「1917 命をかけた伝令」  

一条真也です。
イギリス・アメリカ合作映画「1917 命をかけた伝令」を観ました。新型コロナウィルスの感染が心配で、安倍首相の言うように「人混みを避け」たかったのですが、どうしても観たい映画だったので、マスクをして映画館に出向きました。前評判は聞いていましたが、非常に迫力のある戦争映画で、わたし自身が戦場にいるかのような臨場感を味わいました。無数の死体が地面に転がっていたり、川に浮かんだりしている様子もドキュメンタリーのようにリアルでしたね。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「第1次世界大戦を舞台にした戦争ドラマ。戦地に赴いたイギリス兵士二人が重要な任務を命じられ、たった二人で最前線に赴く物語を全編を通してワンカットに見える映像で映し出す。メガホンを取るのは『アメリカン・ビューティー』などのサム・メンデス。『マローボーン家の掟』などのジョージ・マッケイ、『リピーテッド』などのディーン=チャールズ・チャップマン、『ドクター・ストレンジ』などのベネディクト・カンバーバッチらが出演する。全編が一人の兵士の1日としてつながって見えることで、臨場感と緊張感が最後まで途切れない」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「第1次世界大戦が始まってから、およそ3年が経過した1917年4月のフランス。ドイツ軍と連合国軍が西部戦線で対峙する中、イギリス軍兵士のスコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)に、ドイツ軍を追撃しているマッケンジー大佐(ベネディクト・カンバーバッチ)の部隊に作戦の中止を知らせる命令が下される。部隊の行く先には要塞化されたドイツ軍の陣地と大規模な砲兵隊が待ち構えていた」



ネタバレにならないように注意深く書くと、最前線にいる仲間1600人の命を救うべく、重要な命令を一刻も早く伝達するという重大なミッションを与えられたスコフィールドとブレイクの友情に胸を打たれます。彼ら2人以外にも、兵士たちがお互いに仲間の命を助け合うシーンは、やはり、いつの時代のどんな戦争でも感動します。「きずな」という字には「きず」が入っています。「傷」を共有した者同士が真の「絆」を持てるのでしょうが、その意味で生死の境を彷徨った戦友たちには最強の「絆」があるのだと思います。

 

「1917 命をかけた伝令」という映画はワンカット映像が話題になっています。たしかに冒頭シーンからノンストップで延々と続く映像には圧倒されます。しかしながら、ネットでは「ワンカットじゃないじゃないか」とか「カメラの切れ目が8カ所ある」などの指摘も見られます。わたしは「当たり前じゃないの!」と言いたいです。この映画の上映時間は119分ですが、2時間ずっとワンカットであるわけがないではないですか!

 

途中、登場人物の1人が敵軍の狙撃手と相撃ちになって階段から転落、気絶するのですが、そのとき画面は暗転します。また、カメラが固定状態で登場人物がフレームアウトするとか、川に流されるCG合成の場面とか、ガチのワンカットを期待していた人からすれば文句をつけたくなるのはわかりますが、基本的にはワンカット映画と言ってもいいと思います。正確には「ワンカットに見える映画」ですが・・・・・・。



ワンカット映画のアイデアは昔からありました。有名なのは、アルフレッド・ヒッチコック監督の「ロープ」(1948年)です。この映画で、ヒッチコックは作品全編を1つのカットで撮影するという究極の長回し撮影を敢行しました。ただし、当時使用されていた35ミリのフィルムのワン・リールは10分しかなかったため、繋ぎ目でそれとわからないような巧妙な編集を行ったそうです。大のヒッチコック好きであるわたしは何度も「ロープ」を観ましたが、どうしても繋ぎ目を発見することができませんでした。さすがはヒッチコック、映像の魔術師ですね!



デジタルシネマでは、フィルムの長さの制限がありません。ゆえに約10分という制約もなくなりました。その流れで誕生したワンカット映画がアレクサンドル・ソクーロフ監督のロシア映画エルミタージュ幻想」(2002年)です。この映画では約90分間の全編がワンカットで撮影されました。300万点以上という世界最大級の所蔵品が陳列されたままのエルミタージュ美術館の内部を使い、ロシア近・現代の300年間の歴史がワンカットで描かれました。当時は「世界映画史上最も贅沢な作品」と呼ばれましたが、わたしも映画館で鑑賞して呆然としたものです。



エルミタージュ幻想」以降は、全編がワンカットで撮影された作品が続出しましたが、長回しの映画も多く生まれました。「黒い罠」(1958年)や「ザ・プレイヤー」(1992年)の長回しに作品中で言及したロバート・アルトマン監督の「ザ・プレイヤー」(1992年)では8分6秒間の長回しが行われ、柳町光男監督の「カミュなんて知らない」(2006年)のトップシーンでは6分40秒の長回しが行われました。この映画でも、「黒い罠」や「ザ・プレイヤー」の長回しについて言及しています。



他に長回しが話題となった映画として、「スネーク・アイズ」(1998年)、「トゥモロー・ワールド」(2006年)、「ヴィクトリア」(2015年)、そしてブログ「カメラを止めるな!」で紹介した2018年公開の日本映画などがあります。「1917 命をかけた伝令」のように撮影・編集技術を駆使し長時間の長回しに見せている作品としては、ブログ「バードマン」で紹介した2014年のアメリカ映画があります。「バベル」などのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥが監督を務め、落ち目の俳優が現実と幻想のはざまで追い込まれるさまを描いたブラックコメディーで、第87回アカデミー賞作品賞をはじめとする数々の映画賞を受賞しました。

 

長回しというより「一体どうやって撮影したの?」と思わざるをえなかった作品に、昨年観たブログ「天国でまた会おう」で紹介したフランス映画があります。第一次大戦で死にかけて友情を育んだ、歳の離れた二人が帰還後のパリで、国を相手に一儲けしようと大胆な詐欺を企てる物語です。冒頭、フランス軍塹壕へと荒野を走る伝書犬を空中から俯瞰撮影するシーンから始まるのですが、そのカメラがそのまま狭い塹壕の中に入って兵士の間を駈け抜ける犬をずっとワンカメラで追いかけるのです。これには仰天しました。おそらくは犬の頭部にカメラを付けたのではないかと想像しますが、めくるめく魔術のような映像でした。



