自然は絶えず移ろう 

f:id:shins2m:20200409123816j:plain

 

秋の風が颯々と吹いて、黄色い葉を翻している。丸い月の影が、白い露に泣きそぼっている。虫の鳴き声が、もの悲しく草のあいだから聞こえてくる。雁の声が途切れ途切れに、空にかすかに響いている。(『秋日奉賀僧正大師詩』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 
超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介します。

 

2020年5月4日 一条真也

闘魂YouTuber

一条真也です。3日は「憲法記念日」です。外出自粛の大型連休を、自宅でYouTubeを見て過ごされる方も多いでしょう。YouTuberといえば、最近は仕事を失ったお笑い芸人やタレントたちが大量参入していますね。今年に入って、プロレス界のレジェンドたちが続々とYouTubeに参戦。昭和のプロレスをこよなく愛する者としては嬉しい限りですが、全部を見るのは大変!

f:id:shins2m:20200502125738j:plain最後の闘魂」チャンネル


まず、ご紹介するのは、「最後の闘魂」チャンネルです。プロレス界の最大のカリスマである「燃える闘魂」ことアントニオ猪木が今年の2月20日に開設しました。猪木が質問に答えるというインタビュー形式で、過去の名勝負や自分の弟子たちに対する思いなどを述べます。これまで謎めいた発言が多かった猪木ですが、この「最後の闘魂」ではけっこうストレートに本音をズバズバ語っており、素の猪木が感じられて、非常に興味深いです。これからは、ルー・テーズカール・ゴッチ力道山ジャイアント馬場モハメド・アリなどについても大いに語っていただきたいです!

f:id:shins2m:20200502134854j:plainRIKI CHANNEL



次にご紹介するのは、「RIKI CHANNEL」です。「革命戦士」こと長州力が3月20日に開設しました。長州といえば、滑舌が悪いことで有名ですので動画配信を行うというニュースを知ったときは驚きました。内容はプロレスの話題は少なくて、沖縄でステーキを食べたりとか、ファミリーマートの新商品を開発したり・・・・・・あまり面白くはないですね。あと、長州自身がYouTubeに興味がないのか、テンションが低いです。WWEで活躍する中邑真輔との対談が一番盛り上がりました。

f:id:shins2m:20200518185559j:plain前田日明チャンネル



3番目にご紹介するのは、「前田日明チャンネル」です。「新格闘王」こと前田日明が3月3日に開設しました。空手を皮切りに、新日本プロレス、UWFで活躍し、リングスCEOを務めた前田。リングスではエメリヤーエンコ・ヒョードルアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラを発掘し、現代総合格闘技の礎を築きました。後にHERO’Sでスーパーバイザーを務めた後、2008年に第2次リングスをスタート。「THE OUTSIDER」大会をプロデュースし、総合格闘技界で人気者の朝倉未来朝倉海を輩出しました。

f:id:shins2m:20200502133849j:plainMasakatsu Funaki」チャンネル



その前田日明と新生UWFで袂を分かった後、パンクラスを立ち上げたのが船木誠勝です。彼は、公式YouTubeチャンネルである「Masakatsu Funaki」をすでに2017年2月21日に開設しています。YouTuberとしての船木ですが、まるで本職のアナウンサーみたいに、語りが素晴らしいので驚きました。内容も理路整然としているし、基本的に頭の良い人なのだと思います。猪木、長州、前田の3人には、「400戦無敗」のグレイシー柔術の最強戦士ヒクソン・グレイシーとの対決が幻になったという共通のエピソードがあります。彼らの後輩である船木は実際にヒクソンと闘いました。ヒクソンを最も苦しめた日本人とされている船木ですが、動画で「セメント最強のレスラー」は藤田和之であると語っています。

f:id:shins2m:20200502160106j:plain永島オヤジの格闘チャンネル



その藤田ですが、「ゴマ塩オヤジ」こと永島勝司が4月1日に開設した「永島オヤジの格闘チャンネル」で、幻の「藤田vsヒクソン」戦について語り合っています。永島オヤジによれば、ヒクソン長州力戦も中西学戦も前向きに受け入れましたが、藤田戦のオファーだけは断ってきたそうです。藤田の野獣のオーラを警戒したのだそうです。いやあ、藤田vsヒクソン戦、見たかったですね!
永島オヤジの格闘チャンネル」は、新日本プロレスでは取締役、WJプロレスでは専務取締役を務めた永島オヤジが、プロレス界のレジェンド・現役選手を相手に語り合うチャンネルです。「GK」こと元「週刊ゴング」編集長の金沢克彦がアシスタントというか、相棒を務めています。

CHONO Network

獣神サンダー・ライガーチャンネル

人類プロレスラー計画中西ランド

田村潔司【一人UWF放送室】

Yamaken Tube

菊田早苗TV

 

この他にも、蝶野正洋獣神サンダーライガー中西学安田忠夫田村潔司山本喧一菊田早苗といったプロレス・格闘技のレジェンドたちもYouTubeに参戦しています。あの「プロレスリングマスター」こと武藤敬司も参戦間近だとか。もともとプロレスラーというのは、肉体だけでなく、言葉でも戦う存在です。猪木も長州も前田も、「言葉のプロレスラー」であり、コピーの名人でした。彼らの言葉は何度もスポーツ新聞の1面やプロレス雑誌の表紙を飾ってきました。もちろん彼らは実力と人気を兼ね備えた一流のプロレスラーでしたが、言葉というものを武器として闘った表現者でもあったのです。これからも、YouTuberとしてのファイターたちには大いに期待したいと思います。それにしても、昭和プロレスを愛してやまないわたしにとって、夢のような時代です!

 

2020年5月3日 一条真也

『透視も念写も事実である』

透視も念写も事実である  ――福来友吉と千里眼事件

 

一条真也です。今回の「ホームステイ週間」を「読書週間」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう!
『透視も念写も事実である』寺沢龍著(草思社)を読みました。2004年1月25日に出版された本です。「福来友吉千里眼事件」というサブタイトルがついており、千里眼と呼ばれた御船千鶴子、長尾郁子、高橋貞子らに超能力(透視と念写)の実験を行い、その科学的解明に一生を捧げた心理学者・福来博士の数奇な運命をたどった本です。著者は昭和10(1935)年、大阪生まれ。平成9年、定年退職をした後、第二の人生をこれまでとは異なった世界で「自己解放」するべく著述を始めたとか。本書は第二作です。

f:id:shins2m:20200313172333j:plain
本書の帯

 

本書の帯には「大学を追放された超心理学者・福来博士の悲劇を描いた興味津々のノンフィクション!」「貞子は実在した!」と書かれています。

f:id:shins2m:20200313172351j:plain
本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「まえがき」

序章  熊本からの運命の来訪者

第一章 福来友吉の故郷・飛騨高山

第二章 熊本の千里眼――御船千鶴子

第三章 千里眼への学者たちの眼差し

第四章 四国丸亀の千里眼――長尾郁子

第五章 福来友吉と「念写」の発見

第六章 千里眼事件――実験中に起きた二つの変革

第七章 東京の千里眼――高橋貞子

第八章 『透視と念写』の出版と大学追放

終章  福来友吉の晩年とその死

「あとがき」
福来友吉年譜」
「おもな引用・参考文献」



「まえがき」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「いまはもう知る人もいなくなったが、明治時代末期の日本で、当時の著名な学者たちが参加して俗に『千里眼』と呼ばれる超常現象(科学では説明のできない、常識を超えた現象)の実験がさかんにおこなわれている。その様子を各新聞が競って報道したために、この千里眼問題は広く一般の人たちのあいだにも好奇の話題となって関心が高まった。そもそもこの千里眼に対する学術的実験は、東京帝国大学の心理学科の助教授だった福来友吉が研究解明を依頼されたことから始まったが、実験の対象と内容が奇異なばかりでなく、その実験中にいくつかの不可解な事態が発生したために、この千里眼問題は社会的な話題となって騒ぎがいっそう大きくなったのである」



また、著者は以下のようにも書いています。
「現代においても千里眼などの超能力の問題は、テレビなどに取り上げられることも多く、小説や映画などの題材にされる例もしばしばである。しかし、この道の先駆者ともいうべき福来友吉の実像とその研究については、いまもその正確な事実が伝えられていない。また学問上も、いまにいたるまで、なぜか歪曲された事実を根拠とする否定的な評価が多く言い伝えられてきた。透視と念写の千里眼実験は世間に大きな騒ぎを巻き起こしたが、東京帝国大学の物理学者を中心とする千里眼批判の大合唱とその研究排斥の策動に対しても、福来は、『透視は事実である。念写もまた事実である』と宣言して動じるところがなく、大学辞任後は在野の人となって孤高をつらぬき、生涯をその研究につくした。この本では、福来友吉の八十二年余の境涯をたどり、彼の学者としての業績とそれにまつわる『千里眼事件』の真相を糺し、日本の近代国家形成期の歴史のなかに埋もれた1人の学者の悲運の軌跡を明らかにしたいと思う」
この言葉は、本書のカバー前そでにも書かれています。

f:id:shins2m:20200409013800j:plain
福来友吉 

 

