究は30年に及び、「キルリアン写真」の分野では世界トップレベルの研究を行う一方、「気」と「気の医学」の実際をよみうり文化センター(大阪・千里中央)などで伝えました。著書に『霊術家の饗宴』(心交社)、『オーラ・テクノロジー』(三修社)、『栄える「気」の研究』『「気」を活かす』(以上、日本教文社)、『気の医学』(アニマ2001)、『スーパー・サイエンス』(新人物往来社)など。訳書に『サイ・パワー』(工作舎)、『生体エネルギーを求めて』『神秘のオド・パワー』(以上、日本教文社)、『癒しの医療チベット医学』(ビイング・ネット・プレス)など。 

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本書の帯

 
本書のカバー表紙には、浜口熊嶽、田中守平浅野和三郎といった人々の写真が使われ、「『エイッ、エイッ、パアッ!』と気合い一声、虫歯を抜く浜口熊嶽、『私は必ず交霊会に再来する』と死後、遺言通り出現した浅野和三郎・・・・・・明治から昭和初期にかけて、霊術家・霊学家たちの活躍と終焉」と書かれています。

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「明治末から昭和初めにかけて出現し、病気治しや催眠術、健康法、霊との交流などに活躍した霊術家たちの破天荒な生涯と共に、その歴史的な意味を探る。催眠術で病気を治す清水英範、気合いで病気を治す浜口熊嶽、屈伸運動の健康法を開発した坂本屈伸、鎮魂帰神の浅野和三郎等々。西洋医学と科学に対する対立軸として、裏の医術として代替医療家的な役割を果たし、急激な近代化によって失われていった日本的なる者たち。彼らはどのような社会的・文化的背景の中で歴史に登場し、去って行ったのか」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

序(大宮司朗)

第一章 呪術から霊術への道
    【藤田西湖・萩原心眼】

第二章 幻の霊術家群像
               ――大衆とともに歩んだ霊術家たちの素顔
    【浜口熊嶽】

第三章 清水英範と霊術家の時代
    【清水英範】

第四章 新宗教と超能力の原景に迫る
    【田中守平

第五章 古神道行法と霊術
               ――霊術でソフト化された昭和の鎮魂帰神法
    【松原皎月松本道別

第六章 大霊能者の黄金時代
               ――心霊科学の鬼才、浅野和三郎研究
    【浅野和三郎

第七章 荒深道斉の有史以前研究への超心理的アプローチ
    【荒深道斉】

第八章 西坂祐瑞師の超常治療“イメージ手術”
    【西坂祐瑞】

第九章 “ 裏の医術”としての霊術
               ――大正から昭和期の日本式気功術師たち
    【村田桑石】

第十章 健康法の黄金時代
               ――近代日本における健康法の成立
    【坂本屈伸】

 

新・霊術家の饗宴

新・霊術家の饗宴

 

 

本書は、著者が霊術家とその背景を紹介した『霊術家の饗宴』(1984年)の続編と言える内容です。『霊術家の饗宴』は『新・霊術家の饗宴』(1996年)として増補改訂版も出版されています。わたしも読みましたが、日本におけるオカルティズムを考える上で欠かせない名著です。同書の出版後、「歴史読本」や「Az(アズ)」などの雑誌に掲載したものをとりまとめたのが本書です。

 

第一章「呪術から霊術への道」では、「昭和の“修験”、霊術家の誕生」として、著者は以下のように述べています。
「“霊術家”たちは明治末年における3人の先駆者、最後の気合術師こと浜口熊嶽、インテリにして“精神学”の創始者(そして霊術開祖でもある)桑原天然、大本教と思想的に拮抗しつつ攻撃的な霊術を宣布した太霊道創始者田中守平―――、の術とシステムを模倣し、つづく昭和期、霊術最盛期へとなだれこむのであった。ある調査によると、医療の不備と民衆の奇蹟願望に支えられた霊術家の数は昭和5年当時、3万人にも及んだという! この数字と彼らの術内容からみて、彼らは『昭和の修験』と呼ばれてしかるべきであろう」

 

近現代日本の民間精神療法: 不可視なエネルギーの諸相
 

 