この「天国でまた会おう」の冒頭にも第一次世界大戦の場面が登場しますが、「1917 命をかけた伝令」はまさに第一次世界大戦の物語です。わたしが戦争について考えるとき、なぜかいつも第一次世界大戦のことが頭の中に浮かんできます。人類の歴史上、戦争は無数に起こっていますが、わたしの関心を最も引くのは第一次世界大戦なのです。第一次世界大戦といえば、レマルクの『西部戦線異状なし』が有名で、1930年に製作された映画版は何度も観ました。その他にも、第一次世界大戦に関する映画で、強く印象に残ったものいくつかがあります。



まずは、2004年の「ロング・エンゲージメント」。「ダ・ヴィンチ・コード」でトム・ハンクスと共演しているオドレイ・トトゥ主演のラブストーリーです。1919年、トトゥ演じる19歳のマチルドの元に1通の封書が届きます。それは第一次世界大戦の戦火の中、2年前に戦場に旅立っていった婚約者マネクが戦死したという悲報でした。しかし、マチルドは希望を捨てませんでした。「マネクに何かあれば、自分にはわかるはず」という直観だけを信じ、マチルドはマネクの消息を辿る、途方もなく遠い旅に出るのです。この作品の中には第一次世界大戦の実際の映像も多く使用され、リアルな映像美で戦火の中の愛を描いています。



次に、2005年のフランス・ドイツ・ イギリス合作映画「戦場のアリア」。監督・脚本はクリスチャン・カリオン(フランス語版)、出演はダイアン・クルーガーとベンノ・フユルマンなど。ヨーロッパに語り継がれる実話を映画化した感動ドラマです。第一次世界大戦中の1914年、雪のクリスマス・イブ。フランス北部の前線各地で起こった信じられない実話がありました。それは、フランス・スコットランド連合軍、ドイツ軍の兵士による「クリスマス休戦」という一夜限りの奇跡的な出来事でした。カリオン監督は、大半がごく普通の青年だった兵士たちが、愛する家族と離れて迎えるクリスマスの夜に「クリスマス休戦」として敵国と友好を結んだ勇気に心を打たれ、彼らへのオマージュとしてこの史実を映画化することを強く願っていたと語っています。



1914年の6月28日、バルカン半島サラエボで、オーストリア帝国皇帝の甥に当たる皇位継承フランツ・フェルディナンド大公夫妻が、セルビア人に暗殺されました。この「サラエボの悲劇」が第一次世界大戦の発端です。しかし、当事者であるオーストリアサラエボはどこかに行ってしまって、いつの間にか「ドイツ対フランス・イギリスの戦い」がメインになってしまう。ドイツの潜水艦Uボートは無差別攻撃を開始し、それをきっかけとしてアメリカが参戦します。そして、第一次世界大戦は潜水艦や毒ガスや飛行機や戦車といったニュー・テクノロジーが総登場する「近代戦」となっていきます。当時、日英同盟を結んでいた関係で、日本も参戦したわけです。それはいいとして、作家の橋本治が高校生だった頃、第一次世界大戦を学んだときに「オーストリアはどうなったの?」と首をひねったそうですが、わたしも含めて同じ疑問を抱いた人は多いでしょう。

 

二十世紀

二十世紀

 

 

作家・橋本治の『二十世紀』にも書かれていますが、第一次世界大戦は、それをきっかけにして各国のナショナリズムが国民の間で盛り上がった戦争です。それまでの戦争は、「支配者とそれに率いられる職業軍人がするもの」でした。国民は、「関係ないよ」でもすんでいたのですが、それが20世紀になって変わりました。「戦争を支持して戦争に積極的に参加する一般国民」というのは、意外にも20世紀になってから登場するのですね。だからこそ、その反対意見としての「反戦論」も20世紀に登場します。わたしたちは20世紀の戦争しか知りませんから、戦争というのはそういうものだと思っています。でも実際は、戦争は「20世紀になってから異常になった」のです。

 

戦争論 レクラム版

戦争論 レクラム版

 

 

第一次世界大戦に参加した各国の国民たちの間にも「異常な戦争だなあ」という空気が強く流れていたように思います。それまでは職業軍人の仕事だったものに自分たちも巻き込まれていくわけですから、当然です。塹壕にたまる糞便の臭いに鼻をつまみながら、一般国民出身の兵士たちも「冗談じゃないよ」と思いながら嫌々戦った者が多かったのです。クラウゼヴィッツが『戦争論』で述べているように、かつての戦争は外交の延長戦上にありました。また、一種のゲームあるいはスポーツの観さえありました。第一次世界大戦までは、ドイツのウィルヘルム2世をはじめ、皇帝という存在が世界中にいたことも影響しています。開戦して双方の皇帝が知恵を駆使しあい、負ければ潔く白旗を揚げて、賠償金を払うというルールが厳然と存在しました。

 

永遠平和のために (岩波文庫)

永遠平和のために (岩波文庫)

 

 

もちろん、カントが『永遠平和のために』で主張したように、戦争があくまで非人間的な愚行であることに変わりはありません。それでも、かつてのヨーロッパの戦争には、サッカーのようなゲーム性・スポーツ性が確かにありました。その意味で、ワールドカップとは世界大戦の見事な代用品だと言えますが、つまり戦争といえども、昔は一定のルールや作法に従っていたわけです。そのルールや作法が第一次世界大戦で壊されてしまった。おそらく毒ガスが登場したときに、それは始まったように思います。このあまりにも非人間的な殺人兵器に「シャレになってないよ」と当時の人々は戦慄したはずです。その後、アウシュビッツや広島や長崎で、人類は何度も「シャレになってないよ」を経験することになります。そのすべての始まり、ルールの逸脱の起こりは、第一次世界大戦にあったのではないでしょうか。