第一章「福来友吉の故郷・飛騨高山」では、「日本の心理学の黎明と福来友吉」として、著者は「明治維新後、文明開化に始まる日本の近代化のなかで、科学としての心理学がわが国に根づきはじめたのはいつのころからであろうか。心理学は本来、哲学の一分野として誕生し、その源流は古代ギリシア哲学にあるといわれるが、その当時の心理学は実体概念としての精神・心・霊魂を研究する思弁的な学問であった。心理学の近代史は、1879(明治12)年にドイツのW・ヴントがライプチヒ大学に世界最初の心理学実験室を開設したことによって実験心理学の基礎が築かれ、その後、心理学は哲学からしだいに分離し、独立した実証科学としての道を歩んでいる。日本において『心理学』という言葉を最初に使ったのは、西周だといわれる。彼は幕末に幕府留学生としてオランダに学んでいるが、明治11年にヘヴンの著書『心理学』を翻訳(文部省刊行)したときに、『Mental Philosophy』という語に対して『心理学』という訳語を創案した」と述べています。



日本の大学で正式に「心理学」と名づけた講座が生まれたのは、明治21(1888)年です。その2年後にこの講座を担当したのが、福来友吉の恩師の帝国大学・元良勇次郎教授でした。この事実を踏まえて、著者は以下のように述べています。
「日本では、明治34(1901)年に東京において『心理学会』が組織されて学会の活動が始まり、同年2月に第1回例会が開かれて研究が発表された。4月の第3回例会では、当時大学院生の福来友吉が、『精神活動の顕在的部分と潜在的部分』と題した研究発表をおこなっている。その後の例会においても、プログラムに福来の研究発表が数多く見られる。――やがてのちに、明治43(1910)年4月の第91回例会において、当時大学助教授の福来友吉が、熊本の御船千鶴子についての『透視の実験報告』と題した発表をすることになる」

f:id:shins2m:20200409014032j:plain
山川健次郎 

 

透視という未知の現象に関心を抱いたのは、福来だけではありませんでした。東京大学元総長の山川健次郎理学博士もその1人で、彼は透視能力者として有名であった御船千鶴子の東京での公開実験で立会人の中心となりました。第五章「福来友吉と『念写』の発見」では、「物理学界の大御所・山川健次郎千里眼への強い関心」として、山川ほどの大物が透視の現象に関心を持ったのには、2つの動機があったことが指摘されています。その1つは、彼がエール大学留学中に、学生のなかに1人の透視能力者がいて評判になったことかあったことです。山川もその実験を目撃して、理学では説明のつかない不思議な現象が存在することに驚き、学問的に研究してみたいと興味を持ったというのです。2つ目は、この透視現象に山川は未知なる物質の存在と現象の可能性を考え、新しい物質を発見したいという功名心があったというのです。じつは、このほうが大きな動機だとされています。



著者は、以下のように述べています。
「物理学の世界では、19世紀末(明治20年代~明治33年)から20世紀初頭(明治34年~明治末)にかけてのおおよそ20年の間に、従来の古典物理学では説明のつかない幾多の重要な発見があいついで起き、世界中の物理学者たちは高揚状態にあった。まず、1888(明治21)年にヘルツ(独)が電磁波を発見し、1895(明治28)年にはレントゲン(独)がX線を発見して第1回ノーベル賞を受賞している。1896(明治29)年にベックレル(仏)が放射能を発見、1897(明治30)年にJ・J・トムソン(英)の電子の発見、1898(明治31)年にはキュリー夫妻(仏)がラジウムを発見、またポロニウムを発見して夫妻でノーベル賞を受賞した」



続けて、著者は以下のように述べています。
「さらに、1899(明治32)年にアルファ線ベータ線が発見され、1900(明治33)年にガンマ線の発見、また同年にプランク(独)のエネルギー量子の発見があり、1903(明治36)年にはルネ・ブロンコ(仏)が紙や木や金属箔を透過する新種の放射線『N線』を発見したと発表してセンセーションを巻き起こし、この後には、人体や動物の体から発せられる放射線を観測したと発表する学者もあらわれた。1905(明治38)年にはアインシュタイン(独)が相対性理論を発表し、1910(明治43)年にキュリー夫人ラジウムの単離に成功した」

f:id:shins2m:20200409013851j:plain
御船千鶴子

 

著者によれば、明治維新後の日本は、西洋文明を急速に取り入れることによって近代化を進め、社会全体が急激に変貌するなかで近代科学の教育と研究の体制も整備されてきたといいます。そして、物理学分野における明治後半期の西欧の輝かしい研究成果は、後進のわが国の学者たちにも大きな刺激を与えているとして、「明治43年にあらわれた千鶴子や郁子たちによる、いわゆる『千里眼』と称された透視現象に対して、わが国の科学分野の学者たちが大きな関心と興味を持ったのは、当時の世界の科学者たちの活発な研究動向と、あいつぐ新発見の刺激がその底流にあった」と述べています。

 

続けて、著者は「当時、日本の物理学研究の先駆者として、学界の元老的な立場にあった山川健次郎が、すでに遠のいていた研究実験の第一線の現場にもどって透視の研究に乗り出したのには、そのような背景と思惑があってのことだった。このときの彼の胸中には、日本で最初にX線の追試確認に成功した自負と、レントゲンがX線発見の端緒となった偶然のエピソードが頭をよぎり、透視現象の研究による新発見への期待とその栄えある名誉を大きく思い描いていたのであろう」とも述べます。

 

第六章「千里眼事件――実験中の起きた二つの変事」では、物理学界の大御所でありながら透視現象に関心を抱く山川がインタビュー取材に応じた「報知新聞」の記事を紹介し、著者は以下のように述べています。
「この長文の談話のなかに、山川の胸中の思いが垣間見える。彼は、透視の迷信を危ぶむ教育家らしい懸念を述べながらも、十数年前にレントゲン発見のX線を日本で最初に追試実験に成功した物理学者としての自負とともに、世界的発見の可能性をもつ千里眼の『新放射線』への関心と、もしそれが確かなものだった場合の発見者としての名誉への食指も見てとれる。当時、山川博士は56歳であり、東京帝国大学総長を退任後すでに5年を経ているが、九州の炭鉱王といわれた安川敬一郎が明治40年に北九州・戸畑に創立した明治専門学校(現・九州工業大学)の初代総裁を引き受けていた」
山川健次郎九州工業大学の前身である明治専門学校の初代総裁だったとは、わたしは初めて知りました。

f:id:shins2m:20200409013933j:plain
長尾郁子 

 

「四国丸亀の千里眼」こと長尾郁子は、「熊本の千里眼」こと御船千鶴子を上回る能力者であるとされました。彼女は、透視のみならず念写にも挑戦し、見事に成功させます。「福来による郁子の『念写』の実験」として、著者は以下のように述べます。
「福来は、これまでの実験で得た知見を推し進めて、透視者の脳髄からある種の光線――いわば『精神線』とも称すべき物質を発しているのでなかろうかとの仮説を立てたが、そのことを世間にはまだ発表していなかった。しかし、12月26日の郁子の実験においてその確信を得たことによって、彼はその現象を『念写』と名づけ、初めて仮説の立証を発表したのである。福来は、三浦恒助が唱えた『京大光線』を否定し、郁子の念写の現象をもたらす物質は直行直線性の光線ではなく、一種の精神作用から生まれる活力によって、文字や図形を心のなかに描いてそれを写真乾板に写すものであり、その作用するものの正体を究めることがこれからの研究課題であると語った」

f:id:shins2m:20200409014137j:plain
高橋貞子

 

第八章「『透視と念写』の出版と大学追放」では、御船千鶴子、長尾郁子に続いて、福来が発見した3人目の能力者が「東京の千里眼」こと高橋貞子が登場します。彼女こそ、「リング」の貞子のモデルとされた女性でした。その高橋貞子の3回目の実験後の大正2(1913年)8月7日に、福来は『透視と念写』という著書を出版します。福来は、この新著『透視と念写』の序文に、「本書は心霊問題の一たる透視および念写に関する研究結果の発表である。その現象たる、物質的法則を超絶して、ここにまったく新たなる空前の真理を顕示するものであるから、物質論者はこれに対して激烈なる驚愕と憎悪とを示している。それがため、本研究に従事して以来、余は罵言、讒誣、陰擠など種々の追害を彼らによりて加えられた。(中略)余はいかに月並み学者の迫害を受けたからとて、学者の天職として信ずる道を踏まずにはいられぬ。学者の天職とは前人未発の真理を闡明して善良なる未来を開拓して行くことである」と宣言しました。そして、本編の冒頭には「雲霞のごとく簇る天下の反対学者を前に据え置いて、余は次のごとく断言する。透視は事実である。念写もまた事実である」と書かれています。著者は「それは彼が述べようとする結論のすべてであり、断固たる主張であった」と述べていますが、この言葉が本書のタイトルに使われたわけです。

f:id:shins2m:20200409015150j:plain
三田光一 

終章「福来友吉の晩年とその死」では、三田光一という能力者が登場します。昭和になってから福来がさかんに実験を行った三田光一に初めて会ったのは、大正6(1917年)2月8日のことでした。著者は、「彼とは福来の知人である岐阜県揖斐郡の坪井秀の自宅で引き合わされた。催眠術の心得のある坪井は、福来の丸亀での長尾郁子の実験にも立ち会っているが、彼は早くから三田に注目してその公開実験にかかわっていた。福来は初対面の三田に対して、2枚の乾板を別々の場所に置き、それを1枚と見なして念写し、つなぎ合わせば1つの語句となるようにしてくれと注文した。三田は『至誠』の2字を1字ずつに分けて念写するといったが、このときは成功しなかった。しかし、その2日後に名古屋の毎日新聞社主催による名古屋市内の県会議事堂で開催された念写の公開実験において、福来も見物していたのだが、三田は3000人を超える見物人を前にして、2枚をつなぎ合わせて『至誠』となる念写の実験を見事に成功させた」と述べています。

