「隣人祭り」のある街

一条真也です。
18日、松柏園ホテル の神殿で月次祭を行います。
その後は「天道塾」で講話し、それから東京に出張します。
この日、「西日本新聞」に「令和こころ通信 北九州から」の第4回目が掲載されました。月に2回、本名の佐久間庸和として、「天下布礼」のためのコラムをお届けしています。今回のタイトルは「『隣人祭り』のある街」です。

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西日本新聞」2019年6月18日朝刊 

 

隣人祭り」というものをご存知でしょうか。おそらく、名前くらいは聞いたことのある方が多いと思います。「隣人祭り」とは、一言で表すなら、地域の高齢者を中心とした食事会です。先月末、北九州市八幡西区にある高齢者複合施設「サンレーグランドホテル」で国内最大級の「隣人祭り」が開かれました。年1回の世界同時開催で、時差はあるにせよ、海外の諸都市でも同日に開催されました。約200人が参加し、「隣に人が居る」という当たり前の幸せを世界中の人々と共有しました。

 

隣人祭り」は、今やヨーロッパを中心に世界30カ国以上、1千万人もの人々が参加するといいます。その発祥の地はフランスで、パリ17区の助役アタナーズ・ペリファン氏が提唱者です。きっかけは、パリのアパートで1人暮らしの女性が孤独死し、1カ月後に発見されたことでした。ペリファン氏が駆けつけると、部屋には死後1カ月の臭気が満ち、老女の変わり果てた姿がありました。同氏が同じ階に住む住民に話を聞くと、「一度も姿を見かけたことがなかった」と答えたといいます。

 

大きなショックを受けたベリファン氏は「もう少し住民の間に触れ合いがあれば、悲劇は起こらなかったのではないか」と考えました。そして、NPO活動を通じて1999年に「隣人祭り」を人々に呼び掛けたのです。最初の年は約1万人がフランス各地の「隣人祭り」に参加したが、2003年にはヨーロッパ全域、その後は世界中に広がり、08年には日本にも上陸しました。

 

そして同年10月、サンレーグランドホテルで九州初の「隣人祭り」が開催されたのである。ホテルの恒例行事であった「秋の観月会」とタイアップして行われたのですが、当時は孤独死が増え続けていた北九州市での「隣人祭り」開催とあって、マスコミの取材もたくさん受け、大きな話題となりました。現在、わが社は NPO法人ハートウェル21と連動しながら、「隣人祭り」を中心とした隣人交流イベントのお手伝いを各地で行なっています。今年も750回以上の開催サポートを予定しています。そして、その多くは北九州市での開催です。

 

隣人祭り」はご近所さんが集まってお茶や食事をする営みの総称であると、わたしは考えています。日本には「お花見」や「井戸端会議」など、昔からの隣人文化がありました。そこには、お隣さんやご近所さんとほどよい距離で長くお付き合いする知恵があったのです。そんな昔ながらの知恵を今の暮らしに合ったスタイルで見直そうというのが、わが社がサポートさせていただいている「隣人祭り」です。
ぜひ、みなさんも「隣人祭り」へ!

 

2019年6月18日 一条真也

世に活物たるものみな衆生なれば いずれを上下とも定めがたし(坂本龍馬)

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一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、坂本龍馬の言葉です。龍馬は平等主義者でした。彼は、女性の職業・容貌・知能、その他もろもろに対して、いっさい差別しなかったといいます。女性をつねに1人の人間として尊重し、志を共有する同志として見なしていませんでした。だからこそ、千葉さな子も、寺田屋お登勢も、お龍も、その他にも多くいたであろう女性たちはみな、龍馬に深い愛情を注ぎ、渾身の協力を惜しまなかったのでしょう。


高知・桂浜の龍馬像

 

龍馬自身が商家の出身で郷士という下級武士でした。つまり身分が低かったのです。それもあってか、彼は何よりも差別を嫌いました。女性のみならず、あらゆる人々に等しく接しました。「アメリカでは、馬の口取りが将軍や大名を選ぶ」という選挙の存在を知り、龍馬は人民平等思想を知ります。これに深く共感した彼は、後に土佐藩後藤象二郎に、「アメリカでは薪割り下男と大統領と同格であるというぞ。わしは日本を、そういう国にしたいのじゃ」と語ったといいます。平等主義者の龍馬がつくった海援隊には、「長」と名のつく役職は1つもありませんでした。幕府の身分制度や階級をそのまま踏襲した新撰組とは対照的です。 