第二章「幻の霊術家群像」では、「霊術の黄金時代」として、著者は「明治の世は大正にかわり、10年経った大正中期、熊嶽の術はなんら“科学的”に解明されなかったばかりか、熊嶽をはじめ、おびただしい数の〈霊術家〉たちが市中を跋扈していた。妖術・法術を売物にした行者の一群から、“科学的”体裁をとりつくろった近代霊術家にいたるまで、その数は1万人とも数万人ともいわれている」と述べています。

 

続けて、著者は「詐欺まがいの霊術で治療する者から、純然たる詐欺そのものを“秘法”と偽って行う者たちもすくなくなく、当局の取締りといたちごっこをくりひろげている一方、精神と霊が物質の優位に立つという哲学をかかげて、地道に活動する“霊術家”先生も数おおく活躍していたのである。まさに大正期は霊術の“黄金期”であったのだ」と指摘し、さらに「私はこの〈幻の霊術家〉を追跡すること15年。昨年、ようやくにして『霊術家の饗宴』なる一書をとりまとめたのである」と述べます。

 

『霊術家の饗宴』は宗教家や研究者に衝撃の念をもって迎えられたばかりか、ニューアカデミズムの旗手として知られた浅田彰中沢新一両氏が選んだ「百冊の本」の一書に加えられました。著者は「それは、私が発掘した“霊術家の世界”が、興味本位で扱える対象のひとつではなく、東洋の小国が維新をもって、西洋化するプロセスにおいてまきおこされた、巨大なひずみのひとつであったこと、およびこのブームが〈霊術家運動〉ともいうべき、社会的・医学的・宗教的な改新運動であったという側面が、識者の注目を集めたと思える」と述べています。

 

熊嶽術真髄

熊嶽術真髄

  • 作者:濱口熊嶽
  • 発売日: 2016/07/28
  • メディア: 単行本
 

 

さらに、著者は「最後の気合術師」と呼ばれた浜口熊嶽を取り上げて、以下のように述べています。
「浜口熊嶽は、その人物スケールの巨大さ(昭和初期、かれは政治家・尾崎行雄、真珠王・御木本幸吉と並んで“三重県三傑"と呼ばれ、『三重県史』に数ページを費して紹介されている!)、術の確かさなどの点で、霊術史の扉を飾るにふさわしい人物である。取材によると、かれの妾愛人の数は数十名、故郷である紀伊長島(現在は紀北町紀伊長島区)への全面的な貢献、飾らぬ人柄で故郷ではフンドシ一丁、マナイタ下駄で村落内を闊歩したエピソードなど、現代にはいそうにない怪物である。比肩しうるとすれば、最盛期の田中角栄元首相ぐらいであろうか。でも、熊嶽にはダーティなところは微塵もなかった」

 

続けて、著者は浜口熊嶽について、「しかし、霊術家である以上、その法力が問われようが、特に大正期まで、気合一閃による黒子や歯の抜きとり、各種疼痛の除去、リューマチ後遺症などの身体障害に威力を発揮したことは、各種文献や新聞、それに生存関係者の取材などからまちがいないと思われる。遺子稔氏の証言によると、昭和10年代の晩年にはやや力量がおちたといわれるが、それでも7割方は気合だけで治癒したという」と述べます。

 

なぜ、浜口熊嶽は民衆に熱狂的に迎えられたのか。著者は、「明治以後、西洋医学の導入政策によって、医師は街中の人であることから高等教育を受けた名士になっていった。外国語を理解し,“高度な医療技術”をマスターした秀才たちが高収入を得るようになると、低学歴で生活苦にあえぐ民衆の気持から乖離していったのも、無理はない。江戸時代まで医者たちは村落の名士ではあったが、治療代にかわる米を貢がれる村の一員でもあった。白いクスリと注射、手術が生薬や骨つぎにとって代わるようになると、医者と大衆の肌のふれあいは急速に失われていったのである」と述べます。

 

催眠術の日本近代

催眠術の日本近代

 

