隣人館で「まつり」を歌う

一条真也です。
昨夜は、人間国宝の今泉今右衛門さんが小倉に来たので、恒例のサザン・カラオケ対決で深夜まで盛り上がりました。午前1時頃に鍛冶町の「丸玉」という店で焼うどんを食べてから、わたしたちは固い握手を交わして別れました。今朝は二日酔い気味でしたが、午前中から福岡県内の冠婚葬祭施設の建設候補地を回りました。

f:id:shins2m:20190808141506j:plain隣人館 の前で、末館長と

f:id:shins2m:20190808160623j:plain
末館長にお土産のスイカを渡しました

 

福岡市を経て飯塚市に入ったわたしは、わが社の高齢者介護施設である隣人館を訪れました。最近、増築工事が終了したばかりなので、その視察のためです。久々に訪れた隣人館は清潔に掃除されており、入居者の方々の明るい笑い声が響いていました。わたしは、途中で買ったお土産のスイカを末館長に渡しましたが、そのとき大きな歓声が上がりました。

f:id:shins2m:20190808135648j:plain
カラオケで「まつり」を歌うことにしました

 

わたしは、みなさんに「こんにちは。毎日暑いですね。みなさん、体調は大丈夫ですか?」と挨拶したのですが、そのとき、横に最新鋭のカラオケ機器があるのを発見しました。同行していたサンレー企画部の石田部長が「社長、みなさんに1曲披露されたらいかがですか?」と言うので、わたしは北島三郎の「まつり」を歌うことにしました。

f:id:shins2m:20190808135704j:plain男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪ 

f:id:shins2m:20190808135737j:plain
いきなり大盛り上がり!

 

イントロの部分で、「年がら年じゅう、お祭り騒ぎ。初宮祝に七五三、成人式に結婚式、長寿祝に葬儀を経て法事法要・・・人生は祭りの連続でございます。冠婚葬祭のサンレーから、お祭り男がスイカを下げて隣人館にやって来たよ。こりゃあ、めでたいなあ〜。今日は祭りだ! 祭りだ!」と言うと、早くも会場が熱狂の坩堝と化しました。わたしが「男は〜ま〜つ〜り〜を〜♪」と歌い始めると、みなさん目を輝かして、一生懸命に手拍子をして下さいました。

f:id:shins2m:20190808135754j:plain
祭りだ、祭りだ、祭りだ!

f:id:shins2m:20190808135810j:plain
みなさん、手拍子をして下さいました

 

最後の「これが日本の祭り〜だ〜よ〜♪」の歌詞を「これが隣人館の祭り〜だ〜よ〜♪」に替えて歌い上げると、興奮が最高潮に達しました。割れんばかりの盛大な拍手が起こり、感激しました。中には涙を流しておられる方もいて、「ものすごい迫力だった」「プロの歌手よりうまかった」「元気をいただいた」「生き返ったようだ」「これからも来て下さい」などの言葉をかけていただき、わたしのほうが泣きそうになりました。

f:id:shins2m:20190808135920j:plain
心をこめて歌いました♪

f:id:shins2m:20190808135947j:plain
イカの前で熱唱しました♪

f:id:shins2m:20190808140017j:plainこれが隣人館の祭り〜だ〜よ〜♪

f:id:shins2m:20190808141452j:plain
みなさん、お元気で!

 

じつは最近、小倉の「ルパン」というカラオケスナックで「まつり」を熱唱したところ、ママさんが涙を流しながら「素晴らしい。感動しました。あなたの歌には生命力というか、人を元気にする力があります。病院とか慰問して、末期がんの患者さんたちなどにその歌を聴かせてあげたらいいと思いますよ」と言って下さいました。そのことが頭にあったので、隣人館のお元気な高齢者の方々の前で歌うことにしたのです。隣人館のみなさん、今日はお会いできて嬉しかったです。いつまでもお元気で。
また、お会いいたしましょう!

『結婚不要社会』

結婚不要社会 (朝日新書)

 

一条真也です。
自民党小泉進次郎衆院議員とフリーアナウンサー滝川クリステルさんの結婚報道には驚きました。滝川さんは妊娠しており、年明けに出産の予定だとか。本当に、おめでたいお話です。お似合いのお二人ですし、心から祝福したいと思います。このビッグカップル誕生をきっかけに、令和の日本に結婚ブームが起こることを願っています。
結婚といえば、『結婚不要社会』山田昌弘著(朝日新書)を読みました。著者は、1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、中央大学文学部教授。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られます。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなりました。ブログ「無縁社会シンポジウム」で紹介した2012年1月18日に横浜で開催されたパネル・ディスカッションで、わたしは著者と共演したことがあります。  

f:id:shins2m:20190609130035j:plain
本書の帯

 

本書の帯には「結婚しないほうが幸せ!?」と大書され、「『婚活』の提唱者が激動の平成男女を総括する」「結婚社会学の決定版!」と書かれています。
また、帯の裏には、「欧米とは違うかたちで“結婚不要”になっている日本社会の実態がここに」として、本書に書かれているテーマが並べられています。

○結婚困難社会――結婚をめぐる日本の現状

○結婚再考――なぜ結婚が「必要」なのか

○近代社会と結婚――結婚不可欠社会

○戦後日本の結婚状況――皆婚社会の到来

○「結婚不要社会」へ――近代的結婚の危機

○結婚困難社会――日本の対応

f:id:shins2m:20190609125959j:plain
本書の帯の裏

 

カバー前そでには、「なんのための結婚か? 決定的な社会の矛盾がこの問いで明らかに――」として、以下のように書かれています。
「好きな相手が経済的にふさわしいとは限らない 経済的にふさわしい相手を好きになるとも限らない、しかも結婚は個人の自由とされながら、社会は人々の結婚・出産を必要としている・・・・・・これらの矛盾が別々に追求されるとき、結婚は困難になると同時に不要になるのである。平成を総括し、令和を予見する、結婚社会学の決定版!」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」