 

図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)

図解でわかる! ブッダの考え方 (中経の文庫)

 

また、龍馬は、「世に活物(いきもの)たるもの、みな衆生なれば、いずれを上下とも定めがたし」との言葉を残しています。「この世の中の生きものというものは、人間も犬も虫もみな同じであり、上下などない」という意味ですが、これは幕末の当時にあって、とんでもない過激思想であったと言えます。司馬遼太郎は、この龍馬の言葉から、ルソーの『社会契約論』に出てくる「人は自由なものとして生まれた。しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているような者も、実はその人以上に奴隷なのだ」という有名な冒頭の言葉を思い出したと述べています。わたしは、ルソーというよりも、あらゆる生きとし生けるものの平等を説いたブッダの思想を連想してしまいます。なお、この龍馬の名言は『龍馬とカエサル』(三五館)にも登場します。

 

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

 

2019年6月18日 一条真也

仏の教えは甘露の味  

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仏は、してはいけないことと、すべきことをわたしたちに示すことで、迷いから救ってくれる存在だ。仏の教えは甘い蜜のようなもので、心を焼く苦悩を消してくれる。(『性霊集』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 
超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介します。

 

2019年6月17日 一条真也

サンクスフェスタ八幡

一条真也です。
16日(日)、「サンクスフェスタ in サンレーグランドホテル」が盛大に行われました。この日の北九州市は晴天でした。人も多くて、もう熱気ムンムンです!

f:id:shins2m:20190615084728j:plainチラシ(表)

f:id:shins2m:20190615090104j:plainチラシ(裏) 

f:id:shins2m:20190616100016j:plain会場となったサンレーグランドホテル

f:id:shins2m:20190616120317j:plainサンレーグランドホテルの前で

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予定避難所のポスターと

f:id:shins2m:20190616183307j:plain「サンクスフェスタ」の受付前で

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抹茶サービスに長蛇の列が・・・・・・

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心をこめて茶を点てる

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お茶を一服どうぞ!


今日は、サンレー会員様をはじめとした多くのお客様にご来館いただきました。「サンクスフェスタ」とは何か。それは、わが社の会員様やお客様に対して「ありがとうございます」という感謝の気持ちをお伝えするイベントです。「ありがとう」という言葉はどこの国にもあります。それは、「ありがとう」が人間にとって非常に大切なものだからです。「お金」はなくても何とかなるが、これがなくては生きていけないというぐらい大切なものなのです。

f:id:shins2m:20190616120425j:plain施設紹介パネルの前で

f:id:shins2m:20190616103527j:plain互助会コーナーのようす

f:id:shins2m:20190616112039j:plain大抽選会のようす

f:id:shins2m:20190616111858j:plain七五三コーナーのようす

f:id:shins2m:20190616111928j:plain成人式コーナーのようす

f:id:shins2m:20190616111907j:plain長寿祝いコーナーのようす

f:id:shins2m:20190616103614j:plain盆用品コーナーのようす

f:id:shins2m:20190616140015j:plain人形供養祭のようす

 

「ありがとう」と言われた人は気分がいいし、「ありがとう」と言った人も気分がいい。こんなにお互いに「いい気分」になるのであれば、わたしたちは、もっともっと「ありがとう」という言葉を使うべきでしょう。心から、そう思います。お金もかからず手間もいらず、こんなに便利なものはありません。それで、みんなが元気になれれば、こんなに幸せなこともありません。「ありがとう」は、他人も自分も幸せにする魔法の言葉です。

f:id:shins2m:20190616121735j:plain落語独演会のようす

f:id:shins2m:20190616121524j:plain大ホールが超満員になりました!

 

本日のサンクスフェスタのハイライトは、「林家木久蔵落語独演会」です。昭和50年生まれ 東京都出身。平成7年10月 林家木久蔵(初代)「現・木久扇」に入門。平成8年2月前座入り、「林家きくお」となりました。平成11年9月二ツ目昇進。平成19年5月教育評論社より木久扇との共著『がんばらない子育て』を出版。同年7月親子大賞2007「選考委員特別賞」受賞。9月真打ち昇進に伴い、落語界史上初「ダブル親子襲名」を行い、二代目林家木久蔵を襲名しました。日本テレビ笑点」若手大喜利テレビ東京「ドラGO!」などに出演しています。

f:id:shins2m:20190616125025j:plain地元の高校生によるバザー

f:id:shins2m:20190616124923j:plain福祉施設販売コーナー

f:id:shins2m:20190616142942j:plain隣人館コーナー

f:id:shins2m:20190616102952j:plainミャンマー関連コーナー

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書籍販売コーナー

f:id:shins2m:20190616111616j:plain爆発的に売れました!