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「この動きと軌を一にして物質万能への危機感や、精神と霊の保存への思いが一部カリスマや、民族主義者の間にたかまっていった。この精神復権への衝動が西洋科学の一分野である催眠術と習合し、明治30年代から末年にかけて未曾有の『催眠術ブーム』を形成していったのだ。さらに、この“西洋魔術”と日本精神が合体した結果、まず、桑原天然が真理の体系『精神学』を唱導し、この学の応用技術として『精神霊動術』を編みだした。つまり、――これこそが、修験道秘術の最後の実践者であった熊嶽術にかわる〈新霊術〉となったのである」

 

 

さらに、著者は大本教出口王仁三郎と並ぶ霊的カリスマとなった太霊道田中守平に言及し、以下のように述べるのでした。
「天然の弟子団、熊嶽術の模倣者たち、加えて明治末年、青年国粋主義者田中守平が編みだした〈太霊道)とその霊術(霊子術)が、大本教と鋭く拮抗しながら驚くべきスピードで、プロ霊術家を育てあげてゆくのである。つぎつぎと生まれては消える新霊術の群、それは、物質主義への潮流に抗う民族の叫びであり、大衆が抱いていたこころと身体の不安を吸収する“精神装置”“霊的技術”であったのだ。事実、いっけん西洋心理学や心霊主義の日本的変形であるとみえる霊術には、ありとあらゆる日本そのものがからみついていたのである――、修験道真言密教香具師や大道芸、漢方仙術などの東洋的な術・・・・・・などが。こうして霊術は、大正中期に第一次の黄金時代を迎えたのである〉

 

新約 出口王仁三郎の霊界からの警告

新約 出口王仁三郎の霊界からの警告

  • 作者:武田 崇元
  • 発売日: 2013/08/20
  • メディア: 単行本
 

 

第四章「新宗教と超能力の原景に迫る」では、「大本教太霊道にみる『近代日本』像」として、著者は「大正期に突如として出現した霊術団体『太霊道』、それは大本教と並んで、しかし大本教とは別なラジカリズムを放射し世に覚醒をうながした。両団体は、その活動のひとつひとつに衆目を集めていたのである。いや、衆目を集める必要から過激な活動を展開する必要があったのかもしれない――。大本教は鎮魂法と予言戦略をもって、太霊道は史上空前の激しい霊動法と超能力医術の宣布をもって。その戦略や法術の内容がどうであれ、両団体の出現は明治維新以後の東洋と西洋の国家的な出合いと、その後の急激に西洋化する日出づる国日本へのカウンターであったことは間違いない。それは、強力な民族的集合無意識をエネルギー源とした強力かつ強大な“衝動”であった、と思われるのだ」と述べます。

 

太霊道及霊子術講授録 上巻

太霊道及霊子術講授録 上巻

  • 作者:田中守平
  • 発売日: 2001/05/02
  • メディア: 単行本
 

 

続けて、著者は「大正10年の第一次大本教事件のさなかに破壊されつくした大本教の神殿群が“純日本調”であったのに対し、太霊道の神殿がルネッサンス風であったことに見られるように、大本教においてはこの“衝動”が純大和民族的に、太霊道では日本精神の中に西欧風な外形を取り込む形で、それぞれ顕現したと思えるのである。このふたつのかたちは、とりもなおさず当時の(そして現代においても)国のあり方に関して日本国家がとりうる基本的なふたつの選択肢なのである。この意味で、新宗教の発祥原因を西洋の社会学的理論であるM・ウェバー風の『カリスマ論』や、マクファーランドやインガに代表される『アノミー理論』などの単純な理論でのみとらえることの、非現実性は究明されるべきであろう」と述べています。

 

太霊道及霊子術講授録 下巻

太霊道及霊子術講授録 下巻

  • 作者:田中守平
  • 発売日: 2001/05/02
  • メディア: 単行本
 

 

 

さらには、著者は「今日、大本教については多くが語られつづけているにもかかわらず、太霊道は私が拙著『霊術家の饗宴』で発掘したにとどまっている。このことは、太霊道の不幸な末路と考え合わせ、残念なことであると言わざるをえない。単に感傷的に言うのではない。太霊道を嚆矢とする昭和5年までの〈霊術家運動〉が、その後の新宗教ブームに繰り返し影響してきたという私の『発見』から見て、太霊道を特に、その“術”の面から考究すべきであると思うからなのである」とも述べるのでした。