第1章 結婚困難社会
   ――結婚をめぐる日本の現状

『結婚の社会学』以降
男性には「イベント」、女性には「生まれ変わり」
 1996年頃の結婚状況
晩婚化ではなく未婚化
結婚できない人はなぜ増えたのか
未婚化現象のロジック
「いつでもできる」から「しにくいものだ」へ

第2章 結婚再考
   ――なぜ結婚が「必要」なのか

結婚の形態
結婚の定義
結婚の始まり
結婚の役割
結婚の効果
結婚の社会的機能
結婚の矛盾

第3章 近代社会と結婚
   ――結婚不可欠社会

近代的結婚の「経済的」特徴
近代的結婚の「心理的」特徴
近代的結婚の成立要素
恋愛結婚の純化
社会再生産のための矛盾
未婚者の居場所がない社会                                               .

第4章  戦後日本の結婚状況
   ――皆婚社会の到来

戦前の階層結婚
社会的制裁と一夫多妻
戦後の自由結婚
見合い結婚の変化
要素としての愛情と経済
皆婚社会時代の到来
「告白文化」の弊害

第5章  「結婚不要社会」へ
   ――近代的結婚の危機

ニューエコノミーの影響
性革命の影響
経済か? 愛情か?
離婚の自由化の影響
欧米の結婚状況
欧米と日本の違い
経済と親密性の分離

第6章  結婚困難社会――日本の対応

結婚困難社会への道
どういう人が結婚できるのか
イデオロギーと本音
近代的結婚に固執する理由
世間体の呪縛
欧米とは異なる結婚不要社会
パートナー圧力のない日本
日本の結婚の未来形

「おわりに」
「参考文献」

 

「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「結婚は、幸福を保証しない。この点が理解されるなら、結婚はもっと、増えるのではないか。結婚難の本当の原因は、『結婚=幸福』という思いこみにあるのではないか――。右ような見解を私が自著に記したのは1996年、いまから23年前のことです。あれから社会はどのように変わり、どのように変わらなかったのでしょうか」

 

第1章「結婚困難社会」では、「結婚できない人はなぜ増えたのか」として、以下のように書かれています。
「『結婚していない』もしくは『結婚できない』人たちが増えた原因は何でしょう。私は次のような説を展開しました。それは単に、男女の意識変化ではない。そうではなく、結婚をめぐる社会、とりわけ経済状況が変わったのだと。つまり、個人の意識はむしろ変わらないまま社会の変化が進み、結婚が減った。その結果として独身者が増え、独身でも生活できる仕組みが整ったということです」

 

「『いつでもできる』から『しにくいものだ』へ」として、著者は以下のようにも述べています。
「実際に未婚者、つまり『結婚したいけれども結婚できない人』が増えるにつれて、それが人々の認識のレベルにまで浸透し、人々の行動に変化をもたらしている(社会学では「再帰性」と言います)のが、ここ20年の動きなのです。『結婚なんかいつでもできる。だから独身時代を楽しまなきゃ』という認識から、『結婚はしたくてもしにくいものだ』という現実に直面して、それを知識として得てそれに基づいて行動する人が現れるようになったというわけです」

 

また、著者は以下のようにも述べています。
「人々の結婚をめぐる認識は、20年前から徐々に変わり始めていました。だから『婚活』と呼ぶことができる現象が起きた。このような変化を私が『婚活』と名付けた2008年頃から、政府の認識も変わっていったのです。『結婚したければいつでもできる』というものから、『結婚自体が困難になっている』と認めた政府の政策変更と、未婚者の『婚活』行動――その2つが相まって、近年は国や自治体による『結婚支援』といった動きも広がっているわけです」

 

さらに「アジア金融危機の影響」として、著者は述べます。
「『いつでも結婚できる』から『なかなか結婚できない』へ、結婚についての人々の『認識』は変化を遂げました。ところが、『結婚後は主に夫の収入で生活する』、だから『結婚相手の収入は多いほうがいい』といった『意識』のほうはほとんど変わっていません。そのために『婚活』のような相手探し競争が起こっているのです」

 

結婚の社会学―未婚化・晩婚化はつづくのか (丸善ライブラリー)
 

 

続けて、著者は以下のように述べています。
「それに加えて生じた想定外の社会現象、それが、『恋愛の衰退』です。『結婚の社会学』では、恋愛が盛んなヨーロッパやアメリカの例をもとに、『男女ともに自分で自分の生活の責任をもつようになると、結婚が愛情だけに基づくものになる。日本社会はその方向に動くかもしれない』といった見立てを示しました。けれども日本では、そうしたことがまったく起こらずに、ヨーロッパとは逆に『恋愛が衰退する』というかたちで推移してきたのです」

 

第2章「結婚再考」では、「結婚の形態」として、著者は以下のように述べています。
「日本で言えば、平成の天皇陛下の結婚(1959年)が社会に与えた影響はじつに大きなものでした。当時の庶民の多くは見合い結婚でした。お二人の出会いは、軽井沢のテニスコート。コートで見初めて恋愛結婚した、というのが公式見解です。ときの皇太子が恋愛結婚をするのですから庶民が真似ても何ら問題がない。時代の空気は影響を受け、一気に恋愛結婚が日本社会に広がっていったわけです」
では、そもそも近代社会とは何か。社会学者である著者は、「近代社会とは何かというのは、じつは社会科学の永遠のテーマです。社会科学の領域では、前近代と近代の間には大きな断絶があり、社会のあり方が大きく異なると分析されるのが一般的な見解です」と説明します。

 