その第一次世界大戦が勃発する前年、哲学者アンリ・ベルグソンは、ロンドンの心霊研究協会(SPR)において、『「生きている人のまぼろし」と「心霊研究」』と題する講演を行っています。ベルグソン以外にも、詩人のテニソン、批評家のラスキン、心理学者のウィリアム・ジェームスなどがSPRに名を連ねていました。そして、第一次世界大戦で発生した大量の死者との交信を遺族が求めて、戦後は「霊界通信」をはじめとしたスピリチュアリズムが大流行します。ベルグソンは「透視」や「精神感応」といった現象に関心を示していたことで知られていますが、実は「ロング・エンゲージメント」の主人公マチルドの直観とはテレパシーに他ならず、この作品は一種の心霊映画となっています。

 

それにしても、第一次世界大戦には、人間の「こころ」の謎を解く秘密がたくさん隠されているような気がしてなりません。毒ガスはもちろんですが、それ以外にも、飛行機・戦車・機関銃・化学兵器・潜水艦といったあらゆる新兵器が駆使されて壮絶な戦争が行われました。「PTSD」という言葉この時に生まれたそうですが、わたしは「グリーフケア」という考え方もこの時期に生まれたように思えてなりません。それは人類の精神に最大級の負のインパクトをもたらす大惨事だったのです。21世紀を生きるわたしたちが戦争の根絶を本気で考えるなら、まずは、戦争というものが最初に異常になった第一次世界大戦に立ち返ってみる必要があるでしょう。



第一次世界大戦といえば、今年の1月25日から「彼らは生きていた」というドキュメンタリー映画が公開されていました。終結後、約100年たった第一次世界大戦の記録映像を、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズなどのピーター・ジャクソン監督が再構築したドキュメンタリーです。イギリスの帝国戦争博物館が所蔵する2200時間を超える映像を、最新のデジタル技術で修復・着色・3D化して、BBCが所有する退役軍人のインタビュー音声などを交えながら、戦場の生々しさと同時に兵士たちの人間性を映し出した作品です。北九州で公開されなかったので、わたしは未見ですが、機会があればぜひ鑑賞したいと思います。第一次世界大戦については、これからも考え続けていくつもりです。

 

2020年2月16日 一条真也

『昭和・平成オカルト研究読本』

昭和・平成オカルト研究読本

 

一条真也です。
『昭和・平成オカルト研究読本』ASIOS編著(CYZO)を読みました。ASIOSとは、2007年に日本で設立された超常現象などを懐疑的に調査していく団体で、名称は「Association for Skeptical Investigation of Supernatural」(超常現象の懐疑的調査のための会)の略です。海外の団体とも交流を持ち、英語圏への情報発信も行うそうです。メンバーは超常現象の話題が好きで、事実や真相に強い興味があり、手間をかけた懐疑的な調査を行える少数の人材によって構成されているとか。

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本書の帯

本書には、昭和を連想させる部屋にエイリアンが寝そべってテレビを観ているジオラマの写真が使われています。ちゃぶ台の上にはミカン、カップヌードル、パック牛乳、タバコ&灰皿、畳の上には掃除機と扇風機とラジオ、窓の外にはUFOが飛んでいます。そして、「超能力、心霊、占い、予言、奇跡、UFO,UMA,超古代文明古史古伝、都市伝説・・・・・・昭和と平成のオカルトを検証し、真相に迫る!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「昭和・平成のオカルトとは何だったのか? その源流を探り、ブームや事件を振り返り、意味を論じる。」「ASIOS会員以外の寄稿者・・・隈元浩彦、塚田穂高長山靖生、廣田龍平、藤倉善郎横山茂雄(インタビュー)、有江富夫、中根ユウサク、新田五郎幕張本郷猛、山津寿丸」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

はじめに(ASIOS代表 本城達也

第1章 後世に影響を与えたオカルトの源流

人々の願望を飲み込み、様々な素材を取り込んだ『竹内文書』(長山靖生

日猶同祖論の誕生と系譜(藤野七穂

「日本ピラミッド」説の誕生と系譜(藤野七穂

CBA事件を起こした宇宙友好協会(CBA)(羽仁礼)

何度もよみがえっては人を騙し続けるM資金詐欺(隈元浩彦)

第2章 昭和・平成のオカルトブームを振り返る

昭和・平成の代に現れたUMAたち(横山雅司)

超古代文明と失われた大陸ブーム(藤野七穂

スプーン曲げブームと二人の重要人物(本城達也

水子供養ブームを考える(ナカイサヤカ)

日本のノストラダムスブームを振り返る(山津寿丸)

心霊写真ブームと心霊写真本(本城達也

盛り上がり、定着し、沈静化した昭和・平成のUFOブーム(羽仁礼)

なぜ六星占術の本は売れたのか?その理由と仕組みを考察する(本城達也

第3章 昭和・平成のオカルト事件

大本事件―終末論を唱えた大本は徹底的に弾圧された
長山靖生

「水からガソリン」と「日本的製鉄法」
 ――前戦中の日本を騒がせた二大ニセ科学事件(山本弘

天津教弾圧事件(原田実)

大災害発生を信じた集団と報じられ、騒動になったCBA事件(羽仁礼)

オカルトと科学が混在する悲劇、オウム真理教事件
藤倉善郎

巨額宗教詐欺事件を起こした法の華三法行(藤倉善郎

自己啓発セミナーが宗教化したライフスペース事件
藤倉善郎

岐阜県富加町の町営住宅で起きたポルターガイスト事件
加門正一

第4章 昭和・平成のオカルトを検証し、論じる

超能力捜査番組はなぜ続いたのか(本城達也

白装束のキャラバン隊を組み、

騒動を巻き起こしたパナウェーブ研究所(蒲田典弘)