 

 

第五章「古神道行法と霊術――霊術でソフト化された昭和の鎮魂帰神法」では、「古神道と霊学、霊術の接点」として、著者は以下のように述べています。
「近代霊術そのものは明治20年代の催眠術ブームの産物であった。日本史の中で、主として修験たちが担っていた宗教的民間医療は、明治政府の西洋医学と科学の導入政策によって著しく抑圧された。しかし、民衆の中には依然として宗教的民間医療へのニーズがくすぶっていた。奇妙なことに、そのニーズを汲みあげたのは催眠治療であり、“催眠による運命開拓法”であったのだ。このブームは日本古来の『俗霊術』とドッキングし、大正以降、〈霊術〉として結実したのである」

 

 

 一方、平田篤胤を祖とする神道的〈霊学〉は、本田親徳(文政五年生)によって実践的に再興されました。その主軸をなしたのが鎮魂帰神であったとして、著者は「この秘法は長沢雄楯を経てかの大本教出口王仁三郎へ、そして友清歓真松本道別などの人々へと受け継がれていく。この間に、霊学の流れは〈古神道〉の名においても語られるようになったのである。明治政府の国家神道推進政策により、神道はその儀礼面が重視され行法面は軽視された。そして民間にわだかまっていた宗教的治療術は迷信であるとされ、強力に抑圧規制されるにいたったのだ。古神道という一種漠然とした呼称、催眠術と伝統的俗霊術の奇妙なドッキング形態である霊術は、こうした時代背景の産物なのである」と述べています。

 

透視も念写も事実である  ――福来友吉と千里眼事件

透視も念写も事実である ――福来友吉と千里眼事件

  • 作者:寺沢 龍
  • 発売日: 2004/01/25
  • メディア: 単行本
 

 

第六章「大霊能者の黄金時代――心霊科学の鬼才、浅野和三郎研究」では、明治以来の催眠術と霊術は奇妙な副産物を生んだことが指摘されます。それこそが催眠から超能力ブームへの架け橋となった「透視能力者」の誕生であったとして、「四国の長尾郁子、九州の御船千鶴子両名は日本の霊能者史のトップを飾る巨星である。明治末年、東京帝国大学心理学科助教授、福来友吉博士は長尾、御船両女性について研究し、彼女たちが透視能力の外に『念写能力』を持つことを世界で初めて発見したのであった。というのは、同種の現象はずっと以前にアメリカで発生していたが、学者たちはその奇妙な写真が“霊の力”によって写るのだと主張していた。福来は、霊の力というよりも、彼女たちが放射した『念のエネルギー』によって“写る”のだ、と主張したのである。しかし、福来は、人間の心がエネルギーとして働くはずはないという物理学上の定説に固執する東大の理学者たちの圧力によって、学問の世界から追放されてしまった」と述べています。

 

一方、霊術のほうは桑原天然、田中守平という霊術大家の誕生をみたことにより、快進撃を繰り広げてゆきます。しかし、ゆきすぎた霊術ブームは再び政府による規制令によって昭和5年以降、びしびしと取り締まられることになりました。次の大ブームになる〈大霊界時代〉の大立役者の二人、浅野和三郎亀井三郎が出会ったのは、前年、昭和4年の5月のことでした。浅野和三郎はもともと東京帝大の英文学の教授でしたが、わが子を亡くしたことがきっかけで大本教に入信します。そこで出口王仁三郎に次ぐナンバー2の地位にまで上りつめます。

 

浅野和三郎について、著者はこう述べます。
「高名な英文学者から審神者へ、しかも短期間に・・・・・・。この驚くべき変転は浅野にとって何の不思議もなかった。王仁三郎の厚い信頼のもと、ナンバーワン審神者として浅野は無数の見えざる世界の居住者たちと対話を繰り返した。神々から古代霊、動物霊や自然霊(龍や稲荷神)、そして幽界で迷い苦しむ人霊たち――、この世とあの世を隔てるヴェールの彼方から一時的に呼びだされる神霊群と語り、時には教えを受け、暴力的な対決をする事も一再ではなかった。この時の経験が後の心霊家としての時代にどれほど役に立ったか、いうまでもない」