それでは、結婚とは何か。
「結婚の定義」として、著者は述べます。
「結婚はいわば、社会を構成する枠組みの1つです。その結婚をミニマムに――人類社会に共通する最低限の部分を取り出して――定義すると、『性関係のペアリングに基づく恒常的関係』と表現することができます。あまりにあっさりした定義でやや拍子抜けかもしれませんが、『結婚とは何か』を社会学法律学文化人類学の知見、その他の辞典類から共通の定義を導きだすと、恋愛というような『感情』の要素はまったく入ってきません。恋心や愛情があるかないかは、結婚という枠組みを通文化的に説明するときには不適当なのです」

 

また、「結婚の効果」として、著者はこう述べています。
「前近代社会の結婚は『経済的効果』も『心理的効果』も夫婦以外の要素に強く影響されるものだったとも言えるでしょう。これに対して近代社会は、結婚がもたらす2つの効果が『純化』していると言えます。たとえば、結婚相手以外の人に経済的責任を持つ必要がないし、逆に結婚相手以外の人と楽しく過ごしてはいけないというのが近代社会の文化です。これはつまり、結婚における排他性の原理というものが近代社会においては、より純粋に適応されているということ。結婚がもたらす効果を純化したのが近代社会である、という言い方もできるでしょう」

  

親族の基本構造

親族の基本構造

 

 

「結婚の社会的機能」として、著者は「性的ペアリングである結婚には、2人がそれぞれ属している『親族集団』―――氏族やイエ、伝統的な日本社会では農山漁村のマケ(同族集団)など――を結びつける社会的な機能があります」と指摘し、さらに以下のように述べています。
「前近代社会では、かならず親をはじめとして親族の承認がないと結婚できません。対して近代社会では、親族集団を結びつけるという結婚の社会的機能が最小限のものになっているので、親族が『うん』と言わなくても結婚できます。ちなみに前近代社会では、この『親族間』という領域が重要な機能を果たしていました。たとえば、フランスの文化人類学クロード・レヴィ=ストロースが分析したように、結婚は『生殖相手を親族間で交換するイベント』ととらえることもできるでしょう」

 

第3章「近代社会と結婚」では、「近代的結婚の成立要素」として、著者は以下のように述べています。
「自分で配偶者を見つけなければ生涯独りで生きなければならず、生活にもそれなりの困難が生じるのですから当然の変化でした。これが近代的結婚の1つのかたちです。ですから、『男性が独力で生活費を稼ぐ社会にならなければ、近代的結婚は成り立たない』という言い方もできるわけです」

 

さらに著者は、以下のように述べるのでした。
「前近代社会は、結婚しなくてもイエや宗教、コミュニティなどで、経済的な安定と心理的な保証を得る場がありました。独身であってもイエのきょうだいが面倒を見たり、お寺や修道院などに入ることもできました。これは後で述べます。しかし、近代社会は結婚しないと非常に困る社会になりました。つまり、結婚しない人が生きにくい社会が近代社会でもあったのです」

 

第4章「戦後日本の結婚状況」では、「見合い結婚の変化」として、著者は以下のように述べています。
「戦後は恋愛結婚が普及し始めると同時に、見合い結婚変質し始めます。特に、上流階級が見合いという名のもと、有無を言わせず『取り決め』で結婚を遂行していたのが、会う前でも断れるし、会ってからでも断れるという『断る自由』のある見合いを許容しだします。つまり、戦後の見合い結婚というものは、恋愛結婚に限りなく近いわけです。紹介してくれるのが仕事の上役や親族というだけで、相手に会う前も会ってからも、交際を始めてからでも『断る』ことができます」

 

また著者は、「要素としての愛情と経済」として、「要するに、高度成長期には『出会い』が十分にあったので、皆婚社会が成立したというわけです。団塊の世代くらいまでは、ほとんどの人が結婚できました。1970年代くらいまではそうなのですが、結婚後の生活を想像できるということも大きかったでしょう」と述べ、「『告白文化』の弊害」として、「私は以前から、知り合った相手に『つき合ってください』『わかりました、つき合います』といった、告白をしなければ恋愛関係に発展しない告白文化が、今日の若者たちの恋愛の活発化を妨げている要因の1つではないか、と主張しています」と述べます。

 

第6章「結婚困難社会」では、「欧米とは異なる結婚不要社会」として、著者は以下のように述べています。
「欧米は、幸せに生きるためには親密なパートナーが必要な社会です。結婚は不要だけれども、です。それに対して日本は、配偶者や恋人のような決まったパートナーがいなくても、なんとか幸せに生きられる社会になったのです。これが私の結論です」

 

おひとりさまの老後 (文春文庫)

おひとりさまの老後 (文春文庫)

 

 

そして、著者は以下のように述べるのでした。
「社会としても個人としても、パートナーなしで『おひとりさま』で生きることも視野に入れておかないといけないということです。多くの人はもうそれに気づいていて、だから『おひとりさまの老後』(上野千鶴子法研/2007年)もベストセラーになったのでしょう。『ソロ活』という言葉も生まれるわけです。そして、おひとりさまになりたくないからこそ、その逆の動きとも言える世間体に合うような『婚活』が、どんどん広がっていくわけです」

 

わたし自身は26歳になったばかりで結婚しました。妻は22歳でした。わたしたち夫婦は夢と希望を抱いたまま(?)結婚し、30年の時間が経過しましたが、2人の娘はこれからどうなるかわかりません。実際、本人にふさわしい結婚相手と出会うことの難しさを痛感することが多いです。しかし、いくら「結婚はしたくてもしにくいものだ」と言い続けても現実は変わりません。このままでは日本の人口も減少する一方です。なんとかベスト・パートナーに出会える社会的システムを構築しなければなりません。そのためには、わが社が運営する「オークパイン・ダイヤモンド・クラブ」のようなマッチング・システムを常にアップデートする必要があると考えます。