 

さて、「ありがとう」の話に戻ります。
人生には1つのムダも、1つのマイナスもありません。起こっていることすべてには意味があるのです。みんな「有ること」が「難しい」ことに「当たる」から、「有難当(ありがとう)」なのです。

f:id:shins2m:20190616104840j:plain野菜特売コーナー

f:id:shins2m:20190616101427j:plain生花特売コーナー

 

冠婚葬祭互助会であるわが社にとって、最も感謝するべき対象とは何か? それは互助会の会員様であり、冠婚葬祭の各施設のお客様です。それらの大切な方々に対して、わが社では毎年、「サンクスフェスタ」を開催するのです。今日は、わたしも多くの方々に「ありがとうございます」を言うことができました。わが社のスタッフのみなさんも、お疲れさまでした!

 

2019年6月16日 一条真也

父の日

一条真也です。
6月16日(日)は、「父の日」であります。
いつもはプレゼントを持って実家を訪れます。今日は、会社の大きなイベントがあって予定が合いませんでした。でも、プレゼントは綺麗な色のシャツをすでに渡してあります。

f:id:shins2m:20190616141234j:plain娘たちからの「父の日」のプレゼントΣ(・ω・ノ)ノ! 

 

わたしは息子であるだけでなく、父でもあります。
ですから、「父の日」はわたしのための日でもあるのです。
今朝、妻が東京から帰ってきたのですが、娘たちからの「父の日」のプレゼントを渡してくれました。渋谷の東急本店で求めたワイン&ポケットチーフです。嬉しいなあ!

 

「父の日」は、6月の第3日曜日です。
「母の日」に比べて、「父の日」はどうも盛り上がりに欠けます。もともとは20世紀の初頭にアメリカで生まれた記念日で、ワシントン州スポケーンの女性、ソノラ・スマート・ドッドの発案によるものです。彼女の母は早く亡くなり、父は男手ひとつで6人の子どもたちを育てました。当時、すでに「母の日」は始まっていましたが、ソノラは「母の日があるなら、父に感謝する日もあるべき」と牧師協会に嘆願したといいます。

 

世界初の「父の日」の祝典は、1910年6月19日、スポケーンで行われました。16年、アメリカ合衆国第28代大統領ウッドロー・ウィルソンは、スポケーンを訪問。そこで「父の日」の演説を行ったことにより、アメリカ国内で「父の日」が認知されるようになったそうです。また66年、第36代大統領リンドン・ジョンソンは、「父の日」を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を「父の日」に定めました。正式に「父の日」が国の記念日に制定されたのは72年のことです。

 

このように、「父の日」そのものは非常にアメリカ的なのですが、日本においても必要であると思います。なぜならば、「父の日」でもなければ、世のお父さんたちは子どもたちから感謝される機会がないではありませんか!
人間関係を良くする「法則」を求めた儒教においては、親の葬礼を「人の道」の第一義としました。親が亡くなったら、必ず葬式をあげて弔うことを何よりも重んじたというのも、結局は「親に感謝せよ」ということでしょう。親とは最も近い先祖です。「いのち」のつながりを何よりも重んじた儒教では、祖先崇拝を非常に重要視した。それは、「孝」という大いなる生命の思想から生まれました。どうか、「父の日」をお忘れなく!

 

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

 

 

2019年6月16日 一条真也

「コンフィデンスマンJP ロマンス編」

一条真也です。
15日の夜、日本映画「コンフィデンスマンJP  ロマンス編」を観ました。非常に面白いエンターテインメント大作でした。「これでもか」というくらいのドンデン返しの連続で、わたしも完全に騙されました。とにかく脚本が素晴らしい!