オカルトとニセ科学――霊感商法陰謀論と関係するものも(蒲田典弘)

オカルトと民俗学――その困難な関係性(廣田龍平)

幸福の科学の「霊言」はどこまで突っ走るのか(藤倉善郎

テレビ、喫茶店、世界の終わり。

日本のコンタクティー・ムーブメントと想像力(秋月朗芳)

第5章 昭和・平成のオカルトを彩ったテレビ番組、漫画・雑誌、出版社、オカルト研究会、人物伝

昭和・平成のオカルト番組(本城達也

昭和・平成のオカルトを彩った漫画(新田五郎

●オカルトの本を多く出版する出版社(藤野七穂・有江富夫)
国教宣明団/有信堂高文社霞ヶ関書房/二見書房/大陸書房新人物往来社/ たま出版/工作舎八幡書店角川春樹事務所/ヒカルランド

●オカルトの本も出版している総合出版社(有江富夫)
新潮社/講談社早川書房/KADOKAWA/学研プラス/徳間書店

●昭和・平成のオカルト雑誌の歴史をたどる
長山靖生・中根ユウサク・藤野七穂
『猟奇画報』/『猟奇』/『風俗草紙』/『別冊実話特報』/『世界の秘境シリーズ』/『奇談クラブ』/『不思議な雑誌』/『歴史読本』/『パイデイア』/『牧神』/『幻想と怪奇』/『ユリイカ』/『オカルト時代』/『地球ロマン』/『迷宮』/『GS たのしい知識』/『季刊 邪馬台国』/『コズモUFOと宇宙』/『トワイライトゾーンUFO と宇宙』/『ワンダーライフ』/『Az』/『ボーダーランド』/『ムー』

●オカルト研究団体

心霊研究団体からオカルト現象全般を研究する団体まで
(羽仁礼)

UFOを扱った代表的な研究団体(有江富夫)

昭和・平成オカルト人物伝(藤野七穂長山靖生・有江富夫・塚田穂高・山津寿丸・原田実・幕張本郷猛・羽仁礼・本城達也

酒井勝軍竹内巨麿楢崎皐月平野威馬雄/岡田光玉/黒沼健/佐治芳彦/古田武彦/中岡俊哉/五島勉氏/宜保愛子/齋藤守弘/横尾忠則氏/康芳夫氏/細木数子氏/佐藤有文/高坂和導/秋山眞人氏/江原啓之氏/

[インタビュー]井村宏次さんの思い出  横山茂雄氏に聞く

昭和・平成の日本オカルト年表(本城達也

 

「はじめに」で、ASIOS代表の本城達也氏は述べます。
「本書で扱うのは、昭和と平成のオカルトです。ここでいう『オカルト』とは、常識では説明がつかないとされる現象や能力、存在、出来事などを指しています。具体的には、超能力、心霊、占い、予言、奇跡、UFO(未確認飛行物体という意味だけでなく、宇宙人の乗り物という意味も含む)、UMA(謎の未確認動物)、さらには超古代文明古史古伝、都市伝説・・・・・・などなど」


『UFO事件クロニクル』と『UMA事件クロニクル』

 

このたびの改元にあたり、本書では昭和と平成のオカルトを振り返りつつ、考察を深めています。約100年の間に起きた日本のオカルトに絞っているそうですが、それでもテーマは広く、ページ数は464ページになっています。中身は濃いですが、読み方がわかりにくい漢字にはルビを振っており、基本的な用語にも文中で簡単な解説を加えています。オカルト初心者でも安心して読める内容となっています。各項目の説明は小事典のようですが、ブログ『UFO事件クロニクル』ブログ『UMA事件クロニクル』で紹介したASIOSの本ともども、少しづつ読み進んでいくのも楽しいでしょう。わたしは1日で読みましたけど・・・・・・。

 

昭和・平成オカルト研究読本

昭和・平成オカルト研究読本

 

 

2020年2月15日 一条真也

ブログ開設10周年!

 一条真也です。
本日、2020年2月14日は、わたしがブログを開設してから、ちょうど10年目になります。2010年2月14日に「一条真也のハートフル・ブログ」がスタートしました。それ以来、930日間、1日も休まずにブログを続けました。ご存知のように非常に長文のものも多く、その文章量はかなりのボリュームになりました。

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2010年2月14日「一条真也のハートフル・ブログ」開始

 

しかしながら、思うところあって、「一条真也のハートフル・ブログ」を2012年8月31日に休止しました。ちょうど、2000本目の記事を書き上げた日でした。それから番外編をいくつかUPしましたが、「本格的にブログを再開してほしい」との声が多く寄せられました。

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2013年2月14日「一条真也の新ハートフル・ブログ」開始

 

そして、2013年2月14日に新ブログをスタートしました。それも、「一条真也の新ハートフル・ブログ」と「佐久間庸和の天下布礼日記」の2つを同時に開始しました。いわば、ブログの二刀流です。

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2013年2月14日「佐久間庸和の天下布礼日記」開始

その後、2017年6月8日に「佐久間庸和の天下布礼日記」を修了いたしました。以後は「一条真也の新ハートフル・ブログ」に一本化しましたが、運営元の「はてな」の事情により、2018年9月4日、「はてなダイアリー」から「はてなブログ」に移行しました。その後もさまざまな記事を書き続け、本日をもってブログ開設10年を迎えた次第です。この記事で新ハートフル・ブログの3463番目の記事となり、3つのブログ合計で7474の記事を書いたことになります。自分でも、「よくぞ、これだけ多くの文章を書いたものだ」と思います。

f:id:shins2m:20200213165809j:plain2017年6月8日「佐久間庸和の天下布礼日記」修了

 

