聖徳太子像  

一条真也です。
わたしの父である佐久間進は、聖徳太子をこよなく尊敬しています。そして、聖徳太子が制定した「憲法十七条」の「和を以て貴しとなす」という言葉を座右の銘としており、ことあるごとに「和」の話をします。そんな父が、このたび、皇産霊神社聖徳太子像を建立しました。


皇産霊神社聖徳太子



ブログ「孔子像」で紹介した「平成の寺小屋」こと天道館に建立された孔子像および、皇産霊神社 の境内にある七福神像河童大明神像 と同じく、「北九州のミケランジェロ」と呼ばれる名工・三島平三郎氏が彫りました。


聖徳太子像は和顔でした



「以和為貴」「日出和國之教主」と刻まれた碑とともに建てられた聖徳太子像は威厳のある顔つきです。じつは、この像を建立した後で、父から報告を受けたわたしは、「もしかして、旧1万円札に使われた聖徳太子像ではないだろうな?」と心配していました。あの聖徳太子はキヨソネが描いた西洋人の顔なので、ふさわしくないと思ったのです。しかし、実物を見ると、見事な和顔(笑=和来)で安心しました。「孝養像」と呼ばれるものですね。


聖徳太子像清祓祭のようす



聖徳太子は、574年に用明天皇の皇子として生まれました。本名は「厩戸皇子」ですが、多くの異名を持ちます。推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、622年に没しています。内外の学問に通じ、『三経義疏』を著わしたとされます。また、仏教興隆に尽力し、多くの寺院を建立すしました。平安時代以降は仏教保護者としての太子自身が信仰の対象となり、親鸞などは「和国の教主」と呼びました。しかし、太子は単なる仏教保護者ではありません。その真価は、神道・仏教・儒教の三大宗教を平和的に編集し、「和」の国家構想を描いたことにあります。


聖徳太子像清祓祭のようす



日本人の宗教感覚には、神道も仏教も儒教も入り込んでいます。
よく、「日本教」などとも呼ばれますが、それを一種のハイブリッド宗教として見るなら、その宗祖とはブッダでも孔子もなく、やはり聖徳太子の名をあげなければならないでしょう。聖徳太子は、まさに宗教における偉大な編集者でした。儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消する。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、そして自然と人間の循環調停を神道が担う・・・・・・3つの宗教がそれぞれ平和分担するという「和」の宗教国家構想を説いたのです。この太子が行った宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、鎌倉時代に起こった武士道、江戸時代の商人思想である石門心学、そして今日にいたるまで日本人の生活習慣に根づいている冠婚葬祭といったように、さまざまな形で開花していきました。その聖徳太子は、603年に「冠位十二階」を制定しますが、これは儒教的精神に基づいていました。


さらに、その翌年である604年には「憲法十七条」を発布しましたが、これは聖徳太子が行った最大の偉業とされており、太子の政治における基本原理を述べたものとなっています。普遍的人倫としての「和を以て貴しとなし」を説いた第一条以下、その多くは儒教思想に基づくが、三宝(仏法僧)を敬うことを説く第二条などは仏教思想です。さらには法家思想などの影響も見られ、非常に融和的で特定のイデオロギーにとらわれるところがありませんでした。これが日本最初の憲法だったのです。そして、ここで説かれた「和」の精神が日本人の「こころ」の基本となりました。


聖徳太子の実在を疑う見方も多く、その実像はきわめて謎に満ちていますが、わたしは聖徳太子とは虚像も実像も超越した「和」のシンボルのような超人であると思っています。伝説で語られる太子のキャラクターの中には、ブッダ孔子老子もイエスさえも、その面影を見ることができます。
まさに聖徳太子とは、あらゆる宗教や民族の対立を超えて「和」を実現する「理想の聖人」であり、「夢の聖人」だったのでしょう。
ちなみに、わたしは聖徳太子の偉業については『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)および『知ってビックリ! 日本三大宗教のご利益―神道&仏教&儒教』(だいわ文庫)に詳しく書きました。


和を求めて

和を求めて

さらに、聖徳太子が最も重んじた「和」については、『和を求めて』(三五館)で徹底的に論じました。「和」は大和の「和」であり、平和の「和」です。終戦70年を迎えた一昨年に上梓した『和を求めて』には「日本」と「平和」をテーマにした文章を集めました。聖徳太子のメッセージを、わたしなりに現代的に解釈し直しました。日本文化の素晴らしさと平和の尊さを知りたい方は、ぜひお読み下さい。


サンレー社長室に飾られた「以和為貴」(平澤興謹書)の額と

聖徳太子像の前で



*よろしければ、本名ブログ「佐久間庸和の天下布礼日記」もどうぞ。



2017年1月2日 一条真也