 

その後、福来は高野山に入り、密教の修行をします。この修行によって、自分の身に心霊的能力を修得することを願ったのでした。著者は、「自ら念写ができれば幸いであるが、せめて透視だけでもよいと思い、それも無理ならば密教の奥義に触れることだけでもと期待した。この修行中の瞑想で、彼は何か大きな存在の、「宇宙の大霊」ともいうべきものが足のほうから体内に浸透してきて、それがしだいに胸のあたりにまでのぼり、しかしそれ以上には漫透しない感覚を体験する。これはたしかに霊的なものであると確信した。長いあいだの修行を終えて家にもどってからも、しばらくのあいだ、彼は自分の霊力と霊的な感覚のたしかな自覚をもっていたが、やがてそれはしだいにうすれてゆき、6日後にはまったく消えてしまったと、晩年に語っている」と述べています。

 

56歳のとき、福来は高野山大学の教授に迎えられました。そして、これまでの考察を総合的にまとめた『心霊と神秘世界』を昭和7(1932年)の暮れに上梓します。彼は、明治43(1910年)以来の心霊的現象の研究実験によって、「神通力」の存在を実験的に証明できたと考えました。著者は以下のように述べています。
「この神通力とは、物理的法則を超絶してはたらく力であり、人間の心に感応して知的にはたらくものである。物理的法則に従って機械的にはたらく物質力の現象と区別するために、それを『霊』と名づけて『霊力』の存在を肯定するのである。さらにその考えを推し進めて、物質力そのものも『霊』の念力によってその姿をあらわしたものにすぎないという。宇宙は『霊』のはたらきによって成り立っており、すべての現象の根源は『霊』の力にあると考える」

 

福来は「神秘智」というべきものに注目しますが、彼は神秘主義とは神秘意識をもって認識を超えた世界を「実覚」する(実際に覚る)ことであると考えていました。福来の考えを、著者は以下のように説明しています。
神秘主義には2つの大きな類型があり、1つはキリスト教型であり、1つは仏教型であるという。キリスト教型の神秘主義は、人間と神を対立させ、人間が神秘意識によって全知全能の神の存在を知ることができるが、人間自身には神と同じ菩提智(悟りの智恵)や神通力があるとは説かない」

 

一方、仏教型の神秘主義には、顕教型と密教型があるとして、「顕教型は神秘世界に無尽の仏が存在して、いずれも菩提智と慈悲心と神通力を具えており、人間はだれでも修行によってみずから仏になることができると説く。密教型の神秘主義は、無尽の仏の存在を説くだけでなく、さらに宇宙そのものが、単なる仏を容れる空間でなく、無尽の仏をそのなかに統一せしめる絶対的な存在、すなわち絶対心王如来(心の本体をつかさどる存在)であるという。このように、仏教の神秘主義においては、人間はもともと仏性を持ち、菩提智も慈悲心も神通力も具えているから、修行によってこれを身につけて成仏すべしと説くのであり、福来は人間の霊力を知るには仏教型の神秘主義に依るべきであると考える」と説明しています。

f:id:shins2m:20200409014230j:plain
三田光一が念写した「弘法大師

 

福来が最後に出会った能力者である三田光一は驚くべき現象を起こしました。「月の裏面も写した三田光一の遠隔念写」として、昭和5(1930)年3月16日に、京都・嵯峨町の嵯峨公会堂で町長らの主催によって開催された念写実験会では、福来友吉の講演の後、三田が400人ほどの来場者の前で念写実験を行ったようすを描いています。このときは弘法大師空海)の肖像が乾板に現れました。この写真乾板は現在も残っていますが、大正時代の初期に東京・九段の鶴屋画房から刊行された日本百傑画像の弘法大師像の面相にきわめて似ているそうです。

f:id:shins2m:20200409014308j:plain
三田光一が念写した「月の裏側」

 

さらに著者は、「昭和6年6月24日の午前8時20分に、福来は大阪・箕面の自宅2階の床の間に手札判乾板2枚を収めた箱を置いた。打ち合わせに従って三田光一が8時30分に神戸・須磨の自宅から約40キロ離れた福来の家の乾板に向かって、月面の裏側の姿を念写した。福来がこの乾板を自宅の暗室で現像すると、大きな白い球形の画像があらわれて、その中にいくつものクレーター(噴火口などのくぼみ)らしき影模様が写っている」と報告しています。

 

最近の新しい研究によると、1994(平成6)年にアメリカの国防総省NASAが共同開発したクレメンタインの探査機によって、月の裏側全体の地形がさらに正確に明らかとなったとして、著者は「月の裏側の念写像を裏返して時計まわりに90度回転したものと、クレメンタインの画像データで得られた球面投影画像を、相関係数の分析によって相似性を数理解析すると、面積比で約80パーセントにおいて完全に一致し、残りの20パーセントがノイズ(無関係データ)に相当するというさらに精密な研究結果が発表されている」と述べています。

 

「あとがき」で、著者は藤教篤という人物に言及します。「念写」のトリックを暴こうとして長尾郁子の実験に参入した東京帝国大学理科大学物理学科の講師ですが、彼が念写実験の乾板を入れ忘れるという失態をおかしたために郁子の実験は失敗し、「念写」がインチキ扱いされて世間からバッシングされる契機を作ったのでした。著者は、「私はこの本を書き終わったいま、もっとも疑問に思えることは藤教篤という人物の人間性とその精神構造である。この人のことをもう少し知りたいと思って調べたが、大阪の出身であることと、のちに医学寄りのテーマで研究生活をつづけ、大正5年に博士号を得て翌6年4月に東大の講師から助教授に昇格したが、大正12年3月にまだ年若くして亡くなっている。この人が丸亀での実験当時に置かれた状況とその心理状態を考えると、私は直感的に彼の挙動に疑いを持っている。あからさまに言えば、乾板は『入れ忘れた』のではなく、彼の当時の言動と状況から推察すると、彼なりの思惑によって乾板をあえて「入れなかった」のだとさえ思えてくる。このときの実験で乾板が入れられていたなら、千里眼問題はもっとちがった展開になったであろう」と述べるのでした。

 

この一文を読んだとき、わたしは本書が福来友吉や長尾郁子の霊を慰める供養になったのではないかと思いました。本書の内容は、死者の名誉を回復するものだと思いました。それにしても、サラリーマン定年退職後の約5年で、第二作目の著書として、本書を書き上げた著者の情熱には感服しました。福来が行った数々の実験を詳しく紹介し、それを詐欺・インチキだと糾弾する学者たちの見方もよく分析しています。明治・大正の時代の実験などアバウトで非科学的ではないかと漠然と思っていた自分が恥ずかしくなるほど、福来の実験は緻密で科学的なものでした。また、福来や他の学者たちの著作や新聞記事を詳細に調べている点は、本書が1級のノンフィクションであることを示しています。さらには当時の世論の動きにも目配りしながら、福来が何を明らかにしようとしたのかを見事に浮かび上がらせています。
本書を読み終えた今、福来と同じように、わたしも「透視も念写も事実である」と思う他はありません。

 

透視も念写も事実である  ――福来友吉と千里眼事件

透視も念写も事実である ――福来友吉と千里眼事件

  • 作者:寺沢 龍
  • 発売日: 2004/01/25
  • メディア: 単行本
 

 

2020年5月2日 一条真也

『幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿』

幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿: 超国家主義の妖怪

 