 

結婚不要社会 (朝日新書)

結婚不要社会 (朝日新書)

 

 

2019年8月8日 一条真也

あらゆる力は、気から生まれる(中村天風)

f:id:shins2m:20190507144638j:plain

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、異色の哲学者である中村天風の言葉です。天風は「あらゆる力というものは、それが何の種類であると問わず、すべて気というものから生まれる」と語りました。彼は、合気道の生みの親である植芝盛平とも交流がありました。



「気」とは何か。まず、宇宙と人間との関わりから考えてみましょう。人間とは、「大宇宙」すなわち自然の中に生命を与えられた「小宇宙」です。東洋医学では自然と人間との関係を示すのに五行説を用います。1年の春夏秋冬を「四季」と呼びますが、夏と秋のあいだに土用が入って、季節は五季になります。人間の身体には肝、心、脾、肺、腎があって、これを「五臓」と呼びます。また、目、舌、口、鼻、耳から感じる感覚を「五感」と呼び、味についても「五味」という表現があります。このように、自然と人間との関わりで「5」が重要なキー・ナンバーになっているのです。

 

さらに、1年は12ヵ月、人間の体内に走っている経路は12脈、1年は365日、ツボと呼ばれる体内の経穴は365ヵ所、大動脈は12脈、静脈は365脈、大きな関節は12、小関節は365といったふうに、宇宙と人間はミステリアスなまでに対応しています。その宇宙には気という生命エネルギーが満ちています。人間や動植物は、宇宙から気のエネルギーを与えられて生まれます。また、宇宙の気のエネルギーを吸収して生きているのです。東洋医学では、人間は天の気(空気)と地の気(食物)を取り入れて、体内の気と調和して生存しているといいます。科学的に見れば、気は1つの波動なのです。したがって気が乱れると病気になってしまいます。


サンレー・オリジナル「産霊気功」のようす

 

わが社では毎日の朝礼において、全員で気功を行っています。かつて、佐久間進会長がオリジナルの「産霊気功」を開発したのです。何度も新聞やテレビで紹介されたこともあり、わが社のことを「気功の会社」とか「気の経営」と表現する人も多いようです。サンレー創業以来、「気づき、気配り、気働きこそホスピタリティそのもの」という考え方を佐久間会長は信念としてきました。その意味で、サービスは「気」に通じるのであり、サービス業とは「気業」であるとも言えるでしょう。


サンレー社員による気功指導

 

さらには、サービス業に限らず、企業そのものが気業であるとも考えられます。わたしは、「企業とは経営者の持っている気が社員に乗り移る生命体である」と思っています。経営者が強気で陽気なら、強気で陽気な会社となり、その逆なら、弱気で陰気な会社となるのです。わが社では1988年に「気業宣言」を導入し、ことあるごとに「気」の重要性を社員に説いてきました。ブログ「気功で元気になろう!」で紹介した産霊気功を朝礼に取り入れたのもそれ以来です。現在では、サンレーグループの社員のみならず、広く各地の市民の方々にも気功指導を行っています。

 

中村天風の「あらゆる力というものは、それが何の種類であると問わず、すべて気というものから生まれる」という言葉に戻りましょう。積極的に力強く人生を生き抜くためには宇宙エネルギーを取り入れることが欠かせないという天風の教えの源流には、インドのヨガがあります。ヨガには、プラナヤマ(呼吸法)によって宇宙にあまねく存在しているプラーナ(宇宙エネルギー)を呼吸していくという考えですが、このプラーナは「活力」とも「気」とも呼ばれます。プラーナにしろ活力にしろ気にしろ、呼び方はさまざまです。いずれにせよ、それらを取り入れ、活力のある会社にすることが大切です。なお、今回の中村天風の言葉は、『孔子とドラッカー新装版』(三五館)にも登場します。

 

 
2019年8月7日 一条真也

仏の正体  

f:id:shins2m:20190717161041j:plain

 

仏とは、青色でもなく、黄色でもない。赤色でもなく、白色でもない。紅色でもなければ、紫色でもない。もちろん、透明でもない。また、長くもなく、短くもない。丸くもなければ、四角でもない。明るくもなければ、暗くもない。男でもなければ、女でもない。かといって、中性でもなければ、両性でもない。それが、仏だ。
(『十住心論』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 
超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介します。

 

2019年8月7日 一条真也

小倉に落ちるはずの原爆

一条真也です。
6日、台風8号の影響で北九州は暴風雨に襲われています。この日、「西日本新聞」に「令和こころ通信 北九州から」の第7回目が掲載されました。月に2回、本名の佐久間庸和として、「天下布礼」のためのコラムをお届けしています。今回のタイトルは「小倉に落ちるはずの原爆」です。

f:id:shins2m:20190806091419j:plain西日本新聞」2019年8月6日朝刊

 

8月6日は「広島原爆の日」です。9日の「長崎原爆の日」、12日の御巣鷹山日航機墜落事故の日、15日の「終戦の日」というふうに、8月は3日置きに続けて日本人にとって忘れられない日が訪れます。そして、それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である「お盆」の時期とも重なります。まさに8月は「死者を想う季節」と言えるでしょう。

 

特に、「長崎原爆の日」は、わたしにとって1年でも最も重要な日です。わたしは小倉に生まれ、今も小倉に住んでいます。そして、日々、生きていることの不思議さを思います。なぜなら、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずだったからです。

 

74年前、原爆が予定通りに小倉に投下されていたら、どうなっていたでしょうか。広島に投下された原爆では、約14万人の方々が亡くなられましたが、当時の小倉・八幡を中心とする北九州都市圏(人口約80万人)は広島・呉都市圏よりも人口が密集していたために、広島を上回る数の犠牲者が出たと推測されています。