 

大本霊験秘録

大本霊験秘録

 

 

そして、もうひとつの出会いもあったとして、著者は「それこそが大本教が霊母艦であったことの証明なのであるが、昭和年間を通して活躍した多くの霊的指導者たちはその若き(あるいは初期の)時代に、大本教の薫陶をうけ、あるいは浅野を審判者とする鎮魂帰神を受けているのだ。その面々は、後に霊術家として立った栗田仙道、生長の家谷口雅春世界救世教岡田茂吉神道天行居友清歓真、『近代日本霊異実録』の著者・笠井鎮夫、など十指に余るのである」と述べています。まさに大本教は「日本霊学のダム」でした。

 

神霊主義―心霊科学からスピリチュアリズムへ

神霊主義―心霊科学からスピリチュアリズムへ

 

 

「新しき死後の証明」として、著者は述べています。
「続々と誕生する霊媒ニューフェイス霊媒たちの生命がけの実験を実見した人々の中から浅野の主旨に同調し、研究に入る知識人や科学者も増加してきた。浅野の寝食を忘れた精進が実ってきたのだ。しかし、天は浅野の使命はこれまで、と思ったのか、昭和12年2月3日、享年64歳で彼は自らが研究のためにのめりこんでいた「霊会」へと還っていったのである。“私は必ず交霊会に再来する”の言葉を残して。研究界は巨星逝くの報に茫然自失の体であった。あまりにも彼は強力で巨大であったのだ。そして、弟子の霊能者をはじめ、関係者はすべで彼の遺言を信じてやまなかったのである」
ちなみに、心霊研究家の小田秀人によれば、浅野が帰幽して2日後の、かねて開催予定になっていた萩原霊媒の交霊会に突如として出現したといいます。

 

第七章「荒深道斉の有史以前研究への超心理的アプローチ」では、「困難さを増幅させる精神的霊的次元の混入」として、著者は「霊能者、霊媒、神代、神台と呼ばれる人々である。この人たちは身に備わった透視能力を用いて過去と未来を瞥見し、神や霊の憑り台として異界神の口になり、あるいは身体から“幽体”を脱出させて“神界”や“霊界”を訪問したり、過去と未来の世界に遊ぶ」と述べています。従来、ともすれば、あの世とこの世をまったく別物であると考える傾向がありました。しかし、八幡書店の社主でポップ・オカルティストの武田崇元氏によれば、この両者は「型」によって結ばれた“フラクタル次元”を共有しているといいます。つまり、この霊的な次元にこの世の出来事の鋳型が存在するからこそ現界からみた過去や未来に関する情報が、霊能者たちによって“解読”されるというのです。

 

幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿: 超国家主義の妖怪

幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿: 超国家主義の妖怪

  • 作者:藤原明
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: 単行本
 

 

実際、古史古伝の多くが神社の奥深くに秘められてきたという事実は興味深いとして、著者は以下のように述べます。
「そこには長年にわたる神職や神台のかかわりがみられたはずであるからだ。特に『竹内文献』にその色彩が濃い。竹内巨麿、この怪異な神官によって世に明らかにされた同文書は、破天荒な内容にうずまっている。神武以前に数百億年にわたって皇統が連綿すること、『ミヨイ』『タミアラ』というアトランティスとムーに相応するとみられる古代大陸の一代記など、民族性はむんむんしているものの、デニケンの超古代考古学などぶっとぶ迫力である」

 

 