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「2018年に放映されたドラマ『コンフィデンスマンJP』の劇場版。信用詐欺師たちが日本を飛び出し、香港で一世一代の大仕事に挑む。監督はドラマ版の演出を務めた田中亮。キャストに『散歩する侵略者』などの長澤まさみ、『寝ても覚めても』などの東出昌大、『不灯港』などの小手伸也、『サバイバルファミリー』などの小日向文世とおなじみのメンバーが結集する」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「詐欺師のダー子(長澤まさみ)、ボクちゃん(東出昌大)、リチャード(小日向文世)は、欲にまみれた者たちから大金をだまし取ってきた。香港の裏社会を牛耳る女帝ラン・リウ(竹内結子)を新たなターゲットに定めた三人は、彼女が持っているはずのパープルダイヤを奪うために香港に行く。なかなかランに近づけずに苦戦する中、天才詐欺師のジェシー三浦春馬)が同じく彼女を狙っていることがわかり、さらにダー子に恨みを抱くヤクザの赤星栄介(江口洋介)が不穏な動きを見せる」

 

「コンフィデンスマン」というのは日本語で「信用詐欺師」のことですね。この映画、ネットで高評価だったので気にはなっていたのですが、ドラマのほうが未見だったため、まずはFODでドラマを鑑賞してから、劇場版を観ました。とにかく、主役のダー子に扮する長澤まさみの演技が最高です。変顔も炸裂していて、役者魂を感じさせます。また、彼女は詐欺のために航空会社のCAやファッションモデルなど多様な役を演じるのですが、どれも良く似合う。スタイルが抜群なのでどんなコスプレも似合ってしまいます。ブログ「キングダム」で紹介した日本映画では、古代中国の辺境に住む「山の民」を武力で束ねる美しき女王・楊端和を演じましたが、セクシーなアクションシーンで観客を魅了しました。彼女なら、ワンダーウーマンにだってなれると思います。

 

映画の内容はドラマを観ていないとわからないキャラやエピソードが満載でしたが、じつは、この「コンフィデンスマンJP」というドラマ、シリーズで10作、プラスSPドラマ「運勢編」があるのですが、それらは必ずしも正しい時系列で放送されていませんでした。脚本家の古沢良太氏は、放送前のインタビューにおいて、「とにかく暗くならないよう、明るく痛快にというのは考えています。1話1話が単独の話になっていて、あまり前後の話に相関関係がないようにしているので、放送される順番で起こる出来事は、必ずしも時系列ではないという含みを持たせたかったんです。だから、『あれはいつ起こったんだろう?』と思って見てほしいと思います」と述べています。なお、ドラマ「コンフィデンスマンJP」の時系列については、このブログが非常に参考になります

 

ですから、ドラマを観ずにいきなり映画「コンフィデンスマンJP  ロマンス編」を観た方も、それなりに楽しめたのかもしれませんね。劇場版では、恋愛詐欺師ジェシーを演じた三浦春馬、香港の女帝ラン・リウを演じた竹内結子が良かったです。この劇場版では、長澤まさみ東出昌大小日向文世といったおなじみの役者陣の他にも、ドラマの各編で騙される役を演じた江口洋介(第1話・ゴッドファーザー編)、吉瀬美智子(第2話・リゾート王編)、石黒賢(第3話・美術商編)、小池徹平(第9話・スポーツ編)、佐藤隆太(第10話・コンフィデンスマン編)といった面々が登場し、さながらオールスター映画のようでしたね。子どもの頃に観た夏休みの「東映まんが祭り」で、一話完結の「仮面ライダー」に登場するショッカーの怪人たちが劇場版で一同に会した時と同じ「お得感」がありました。(笑)

 

この映画では、ダー子が占い師に扮するのですが、その感じはまさに霊感商法そのものです。わたしは、テレビ朝日のドラマ「トリック」を連想しました。自称天才マジシャン・山田奈緒子仲間由紀恵)と、日本科学技術大学物理学教授・上田次郎阿部寛)のコンビが、超常現象や、奇怪な事件に隠されたトリックを解決していくミステリードラマです。超常現象をデッチ上げる人物や、インチキ霊能者の類は立派な詐欺師なのですが、そこに神秘のスパイスを加えた秀逸なドラマでした。劇場版も4回制作されましたが、わたしはこの「トリック」が大好きで、ドラマ版も劇場版もすべてDVDを持っています。そして、各話のオープニング部分をはじめ、フジテレビの「コンフィデンスマンJP」には明らかに「トリック」の影響があるように思えます。「トリック」同様に、「コンフィデンスマンJP」も何度も映画化されるかもしれませんね。舞台挨拶で早速、第2作目の制作は発表されたようですが・・・・・・。

 

