「天国でまた会おう」

一条真也です。
東京に来ています。
多忙なスケジュールの合間を縫って、日比谷のTOHOシネマズシャンテでフランス映画「天国でまた会おう」を観ました。「出版寅さん」こと内海準二さんも一緒でした。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『その女アレックス』などで知られるミステリー作家ピエール・ルメートルの小説を、ルメートル自身の脚本で実写映画化。戦争で全てを失った人々が国を相手に企てた詐欺計画を描き、第43回セザール賞で5冠に輝いた。画家を夢見る御曹司に『BPM ビート・パー・ミニット』などのナウエル・ペレーズビスカヤート、彼の相棒を監督も務めるアルベール・デュポンテルが演じるほか、『エル ELLE』などのロラン・ラフィット、『パリよ、永遠に』などのニエル・アレストリュプらが共演」

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ヤフー映画の「解説」は、以下の通りです。
「1918年、御曹司のエドゥアール(ナウエル・ペレーズビスカヤート)は、戦場で生き埋めにされたアルベール(アルベール・デュポンテル)を助け出した際、顔に大けがをしてしまう。戦後パリに戻った二人は、戦没者をたたえる一方で戻ってきた兵士には冷淡な世間を目の当たりにする。戦争で何もかも失った二人は人生を取り戻すため、国を相手に前代未聞の詐欺を企てる」

 

この映画、率直な感想を言えば、「すごい映画!」でした。映画というメディアの可能性を最大限に見せてくれたと言っても過言ではない作品でした。なにしろ、冒頭のシーンからいきなりブログ「カメラを止めるな!」で紹介した映画の衝撃を超えてしまうのです。第一次世界大戦フランス軍塹壕へと荒野を走る伝書犬を空中から俯瞰撮影するシーンから始まるのですが、そのカメラがそのまま狭い塹壕の中に入って兵士の間を駈け抜ける犬をずっとワンカメラで追います。これには、わたしも「どうやって撮影したの?」と思わざるをえませんでした。つかみはOKというところです。

 

第一次世界大戦の戦闘シーンもリアルで迫力満点でした。
名作「西部戦線異状なし」を連想させる戦場の人間ドラマをごく短い時間で見事に描いています。兵士たちがお互いに仲間の命を助け合うシーンは、やはり、いつの時代のどんな戦争でも胸を打ちます。「きずな」という字には「きず」が入っています。「傷」を共有した者同士が真の「絆」を持てるのでしょうが、その意味で生死の境を彷徨った戦友たちには最強の「絆」があるのだと思います。

 

「天国でまた会おう」は間違いなく傑作ですが、唯一惜しい点は、主人公のアルベールを演じたアルベール・デュポンテルが高齢すぎたことです。
物語の中で彼は若い娘に恋をするのですが、見た目が初老の男なのでリアリティを感じませんでした。これは内海さんが指摘したことなのですが、わたしも同意見です。
一方、御曹司のエドゥアールを演じたナウエル・ペレーズビスカヤートは適役でした。彼は戦場で顔を失ってしまいます。わたしがテーマとしている「グリーフケア」は愛する人を失うとか、家や故郷や仕事や財産を失うとか、とにかく何かを「失った」人の悲嘆をケアすることですが、彼は顔を失うという大きな悲しみを抱えて生きます。そんなエドゥアールをビスカヤートは見事に演じました。

 

顔を失ったエドゥアールの心を救ったのは仮面でした。
もともと絵を描く才能の持ち主だった彼は、その才能を仮面作りに存分に発揮します。彼は自らがデザインしたさまざまな仮面をまとうことで、自由で豊かな想像力の翼を広げます。彼の作った仮面はどれも素晴らしく独創的で芸術的です。最後に登場した青い鳥の仮面など、こんな美しい仮面をわたしは他に知りません。
仮面といえば、フランスには鉄仮面伝説があります。その伝説は映画「仮面の男」(1998年)で甦りました。アレクサンドル・デュマの『ダルタニャン物語』をベースに、ルイ14世と鉄仮面伝説、老いた三銃士の復活と活躍、王妃とダルタニアンの秘めた恋を描いた歴史娯楽活劇で、レオナルド・ディカプリオが主演しました。

 