第十章「健康法の黄金時代」では、病気治しや健康法といった分野でも霊術家たちが活躍したことに言及した後、著者は「病気をしてはじめて人間なのである。だから病気を敵視することなく、その病気が何を教えているかを冷静に考えてみることも必要ではないだろうか。逆に病気に負け、のみこまれると病気は重くなる。あせって自分を誤った方向に導かぬよう注意することだ。病気を冷静かつ客観的に見ることが正しい治病術の第一歩なのである。もう一つ、ほとんどの人間は病気によって死ぬ。しかし、死にいたる病気を経験するのは一生のうちただの一度である。ほとんどの病気はその一度の病ではないからあせらないことだ」と述べるのでした。本書を読んで、新宗教の教祖たちのように組織は作らなかったけれども、巨大なヒーリング・パワーを発揮した霊術家たちに大きな興味が湧いてきました。書斎のどこか片隅にあるであろう『霊術家の饗宴』を探して再読してみたくなりました。

 

霊術家の黄金時代

霊術家の黄金時代

 

 

2020年5月6日 一条真也

昭和のこどもの本と映画

一条真也です。
4日、緊急事態宣言が延長されました。新型コロナとの闘いは想定外の長期戦になります。そんな中で、5日の「こどもの日」を迎えました。総務省が15歳未満の子供の推計人口(4月1日現在)を発表しましたが、前年より20万人少なくなり、39年連続の減少。日本の人口も緊急事態ですね。それはさておき、わたしにとっての「こどもの日」は「こどもに戻る日」です。毎年、この日には童心を思い起こすようにしています。そのために、昭和の少年時代にタイムスリップすることができる本を読みます。

 

たとえば、ここ数年の「こどもの日」にはブログ『昭和ちびっこ未来画報』ブログ『ぼくらの昭和オカルト大百科』ブログ「今年の『こどもの日』は『怪獣の日』だった!」ブログ『昭和ちびっこ怪奇画報』ブログ『タケダアワーの時代』で紹介した本、昨年はブログ『日本昭和トンデモ児童書大全』で紹介した本を取り上げました。

f:id:shins2m:20200502131301j:plain今年の「こどもの日」に読む本

 

今年は、「こどもの日」に読もうと思って楽しみに取っておいた『昭和こども図書館』と『昭和こどもゴールデン映画劇場』を読みます。2冊とも1960~70年代のキッズカルチャーの研究家である初見健一氏の著書です。わたしは初見氏の本の大ファンで、そのほとんどを読んでいますが。初見氏は1967年生まれで、わたしの4歳下ですが、いわゆる同世代だと言えます。ですから、この2冊に登場する本や映画も懐かしいものばかりです。

 

昭和こども図書館

昭和こども図書館

  • 作者:初見健一
  • 発売日: 2017/07/27
  • メディア: 単行本
 

 

『昭和こども図書館』は、定番絵本や教科書掲載作品、夏休みの課題図書、そしてオカルトブームの真っただ中に刊行された数々の「怪奇系児童書」などなど、主に70~80年代の小中学生たちの記憶に残る懐かしい児童書を、子供ならではの“あるある"エピソードや著者独自の珍エピソードとともに振り返っています。『ぐりとぐら』『からすのパンやさん』などの名作絵本から、教科書掲載のトラウマ童話『モチモチの木』、漱石の『三四郎』『草枕』そして『恐怖の心霊写真集』『ノストラダムスの大予言』などオカルト本の名著(?)まで、100点を超える懐かしの児童書を一気に紹介していますが、初見氏が本のレビューの達人であることも発見しました。

 

昭和こどもゴールデン映画劇場

昭和こどもゴールデン映画劇場

  • 作者:初見健一
  • 発売日: 2019/05/27
  • メディア: 単行本
 

 

『昭和こどもゴールデン映画劇場』は、「あのころの映画」に関するエッセイ風シネマガイドです。昭和をにぎわせ、今なお語り継がれる『燃えよドラゴン』『E.T.』といった不朽の名作から、シリーズ継続中の人気映画『スターウォーズ』『007』、「残酷ドキュメンタリー」の決定版『世界残酷物語』『グレートハンティング』、オカルト・サスペンス映画の源流を作った『エクソシスト』『サスペリア』、当時オールディーズ・リバイバル現象を巻き起こした『グリース』『アメリカン・グラフィティ』まで、昭和を彩った懐かしの映画の数々が紹介されています。