「コンフィデンスマンJP  ロマンス編」でダー子たちが仕掛ける詐欺は大掛かりです。中には「それは絶対ありえないだろう」というリアリティのない案件も多く、突っ込みどころも満載なのですが、まあ面白いからいいでしょう。大掛かりな詐欺を描いた映画といえば、「スティング」(1973年)が有名ですね。信用詐欺(コンゲーム)を扱った代表的な映画です。1936年のシカゴの下町を舞台に、3人組の詐欺師たちが繰り広げる痛快コメディ映画です。監督はジョージ・ロイ・ヒルアメリカン・ニューシネマの代表作「明日に向って撃て!」で共演したポール・ニューマンロバート・レッドフォードが再共演を果たし大ヒットしました。 第46回アカデミー賞作品賞受賞作品であり、2005年に合衆国・国立フィルム保存委員会がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の1つでもあります。

 

そう、映画史に残る名作「スティング」でコンゲームを繰り広げた3人組の詐欺師は、「コンフィデンスマンJP」のダー子、ボクちゃん、リチャードの3人組に重なります。彼らが仕掛ける数十億円ゲットするような詐欺は、近頃の「なりすまし詐欺」や「振り込め詐欺」などと違って、高齢者などの弱者を狙わずに、悪どい手段で巨額の富を手にした人物をターゲットとします。あまりの大仕掛けに経費もかさみ、いくら数億、数十億稼いでも採算ギリギリ、あるいは赤字になる場合さえある・・・・・・何かに似ていると思ったら、映画製作とまったく同じということに気づきました。コンゲームも映画製作も、ともに莫大なお金をかけて人の心を動かし、最終的にお金を稼ぐ行為です。まあコンゲームと違って、映画の場合は犯罪ではありませんけどね。

 

最後に、ダー子が最も大金を巻き上げた詐欺の被害者のことを「心の恋人」と呼ぶ場面を見て、わたしはコンゲームとはキャバクラ、クラブ、ホストクラブなどの水商売にも似ているなあと思いましたね。この映画は「ロマンス編」とのことですが、「ロマンス」つまり恋愛こそは最大のコンゲームの舞台なのでしょうね。わたしは自分でもお人好しだと思いますので、不幸続きの人生を歩んだ悲劇の主人公のフリをした悪い女に騙されないよう用心したいと思います。はい。

 

2019年6月16日 一条真也

『蔵書一代』

蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか

 

一条真也です。
『蔵書一代』紀田順一郎著(松籟社)を再読。
「なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか」というサブタイトルがついています。著者は1935年横浜市生まれの評論家・作家。慶應義塾大学経済学部卒業。書誌学、メディア論を専門とし、評論活動を行うほか、創作も手がけます。『幻想と怪奇の時代』(松籟社)により、2008年度日本推理作家協会賞および神奈川文化賞(文学)を受賞。

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本書の帯

 

本書の帯には「全ての愛書家・蔵書家に捧ぐ」として、以下のように書かれています。「やむをえない事情から3万冊超の蔵書を手放した著者。自らの半身をもぎとられたような痛恨の蔵書処分を契機に、『蔵書とは何か』という命題に改めて取り組んだ。近代日本の出版史・読書文化を振り返りながら、『蔵書』の意義と可能性、その限界を探る」

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「・・・・・・あと三ヶ月ほどで移転という時期に、私を書棚のまえで逡巡させたものは、一に『最期の蔵書』とは何だろうかという、自らへの問いかけであったといえる。仕事の本、趣味の本などという分類は二の次で、人生の決算期に『最期の蔵書』(あえていえば)『臨終の本』を含まないようなセレクションは意味がないのではあるまいか・・・・・・(本書より)」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

 序章 〈永訣の朝〉

第1章 文化的変容と個人蔵書の受難

第2章 日本人の蔵書傾向

第3章 蔵書を守った人々

第4章 蔵書維持の困難性

「参考文献」

「あとがき」

「著者年譜」

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わが書斎の紀田順一郎コーナー

 

ブログ『学問こそが教養である』で紹介した渡部昇一氏の講演録を紹介したら、本書のことを思い出して再読しました。「教養」の問題は「読書」、そして「蔵書」と切っても切り離せませんが、わたしにとって読書家あるいは蔵書家といえば、渡部氏と並んで本書の著者である紀田順一郎氏の名前がすぐに浮かんだからです。ブログ『知的生活の方法』で紹介した渡部氏の大ベストセラー&ロングセラーと並んで、わたしが愛読したのが紀田氏の『現代人の読書』(三一新書)でした。1964年初版ですが、わたしは1977年の増補版を読みました。その後、『読書の整理学』(竹内書店、のちに朝日文庫)、『書物・情報・読書 』『本の環境学』(以上、出版ニュース社)、『現代人の読書術』(毎日新聞社)、『現代 読書の技術』『続 読書の技術』『知性派の読書学』(以上、柏書房)『日本の書物』『世界の書物』(以上、新潮社)、『読書人の周辺』(実業之日本社)などを夢中になって読みました。