一条真也です。今回の「ホームステイ週間」を「読書週間」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう!
緊急事態のまま、5月に突入しました。早いもので令和になって1年ですが、現在、偽書がちょっとしたブームだとか。そこで、『幻影の偽書竹内文献』と竹内巨麿』藤原明著(河出書房新社)を読みました。キリストの足跡を東北に見出し、超国家主義福音書として超古代史の夢を紡いだ『竹内文献』と偽作者・巨麿の実態を追及した本で、「超国家主義の妖怪」のサブタイトルがついています。著者は1958年、東京都生まれ。出版社編集勤務の後、ノンフィクションライターに。評価の定まらない史料や怪しげな伝承・文献などが一人歩きする経緯について、独自に研究を続けています。著書に『日本の偽書』(文春新書)、『偽書東日流外三郡誌』の亡霊』(河出書房新社)などがあります。

f:id:shins2m:20200313010153j:plain
本書の帯

 

紫色のカバー表紙には若き日の竹内巨麿の写真が使われ、帯には「時代転換期の不安が産み落とした世界再統一の夢」と大書され、続いて「皇統は神武以前にさらにさかのぼり、太古、天皇は世界を統治していたという異端の神話体系を構築した千古の奇書『竹内文献』―その妄想の教祖となった男・竹内巨麿の生涯と、戦時、超国家主義の夢を彼に託した、軍人、政財界人、神秘家、宗教家たちの物語。付録として未公開の文献の一部も収録」と書かれています。 帯の裏は、同じ著者による『偽書東日流外三郡誌』の亡霊』(河出書房新社)が紹介されています。

f:id:shins2m:20200313010214j:plain本書の帯の裏 

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

序章  『竹内文献』が、近代日本に投じた波紋

第一章 生い立ちより天津教開教まで

第二章 開教後、南朝遺跡の請願運動に着手

第三章 教勢拡大のための中央進出、東京奉安殿移転構想

第四章 二つの天津教事件とその間の教勢挽回の試み

第五章 教主巨麿検挙後の天津教信奉者の動き

終章  巨麿なき後の天津教のその後

竹内巨麿と天津教関連年譜」
付録 未公開原文
       一 吉備津尊軍略之巻」
       二 〈菅原道真公遺言〉
「あとがき」

 

竹内文献』とは何か。序章「『竹内文献』が、近代日本に投じた波紋」で、著者は以下のように書いています。
「『竹内文献』とは、茨城県福島県の県境、史上有名な勿来の関の近く、茨城県多賀郡北中郷村磯原に本部をおく天津教が、神代以来のわが国最古の神宮・皇祖皇太神宮を奉斎する証とされる厖大な古記録、古器物の総称である。武内宿禰六十六代の末裔と名乗る教主竹内巨麿の家伝の神宝で、その中には、日本人は、世界の五色人の上に君臨する黄金人種であり、神代は日本の天皇が万国を統治したという驚天動地の歴史を記している。構想の壮大なことから、公開されるや否や、記紀にあきたらない華族、軍部等を中心とする一部国粋主義者から熱烈な支持を受けるに至った」



 

竹内文献』は、もともと『竹内文書』と呼ばれていました。「皇祖皇太神宮ホームページ」の「竹内文書竹内文献について」には、以下のように書かれています。
「太古の歴史を今に伝える、『古事記』、『日本書紀』、それらよりもはるか昔の神話を記録した古文書。はるか昔、日本の天皇(スメラミコト)の祖先が地球に降り立ったころからの、世界最古の歴史を記録した、謎の古文書のことを、『竹内文書竹内文献』と言います。古代歴史や古史古伝に興味がある人で知らない人はいないこの古文書を受け継いだのが、皇祖皇太神宮である。3000億年前からの歴史が記載されている現代人の常識を覆す内容は神代文字『かみよもじ』で書かれている。竹内文書では、『無』から始まり、『宇宙創造』をし、『地球創造』をし、世界の国々を作りそこに『五色人』を作られたという。オリンピックの5色の輪も、この五色人から来ているといわれる。(古代人の運動会のようなものが起源なのではないか)古代の日本の天皇(スメラミコト)に会うために、世界中から聖人と呼ばれるイエスキリスト、釈迦、マホメット老子孔子など世界の大宗教教祖はすべて来日し他と伝えられています」

 

 

わたしは、高校生のときに1979年に徳間書店から刊行された古代史研究家の佐治芳彦氏が書いた『謎の竹内文書―日本は世界の支配者だった!』を読み、その奇想天外な内容に度肝を抜かれました。そして、その内容をさらに詳しく書いた『神代の万国史』とか、竹内巨麿の自叙伝である『デハ話サウ』などを古書店で求めて読み、さらには『竹内文書』を特集した「地球ロマン」とか「別冊歴史読本」といった雑誌も集めて夢中になって読んだ経験があります。ちょうど、そのころ、わたしもコラムを連載したことのある週刊誌「サンデー毎日」で、「日本のピラミッド」キャンペーンが展開されていました。

 

モ−ゼの裏十誡/太古日本のピラミッド

モ−ゼの裏十誡/太古日本のピラミッド

  • 作者:酒井勝軍
  • 発売日: 1999/05/30
  • メディア: 単行本
 

 

本書の第四章「二つの天津教事件とその間の教勢挽回の試み」では、日本にピラミッドが存在すると唱えた酒井勝軍を取り上げ、「日本のピラミッド」として、「ピラミッドは宇宙(地球)の雛形であり、人類史の雛形であり、救世主出現の予言書であり、ピラミッドは近く出現する世界の統治者、メシアの神姿を建築化したものである」と説明しています。酒井は、「これまでの研究によれば世界の統治者、メシアは日の御子である日本天皇にほかならない。太古において世界天皇として君臨していた日本天皇は、20世紀のハルマゲドンにおいてふたたび救世主天皇として再臨しようとしているのである。『竹内文献』によれば太古における日本天皇の世界統治は動かしがたい事実であり、とすると太陽の図形があしらわれた大ピラミッドは日の御子(天照日神=太陽神の末裔)である天皇の神姿を象徴していると考えるのがごく自然であろう」と述べていました。



酒井によると、「ピラミッドはもともと王の霊廟墳墓ではなく、天照日神すなわち太陽神、もしくは太陽そのものを祀る神殿である。したがって、ピラミッドは太陽のあるところ世界中のどこにあっても不思議ではなく」といいます。また、ピラミッドは本来エジプトのギザのピラミッドのような人工的なものではなく、自然の山に加工したものということになります。この理論のもと、探求した結果が、葦嶽山のピラミッドの発見でした。


酒井勝軍竹内巨麿はほぼ同時代人ですが、ともに日本におけるオカルト史に残る謎の人物として知られています。著者は、「酒井と巨麿が、こと人類の祖国は日本であり、再び天皇によって世界が統治される時代が訪れるという点では一致していたが、酒井は、巨麿の重視する『世界再統一の神勅』については、発見されたモーゼの記録の発表にあたり割愛していた。巨麿からすれば、これは不満であった」と述べています。



「モーゼの十誡石」の発見以降、両者の距離を広げる出来事が起きました。昭和10年(1935)のモーゼの墓、キリストの墓に代表される世界聖者の墓および渡来に関する記録などの発見です。著者は、「巨麿が、酒井を蚊帳の外にしてまでもことを進めたのは、教勢の挽回も去ることながら、巨麿にとっては、『世界再統一の神勅』が『竹内文献』の中でもっとも肝心なものだったからである」と述べています。



モーゼの墓が発見されたのは、昭和10年3月です。キリストの墓と同様に巨麿自身によることが判明しますが、著者は「このモーゼの墓の発見について奇妙なのは、『モーゼの十誡石』発見についてあれほど力を入れた酒井が、詳細な説明を加えた著述が存在した形跡がないことである。奇妙なのはそれのみではない。昭和10年(1935)8月の巨麿によるキリストの墓発見についても同じ現象が認められる」

 

 

第五章「教主巨麿検挙後の天津教信奉者の動き」では、天津教は弾圧され、巨麿は不敬罪などで裁判にかけられますが、著者は「戦局の悪化する中、皇室の宗廟伊勢神宮をパロディ化したに過ぎない天津教と『竹内文献』をことさら針小棒大にとりあげ問題視する余裕もなくなり、昭和19年(1944)12月1日、『この事件は裁判所の権限をこえた宗教上の問題である』と、巨麿に対し無罪判決を言い渡し、幕が引かれた」と書いています。ブログ『日本オカルト150年史』で紹介した本に『竹内文献』が登場したので、久々に超古代のロマンを思い出して本書を読んだのですが、ちょっと専門的すぎるというか文章が硬くて読みにくかったです。偽書は深入りするとキリがないので、もうこのテーマにはこれ以上立ち入らないようにしたいと思います。

 

幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿: 超国家主義の妖怪

幻影の偽書『竹内文献』と竹内巨麿: 超国家主義の妖怪

  • 作者:藤原明
  • 発売日: 2020/01/16
  • メディア: 単行本
 

 

2020年5月1日 一条真也

葬儀崩壊を起こすな!