 

また、当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。よって原爆が投下されていた場合、確実に母の生命はなく、当然ながらわたしはこの世に生を受けていなかったのです。その事実を知ってから、わたしは「なぜ、自分は生を受けたのか」「なぜ、いま生きているのか」「自分は何をすべきか」について考えるようになりました。

 

まさに、長崎原爆は、わたしにとって「他人事」ではない「自分事」なのです。わたしも含めて、小倉の人々は、長崎原爆の犠牲者の方々を絶対に忘れてはならないと思います。しかし、悲しいことに、その重大な事実を知らない小倉の人々も多かったのです。そこで「長崎原爆の日」の当日、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで新聞各紙に「鎮魂」のメッセージ広告を掲載しています。近年、ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきたように思います。

 

毎年その日には、小倉にあるサンレー本社の総合朝礼で、わたしが社員のみなさんに長崎原爆の話をし、最後に全員で犠牲者への黙祷を捧げます。「長崎の身代わり悲し忘るるな小倉に落つるはずの原爆」という歌を詠んだこともあります。家族葬直葬と、現在の日本では葬儀の簡略化が進んでいます。別に豪華な葬儀をあげる必要はないにせよ、わたしには、死者が軽んじられているような気がしてなりません。しかし、生者は死者に支えられて生きていることを忘れてはならないと思います。わたしは、常に「死者のまなざし」を感じながら生きていきたいです。

 

2019年8月6日 一条真也

広島原爆の日

一条真也です。
8月6日は「広島原爆の日」です。世界で初めての核兵器が使用されてから、74年目を迎えました。わたしは、犠牲者の方々に対して黙祷を捧げました。

f:id:shins2m:20190806090729j:plain8月6日の各紙朝刊

 

広島原爆といえば、ブログ「この世界の片隅に」で紹介したアニメ映画を思い出します。テレビドラマ化もされましたが、わたしは一昨年の11月にこのアニメ映画を観ました。もう、泣きっぱなしでした。主人公すずが船に乗って中島本町に海苔を届けに行く冒頭のシーンから泣けました。優しくて、なつかしくて、とにかく泣きたい気分になります。日本人としての心の琴線に何かが触れたのかもしれません。

 

「この世界の片隅で」の舞台は広島と呉ですが、わたしの妻の実家が広島です。映画に登場する広島の人々の方言が亡くなった妻の父親の口調と同じで、わたしは義父のことをしみじみと思い出しました。この映画は本当に人間の「悲しみ」というものを見事に表現していました。玉音放送を聴いた後、すずが取り乱し、地面に突っ伏して泣くシーンがあるのですが、その悲しみの熱量の大きさに圧倒されました。

f:id:shins2m:20130814155016j:plainさ広島平和記念資料館の前で

 

ブログ「広島平和記念資料館」に書いたように、わたしは6年前の8月15日に広島平和記念資料館を訪れました。
多くの来場者の間を縫い、わたしは館内をくまなく見学しました。見学しながら、わたしは人類の「業」について考えました。

 

人類はどこから来たのか。人類とは何なのか。人類はどこに行くのか。そんなことを考えました。アメリカが原爆を日本に投下した時点で、人類は1回終わったのではないのか。そんなことも考えました。館内には英語で話している白人もたくさんいました。彼らは、ここで何を感じたのでしょうか。出来るものなら、彼らの本音を聞いてみたかったです。


原爆ドームを訪れました

 

また、ブログ「原爆ドーム」に書いたように、6年前の猛暑の広島で放心状態になりながら、わたしは原爆ドームをじっと眺めました。もちろん人類史を代表する愚行の象徴なのですが、このような建物が当時の状態のままで保存されていることは、本当に凄いと思います。なんだか神々しく思えてきました。もはや神殿の雰囲気さえ醸し出しています。


そう、ブログ「伊勢神宮」に書いた日本最高の神社にも似て、人間の愚かさとサムシング・グレートの実在を感じさせてくれるのです。戦後、どれほど多くの人々が原爆ドームを訪れ、写真を撮影し、スケッチをし、眺め、何かを考えたことでしょう。その想念の巨大さを思うだけで、眩暈してしまいます。



この世界の片隅に」には、「死」と「死別」がリアルに描かれています。
ちょうど2年前、わたしは『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。自ら自由訳してみて、わたしは日本で最も有名なお経である『般若心経』がグリーフケアの書であることを発見しました。このお経は、死の「おそれ」も死別の「かなしみ」も軽くする大いなる言霊を秘めています。葬儀後の「愛する人を亡くした」方々をはじめ、1人でも多くの方々に同書をお読みいただき、「永遠」の秘密を知っていただきたいと願っています。最後に、広島の原爆で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌

 

般若心経 自由訳

般若心経 自由訳

 

 
2019年8月6日 一条真也

『神社崩壊』

神社崩壊 (新潮新書)

 

一条真也です。
『神社崩壊』島田裕巳著(新潮新書)を読みました。ブログ『仏教抹殺』で紹介した本を読んだら、神道や神社の行方も気になってきたからです。著者は1953年東京生まれ。宗教学者、文筆家。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専攻は宗教学。著書多数。わたしとの共著にブログ『葬式に迷う日本人』で紹介した本があります。

f:id:shins2m:20181217133827j:plain
本書の帯

 

本書の帯には、「あの凶行の背景は?」「神社は儲かるのか?」「神社本庁の正体は?」「「『日本会議』との関係は?」「宗教学者がタブーをえぐる。」と書かれています。

f:id:shins2m:20190627151826j:plain
本書の帯の裏

 