フランスには、もう1つ有名な仮面の物語があります。「天国でまた会おう」と同じパリを舞台とした「オペラの怪人」です。ガストン・ルルー原作の怪奇ロマンですが、過去に何度も映画化されています。最も新しい作品は2004年版で、それまでの映像化作品と異なり、アンドリュー・ロイド・ウェーバー版のミュージカルをベースにしています。「オペラの怪人」と呼ばれる主人公エリックは、その醜さによって見世物小屋にいる少年が成長したという設定でした。「天国でまた会おう」での仮面姿のエドゥアールを見て、多くの人は「仮面の男」や「オペラ座の怪人」を思い起こしたのではないでしょうか。

 

オペラ座の怪人」がまさに怪奇映画の古典となっているように、アーティスティックな仮面というのは見る者にある種の恐怖心を与えます。エドゥアールがまとう数々の仮面もそうでした。そこにはパリ生まれの「グラン・ギニョール」の香りがします。パーティーを開いたエドゥアールが参加者たちに仮面をつけさせて戦争の責任者たちを糾弾する余興を行う場面など、グラン・ギニョールそのものでした。

 

澁澤龍彦映画論集成 (河出文庫 し 1-53)

澁澤龍彦映画論集成 (河出文庫 し 1-53)

 

 

グラン・ギニョール(Grand Guignol)とは、19世紀末から20世紀半ばまでパリに存在した大衆芝居・見世物小屋のグラン・ギニョール劇場のことで、またそこから転じて、同座や類似の劇場で演じられた「荒唐無稽な」、「血なまぐさい」、あるいは「こけおどしめいた」芝居のことをいう。一般的には「恐怖劇」と表現されます。作家の澁澤龍彦がこよなく愛したジャンルでした。このグラン・ギニョールの香りがプンプンする「天国でまた会おう」という映画を今は亡き澁澤が観たら、きっと狂喜したと思います。


唯葬論』(サンガ文庫)

 

 「天国でまた会おう」には、全篇にわたって「死」の匂いも漂っています。まず、戦争で多くの兵士が死にますし、霊園のシーンもやたらと登場します。
では、「人間は死者を弔う存在である」という拙著『唯葬論』的な内容かというと、そうではありません。この映画では、死者に対するまなざしはむしろ冷めています。だって、遺族の死者への想いを利用して詐欺を企む話なのですから。ある意味では、死を乗り越える映画なのかもしれませんね。


死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

映画評論家の矢崎由紀子氏は、映画com.の「『天国でまた会おう』戦争への怒りを代弁するアウトローとして、死んだはずの主人公は確かに存在する」で、「アルベール・デュポンテル監督は戦争の欺瞞を強調する。戦争によって栄光や富を手にする者がいるいっぽうで、兵士たちは泣き寝入りを強いられる。戦死者はサイズの合わない棺に押し込められ、帰還兵は失業にあえぎ、傷病兵はモルヒネに身も心も蝕まれていく。そんな社会に対するふつふつとした怒りを代弁するアウトローとして、戸籍上死んだはずのエドゥアールは確かに存在するのだ」と書いています。

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国家の追悼式典に参列しました

 

この映画は戦争映画であると同時に、犯罪映画でもあります。エドゥアールが国を相手に企てた詐欺計画というのが、戦没者の追悼碑を建立するという内容でした。これには、ブログ「東日本大震災八周年追悼式」で紹介した国家の追悼式典に参加した直後のわたしとしては、非常に複雑な思いを抱きましたね。あと、棺が登場するシーンでは、8年前の東日本大震災の発生直後に、冠婚葬祭互助会業界が必至で棺を全国から集め、それを被災地に送ったことなどを思い出しました。詐欺のシーンを見て改めて思ったのは、霊園などの供養関連産業と広告産業はとても親和性があるということです。まあ、そのことは30年前の東急エージェンシーの社員時代から気づいていたことではありますが・・・・・・。

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内海準二さんと(日本のアルベールとエドゥアール?)

 

その東急エージェンシーの先輩であった内海さんとともにこの素晴らしい映画を観ることができて良かったです。内海さんとは映画を観る前にミーティングを行い、秀逸な出版企画もいくつも提案していただきました。常に一条真也の作家活動を支え続けていただき感謝するばかりですが、なんだかわたしがエドゥアールで、内海さんがアルベールのような気がしてきました。考えてみれば、わたしも仮面をつけて生きているような人間ですので・・・・・・。明日13日、その内海さんがプロデュースしてくれた拙著『決定版 冠婚葬祭入門』(PHP研究所)の見本が出ます。発売は22日です。ご期待下さい!

 

 

2019年3月12日 一条真也