一条真也です。
緊急事態のままで5月になりました。
早いもので、令和になって1年です。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
今月もサンレー本社での総合朝礼は中止です。
1日は、恒例の本部会議だけマスク姿で行います。
さて、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第22回目がアップされました。タイトルは「葬儀崩壊を起こすな!」です。

f:id:shins2m:20200430121035j:plain「葬儀崩壊を起こすな!」

 

新型コロナウイルスの感染拡大が世界中で止まりません。人類社会は完全に立ち往生しています。感染が急速に広がった南米エクアドルでは、遺体がビニールにくるまれただけの状態で歩道に放置されていると、4月10日にロイターが報じました。大統領は当局による遺体の取り扱いについて調査を行う考えを示しましたが、遺族からは怒りの声が上がっているといいます。わたしは、新型コロナウイルスの感染拡大による「医療崩壊」の次は、葬儀を行う体制が崩壊する「葬儀崩壊」が起こるのではないかと心配しているのですが、エクアドルではそれが現実になったようです。

 

現在、医療崩壊を招いた国では助けられたはずの人が次々と亡くなっています。その数は火葬場が足りなくなるほどで、イタリアにおける教会、スペインにおけるアイスアリーナ、ニューヨークにおけるビル街といった場所に臨時の遺体安置所が続々と設置されています。新型コロナウイルスの感染による死者数が世界一となったアメリカでは、ニューヨーク市ブロンクス北東にあるハート島の共同墓地に、経済的理由などで葬儀が行われない遺体や引き取り手のない遺体が次々と埋葬されています。

 

山形大学名誉教授で仏教史学者の松尾剛次氏は、著書『葬式仏教の誕生』(平凡社新書)で、日本の中世には街に遺体が転がっているような状況が度々起こり、そうした死者と遺族のために読経することが僧侶の重要な役目となった結果、それが葬式仏教の成立につながったのだと述べています。21世紀の現在、世界各地がその状況に戻ったようにも思えます。

 

「葬式仏教」が根付いた日本でも、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった方の葬儀が行うことができない状況が続いています。代表的なものでは、3月29日、日本を代表するコメディアンであった志村けんさんが70歳で亡くなられましたが、ご遺族がご遺体に一切会えないまま荼毘に付されました。

 

新型コロナウイルスに感染した患者さんは最期に家族にも会えず、亡くなった後も葬儀を開いてもらえないのです。ご遺族は、二重の悲しみを味わうことになります。さらに、肺炎で亡くなった方の中には新型コロナウイルスかと疑われる方もあるので、参列を断ったり、儀式を簡素化するケースも増えてきています。これから、日本人の供養はどうなっていくのでしょうか。わたしは今、このようなケースに合った葬送の「かたち」、そして、グリーフケアの具体的方法を模索しています。

 

2020年5月1日 一条真也

『死を乗り越える名言ガイド』

一条真也です。今回の「ホームステイ週間」を「読書週間」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう!
「昭和の日」の翌日の30日、わが最新刊である『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)の見本が届きました。サブタイトルは「言葉は人生を変えうる力をもっている」です。本書は、99冊目の「一条本」となります。

f:id:shins2m:20200430111411j:plain死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)

f:id:shins2m:20200430111436j:plain本書の帯 

 

カバー表紙にはタイプライターの写真とともに「A Guide to Great Quotes About Overcoming Death」と書かれ、帯には「『グリーフケアの時代』に読みたい一冊」と大書され、上智大学グリーフケア研究所所長で東京大学名誉教授の島薗進先生による「誰もがいつか死ぬ。死の必然をしっかり意識して生きることの重要性は、多くの聖人・賢者・英雄・偉人たちが説いてきた。では、死をどう受け止めればよいのか。明確な答えがあるのか。博識無比の著者は、古今東西の答えのバラエティーを示し、あなたの探求を助けてくれる。読者ひとりひとりが死を問い、答えを得るための頼もしい手がかりを見出すことができるだろう」という推薦の言葉が書かれています。日本における死生学の第一人者から推薦の言葉をお寄せいただき、まことに光栄です。島薗先生、本当にありがとうございました。

f:id:shins2m:20200430111520j:plain
本書の帯の裏

 

帯の裏には本書の前作2冊が紹介されており、「一条真也『死を乗り越える』シリーズ」として、拙著『死を乗り越える読書ガイド』(『死が怖くなくなる読書』を加筆・修正して改題)および『死を乗り越える映画ガイド』の表紙が掲載されています。『死を乗り越える読書ガイド』では、「『おそれ』も『かなしみ』も消えていくブックガイド。アンデルセンから村上春樹まで・・・・・・死生観は究極の教養である。『死』があるから『生』がある。その真理に気づかせてくれる50冊」と書かれています。また、『死を乗り越える映画ガイド』には、「あなたの死生観が変わる究極の50本。『風と共に去りぬ』から『アナと雪の女王』まで・・・・・・暗闇の中で人は生と死を考える。さあ、紙上上映の始まりです。生きる力と光を放つ50本」と書かれています。

f:id:shins2m:20200430120559j:plain「目次」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」

第1章 聖人たちの言葉

ブッダ

エス

孔子

孟子

老子

荘子

空海

最澄

法然

親鸞

ルター

マザー・テレサ

ダライ・ラマ14世

第2章 哲人たちの言葉    

ソクラテス

プラトン

アリストテレス

ベーコン

ラ・ブリュイエール

ニーチェ

ハイデガー

西田幾多郎

和辻哲郎

第3章 賢人たちの言葉   

イソップ

レオナルド・ダ・ヴィンチ

ミケランジェロ

蘇武

吉田兼好

一休宗純

井原西鶴

熊沢蕃山

佐藤一斎

シェイクスピア

ラ・ロシュフーコー

モーツァルト

シャトーブリアン

ゲーテ

フローベール

モーパッサン

アンデルセン

メーテルリンク

サン=テグジュベリ

ゴッホ

ドストエフスキー

キュリー夫人

アインシュタイン

ヘレン・ケラー

トーマス・マン

ジャン・コクトー

ヘミングウエイ

夏目漱石

永井荷風

伊藤佐千夫

与謝野晶子

宮澤賢治

中村天風

坂口安吾

川端康成

三島由紀夫

キング牧師

井上ひさし

相田みつを

瀬戸内寂聴

f:id:shins2m:20200430120622j:plain「目次」

 

第4章 偉人たちの言葉

ナイチンゲール

ガンジー

渋沢栄一

松下幸之助

本田宗一郎

日野原重明

稲盛和夫

スティーブ・ジョブス

チャップリン

黒澤明

ヒッチコック

マリリン・モンロー

オードリー・ヘップバーン

ジェームズ・ディーン

ブルース・リー

渥美清

高倉健

樹木希林

ココ・シャネル

エディット・ピアフ

ジョン・レノン

ボブ・ディラン

手塚治虫

やなせたかし

美輪明宏

第5章 英雄たちの言葉

ジャンヌ・ダルク

ナポレオン

リンカーン

上杉謙信

宮本武蔵

吉田松陰

高杉晋作

坂本龍馬

土方歳三

チャーチル

ケネディ

ネルソン・マンデラ

アイルトン・セナ

付 章 語り継がれてきた言葉

「あとがき」

f:id:shins2m:20200430120652j:plain右が名言で、左が本文です 

 

今回、「死を乗り越える」というテーマで第三弾を上梓することができました。第1弾は『死を乗り越える読書ガイド』(『死が怖くなくなる読書』を加筆・修正して改題)で、死生観をテーマにして小説、評論から漫画までを取り上げました。第2弾は『死を乗り越える映画ガイド』です。邦画・洋画を問わず、生死や葬送儀礼をテーマにした映画を紹介しました。そして今回が第三弾となる名言ガイドです。本にせよ、映画にせよ、名言にせよ、その数の多さに驚かされました。いかに生きるか、と同じく、いかに死を考え、いかに死を迎えるのか、さらに愛する人を亡くした人がいかにその喪失感から立ち直っていくのか――その重要性は、どんなデータを示すより、死をテーマにした本や映画、名言の数の多さを知れば納得できるのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20200430120727j:plain右が名言で、左が本文です 


「言葉には、人生をも変える力があります。」
この言葉は、わたしが書き続けている名言ブログの書き出しのフレーズです。本書のサブタイトルには、この言葉をアレンジして使いました。わたしは作家活動と合わせ、冠婚葬祭会社を経営しています。日々、多くの方々の葬儀にかかわらせていただく中で、多くの遺族の方々に接してきました。その経験の中で実感しているのが、言葉の力です。

f:id:shins2m:20200430120753j:plain右が名言で、左が本文です  

 

本書『死を乗り越える名言ガイド』には、小説や映画に登場する言葉も含め、古今東西の聖人、哲人、賢人、偉人、英雄たちの言葉、さらにはネイティブ・アメリカンたちによって語り継がれてきた言葉まで、100の「死を乗り越える」名言を紹介しています。わたしは現在、グリーフケアの研究と実践に取り組んでいるのですが、グリーフケアという営みの目的には「死別の悲嘆」を軽減することと「死の不安」を克服することの両方があります。新型コロナウイルスの感染拡大で日本中、いや世界中に「死の不安」が蔓延している現在、「死の不安」を乗り越える言葉を集めた本書を上梓することに大きな使命を感じています。本書を読まれたあなたの死別の悲しみが和らぎ、死への不安が消えてゆきますように・・・・・・。

f:id:shins2m:20200430120845j:plain右が名言で、左が本文です 

 