多くの読者の方々に支えられてここまで来ることができましたが、この後もずっとブログを続けていくかというと、そうは考えていません。「ブログの時代は終わり」という声が叫ばれて久しいですが、わたしも正直そのように感じています。最近、ますます本業や業界の仕事が忙しくなり、作家としての執筆活動も控えつつあります。新規の連載依頼などを断っているだけでなく、既存の連載も可能な範囲で終わらせていただいているのが現状です。ずばり、ブログ10周年を迎えた今年中に「一条真也の新ハートフル・ブログ」も修了させるつもりです。本当は10周年当日となる本日をもっての修了も考えましたが、書評など書き溜めている記事も多く、タイミングが合いませんでした。あとどれくらい続くかは未定ですが、いずれにしてもそんなに残り時間はありません。どうか、残りわずかな当ブログを最後までご愛読いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

2020年2月14日 一条真也

バレンタインデー

一条真也です。
ハッピー・バレンタイン!
2月14日はバレンタインデーです。
今朝、わたしは出張先の神戸のホテルで目を覚ましました。いつもバレンタインデーのときは出張していることが多いのですが、今年もそうでした。

f:id:shins2m:20200214160117j:plain妻が贈ってくれた手作りのチョコ&クッキー 

 

というわけで小倉にはいませんが、例年と同じく、妻が朝一番で手作りのチョコレート&クッキーを贈ってくれました。もう30年以上もずっと2月14日には手作りのチョコをプレゼントしてくれます。口では言いませんが、心から感謝しています。

f:id:shins2m:20200214151215j:plainみなさんから頂いたチョコの一部

 

また、今年も、会社のみなさんや愛読者の方々からたくさんのチョコを頂戴したようです。 サンレー本社の女子社員のみなさんからは「日頃の感謝を込めて」とか、読者の方からは「執筆の合間にチョコっと召し上がってください」などと直筆で書かれたカードが添えられていました。本当に、ありがたいことです。

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神戸から帰ってきて感激!

 

クリスマスと同じように、戦後の日本の中で定着した欧米由来の年中行事の1つがバレンタインデーです。バレンタインというのは3世紀に実在した司祭の名前で、彼が殺された日が2月14日でした。なぜ求愛の儀式になったかというと、戦争に出兵する兵士たちの結婚を禁止した当時の皇帝の命令に背いて、結婚を許可したことで司祭が殺されたからです。もともとは求愛の儀式で欧米で定着したものでしたが、日本では女性から告白する、その際にチョコレートをプレゼントすることになっています。

 

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

 

 

このようにバレンタインデーが日本独自の儀式に変容したのは、拙著『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)にも書きましたが、チョコレートメーカーと百貨店のセールスプロモーションがきっかけになったのは有名な話です。その最初の仕掛け人としては、モロゾフ、メリーチョコレートカムパニー、森永製菓、伊勢丹ソニープラザなど諸説あるようです。今は求愛儀式というより、自分や友人に「ごほうび」を与える、そんな儀式に変わりつつあります。

 

2020年2月14日 一条真也

全互連中部ブロック研修会

一条真也です。
13日、小倉から神戸にやって来ました。JR新神戸駅で全互連の仲間たちと合流したわたしは、迎えのマイクロバスに乗って、神戸の有力互助会である(株)平安さんの結婚式場「エスタシオン・デ・神戸」に向かいました。

f:id:shins2m:20200213135515j:plainエスタシオン・デ・神戸 に到着しました

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エスタシオン・デ・神戸のロビーで

 

12時半頃にエスタシオン・デ・神戸に到着すると、昼食が用意されていました。わたしは平安の兼松会長のお隣の席で、美味しいお弁当をいただきました。昼食後、13時半から理事会が開催されました。

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美味しい昼食をいただきました

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中部ブロック研修会のようす
 

その後、14時から中部ブロックの研修会が開催されました。当番互助会である平安の河村社長の挨拶があり、続いて河村社長が会議の議長を務められました。次回は金沢開催でサンレー北陸が当番互助会であり、わたしが議長を務めることになります。

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大変勉強になりました!

 

全互連は、冠婚葬祭互助会の保守本流です。冠婚葬祭互助会とは、その名の通りに「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。終戦直後の1948年に、西村熊彦という方の手によって、日本最初の互助会である「横須賀冠婚葬祭互助会」が横須賀市で生まれました。そして、横須賀から名古屋へ、さらには静岡へと、全国に広まっていきました。いわゆる「平安閣グループ」と言われてきた互助会集団が全互連なのです。そして中部ブロックこそは全互連の心臓部分といえるでしょう。それから4時間にわたって、濃密な研修会が行われました。全互連の中部ブロック研修会に参加すると、本当に勉強になります。

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懇親会のテーブルセッティング

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懇親会にて

18時からは、会場を変えて懇親会が開催されました。いつもは前会長であるわたしが乾杯の発声をすることが多いのですが、今回は次回の当番互助会の代表ということで、中締めの挨拶を務めることになりました。 

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活けオマール海老の香草ローストが絶品でした

f:id:shins2m:20200213190153j:plain国産牛フィレ肉のポワレも絶品でした

 

懇親会では、仲間たちと大いに意見交換しました。
料理も大変美味しかったです。「活けオマール海老の香草ロースト トレビスとコライユのリゾット添え」もメインの「国産牛フィレ肉のポワレ ジャガイモとトリュフのムースリーヌ和風ペリグーソース」も絶品でした。

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中締めの挨拶をしました

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新型肺炎について話しました

 

懇親会の最後は、次期当番互助の代表として、わたしが中締めの挨拶をしました。わたしは「新神戸駅で謎のマスク集団がいたので、中国人観光客かと思ったら、全互連のみなさんでした」と言って、まずは笑いを取りました。それから「コロナウィルスによる新型肺炎は感染者が増加する一方で、すでにSARS以上となりました。SARSのときは、中国では結婚式や葬儀が禁止された地域もありました。冠婚葬祭とは集会そのものであり、感染の危険性が高いというわけです」と言いました。

f:id:shins2m:20200213200742j:plain儀式によって世の中を平和にしましょう!

f:id:shins2m:20200213200746j:plain末広がりの五本締めをしました

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人間関係を良くする魔法、全国に広まれ!