また帯の裏には、以下のように書かれています。

◎神社界の危機を象徴する事件

◎ 本当に儲かるのか?――神職の平均年収

◎ 不透明な経営と広がる経済格差

神社本庁の権力構造と時代錯誤な〝夢〟

宇佐神宮気多大社・・・・・・相次ぐ離脱騒動

富岡八幡宮と「日本会議の生みの親」

神社本庁は「新宗教」である――。

 

さらにカバー前そでには、以下のように書かれています。
「2017年末に富岡八幡宮で起きた前代未聞の事件。元宮司の弟が宮司の姉を刺殺するという凶行の背景には、不透明かつ放漫な神社経営、神社本庁との軋轢などがあり、そのいずれも現在の神社界の危機を象徴するものだった――。そもそも神社とはどのような場所で、何を祀っているのか。さらに、その収入源や経済格差、神社本庁の正体と続発する離脱騒動、その政治化や『日本会議』との関係など、御簾の裏に隠された〝暗部〟を、宗教学者が炙り出す」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」

第一章 富岡八幡宮事件

第二章 神社はそんなに儲かるのか

第三章 神社本庁とは何か

第四章 神々の相克――神社本庁は「新宗教」である

第五章 神社本庁政治学

第六章 揺らぐ神社の権威構造

「おわりに――神社は再生できるのか」

 

「はじめに」では、富岡八幡宮事件が紹介されます。
2017年12月7日、東京都江東区にある富岡八幡宮で、元宮司が現在の宮司を殺害するという事件が起こりました。宮司と元宮司は姉と弟の関係にありました。弟は女とともに犯行に及んだが、姉を殺害後に弟はその女を殺し、自ら命を絶ったのです。女の方は、姉の車の運転手にも重傷を負わせていました。この事件は日本中に衝撃を与えました。

 

江戸時代初期に創建された富岡八幡宮は「深川の八万さま」として地域の信仰を集めてきました。「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの1つに数えられ、さらには江戸勧進相撲発祥の地でもあります。近年では、新しく横綱になった力士の土俵入りも行われ、富岡八幡宮は大変ポピュラーな神社であると言えます。

 

富岡八幡宮事件で衝撃的なのは、その遺書の内容でした。富岡茂永容疑者は、自らの息子を富岡八幡宮宮司にするよう要求し、「もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます」と綴っていたのです。

 

この富岡八幡宮事件について、著者は「神社の危機を象徴する事件」として述べます。
「最近、『美しい日本の再建と誇りある国づくり』をスローガンに掲げて活動する保守的な団体、『日本会議』のことが取り上げられることが多くなったが、神社本庁は、日本会議を構成するもっとも有力な組織である」
そして、富岡八幡宮日本会議は密接な関係を持っているとして、著者は「神社は神道の施設であり、神道の歴史は相当に古い。神道は日本で唯一の土着の宗教であり、日本の伝統的な信仰として受け継がれてきている。その神道や神社が、今、もしかしたら、その歴史の上で最大の危機を迎えようとしているのではないだろうか」と述べます。

 

富岡八幡宮事件の富岡茂永容疑者の祖父である富岡盛彦は「神社界の最重要人物」「日本会議の生みの親」などと呼ばれました。著者は以下のように述べています。
「富岡盛彦が、富岡八幡宮宮司となるのは1949年のことで、養父宣永が老齢となったためだった。富岡八幡宮では、宣永が復興した社殿等が1945年の東京大空襲によってすべて焼失し、その復興が課題だった。盛彦は、延期になっていた伊勢神宮式年遷宮を実現するために、伊勢神宮式年遷宮奉賛会理事として全国を飛び回って浄財を集め、それから富岡八幡宮の復興にかかった。氏子などからの募財によって1956年には社殿の復興を成し遂げ、社務所や結婚式場も再建している。一方で盛彦は、神社本庁理事として活動し、1952年には常務理事、1959年には事務総長に就任している。1962年に退任し、その後は、宗教法人審議会委員、國學院大學評議会議長、國學院大學の同窓会である院友会会長をつとめた。また、養父と同様に、1961年からは稜威会会長もつとめている」

 

富岡八幡宮事件では、茂永容疑者が銀座の高級クラブの常連で、刺殺された姉もホストクラブの上客であったことなどが報じられました。姉弟でかなりの金満家ぶりだったようです。第二章「神社はそんなに儲かるのか」では、「神社は儲からない」として、ほとんどの宮司の年収は1000万円に満たないことを紹介し、さらに著者は述べます。
「一部には、神社本庁が、宮司の月収の上限を60万円と定めているという話が出回っている。現役の宮司も、それを前提にインタビューに答えていたりするのだが、『神社本庁規定類集』を調べてみても、そうした規定は存在しない。したがって、1000万円以上の年収のぐうじが3・36パーセントにのぼるわけだが、ほとんどはそれに達していない」と書かれています。

 

寺院に関しては「坊主丸儲け」などとよく言われますが、本当に神社は儲からないのでしょうか。著者は述べます。
「よく僧侶のなかに贅沢な暮らしをしていて、高級な外車を乗り回し、巷で遊んでいる者がいるという話を聞くことがある。ただし、神主が遊んでいるという話は聞いたことがない。事件後に、京都の祇園にある料理屋の主人に聞いても、『坊さんが遊んでいるのは事実だが、神主については聞いたことがない』という答えが返ってきた。ただ、大阪で聞いたところによれば、京都の有名な神社の神主は、大阪の歓楽街、北新地で豪遊しているという。地元の京都を避けて、人目につきにくい大阪で遊んでいるわけである。そうした神主は、1000万円以上の収入があるのだろう」

 