上智大学グリーフケア研究所特任教授で京都大学名誉教授の鎌田東二先生は、「葬儀もできない今の新型コロナウイルスによる死の迎え方は、人類史上究極の事態かと認識しています。危機的な状況で、本人の霊も遺族の心も大きな傷やグリーフやペインを抱えてしまうのではないかと大変危惧します。そのような状況下で、グリーフケアやスピリチュアルケアが必要と思いますが、車間距離のように『身体距離』を取る必要を要請されている状況下、どのようなグリーフケアやスピリチュアルケアがあり得るのかを知恵と工夫を出し合わねばなりません」と述べておられますが、わたしは「身体」の代わりになりうる最たるものは「言葉」であると思います。本書には、わたしの死生観を育ててくれた100の言葉を集めました。

f:id:shins2m:20200430113522j:plain一条本」の99冊目と100冊目

 

死を乗り越える名言ガイド』は、5月26日に全国の書店およびネット書店で販売されます。どうか、ご一読下さいますよう、お願いいたします。次は、いよいよ100冊目の「一条本」となる『心ゆたかな社会』(現代書林)をお届けいたします。どうぞ、お楽しみに!

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2020年4月30日 一条真也拝 

『日本のオカルト150年史』

日本のオカルト150年史: 日本人はどんな超常世界を目撃してきたか

 

一条真也です。今回の「ステイホーム週間」を「読書週間」と陽にとらえて、大いに本を読みましょう!
29日は「昭和の日」ですが、ブログ「UFOとパンデミック」で紹介した米国防総省が正式公開したUFOの映像がTVのワイドショーなどで大きな話題になっています。UFOといえば、日本では秋山眞人氏の名前が思い浮かびますね。


『日本のオカルト150年史』秋山眞人著・布施泰和協力(河出書房新社)を読みました。「日本人はどんな超常世界を目指してきたか」というサブタイトルがついており、明治以後、今日まで150年間の、超能力・心霊現象・UFO・UMAにまつわる出来事・人物について解説した本です。著者の秋山氏は1960年生まれ。国際気能法研究所所長。大正大学大学院博士課程前期修了。少年期から超能力者として有名になり、その後ソニーなど多数の一流企業で超能力開発や未来予測のプロジェクトに関わる。テレビ出演多数。協力者の布施氏は1958年生まれ。英国ケント大学、国際基督教大学卒。共同通信社に入社。96年に退社後、ハーバード大学ケネディ行政大学他で修士号。帰国後は国際政治や経済学以外に、精神世界や古代文明の取材、執筆を行なう。 

f:id:shins2m:20200313010422j:plain本書の帯

 

本書の帯には秋山氏の笑顔の写真とともに、「千里眼」「心霊」「霊視」「催眠術」「予言」「念写」「超能力」「UFO」「宇宙人」「UMA」「前世・・・」「オカルト界の第一人者によって明らかにされる」「熱狂的ブームの裏に隠された意外な事実!!」と書かれています。

f:id:shins2m:20200313010441j:plain
本書の帯の裏

 

カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
「科学では説明できない神秘の世界『オカルト』――。
予言、超能力、UFO、心霊といった事象は、日本では案外と古くから研究されてきた。そして、1970年代には百花繚乱の様相を呈するが90年代に決定的な転機を迎え、今日に至っている。日本人は、オカルトとどのように向き合ってきたのか、真実はどこにあったのかを、本書は明らかにしていく」


本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「数々のふしぎ現象から日本の過去・現在・未来を読み解く――まえがき」

序章 明治大正期 
      西洋文明が流入し、千里眼や霊術家が活躍

近代日本オカルティズムの始まり

釋靈海

水原實

西洋的スピリチュアリズム

催眠術

桑原天然

福来友吉

御船千鶴子

長尾郁子

超能力実験の挫折

高橋貞子

福来が残した教訓

三田光一(1)

三田光一(2)

明治・大正のオカルト

【クローズアップ1】
日本のオカルト文化を守ったラフカディオ・ハーン

1章 昭和戦前期
      軍国主義の下、オカルトが統制・利用される

大本教

出口王仁三郎(1)

出口王仁三郎(2)

浅野和三郎

第一次大本事件

世界宗教を目指した大本

第二次大本事

「大本」以後の潮流

軍が頼ったオカルト

藤田西湖

オカルト軍国主義の敗北

2章 戦後期 
      知識人たちが空飛ぶ円盤や心霊に傾倒

焼け野原からの再興

戦後混乱期の催眠術

怪談

空飛ぶ円盤

UFO

日本のUFO報告

海外流出した日本のオカルト

電磁波兵器

丹田呼吸法とGHQ

竹内文書

科学とオカルト

四次元と超能力

聖母マリアの出現問題

識人のオカルト研究

【クローズアップ2】
1950年代の有職者のUFO意識とは

【クローズアップ3】
クルックス卿とD・D・ホーム

3章 高度成長期 
      オカルトが物質文明に反旗を翻す

左翼とオカルト

ヒッピーと新興宗教

政財界御用達の超能力者

物質文明への懐疑

左翼運動からオカルトへ

心霊手術

「リンゴ送れ、C事件」

「宇宙友好協会」の功績

オカルト批判とカルト

【クローズアップ4】
秋山眞人のコンタクティー体験

4章 1970年代 
     超能力・UFO・大予言・・・一億総オカルト化

「コックリさん」ブーム

ユリ・ゲラー

スプーン曲げインチキ事件

世界の超能力者

超能力者の素顔

テレビと超能力

オカルトブームの仕掛け人

エクソシストノストラダムス

ネッシーツチノコ

5章 1980年代 
     精神世界と自己啓発が密接に結びつく

 スプーン曲げのその後

マリア像の落涙

日本のピラミッドと予言者

前世と輪廻転生

前世療法

チャネリング

精神世界とビジネス

精神世界のリーダーたち

予言のメカニズム

ダウジング

CIAとユリ・ゲラー

超能力による金鉱探査

超能力者とUFO、幽霊の関係

宜保愛子サイババ

オカルト真贋論争

妖精事件とネッシーの共通点

超能力者と手品師

手品師としてのユリ・ゲラー

オカルト現象の本質

【クローズアップ5】
19世紀の欧米で台頭したスピリチュアリズム

【クローズアップ6】
唯物論者から唯心論者に転身したコナン・ドイル

 6章 1990年代 
       カルト教団の凶行がオカルトの転機に

超常現象批判

能力開発ブームと偽オカルト

オウム事件のオカルト責任論

コンタクティー第2世代

奇跡のリンゴと超常体験

宇宙人によるアブダクト

宇宙人からの啓蒙

大企業による超能力研究

宇宙人と韓国企業

『X-ファイル』

オカルト否定の時代

【クローズアップ7】
「UFO目撃」動かぬ証拠の数々

7章 21世紀 
      猛烈な批判を浴びたオカルトの復権が始まった

相次いだカルト事件

社会現象となったヒーリング

海外の最新超心理学研究

アメリカ発オカルト・ブーム

丹波哲郎江原啓之

家族の崩壊とオカルト

岐阜・ボルターガイスト事件

陰謀論に興味を持つ女性たち

陰陽対立から和合へ

 終章 
   情報の渦に惑わされないオカルト的生き方のススメ

ネット情報とオカルト

オカルトと人生の意味

ITと人類の未来

求められる「心の冒険」

興味の多様化・タコツボ化

精神世界と危険探知

精神世界とオカルトの役割

【日本と世界のオカルト150年史 年表】

【オカルト界人物事典】

 

「数々のふしぎ現象から日本の過去・現在・未来を読み解く――まえがき」には、「150年に込められた意味」として、ちょうど170年ほど前に西洋でも近代スピリチュアリズムが幕を開けたことが紹介されます。19世紀半ばにアメリカで起きた、有名な「フォックス姉妹事件(ハイズビル事件)」が端緒となったといわれていますが、著者は「インチキだとかトリックだとか、さんざんいわれたこの事件も、いまだに結論が出ていない。いっておくが、これが現実だ」と断言し、さらに以下のように述べます。「その20年後の1868年、日本では明治維新が起こり、西洋の科学文明が押し寄せてきた。当然、そのなかには西洋で生まれたばかりの近代スピリチュアリズムもあった。つまりそれは、単なる西洋文明の唯物論や合理主義などの一方的な流入の時代ではなかったということだ。西洋の科学主義と東洋の神秘主義、東洋の霊術と西洋の科学技術、西洋のスピリチュアリズムと東洋の近代主義――これらが複雑に入り乱れてぶつかり合う、大激流の時代がここに始まったのである。それはまさに、科学(合理主義)とオカルト(神秘主義)が競演する大エンターテインメント、150年の歴史の始まりでもあった」

 