同書に登場する映画で、わたしが最も懐かしく感じたのは『小さな恋のメロディ』です。1971年のイギリス映画ですが、主演のマーク・レスタートレイシー・ハイドの初々しさが今も記憶に残っています。当ブログにも本や映画に関する記事が多いですが、読書と映画鑑賞はわが人生において大きなウエイトを占めています。日々、多くの本を読み、多くの映画を観ます。その原点はすでに小学生時代にあったということに気づきました。もう50年以上、わたしは本と映画を「こころ」の糧にしてきましたし、人間にとって最大の不安である「死」を乗り越える力を与えられてきました。

f:id:shins2m:20200502131319j:plainわが『読書ガイド』と『映画ガイド』

 

わたしには、『死を乗り越える読書ガイド』(『死が怖くなくなる読書』を加筆・修正して改題)および『死を乗り越える映画ガイド』(ともに現代書林)という著書があります。前者は、「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイドです。アンデルセンから村上春樹まで・・・・・・死生観は究極の教養です。「死」があるから「生」があります。その真理に気づかせてくれる50冊を紹介しました。また、後者は「あなたの死生観が変わる究極の50本」をサブタイトルに、『風と共に去りぬ』から『アナと雪の女王』まで・・・・・・生きる力と光を放つ映画を紹介しました。『昭和こども図書館』と『昭和こどもゴールデン映画劇場』を読むと、読書や映画鑑賞に情熱を注ぐわたしの原点が思い起こされるような気がします。

f:id:shins2m:20200502154358j:plain3冊揃った「一条真也『死を乗り越える』シリーズ」

 

そして、「一条真也『死を乗り越える』シリーズ」として、5月26日に『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)が刊行されます。同書を執筆して、わたしは、本にせよ、映画にせよ、名言にせよ、その数の多さに驚かされました。
「いかに生きるか、と同じく、いかに死を考え、いかに死を迎えるのか、さらに愛する人を亡くした人がいかにその喪失感から立ち直っていくのか――その重要性は、どんなデータを示すより、死をテーマにした本や映画、名言の数の多さを知れば納得できるのではないでしょうか。わたしは、こどもの頃から多くの本を読み、映画を観て、その結果、自分なりの「死生観」を育ててきたように思います。

f:id:shins2m:20200502193742j:plainこの2冊も読みたい!

 

今年の「こどもの日」には、他にも読みたいというか、眺めたい本があります。『日本懐かし特撮ヒーロー大全』と『日本昭和トンデモ怪獣大全』です。ともに堤哲哉氏の著書で、「TATUMI MOOK」の1冊です。『日本懐かし特撮ヒーロー大全』は、昭和の特撮ヒーロー作品について、王道系から個性派まで多数紹介した本です。特撮史研究の第一人者である著者が長年蒐集してきた極めてレアなブロマイドをはじめ、ノート、雑誌、色紙、番宣ハガキ、お菓子など貴重なアイテムも満載です。また、『日本昭和トンデモ怪獣大全』は、マンガからブロマイド、おもちゃにソフビまで・・・・・・得も言われぬ昭和感満載のマイナーな怪獣たちを紹介した本です。

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『昭和少年カルチャーDX』の表紙

 

それから、「こどもの日」の夜に晩酌しながら眺めたいのは、『昭和少年カルチャーDX』おおこしたかのぶ著(辰巳出版)です。ケンちゃん(宮脇康之)がニコッと笑う表紙のこの本は、昭和レトロカルチャーを懐かしむ決定版ともいうべき内容です。アマゾンの内容紹介には「子どもの頃に慣れ親しんだ、たくさんの駄玩具たち。教科書の絵なんかよりも大好きだったプラモの箱絵。心の隅に張り付いたままはがれないシール。あの日、あの公園で失くしたバッジ・・・みんなこの本で再会できる!!」と書かれています。

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『昭和少年カルチャーDX』の裏表紙

 