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全互連、最高!!

 

それから、わたしは「逆に言えば、冠婚葬祭が行われるというのは平和だということです。冠婚葬祭業は平和産業。われわれ全互連を中心に、儀式によって世の中を平和にしていきましょう!」と言ってから、サンレー名物「末広がりの五本締め」を行いました。この「人間関係を良くする魔法」は、全国的にもすっかり有名になりました。

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二次会のようす

f:id:shins2m:20200213194335j:plainエスタシオン・デ・神戸から見た神戸の夜景

 

その後、会場を変えて二次会が開催されました。ここでも有意義かつ楽しい時間を過ごすことができました。懇親会から参加された(株)117の山下社長(全互連相談役、全互協会長)のお隣で、いろいろと驚くべき話をお聞きしました。やっぱり、全互連の仲間と飲む酒は最高!

 

2020年2月13日 一条真也

神戸へ!

一条真也です。
13日の朝、小倉駅から新幹線さくら544号に乗りました。行き先は神戸で、午後から全互連の中部ブロック研修会が開催されます。わたしは、中部ブロックのメンバーである(株)サンレー北陸の代表として参加するのです。

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JR小倉駅前で

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JR小倉駅のホームで

f:id:shins2m:20200213100223j:plain新幹線さくら544号が到着!

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新幹線さくら544号の車中で

 

この日は暖かい日で、気温は17度ぐらいありました。
新型肺炎が流行していることもあり、新幹線の車中では多くの方がマスクをしていました。国内でも新型肺炎の感染者が増加する一方ですが、収束の行方が見えません。このままでは、東京オリンピックパラリンピックが無事に開催できるのかどうか、心配になってきます。

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鎌田先生の最新刊を読みました

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赤の傍線を引きながら読みました

南方熊楠と宮沢賢治 (平凡社新書0933)

南方熊楠と宮沢賢治 (平凡社新書0933)

 

 

わたしは車内販売で求めたコーヒーを飲みながら、読書をしました。鎌田東二先生の最新刊『南方熊楠宮沢賢治』(平凡社新書)です。鎌田先生から書評を依頼され、平凡社から送っていただいた本ですが、この日の朝届いたばかりです。「日本的スピリチュアリティの系譜」というサブタイトルですが、興味深いテーマで大変面白く、赤のボールペンで傍線を引きながら夢中になって読みました。

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JR新神戸駅に到着しました

 

JR新神戸駅には12時11分に到着。改札口でサンレー北陸の東常務と青木部長の2人と合流しました。改札口を出ると10人ぐらいのグループが全員マスク姿の集団がいたので、「すわっ、中国人観光客か!」と思いましたが、よく見たら、全互連の仲間たちでした。(笑)わたしたちは迎えのバスに乗って、神戸の有力互助会である(株)平安さんの結婚式場「エスタシオン・デ・神戸」に向かいました。

 

2020年2月13日 一条真也

『オカルト番組はなぜ消えたのか』

オカルト番組はなぜ消えたのか 超能力からスピリチュアルまでのメディア分析

 

一条真也です。
『オカルト番組はなぜ消えたのか』高橋直子著(青弓社)を読みました。非常に興味深い論考でした。「超能力からスピリチュアルまでのメディア分析」というサブタイトルがついています。著者は1972年、秋田県生まれ。國學院大學大学院文学研究科博士課程後期修了。博士(宗教学)。國學院大學大学院特別研究員、テレビ番組制作リサーチャー。専攻は宗教学。共著に『神道はどこへいくか』(ぺりかん社)、『バラエティ化する宗教』(青弓社)、論文に「オウム真理教をめぐるメディア言説――一九八九年一〇月のワイドショー」(「國學院雑誌」第116巻第11号)など。

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本書のカバー表紙

 

表紙の下には「超能力ブーム、ネッシー、雪男、ノストラダムス、UFO、心霊写真、霊能力者、スピリチュアル・ブーム・・・・・・。オカルト番組が熱狂的な支持とバッシングを受けながら続くも、2000年代に終焉を迎えた歴史的なプロセスを明らかにする」と書かれています。

 

アマゾンの「内容紹介」は、以下の通りです。
「1974年の超能力ブームに始まり、ユリ・ゲラーネッシーや雪男、80年代から90年代にかけてのノストラダムス矢追純一のUFO、心霊写真、霊能力者・宜保愛子、そして2000年代のスピリチュアル・ブーム・・・・・・。1958年の『テレビ放送基準』以来、『迷信は肯定的に取り扱わない』と定めているにもかかわらず、なぜオカルト番組は熱狂的な支持とバッシングの渦のなか続いていたのか。『謎』や『ロマン』を打ち出し、視聴者が半信半疑で楽しむエンターテインメントとしてオカルト番組が隆盛を極めたことを掘り起こす。そして、スピリチュアル番組へと移行して『感動』や『奇跡』の物語へと回収されることで、オカルトの内実(真偽)が問われ、終焉へと至った歴史的なプロセスを明らかにする」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」

序 章 テレビと〈オカルト〉の邂逅

   ――オカルト番組前史

1 心霊術の流行

2 週刊誌ブームと心霊ブーム

3 オカルト番組を出現させたメディア空間

第1章 オカルト番組のはじまり

    ――一九六八年の「心霊手術」放送

1 「放送基準」の〈迷信〉と〈オカルト〉

2  一九六八年十一月十四日放送『万国びっくりショー』

3 なぜ、あたかも真実のごとく放送されたのか

第2章 オカルト番組の成立 

    ――一九七四年の超能力ブーム

1 増える〈オカルト〉

2 超能力ブームの顚末

3 オカルト番組はなぜ成立したのか

4 オカルト番組批判のパラドクス

第3章 オカルト番組の展開 

    ――一九七〇年代・八〇年代の比較分析

1 一九七〇年代のオカルト番組

2 成立後のオカルト番組

3 一九八〇年代のオカルト番組

第4章 拡張する〈オカルト〉 

    ――第二次オカルトブーム

1 〈オカルト〉と「精神世界」

2 “テレビ幽霊"騒動のメディア言説

3 一九九〇年代のオカルト番組

第5章 霊能者をめぐるメディア言説 

    ――一九九〇年代・二〇〇〇年代の比較分析

1 宜保愛子をめぐるメディア言説

2 江原啓之をめぐるメディア言説

3 〈オカルト〉と〈スピリチュアル〉

 終 章 オカルト番組の終焉

1 テレビと〈オカルト〉と「宗教」

2 オカルト番組が存在した事由

3 オカルト番組の終焉、これからの課題

「おわりに」

 