そもそも、神社とは何でしょうか。「神社とは、どのような場所なのか」として、著者は以下のように述べています。
「神社は神を祀るための場であり、もっぱら祭祀を営むことが目的とされている。神社の境内は『神域』であり、世俗の世界とは隔絶されている。神社が仏教の寺院と異なるのは、寺院が僧侶の生活の場であるのに対して、神社は決して神職の生活の場ではないということである。寺院には『庫裡』と呼ばれる住居がある。僧侶は出家であり、寺院の庫裡以外に生活の場を持たない。僧侶が『住職』や『住持』と呼ばれるのも、寺院に住みこんでいるからである。これに対して、神職は基本的には神社に住んでいるわけではない。神社の境内が神域である以上、そこで何らかの経済活動を営むことは考えられない。したがって、古代から神社が建立される際には、併せて神社を経済的に支えるための土地が寄進されるのが一般的だった。建立後に土地が寄進されることもあった。『御厨』という地名が今も残されているが、それは有力な神社の神領を意味した」

 

第三章「神社本庁とは何か」では、「神社は法律でどのように分類されているのか」として、こう説明されています。
「宗教法人は大きく分けて、2つに区別される。1つは『単位宗教法人』で、もう1つが『包括宗教法人』である。単位宗教法人は、神社や寺院、教会などのように礼拝の施設を備えているものである。それに対して、包括宗教法人は、宗派や教派、教団のように、神社、寺院、教会などを傘下に持つものである。富岡八幡宮単位宗教法人で、神社本庁包括宗教法人である。富岡八幡宮がまだ神社本庁の傘下にあったとき、富岡八幡宮神社本庁に『包括』されていて、そうした状態にある単位宗教法人は『被包括宗教法人』とも呼ばれる。ところが、富岡八幡宮は、この包括関係を解消することで、神社本庁の傘下から離れたわけで、それによって『単立宗教法人』となった」

 

現在の神社界を考える上で、神社本庁の存在を無視することはできません。では、神社本庁とはいったい何なのか。「あくまで民間組織」として、著者は以下のように述べます。
神社本庁は東京都渋谷区代々木にあり、明治神宮に隣接している。神社本庁に包括されている神社はおよそ7万9千社にのぼり、神社界の包括法人としてはもっとも規模が大きい。各都道府県にはそれぞれ神社庁が設けられ、さらに地域にはその支部がある。都道府県の神社庁は、地域の主要な神社の境内に設けられている」

 

また、神社本庁の組織構成については以下の通りです。
神社本庁のトップに立つのが『総裁』であり、現在は、昭和天皇の第4皇女で、今上天皇の姉にあたる池田厚子氏である。総裁は、『神社本庁憲章』では、神社本庁の名誉を象徴し、表彰を行うとされている。
神社本庁の代表役員となっているのは総長であり、総長が実質的に神社本庁を動かしている。現在の総長は、石清水八幡宮宮司、田中恆清氏である。総長を選出するのは、17人の理事によって構成された役員会である。理事を選ぶのは評議員会で、これは、伊勢神宮神職神社庁長などから構成される」

 

第四章「神々の相克――神社本庁は『新宗教』である」では、「なぜ天皇伊勢神宮に参拝しなかったのか」として、著者は以下のように述べています。
「伊勢において天照大神を祀る役割を果たすのが『斎王』である。斎王になるのは、親王宣下を受けた内親王か、それを受けていない女王である。この制度は、南北朝時代まで受け継がれる。斎王が祀っているのだから、それで十分だということなのだろうが、代々の天皇は、伊勢神宮に参拝することはなかった。そこに、皇祖神が祀られていたにもかかわらずである。持統天皇は、代々の天皇のなかで唯一、伊勢国行幸したとされているが、伊勢神宮に参拝したかどうかは分からない。天皇のなかで、はじめて伊勢神宮に参拝したのは明治天皇である。即位したばかりの明治天皇は、1869(明治2)年に伊勢神宮への参拝を果たしている。持統天皇のことを除けば、代々の天皇のなかではじめて明治天皇伊勢神宮参拝を果たしたことになる」

 

また、「本当は恐ろしい天照大神」として、著者は以下のように述べています。
「恐ろしい神と言えば、まず一番先に想いつくのは、旧約聖書『創世記』のヤハウェである。ヤハウェは、自らが創造した人類が悪の方向へむかっていると見るやいなや、大洪水を引き起こし、ノアの家族や動物の番を除いて、人類を含むすべての動物を地上から一掃してしまう。この物語には、神の絶大な力が表現されていると見ることができるが、天照大神にも、そうした側面があったとも言える。それゆえに、天照大神は、宮中からはるか遠く伊勢に祀り籠められていたとも言えるし、代々の天皇が近づかなかったのも、それゆえであったと考えられる。少なくとも、天照大神は皇祖神ではあるものの、天皇が日頃生活する場からは遠ざけられていたのである」

 

さらに「神社本庁は『新宗教』である」として、著者は以下のように述べています。
伏見稲荷大社が当初から神社本庁の傘下に入らなかったように、すべての神社にとって伊勢神宮を頂点に位置づける体系のなかに組み込まれることは、必ずしも本意ではないはずである。神の立場からしても、それを受け入れることができる神と、できない神がある。たとえば、出雲大社大国主命の場合、『古事記』や『日本書記』では、国譲りをしたことになっているが、『出雲国風土記』には、そうした話は出てこない。しかも、大国主命は、『天の下造らしし大神』とされ、出雲国に限らず、世界全体を造り上げた神とされている。そこからすれば、天照大神ではなく、大国主命こそが本宗であるという考え方も成り立つのである」

 