 

幻想と怪奇の時代

幻想と怪奇の時代

 
幻島はるかなり

幻島はるかなり

 

 

わたしは知的生活の総論を渡部氏に、各論を紀田氏に学んだと思っています。紀田氏の一連の読書関連の著書に書かれた読書法、情報整理法はそのまま真似しましたし、本の最後などに収録されていたブック・リストを片っ端から読んでいきました。紀田氏はかの荒俣宏氏の師匠でもあり、雑誌「幻想と文学」を立ち上げ、創元社のブックス・メタモルファス、『世界幻想文学大系』(国書刊行会)などの生みの親でもありました。景気幻想文学のみならず、内外のミステリにも造詣が深く、その分野の著書には『幻想と怪奇の時代』『幻島はるかなり』(ともに松籟社)という名著があります。

 

さらに紀田氏は書物だけでなく、映画フィルムのコレクターでもあり、『映画コレクション入門』(海燕書房)や『古典映画ロードショー』(双葉社)などの著書もあります。その本と映画に囲まれた紀田氏の生活は、高校時代のわたしの大きな憧れでした。本書には、そんな稀代の蔵書家であった紀田氏が80歳を超え、年齢にふさわしい利便なマンション暮らしを老妻とともに選択することから起こった悲喜劇が綴られています。

 

序章〈永訣の朝〉の冒頭には、「いよいよその日がきた。――半生を通じて集めた全蔵書に、永の別れを告げる当日である。砂を噛むような気分で朝食をとっていると、早くも古書業者のトラックが到着し、頭に手ぬぐいをかぶった店員が数人、きのうまでに梱包作業を終えていた約3万冊の書物の搬出にかかった。仕向先は古書市場である。まことにやむをえない。老妻とともに旬日後に移転する予定の、シニア環境としての手狭なマンションには、3万冊になんなんとする蔵書は到底収容しきれない。12畳の書斎と10畳半の書庫はガランガランとなり、私はその空洞から目をそむけた」と書かれています。

 

ただし、蔵書を一挙にゼロにすると精神状態に自信が持てなかった著者は、以下のように書いています。
「いくら老い先短いとはいえ、今日明日にもお陀仏となるわけではあるまい。人生そう簡単に線引きできないところが老後の悩みで、解決策としては別れるに忍びない本を約600冊、新居に連れていくしかなかった。たったこれだけを60年代に流行したスライド式書架2台に収め、新居の狭い2部屋に運びこもうという算段である。案のじょう妻からは『床が抜けたら、マンションの資産価値が下がりますよ』などと猛反対を受けたが、ここが土俵際の凌ぎどころと、もっともらしく構造式や重量計算式などを並べ、かろうじて説得に成功した」


わが実家の書庫に並ぶ『古事類苑』

 

それにしても、マンション暮らしをするために3万冊もの蔵書をわずか600冊に減らす必要があるとは。そして、その600冊さえ妻に嫌がられるとは・・・・・・なんとも切ない話ですね。膨大な蔵書との別れのようすを、著者はこう書いています。
「書棚に次々と訣別の×テープを貼っていった。『古事類苑』や『広文庫』をはじめ日本の百科事典史の集約のようなコーナーにも、目をつぶって×をつけた。物書きとしての情熱を喚起してくれた吉田東伍の『大日本地名辞書』や齋藤秀三郎の『齋藤和英大辞典』など、日本の辞典出版を切り開いたモニュメントの棚にも、特大の×印を付した。もはやヤケであった」
ここに名前の出てくる『古事類苑』『広文庫』『大日本地名辞書』『齋藤和英大辞典』は、すべて著者の書いた本によってその存在を知り、わたしが高校時代に父にねだって買ってもらったものばかりです。これを読んで、非常に複雑な気分になりました。

 