「はじめに」で、著者は以下のように述べています。
「〈オカルト〉を出し物とするオカルト番組が、オカルトを日本化することに最大の役割を果たしたことは論を俟たない。ネス湖ネッシー、ヒマラヤの雪男、謎の類人猿ヒバゴン、念力男ユリ・ゲラーノストラダムスの大予言、恐怖の心霊写真、矢追純一のUFO、新倉イワオの『あなたの知らない世界』、幻のツチノコサイババの奇跡、驚異の霊能力者・宜保愛子など、さまざまな現象や人物によってあまたのオカルト番組が制作・放送されてきた。その歴史は、およそ半世紀に及ぶ」

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「オカルト番組は、ときに批判・非難(バッシング)されながらも、支持(視聴率)を獲得し、概して社会的に許容(放送)されてきたといえる。本書が試みるのは、オカルト番組をめぐってマスメディアに表出した言説を捉え、その変遷をたどる作業である。オカルト番組の内容(出し物となる〈オカルト〉)ではなく、オカルト番組をめぐるメディア言説に注目するのは、公共性が高いテレビという放送メディアに長年にわたってオカルト番組が存在し続けた事由にこそ、本書の問題関心があるからである」

 

 また著者は、「超能力を出し物とするあまたの番組が放送された74年を経た翌75年1月に、日本民間放送連盟(以下、民放連と略記)が『放送基準』を改正し、新たに『催眠術、心霊術などを取り扱う場合は、児童および青少年に安易な模倣をさせないよう特に注意する』と定めたことによる。つまり、テレビ(放送局)は心霊術や念力などの〈オカルト〉を「安易な模倣を助長しないよう注意」して制作・放送することにした。この事実をもって、テレビ番組中の一ジャンルとしてオカルト番組が成立したと捉えるのである」とも述べています。

 

序 章「テレビと〈オカルト〉の邂逅――オカルト番組前史」では、3「オカルト番組を出現させたメディア空間」として、著者は以下のように述べています。
「1960年代後半(昭和40年代前半)、心霊術をめぐる雑誌メディアの言説には、大きく2つの変化を指摘することができる。1つは、心霊と科学との関係の変化である」と述べています。たとえば「婦人公論」1966年6月号掲載の石原慎太郎による寄稿「私は心霊を信じる」の中にある「どんなに卑俗な、人が迷信と呼ぶような出来事でもいい、自身が味わった不可思議な体験を手がかりに、科学絶対の信仰から一歩離れて、人間が秘めてもった力について考えてみたい。必ず、そこに、今まで未知だった人間の本質がうかがわれ、今まで考えていた人間のイメージが誤り多いものであったことに気づくだろう。人間は神秘である、と言うよりも、神秘こそが人間なのである」という発言を紹介します。

 

第3章「オカルト番組の展開」では、2「成立後のオカルト番組」として、著者は「なぜ、これほど『やらせ』がおこなわれるのか」と問います。そして、「制作方法に問題あり」という意見を紹介します。「簡単には撮れそうもない極端な設定」を机上で決めてしまい、その「机上のプラン」を「やらせ」で実現するというのです。著者は、「『ひどいケース』に海外の秘境探検企画が多いのは、海外/秘境というロケーションのイメージから現場の状況を無視した極端な『机上のプラン』に傾きやすいことに加えて、大金をかけて現地まで出かけたプロダクションとしては、何が何でも番組を制作しなくてはならない状況に追い込まれるからである」と分析します。

 

第4章「拡張する〈オカルト〉」では、1「〈オカルト〉と『精神世界』」として、1970年代のアメリカでニューエイジサイエンスと呼ばれたムーブメントは、80年代の日本でニューサイエンスとして流行し、「精神世界」の流行/一般化に寄与すると同時に従来の〈オカルト〉を更新・再生させたことが紹介されます。ここに、第2次オカルトブームと呼ばれる状況が生まれたのです。

 

3「1990年代のオカルト番組」として、著者は述べます。
宜保愛子が霊能者としてテレビ出演するようになったのは、1970年代半ばである。80年代にテレビ出演を重ね、講演会もおこなうようになり、89年には「女性自身」で連載された「宜保愛子のスター心霊対談」が話題となる。90年、『たけしの頭の良くなるテレビ』(TBS、8月17日20時―20時54分)に出演し、ビートたけしをすっかり神妙にさせたことで社会的な注目を集め、91年には『宜保愛子ブーム』が出来する」
1991年、宜保は「テレビに出演すれば20パーセント以上の高視聴率、本を出せばすべてベストセラー」というセンセーションを巻き起こします。著者は「宜保の名を冠した特番に共通する特徴は、霊能力への『科学的アプローチ』を謳うこと、あるいはドキュメンタリーの手法がとられることである」と指摘し、これは宜保愛子というタレントを得たことで開かれた、「オカルト番組の新境地」だと評しています。

 