また、「当事者だから書ける時代の息吹」として、著者は「これまでのオカルト研究者たちがつくった年表や説明を読むと、すべてではないにしろ、オカルトの歴史を『情報のコレクション』として考えているかのように扱ったものが多いのは残念だ。これでは心の通っていない文字の羅列としか思えない。オカルトの歴史が無味乾燥の『デジタル化された情報』程度にしか扱われていない気がしてしかたがないのである。 そのデータベースを見て、『あるなし論争』を続けているだけでは、まったく不毛な議論だけが続けられていることになる。インターネットに情報がないから根拠が怪しいとか、情報が仮にあっても、偏った狭量な論述だけを信じてしまうケースが極めて多いのも問題だし、なによりもまして奇異でトンデモ度の高い情報が噂になり、独り歩きする」と述べています。



さらに、「神聖で神秘的な奥行きをもっているものがオカルト」として、著者は「 『古事記』には何度読み返してもオカルティックなロマンが漂う。私には『古事記』をオカルトではないというほうがおかしいように思われる。シュメール神話や易経などもオカルトの薫りが漂う。『聖書』も同様だ。オカルトこそ神聖さそのものである。今日でも多くの科学者がキリスト教を信仰しているが、その敬虔なキリスト教徒の科学者たちが、モーゼが海を割って渡ったという話をどう説明するというのだろうか。キリストが水の上を歩いた話や目の見えない人を見えるようにしたという奇跡はどう考えるのか。 ところが、能力者がスプーンを曲げたという話をすると、ろくに検証をしたこともない人たちが『インチキだ』『手品だというほうが科学的だ』などと言い張ったりするのは、どういうことだろうか」と述べています。


 

そして、著者は「オカルトは、歴史のなかで強くなった宗教のみが牽引するものでもない。どうあっても説明しきれない現象や能力というものが、この世界に、そしてそれぞれの時代に普遍的にかつ平等に存在するのだ。人知の及ばない世界は存在し続けている。そこには、科学と宗教を究めた人たちほど、『触れるべきではない』と思わずにいられないような、深い奥行きや不可思議さと力、『神が秘めたもの』と感じざるを得ない神秘性があるのだ。そして神は時々、それを具現化する。その時代の人々の傲慢さを正すように、である」と述べるのでした。



序章「西洋文明が流入し、千里眼や霊術家が活躍」では、超能力研究で知られた福来友吉博士と、彼が研究した御船千鶴子、長尾郁子、高橋貞子、三田光一といった人々についての記述が詳細かつ要を得ていて興味深かったです。著者は、「福来が残した教訓 マスコミと世論に翻弄されないために、何をすべきだったか」で、以下のように述べています。
「振り返ると、福来友吉という人は、超能力の研究・発展に寄与した面がある一方で、その研究の進め方には問題がなかったわけではなかった。当時の帝大の背景を調べると、総長まで務めた山川健次郎にしても、実は海外で交霊会に立ち会ったりしている。1912(明治45)年1月に創刊された東京帝国大学の心理学研究会の機関誌『心理研究』の創刊号を見ると、霊からの交信を受けた自動書記の写真が掲載されているのも興味深い」



つまり当時の東京帝大では、不可知論やスピリチュアリズムを避け、かつ錯覚や思い込みを排除しながら、超能力(千里眼)を人間の可知的な能力としてきちんと説明しようと研究対象にする姿勢が見受けられたというのです。この事実を踏まえた上で、著者は「福来は、研究当初からテレパシー的現象は認めるが、一方で心霊現象や呪術的現象には暗示の作用が多いと見ていたことがうかがえる。では、どこに問題があったのだろうか」と問題提示し、それは、御船千鶴子、長尾郁子、高橋貞子、三田光一らの千里眼から念写に至るまでの、物理学を根底から覆しかねない超能力研究の論議が起きたときに、メディアを巻き込んだ一大ブームをつくり上げてしまったことであるとして、「福来が積極的にマスコミに登場し、好奇心だけで動くマスコミが『やれ本物だ』『やれ偽物だ』と書き立てたことにより、社会を揺るがす大騒動へと発展してしまったのだ」と述べています。これは著者の卓見であると思いました。

 

1章「軍国主義の下、オカルトが統制・利用される」では、大本教および出口王仁三郎についての記述が興味深かったです。巨大なカリスマであった王人三郎によって、大本教は日本での影響力があまりにも強くなり過ぎたために2度にわたって国家から大弾圧を受けますが、「『大本』以後の潮流 戦争推進派と反戦派のそれぞれの呪術的根拠とは」として、著者は「当時の精神世界には、大本関係者はもちろん、それ以外の霊術家も含めて、明治時代の前半期に非常に過激な自由民権運動を推進した『前歴者』が大勢いたことも大きな特徴であった。霊能力開発を目指し、岐阜に太霊道本院を開設した田中守平(1884~1929)は、天皇に『国威発揚』を求めて直訴しようとして逮捕された。 明治から昭和にかけて活動した霊術家で、人体の生命エネルギーがラジウムであるとして人体ラジウム学会を興した松本道別(1872~1942)は、1905(明治38)年9月5日に発生した日比谷焼き討ち事件の首謀者として刑務所に入れられた。彼らはみんな、かつては自由民権運動の推進者、もしくは賛同者であった」と述べています。

 

著者によれば、そうした動きの背景には、「国や軍部が弱腰ではなく、もっと強硬な海外政策を進めるべきだ」という、一部の大衆の欲求や不満があったといいます。その不満と欲求は、やがて軍部を突き動かし、暴走させてゆくことにもなるわけですが、やがて「八紘一宇」を掲げた軍部主導のオカルトはカルトに変貌、軍部と大衆は暴走を始め、出口王仁三郎が警告した「日本を焼け野原にする」大戦争へと突入してゆくことになります。著者は、「国民の総意を結集した『念力の戦争』は敗北を喫する。暴走した念力では、原子力には勝てなかったのである」と述べています。

 

2章「知識人たちが空飛ぶ円盤や心霊に傾倒」では、「科学とオカルト 日本人が失った、オカルトに対する身近な日常感覚」という項が素晴らしかったです。著者は「エアロビクスにしても、レイキにしても、UFOにしても、名前やイメージを変えて逆輸入しただけであって、昔から日本にあるものだった。空飛ぶ光体や丹田呼吸法、それに霊の存在といったオカルト的なものは、日本人の生活の身近にあるものだった。ところが、欧米の思想が介在することによって、むしろ距離が開いてしまったように感じる。まるで、身近だったオカルトが、日本人の日常感覚から遠ざかってしまったようだ」と述べています。

 

逆にいうと、西洋発のオカルトは、日本人がオカルトと距離を置くことを狙ったのかもしれないとも思えてくると、著者は言います。少なくとも、結果的にそうなったように思われるとして、「アメリカ的キリスト教の教義は、神秘性を人間の遠くに置いている。その思想を日本に流し込んだともいえなくはない」と述べ、さらには『一方で、それによって日本人は宇宙の奥行きをより深く感じるようになったことも事実だ。だが、神秘的なものが生活に根づいているという『身近さ』が失われてしまったのは残念なことである。宇宙の奥行きと神秘的なものの身近さの両方が、私には必要に思われる。もっとも神聖なものをもっとも奥に据えて愛でる、その尊厳を大切にする。しかしそこに常に眼差しを向ける、好奇心をもつことが大事なのだ。それを日本人は何千年もやり続けてきた。その構造こそが、日本のオカルティズムであると私は思う』と述べます。これは、非常に奥の深い日本的オカルトの本質論ではないでしょうか。

 

オカルト的考えをもつのはいいが、そう考えるなら科学を介する必要があるという風潮ができ上っています。それは日本人の悲哀であるとして、著者は「科学がまるでオカルトのエージェントになった感がある。そうなると、オカルト本来の神秘性は遠のき、身近で楽しいものではなくなってしまうのだ。そういう気持ちの悪さがいまの世の中にはある。オカルトと私たちの間に科学を挟むことによって、より安全になると考える向きもわからなくはない。時の権力者は、オカルトと人々がつながることを恐れているからだ」と述べます。

 

続けて、著者は「バチカンローマ教皇庁)の奥にはかつて、異端審問局があった。いまはそれが科学局と名前を変えている。つまりバチカンは、科学的に宇宙観測をしながら、神の息吹がどこにあるかを考えるようになったと聞いている。かつて異端審問局では、奇跡的な事象が発生したときに、奇跡認定するのは異端審問のチームが出かけていって判定した。いまは科学というものを一つの名刺代わりにして、キリスト教の正当性を主張するようになった。科学で証明できないものは、次々と切り捨てていくこともある。気がつくと、他国の精神文化に対しては、非常に手きびしいやり方をおこなっていたといえなくもない」と述べるのでした。

f:id:shins2m:20200406142840j:plain
浜野安宏氏と

 