●おもちゃ(チープトイ/ゲテモノ/イタズラ/ふろく/アナログゲーム/お化け/クジ引き/カード・・・)●駄菓子屋派絵師(怪獣/プラモ箱絵/駄モノ/パチメンコ/パチ怪獣/怪奇/駄玩具台紙/レトロ図案・・・)●絶滅危惧種(希少駄菓子/秘境マーケット/見世物小屋/縁日の屋台/コイン遊具/カタ屋・・・)●雑貨・その他(文具/手帳/バッジ/シール/憩い/マスコット/キッチュ雑貨/貯金箱/ファンシー・・・)●絶版プラモ(ゲッターロボバルキリー/アトランジャー/ワニゴン/ガマロン/マグラン星人・・・)といった5章にわたって、ディープすぎる昭和レトロの世界が展開されていきます。このような本を開いて、あと5日で57歳になるオッサンは、ニヤニヤしながら「こども」に返るのでありました。ああ、光陰矢の如し・・・・・・。

 

2020年5月5日 一条真也拝 

PASSION(稲盛和夫)

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言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、現代日本を代表する経営者である稲盛和夫氏の言葉です。稲盛氏は、企業経営者としての要諦を「経営の原点十二カ条」、「六つの精進」という箇条形式でまとめ、書籍や講演などで繰り返し語られています。どのような優れた教えでも漫然とした文章では覚えることが難しいものです。「十二カ条」「六つの」といった具体的な数字表現によって、稲盛氏は重要なポイントを社員や関係者に伝達する工夫をされています。

 

成功への情熱―PASSION― (PHP文庫)

成功への情熱―PASSION― (PHP文庫)

 

PASSION(成功への情熱)とは、一見、何の変哲もない英単語です。しかし、このアルファベット7文字は、経営の要諦を表す英語の頭文字で構成され、「情熱」を意味する「PASSION」という成語となっているのです。
それぞれの頭文字は、次の「七カ条」となります。

 

ROFIT
 (利益)

売上を最大限に伸ばし、経費を最小限に抑える。
利益を追うのではない。利益は後からついてくる。

MBITION
 (願望)

潜在意識に透徹するほどの強く持続した願望を持つ。

INCERIRTY
 (誠実さ)

商いの相手の身になって行動する。

TRENGTH
 (真の強さ)

強さとは勇気である。決して卑怯な振る舞いがあってはならない。

NNOVATION
 (創意工夫)

昨日より今日、今日よりは明日と、自分の創造性を発揮して、常に改良改善を続ける。

PTIMISM
 (積極思考)

常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で。

EVER GIVE UP
  (決してあきらめない)

誰にも負けない努力をする。地味な仕事であっても、一歩一歩堅実に、努力を怠らずにやり遂げる。

 

京セラが初めて米国の有力な電子部品メーカーを買収した際、稲盛氏は自身の著書『心を高める、経営を伸ばす』を英訳し、当該企業の役職者への勉強会を実施されたそうです。その時の心境を、稲盛氏は次のように語っておられます。
「私は人間の本質は洋の東西を問わず同じであり、京セラの経営哲学も普遍的なはずである。だから、こちらが純粋な気持ちで、誠意を持って話をすれば必ず受け入れてもらえる。そう信じて、私はこの勉強会に臨んだ」

 

「PASSION」という単語に稲盛実学の要諦が凝縮されていることには驚くばかりです。しかし、こうした独創的な発想も、決して奇をてらったものではありません。稲盛氏の表現を借りれば「ど真剣に生きる」、その愚直なまでの生き方から生まれたものなのでしょう。

 

わが社には「S2M」という経営理念がありますが、8つの理念すべてが「S」TO(2)「M」という韻を踏んでいます。経営の方向性を全社員が共有するには、経営者の情熱が込められた「キーワード」が必要です。わたし自身も「どうすれば、メッセージがよりよく伝わるか」を考えながら、心に響く「言葉」を創造していきたいと思っています。


 

 

最後に、「PASSION]といえば、2014年11月9日に放映された日本テレビ放送網・FBSの「PASSION〜情熱人」という番組に取り上げられました。さまざまな企業の経営者にスポットを当て、「経営の理念」「地域との交流」など、情熱を持った「企業と人」を紹介する内容です。提供はSMBC日興証券さんで、CMにはイチローが登場。わたしも「PASSION」のある経営者をめざして、頑張ります!

 

2020年5月4日 一条真也