また、著者は以下のようにも書いています。
「最後まで迷ったのは1000冊に近い洋書であった。その大部分は幻想怪奇文学であり、仕事というよりも半生におよぶこだわりのテーマであるが、私自身の価値観は別として、そもそも日本では洋書の需要先が学校回りに限定され、公共図書館や文学館は頭から引き取らないし、一般読者向けのマーケットもきわめて小さいというのが現実だ」
その翌日、梱包した蔵書をトラックに積み込んだ後、著者は述べています。
「リビングの隅で、がらんどうの書棚をぼんやり眺めているうちに、若いころ読書論に得々と引用した『書籍なき家は、主なき家のごとし』というキケロのことばが、実感をもって甦ってきた。ろくすっぽ家具もなく、50年以上本のほか何ひとつ買い揃えることのなかった家である。その本を失えば、主人どころか家そのものが空洞となるほかはない」

 

第1章「文化的変容と個人蔵書の受難」では、「いずこも同じ、本とのバトル」として、著者は「それにしても迂闊な話である、と人はいうだろう――何千、何万という書籍を集め、それも固定的な飾り物ではなく、ふだんに増殖し、あふれ出そうとする厄介なしろものを、体力、経済力とみに衰えるべき人生のドン詰まりまで持ちこたえようとするのは土台無理なのだ。私自身、それが不可能なことは疾うにわかっていた。わかっていながら、事態が少しでも好転しないものかと、淡い希望を保ちつづけていたのである」と述べています。

 

その希望とは、書棚を収容できる広いスペース(土地建物)と、それを購入できる金銭であるとして、著者は以下のように述べます。
「かりに1万冊の書籍を、かつて標準とされた高さ1.85メートル、間口0.8メートルほどのスチール製書棚に天板まで目いっぱいに載せるとすれば、約40本を要する。これを図書館などの書庫ではなく、現今の一般住宅の中に配置しようとすれば、6畳間換算で4部屋は必要だろう。無論、重量分散や機能性(見やすい配列)をも考えに入れなければならないから、その倍は見ておいたほうがよい」
著者の蔵書は3万冊ですから、スチール本棚120本、6畳間120部屋分が必要なわけです。1997年、著者は岡山県吉備高原に、本の収蔵を主目的としたセカンドハウスを建て、田舎暮らしを始めます。そこで、蔵書の理想的な収納、移住先での執筆の依頼、さらには妻の満足も得られて、平和な数年間を過ごします。しかし、2011年に医療や移動に不安を感じ始め、東京へ撤退し、縮小した暮らしを決意するのでした。

 

「古書界を襲った大変動」として、1960年代に最盛期を迎えた古書業界がその後2、30年という歳月が経過して、思わざる文化の変容を生みだしたと指摘し、著者は以下のように述べています。
「社会の基層が活字による論理的思考や成長よりも、映像による直感的理解や感性の発揮に移行した結果、本を読まない人が増え、したがって本が売れないという事態が生じたのである。その結果、客観的評価の定まった資料、刊行後一定の年数を経た古書籍までが一様に『売れない』『捌けない』『人気がない』という理由で、流通市場から冷遇される傾向が年々強くなってきた。もとより、類書のない権威書や辞書類から客観的価値が失せたのではないが、それとは別の市場価値や流通の効率性のほうに評価の重点が置かれるようになった」

 

そんな著者は、「蔵書の断捨離を考える」として、「いまさら気がついたのではないが、およそ本というものは段ボール箱に詰めたらおしまいなのだ。これを経験している蔵書家は、本だけを背表紙が見えるように積み上げる。そのかわり崩落する危険性はあるが、やむをえない」と述べ、さらには「若いときは気がつかないが、およそ蔵書量が幾何級数的に増え続けるのに対し、所蔵者の体力は年齢相応に算術級数的に衰える。蔵書の増加のほうは抑制がきかず、体力のほうは維持がむずかしい。どこかで折り合いをつけないことには、むざむざ無意味な散逸を招く結果となるのは知れている。私がはじめて蔵書の大部分についての“断捨離”を考えはじめたのも、ちょうどこのころであった」と述べるのでした。

 

第2章「日本人の蔵書志向」では、「名だたる昭和の蔵書家」として、「この10年ほどの間に物故した著述家や知的活動家の蔵書数は、戦前知識人の規模をはるかに超えるものがある」と指摘し、以下のような事例を紹介します。
井上ひさし(1934~2010)の蔵書数14万冊といわれるが、生前から故郷の山形県川西町の図書館へ段階的に寄贈し、『遅筆堂文庫』と名付けた。同市はこの文庫と図書館を中核にした複合文化施設を建設している」
「書誌学者谷沢永一(1929~2011)の蔵書は13万冊といわれたが、生前から関西大学図書館に寄贈を行い、一部稀覯書は『谷沢永一文庫』として収蔵されている。そのほかの蔵書は生前に整理された」