さらに、著者は「1970年代から80年代の〈オカルト〉は、『現代最後のロマン』であり、科学では解明できない謎/不思議だった」と指摘します。オカルト番組は、心霊現象なり超常現象なりを「もしかしたら、そういうこともあるかもしれない」と視聴者に思わせるところで「ロマン」を感じさせるべく、謎や不思議を演出したというのです。つまり、番組の構成上、心霊現象や超常現象の真偽は問題にならないわけです。だからこそ、オカルト番組はやらせを織り込みずみで許容されてきたと考えられますが、心霊現象や超常現象の謎や不思議を解明・検証するというコンセプトが立てられる場合はそれは通用しません。番組の構成上、解明・検証の対象となる現象があからさまにフィクションであっては番組が成り立たないからです。したがって、「1990年代のオカルト番組は、必然的に番組内の心霊現象・超常現象がホンモノであることを強調するようになる」と著者は述べています。

 

第5章「霊能者をめぐるメディア言説 ーー一九九〇年代・二〇〇〇年代の比較分析」では、2「江原啓之をめぐるメディア言説」として、以下のように紹介されています。
江原啓之は2001年から情報番組『こたえてちょーだい!』(フジテレビ)に出演するようになり、03年にレギュラー番組『えぐら開運堂』(テレビ東京、2003年10月―05年9月)をもつ。04年から『江原啓之スペシャル 天国からの手紙』(フジテレビ、2004年4月―07年12月。以下、『天国からの手紙』と略記)が年2、3回放送され、人気特番となる。05年には『国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉』(テレビ朝日、2005年4月―09年3月。以下、「オーラの泉』と略記)が始まり、スピリチュアルブームを牽引した」
こたえてちょーだい!』の最後には手紙のコーナーがあり、視聴率は14パーセントから15パーセントまで跳ね上がったそうです。2004年2月に手紙の企画が再び放送され、それが『こたえてちょーだい!』の最高視聴率を獲得したことで、同年4月『江原啓之スペシャル 天国からの手紙』(第1回)が放送されました。

 

この『江原啓之スペシャル 天国からの手紙』について、著者はこう述べています。
「『天国からの手紙』は、家族を亡くした家庭に何らかの不思議な現象があり、死者からのメッセージがあるなら聞きたいという家族(視聴者)が番組に相談、霊と交信できるという江原がその家族を訪ね、死者のメッセージを伝える。回を重ねるごとに話題になり、回を追うごとに霊現象を強調する作りの再現ドラマの割合が抑えられ、現場でのスピリチュアリズム的実践が中心となる。2006年末に放送された『天国からの手紙』(第8回)をPRする記事に、『遺された遺族の悲しみや痛みを癒す“グリーフケア”を通じ、現代の日本人や家族のあり方を問いかける江原さん』とあるように、霊との交信(死者のメッセージ)はグリーフケアを目的とするものと周知されるようになる」
そう、江原啓之の霊能力(?)は、明らかにグリーフケアと関わっていました。それは彼がメディアの寵児となった頃から、わたしも感じていました。

 

スピリチュアルカウンセラーを名乗る江原啓之には各方面から批判が寄せられましたが、芥川賞作家で臨済宗僧侶である玄侑宗久氏には、「数あるバッシングの中でも、玄侑氏の(「霊の世界は文化であり、真理ではない」という)言葉にもっとも違和感を覚えています」「霊の存在を曖昧にするなら、葬式、戒名の命名、お賽銭やお守り、お払い、お焚き上げ・・・・・・。そのすべてが悪質な霊感商法だということになってしまう」などと噛み付きました。これに対して、玄侑氏が困惑気味にこう語りました。
「江原さんは私が『文化』と申し上げたのを『文化財』のように解釈されているようですね。私は(霊が)見えるということを否定はしません。ただ見えるというのは、半分は脳内ソフト(の働き)なわけです。蛙が7色に見える国民もあれば、5色にしか見えない国民もある。その脳内ソフトを私は『文化』と呼んでいるんです。見えたり聞こえたりというのをあくまでも複合的な現象ととらえる仏教の見方が前提としてあるわけです。色即是空の色ですよ。江原さんが実在といっているのに対して、私が現象と言っていると言い換えてもいいかもしれません。それをあたかも唯一絶対の真理として語られることに違和感を感じると申し上げているのです。既成宗教の現状への不満は私もありますが、それはまた別な話です」
うーん、さすがは玄侑氏、見事な切り返しですね。

 

終章「オカルト番組の終焉」では、2「オカルト番組が存在した事由」として、著者は以下のように述べています。
「民俗社会の世界像と宇宙観は、神や妖怪、霊魂などの存在を想定して構築されている。それは、共同体(ムラ)を構成する個々の構成員(ムラビト)の倫理を形成するうえで、きわめて重要な役割を果たしていた。民俗知とは、民俗社会で世代間に伝承されている経験的な知識の蓄積であり、ムラビトとしてあるべき姿を自ら判断する際のよりどころとなる見識・教養である。その民俗知の断片を子どもたちが拾いやすいように提供したのは、マスメディアであり、オカルト番組である」
そして、3「オカルト番組の終焉、これからの課題」として、著者は、「オカルト本来の異端性、『謎』『ロマン』を『楽しむ』『遊ぶ』ためには、対置する現実や〈常識》が確かなものでなければならない。メディア・コミュニケーションが変化し、パーソナルなコミュニケーションも変化する今日、現実や〈常識〉を確かなものとする知恵が必要なのではないだろうか〉」と提唱するのでした。

 

「イタコ」の誕生: マスメディアと宗教文化

「イタコ」の誕生: マスメディアと宗教文化

 

 

著者は、わたしが日頃から親しく御指導をいただいている宗教学者國學院大學副学長の石井研士先生の教え子に当たります。ブログ『「イタコ」の誕生』で紹介した本を書いた大道晴香氏も石井先生の教え子で、現在、國學院大學大学院の大学院特別研究員、わたしが客員研究員を務める冠婚葬祭総合研究所の研究員でもあります。『「イタコ」の誕生』も本書も、ともにユニークな研究成果であると思います。マスメディアと宗教という2つのテーマを同時に追う石井先生の門下からは優秀な研究者が続々と誕生しているようですね。著者のこれからの活躍に大いに期待しています。

 

 

 2020年2月13日 一条真也