3章「オカルトが物質文明に反旗を翻す」では、オカルトが物質文明に反旗を翻す流れが紹介されています。マルクス共産主義を掲げて学生運動に入っていった左翼の若者たちは、内ゲバを繰り返し、殺し合い、泥沼に落ちていきます。理想の世界が来ると信じていた彼らは、傷心し、絶望し、打ちのめされたわけですが、挫折した彼らの中には、何もせずに質素に暮らし始めた人々がいました。洗いざらしジーパンをはいて、髪の毛を伸ばし放題伸ばして、世の中から「ヒッピー」と呼ばれた人々です。そのヒッピーの中から、いろいろな運動家が登場しましたが、著者は浜野安宏氏(1941年~)を取り上げます。浜野氏といえば、ブログ「浜野安宏さん」に書いたように、わたしも親しくお付き合いさせていただいてきましたので、本書に名前が出てきたときは大変驚きました。

 

質素革命 (1971年)

質素革命 (1971年)

 

 

浜野氏について、著者は「1960年代には『ゴーゴークラブ』というダンスクラブをプロデュースして、サイケデリック・アートを広め、ゴーゴーブームを巻き起こした。1971(昭和46)年には『質素革命』という本を書いて、人間の原点に立ち戻り、本当の人間の生き方を探そうと訴えた。 彼の提唱した質素革命によって、田舎で生きようとしていたヒッピーたちが、今度は町にあふれて、都市づくりやファッション・ムーブメントなどに参加、町のなかにヒッピー文化をもたらした。 質素な食事、天然素材の使用、ファッション的な都市開発などがその文化の中核にあった。こうした都会と精神主義が一体化した象徴的な場所が、東京の原宿であったり、吉祥寺であったり、下北沢であったりした。私も浜野氏とは親しくしていた時期もあり、原宿の歩行者天国の集会に参加したこともある」と述べています。

 

5章「精神世界と自己啓発が密接に結びつく」では、「オカルト現象の本質 時間を超越することを知れば、すべてを理解できる」という項が非常にユニークな著者の見解が示されており、興味深かったです。著者は以下のように述べています。著者は、「古代の恐竜や類人猿が、時間を超えて現代に出現すれば、それはネッシーや雪男ということになる。遠い未来からきた飛行物体があれば、それはUFOとして目撃されるのである」と述べ、さらに「超常現象とは、基本的に時間超越の現象であると私は思っている。時間を超越する『場』のようなものが存在し、そこでわれわれは過去のモノと出くわしてしまったり、未来のモノと遭遇したりする。幽霊と出会うことも、過去の人に会うようなものである。つまり、時間という壁を取り除くだけで、超常現象はほとんど説明できてしまうのだ。 時間を超えたある種の量子の絡み合い現象のようなものが起きているとすれば、超常現象は理解しやすくなる」と述べるのでした。これを読んだとき、わたしは絶大なインパクトを受けました。

 

オカルトに対する著者の思想はさらに深みを増します。終章「情報の渦に惑わされないオカルト的生き方のススメ」では、「精神世界とオカルトの役割 これからも続く『無限の智』への挑戦」として、著者が13歳の頃から59歳となる今日までずっとオカルトの世界で生きてきた結果としてわかったことを以下のように述べています。
「精神世界、オカルト、スピリチュアルと呼ばれる世界は、社会の不安や、一般大衆が無意識のなかで引っかかっていることが、現実の社会現象や物質世界より先んじて現れているということである。つまり、オカルト的な世界には、ある種の予言性があるのである。ノストラダムスの予言がどうだとか、これから出てくる予言者の予言がどうだとかといった話とは別に、オカルト界そのものが予言性や予知性をもっている。そのため、オカルト界で起きる現象をつぶさに見ていけば、意外にも未来の傾向がわかるのである。社会の裏面史や抑圧されたもの、大衆の不安、悲しみ、恐れといったものが、やはり抑えきれなくなると、最初にそれが現象として噴出してくるのが、オカルトの世界なのだと私は思う。オカルトは未来を読み解くバロメーターといえるのではないか」

 

また、「科学とオカルトが両立するために」として、著者は「いまだに科学とオカルトがしっくりこない最大の理由は、オカルトを信奉する人のパラダイムと、科学を信奉する人のパラダイムが相容れない部分が根強く残っていることにある」と指摘した上で、「科学は、オカルトを分析する際、『エネルギー』を探究しようとする。たとえば超常現象が起きた場所や超能力者から、電磁波や熱エネルギーが放出されていないか、などと考えて調べる。しかしながら、オカルトには、いわゆる物理学者が思うような『エネルギー』は存在しない。エネルギー伝達系ではないのだ。あるのは、同調とか共鳴という現象に近い『意味ある偶然の一致』、すなわちシンクロニシティ的現象があるだけだ。そのシンクロニシティ的世界では、思ったものや祈ったものが目の前に出現したり実現したりする。祈りや思いが原動力なのだ」と述べています。

 

一方、オカルト側は、それを証明できないし、言葉では説明しきれないというジレンマがあるとして、著者は「科学が求める、『同じ条件下で何度も繰り返して現象を起こさせる』という再現性をクリアできないのだ。超能力や霊能力は、心が少しでも乱れると、発現しないことが間々ある。それを物理学的に説明しようとしても、疑似科学にしかならない」と述べます。さらに、著者は「オカルトは、単純にいえば、見える世界と見えない世界の接点的な領域にあるものだ。そこをうまく見つめ続けることによって、精神力やオカルト的な能力を見いだしたり鍛えたりすることができると私はいまでも信じてやまない。そして、その延長線上には必ずや、新しい科学の到来があると確信している。思想や哲学を含む新しい科学のパラダイムが誕生する可能性が、オカルト研究のなかにはあるのだ」と喝破します。



そして、「精神世界から、人生の広がりを実感する」として、著者はこう述べるのでした。
「精神世界でいろいろいわれてきたことを改めて研究することによって、なにか重要なものを生み出せないかとする社会学や宗教学、それに本当に優しいホスピタリティーとはなにかとか、霊的な癒やしをもたらすスピリチュアル・ケアの仕方とか、そしてときとして時空を飛び越えて襲いかかるスピリチュアル・ペイン(霊的な痛み)にどう対処するか、などの研究も起こり始めている。とくに、現代医学では治療できない『霊的な痛み』をどう取り除くかという問題は、喫緊の課題になっているように思われる。現代医学は、肉体的な痛みを治すことに力を入れるあまり、霊的な痛みをなおざりにしてきたからだ。単なる気のせいにして、痛みの本当の根源である『情の報せ』を無視してきた。それは同時に、オカルトもなおざりにされてきたということでもある」
ここで著者のいう「スピリチュアル・ケア」は「グリーフケア」とともに、わたしが客員教授を務める上智大学グリーフケア研究所の二大研究テーマとなっています。著者は息子さんを亡くされたそうですが、グリーフケアについて考えるところも大きいのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20200416225702j:plain
秋山眞人氏から贈られた本

f:id:shins2m:20200416225801j:plain
『THE KEY TO THEOSOPHY』

f:id:shins2m:20200416225743j:plain
なんと、著者ブラヴァツキーのサイン入り!

The Key to Theosophy by H. P. Blavatsky

The Key to Theosophy by H. P. Blavatsky

  • 作者:Blavatsky, H. P.
  • 発売日: 2007/07/25
  • メディア: ペーパーバック
 

 

じつは、わたしは東京で生活していた頃に、著者と親しくさせていただいていました。最初は、株式会社エス・エス・アイ取締役会長で自己啓発書の作家でもある田中孝顕氏の紹介で、六本木にあったWAVEのカフェでお会いしました。その後、中華料理店で会食し、大いに意気投合。帰りに車でご自宅マンションまでお送りしたところ、ご自宅に招いて下さり、書斎に案内されました。書棚には古今東西のオカルト関係書が並べられていましたが、その中からブラヴァツキーの『神智学の鍵』の原書(初版本)をプレゼントして下さったことを思い出します。しかも、その本はブラヴァツキーのサイン入りでした。その後、秋山氏には小倉紫雲閣で開催された「大葬祭博」というイベントで講演および気功の実演をしていただきました。

 

 

当時、わたしは(株)ハートピア計画という企画会社を経営していましたが、出版事業を開始するにあたり、著者に『気を啓く』という本を執筆していただきました。さらには、ブログ『ルポ 現代のスピリチュアル』ブログ『オカルト』にも書きましたが、ハートピア計画で「超能力」をテーマにした本を企画し、清田益章さん、秋山眞人さん、わたしの3人で鼎談本を作ったことがありました。東京都港区高輪の泉岳寺に隣接したUFOの形をした「サンレー高輪ビル」の2階で、3人で大いに語り合いました。その本は残念ながら刊行されませんでしたが、大変なつかしい思い出です。そんな思い出のある著者の最新刊である本書は日本のオカルトの近現代史をコンパクトに興味深くまとめた好著であると思いました。何よりも、オカルトにかける著者の情熱と信念に胸を打たれました。秋山さん、お元気そうで何よりです。また機会があったら、ぜひお会いしたいですね!

 

 

2020年4月29日 一条真也