鎌田先生が父の代わりに聖徳太子の墓参をして下さいました

一条真也です。
9月3日の夕方、ブログ「鎌田先生、父を見舞う」で紹介したように、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生(京都大学名誉教授)が、わたしの実家にお越しになられ、病床にある父・佐久間進サンレーグループ名誉会長)のお見舞いをして下さいました。


鎌田東二先生のお見舞いを喜ぶ父

 

そのとき、父は鎌田先生に対して「聖徳太子が日本の基礎を作ったと思っています」と言いました。鎌田先生は「その通りです。しあさって、聖徳太子の御廟のある大阪の叡福寺に対談の仕事で行くので、名誉会長さんの分もよくお参りし、お祈りしてきます」と言って下さいました。それを聴いて、父は両手を合わせて鎌田先生を拝みました。

 

6日、鎌田先生は叡福寺において、聖徳太子からの伝言」と題し、長谷川敏彦氏(未来医療研究機構代表理事)とトークショーを行いました。境内に聖徳太子御廟(磯長廟)を擁する叡福寺は、四天王寺法隆寺とならんで、太子信仰の中核となった寺院です。佐久間名誉会長の代わりに聖徳太子御廟をお参りされた鎌田先生は、住職に佐久間名誉会長のことを話されました。冠婚葬祭業に生涯を捧げた父がいかに聖徳太子を崇拝し、皇産霊神社聖徳太子像まで建立して太子を讃えているかをお話されました。

 

京都面白大学第268講 聖徳太子磯長の御廟(大阪府 叡福寺)での佐久間進サンレー名誉会長分の祈りというYouTube動画の18:00分あたりから佐久間名誉会長の話をされています。それだけでなく、鎌田先生は以下の歌を御廟に奉納して下さいました。まことに有難いことです。いくら感謝しても、し足りません。

 

進みゆく 礼美(ゐやび)のみわざ 
  八美道 神のみこころ 伝え  
    咲く真(佐久間)道

 

太子の御廟がある叡福寺は、太子建立の四天王寺や、下の太子(大聖勝軍寺)、中の太子(野中寺)とともに、太子信仰の霊場として栄えました。聖徳太子自らが廟所として選定された磯長廟は、大和から二上山を越えて河内に入った丘陵を利用した円墳(高さ7.2m、直径54.3m)で、内部は横穴式石室になっています。周囲は結界石で二重(観音の梵字)(浄土三部経)に取り囲まれています。

叡福寺の聖徳太子

 

叡福寺は石川寺、太子寺、御廟寺とも称され、四天王寺法隆寺とならんで太子信仰の中核となった寺院で、太子薨去後、推古天皇より方六町の地を賜り、霊廟を守る香華寺として僧坊を置いたのが始まりです。神亀元年(724年)には聖武天皇の勅願より七堂伽藍が造営されたと伝わります。推古30年(622年)旧暦2月22日(太陽暦4月11日頃)太子が49歳で薨去された後、前日に亡くなった妃・膳部大郎女と、2か月前に亡くなられた母穴穂部間人皇后と共に埋葬され、三骨一廟といわれるようになりました。その思想は、阿弥陀三尊が人間の姿となりこの世に現れ人々を救うという、太子を救世観音の生まれ変わりとする太子信仰の象徴となり、この御廟には太子を敬う空海親鸞叡尊良忍、一遍、證空、日蓮など諸賢聖のほか、名僧が参籠し、日本の大乗仏教の聖地として栄えました。わたしも、ぜひ一度、参拝したいです!


叡福寺の古地図

 

天正2年(1574年)、織田信長の兵火により堂塔の全てを失いましたが、慶長8年(1603年)豊臣秀頼により聖霊殿が再建されたのをはじめ、江戸中期にわたって宝塔、金堂などの廟前伽藍が再興されました。現在も太子に会わんがために善男善女の参詣が絶えることはなく、毎月11日に太子御影供法要が営まれ、毎年4月11日、12日には大乗会式が盛大にとりおこなわれます。太子廟を中心として周辺には敏達、用明、推古、孝徳天皇陵や小野妹子大津皇子、源氏三代墓などがあります。

「天寿国曼荼羅繍帳」

 

もうすぐ89歳の誕生日(9月26日)を迎える高齢で、現在は闘病中の佐久間名誉会長ですが、聖徳太子を深く崇拝しており、太子が死後に向かったという「天寿国」を極楽浄土ととらえて、「自分は天寿国へ行きたい」といつも語っています。「天寿国曼荼羅繍帳」は日本最古の刺繍遺品ですが、推古天皇30年(622年)、聖徳太子の妃である橘大郎女が、太子薨去ののち、宮中の采女に命じて、太子が往生なされている天寿国のありさまを刺繍せしめられたものです。もとは繍帳二帳よりなり、そこには百個の亀甲が刺繍され、亀の甲には1個に4字ずつ、都合400文字で繍帳造顕の由来が示されていました。

 

幸いその銘文の全文が『上宮聖徳法王帝説』という本に書き留められており、それによりますと、絵を描いたのは東漢末賢、高麗加世○、漢奴加己利、これを監督したのは椋部秦久麻でした。年を経るにつれて曼荼羅は破損し、現存するものは往時のほんの一部にすぎませんが、紫羅の上に、白・赤・黄・青・緑・紫・樺色などのより糸 をもって伏縫の刺繍が施された繍帳は、鮮麗な色彩を残しております。七世紀中頃の染色技術、服装、仏教信仰などを知るうえで貴重な遺品といえましょう。現在、中宮寺の本堂に安置されているものは複製で、実物は奈良国立博物館に寄託されています。この日、鎌田先生は「佐久間進名誉会長を天寿国にお迎えください」と聖徳太子に祈って下さいました。まことに、有難いことです。父も大変喜んでおります。鎌田先生のご厚情に心より感謝いたします。



2024年9月7日  一条真也