続けて、著者は以下のように述べるのでした。
「実際、これは明治時代に起こったことだが、半ば公的な機関であった神道事務局が、その神殿に造化三神天御中主神=あめのみなかぬしのかみ、高御産巣日神=たかみむすひのかみ、神産巣日神=かみむすひのかみ)と天照大神を祀ろうとしたところ、出雲大社の側から、そこに大国主命を加えるべきだという要求が出された。これは議論になり、結局、出雲大社の主張は認められなかったが、出雲大社にしてみれば、大国主命天照大神と同格だという意識があったわけである。伊勢神宮を本宗とするということが、神社本庁創建の時点で生まれた新しいとらえ方であるとするなら、包括宗教法人としての神社本庁は、新しい1つの宗教、『新宗教』であったということにもなってくる」

 

第五章「神社本庁政治学」では、著者は「『日本会議』の結成」として述べています。
「神社界の枠を越えた運動体としては、1997年に結成された『日本会議』がある。日本会議は、憲法改正や首相の靖国神社公式参拝の実現をめざす運動体だが、その前身は、『日本を守る会』と『日本を守る国民会議』だった。富岡八幡宮の富岡盛彦宮司が、『日本を守る会』の結成に尽力したことについては、すでに第一章でふれた。もちろん、憲法の改正ということは、さまざまな形で議論になり、安倍首相はその実現に熱心である。だが、そこで言われる憲法の改正は、自衛隊を合憲とすることが中心である。日本会議は、憲法前文で『美しい日本の文化伝統』を明記したり、天皇を元首と定めるよう改正すべきだとしており、そこには大きなずれがある」

 

第六章「揺らぐ神社の権威構造」では、著者は「皇室と神社界の未来」として述べます。
皇位の安定的な継承に向けての議論は進んでいないし、そうした方向にむかう兆しも見えていない。たとえ、皇位の継承が果たせたとしても、皇族の減少、天皇家以外に宮家が存在しないという事態が、それほど遠くない将来に訪れる可能性がある。それは、天皇制の基盤を揺るがすことにもなるし、神社界への影響も避けられない」

 

また、「『神社崩壊』の危機」として、著者は述べます。
天皇が不在ということになれば、皇祖神の価値は著しく低下する。伊勢神宮は、皇祖神を祀るがゆえに、神社本庁によって本宗と位置づけられているわけだが、その地位は根本から揺らぐことになる。そうなれば、皇室とのかかわりから神宮と称されている各神社の地位も揺らぐ。当然、それによって神社本庁の存在意義も薄れることになる。にもかかわらず、神社本庁がその一翼を担う日本会議は、彼らの考える「伝統」にこだわり、女性天皇女系天皇女性宮家の設立に反対するばかりで、皇位継承の危機に対する根本的な対応策を提示できていない。旧宮家の復帰だけが具体策として俎上に載せられてはいるが、到底それが実現される状況にはない」

 

 

「おわりに――神社は再生できるのか」では、「宗教離れしていく世界」として、著者は以下のように述べています。
「私は、2016年に上梓した『宗教消滅 資本主義は宗教と心中する』(SB新書)において、世界的に宗教が力を失いつつある状況について報告した。その波は日本にも及んでおり、新宗教の教団は、一部を除いて、信者数が激減している。既成仏教の場合には、葬儀が重要な役割を果たしており、新宗教ほど信者数が激減するようにはなっていない。だが、本山などは、参拝者が相当に減少している。それも、地方で過疎化が進み、これまで講の組織を結んで本山に集団で参拝してきた人々がいなくなってしまったことが大きい」

 

神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)

神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書)

 

 

神道については、著者は以下のように述べています。
神道には、死や血を穢れとする観念がある。とくに神域は穢れを免れた空間でなければならないとされてきた。神道が、近代になるまで葬儀を営まなかったのも、穢れの観念が関係する。では、神道において、穢れを祓うための手段がさまざまに開発されてきたかと言えば、必ずしもそうではない。その面では、神道は仏教にその役割を任せてきた。とくに神仏習合の時代には、密教がもっぱらその役割を担っていた。その点で、臨時大祓を営んだとしても、それで穢れを浄化することができるのか、神道の考え方にもとづいても、はっきりとした答えは出せないはずである」

 

最後に、富岡八幡宮の再生の手段として、著者は世俗的な方向での解決の他に、宗教的な方向での解決というものを以下のように提案します。
「神域が穢されたということを、より深刻に受け止め、信仰にかかわる形での解決を模索する必要もあるのではないだろうか。その際に、1つ考えられる手立てが、『放生会』の復活である。放生会は、もともと仏教に由来するもので、殺生戒の考え方が基盤になっている。人は、生き物を殺すことによってしか生き続けることができない。そのことを改めて認識するために、鳥獣や魚を海や川に放つのが放生会である」

 

続けて、著者は放生会についてこう述べるのでした。
「このように放生会は、仏教の思想にもとづいており、基本は仏教寺院で営まれるものだが、八幡神を祀る神社にも伝わっている。そこには、八幡神八幡大菩薩と称されたことや、武神、軍神として信仰を集めたことが関係しているものと思われる。したがって、八幡信仰のもとになる宇佐神宮では、現在でも放生会が行われており、それは、そこから八幡神を勧請した石清水八幡宮にも伝えられている。神仏分離という大波を被っているはずなのに、この仏教由来の行事が八幡宮に残されているのは、それだけ、八幡神の信仰と放生会が強く結びついてきたからだろう」

f:id:shins2m:20190627151536j:plain
著者の島田裕巳氏と 

 

富岡八幡宮をはじめとした神社を再生させる具体的プランとして、このように放生会を提案する著者の姿勢は素晴らしいと思いました。宗教学者として波乱万丈の人生を送られてきた著者ですが、いたずらに「葬式は、要らない」とか「宗教消滅」とか「神社崩壊」などと叫んで大衆の不安を煽るよりも、このような宗教再生のための具体的提案を行うことこそ著者の真骨頂であり、新たなミッションではないかと思いました。

 

神社崩壊 (新潮新書)

神社崩壊 (新潮新書)

 

 

2019年8月5日 一条真也拝