 

わたしが敬愛してやまなかった山口昌男渡部昇一両先生のことも紹介されています。
山口昌男(1931~2013)の蔵書はとにかく膨大なため、正確な数は本人にも不明であったし、また知る気もなかったようだ。自宅には到底収まらないので、福島の廃校になった小学校を買い、それぞれの教室を書庫にしたという話もあるほどだ。それでいて、どこに何があるかを掌を指すように記憶し、研究室の山積みの蔵書についても、海外出張中に必要になると、電話で『何番目の山の何冊目の何ページを引用するから探せ』といった指示を出していたというから驚く」
渡部昇一(1930~2017)は巨大な書庫に15万冊を擁していた。書庫の建設費は77歳にして借り入れた数億円の銀行ローンという、他を圧するスケールである」

 

この他にも数人の事例が紹介されていますが、いずれも蔵書の散逸を避けることに成功した幸運な事例ばかりです。著者も自身の蔵書を散逸させまいとあれこれと打診しましたが、引きうけてくれる公的機関はありませんでした。かつては蔵書家が亡くなれば公立の図書館や大学が引き取って貴重な文化遺産として活用したものでした。しかし、現在では公立図書館はどこも予算削減に見舞われ、保有図書の維持管理で手一杯です。学者や研究者が所持している資料は、一般利用者からはほとんど需要がないために無用のものとして迷惑物件扱いだそうです。かつて貴重な蔵書を寄贈した著名人のコレクションが、遺族の了解もなく散逸した例さえあるといいます。

 

「出版ブームの終焉と蔵書の変貌」として、著者は「1991年にバブルの崩壊がはじまり、その5年後から出版不況がはじまった。それまで不況に強いといわれ、最低でも年5%の成長が見られた書籍・雑誌の売り上げが急に下落し、その後現在まで回復できず、ついに半分の規模になってしまうという事態となった。この重要な分岐点となった1995年にウィンドウズ95が導入されたという指摘もあったが、要するに活字文化がネットに移行してしまい、知識情報の獲得手段としての活字の力が、加速度的に衰えてきたということであろう。往昔の“ものの本によれば”から“グーグルで検索すれば”(ググれば)に一変したのである」と述べます。

 

岡山から東京に戻り、貴重な蔵書3万冊を「生前整理」した著者ですが、蔵書を載せた4トントラック2台が去っていくのを見たときのようすを次のように書いています。「その瞬間、私は足下が何か柔らかな、マシュマロのような頼りのないものに変貌したような錯覚を覚え、気がついた時には、アスファルトの路上に俯せに倒れ込んでいた。『どうなさったんですか? 大丈夫ですか?』 居合わせた近所の主婦が、大声で叫びながら駆け寄ってくる。『いや、何でもありません。ただ、ちょっと転んだだけなんです』 私はあわてて立ち上がろうとしたが、不様にも再び転倒してしまった。後で聞くと、グニャリと倒れたそうである。小柄な老妻の、めっきり痩せた肩に意気地なくすがりつきながら、私は懸命に主なき家へと階段をのぼった」

 

本書は、わたしをはじめ本を愛する者たちにとっては悲哀に満ちた内容であると言えます。書籍や新聞など日本人の「活字離れ」は深刻です。それは大学教育における理系偏重、結婚式や葬儀を軽視する「儀式離れ」にも通じるものだと思います。つまり、それらは日本の文化の衰退、知的活力の枯渇の道へとつながるものなのです。長年にわたって日本人の「活字離れ」に警鐘を鳴らし続けてきた著者の苦闘は涙なくして読めませんでした。


わが実家の書庫のようす

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現在のわが書斎のようす(スーパー・カオス!)

 

ちなみに、ブログ「実家の書庫」で紹介したように、わが実家には2010年当時で7万冊、現在は8万冊以上の蔵書があります。また、ブログ「わが書斎」で紹介した自宅の書斎や書庫には約2万冊の蔵書があります。わたしは、HPで「書斎公開」として、すべてをお見せしています。わが書斎は、実家の父の書斎とリンクしているのですが、自分としては敬愛する三島由紀夫渋澤龍彦の書斎をイメージしてデザインしました。しかし、現在では本もオブジェも増えすぎて、完全なカオス状態になっています。親子合わせて10万冊もの蔵書を保てているわたしたちは「蔵書二代」ということで幸せなのでしょうが、この先どうなるかは油断できませんね。

 

 

 2019年6月15日 一条真也