「グリーフケアの時代に」上映会&トークショー

一条真也です。
14日の北九州は大雨警報が出るほどの悪天候でしたが、そんな中、グリーフケア映画の決定版が、小倉昭和館での上映に続き、再び小倉で上映されました。ブログ「グリーフケアの時代に」で紹介したドキュメンタリー映画がその作品で、北九州市立男女共同参画センター「ムーブ」で、この日の14時と17時開始で2回上映されました。

チラシの表

チラシの裏

 

「グリーフ」とは、深い悲しみ、悲嘆を意味する言葉で、大切な人を失ったときに起こる身体上、精神上の変化や苦悩を指します。作品は、そうした家族やパートナーを失い、旅立ちを見送らなくてはならない人が、心の痛みを手放し、再生へと向かう一助となるような心温まる内容です。この映画には日本を代表するグリーフケアの達人たちが一堂に集結しました。語りは女優の音無美紀子さんです。僭越ながらわたしも出演し、グリーフを抱える方同士が結ぶ「悲縁」について紹介しています。

北九州市立男女共同参画センター「ムーブ」の前で

14日の北九州は警報が出るほどの大雨で、当初は広い会場が満員になる予定だったのですが、あまりの豪雨で客足が鈍りました。まことに残念でした。15時30分からトークショーが開催されました。トークショーは、わたしも登壇しました。トークショーのコーディネーターは、中村順子氏(高齢社会をよくする北九州女性の会)で、登壇者はわたしの他に、松村邦彦氏(当事者)、眞鍋祐美子氏(看取りを支える医師 あきたけ医院院長)、川上理恵氏(新田医院看護師)といった顔ぶれでした。登壇者のトップバッターとして、わたしが自己紹介と「グリーフケア」への想いや関わり、現在行っている取組みの中で皆様にお伝えしたいことなどを10分間ほどお話ししました。


TOPバッターは、わたしでした!

最初に、サンレーの紹介をしました

 

わたしは、まず「サンレーの佐久間です。弊社は松柏園ホテルが起点となっていますが、冠婚葬祭互助会としては、昭和41年(1966)11月18日に北九州で創業しました。再来年で創業60年になります。現在、紫雲閣三礼庵として、北九州市内では24会館、福岡県内では48会館、他県の施設を合わせると100会館近いセレモニーホールを展開しております」と自己紹介しました。


映画「グリーフケアの時代に」について

 

それから、わたしは以下のように話しました。
本日上映されました「グリーフケアの時代に」についてですが、この映画には日本を代表するグリーフケアの達人たちが一堂に集結しました。わたしも出演し、グリーフを抱える方同士が結ぶ「悲縁」について紹介しています。この作品は秋篠宮紀子さま岸田文雄総理大臣も鑑賞するなど、まさに「グリーフケアの時代」であることを実感しているところですが、わたしどもとグリーフケアの関わりについて、悲嘆者同士の縁である「悲縁」についてお話しさせていただきました。


グリーフケアとは・・・


悲嘆とは・・・

 

この映画にも出演するご縁をいただきましたが、弊社とグリーフケアとの関わりは大変深いものと思っています。なぜなら弊社の会館では毎日ご葬儀を行っておりますし、そこには愛する人を亡くしたご遺族様がおられ、グリーフを感じケアを必要としているからです。葬儀という儀式には、不安定な心を安定させるという力があります。愛する人を亡くした人はパニックになったり、怒りを感じたり、罪悪感を持ったりととても不安定な心の状態になります。この状態はそれぞれの人により異なりますが、この不安定な心を安定させるのが葬儀という儀式です。


葬儀の意味について話しました

 

不安定な心に儀式というしっかりした「かたち」のあるものが押し当てられると、不安が癒されていくのです。親しい人間が死去する。その人が消えていくことにより、愛する人を失った遺族の心は不安定に揺れ動きます。残された人は、大きな不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険な力を持っています。常に不安定に「ころころ」と動くことから「こころ」という語が生まれたという説がありますが、「こころ」が動揺していて矛盾を抱えているとき、この「こころ」に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残るのです。

葬儀の重要性について話しました

 

愛する人を亡くした人が葬儀をしなかったらどうなるか。そのまま何食わぬ顔で次の日から生活しようとしても、喪失で歪んでしまった時間と空間を再創造することができず、「こころ」が悲鳴を上げてしまうのではないでしょうか。多くの人は、愛する人を亡くした悲しみのあまり、自分の「こころ」のうちに引きこもろうとします。誰にも会いたくない。何もしたくないし、一言もしゃべりたくない。ただ、ひたすら泣いていたいのです。しかし、そのまま数日が経過すれば、一体どうなるか。遺された人は、本当に人前に出られなくなってしまいます。もう誰とも会えなくなってしまうのではないでしょうか。


儀式という「かたち」が「こころ」を安定させる

 

葬儀は、いかに悲しみのどん底にあろうとも、その人を人前に連れ出します。引きこもろうとする強い力を、さらに強い力で引っ張り出すのです。葬儀の席では、参列者に挨拶をしたり、お礼の言葉を述べなければなりません。それが遺された人を「この世」に引き戻す大きな力となっているのです。そして、不安定な“心の状態”は“身体の健康”へ大きな影響を及ぼします。抑うつ、食欲不振、睡眠障害などもそうですが、自死に至る可能性もあるものです。不安定な心を安定させることはとても大切なことなのです。

 月あかりの会について

 

弊社では、平成22年(2010年)にご遺族のための会を立ち上げ、そこでは遺族会である 月あかりの会や、同じ悲嘆をもつ自助グループ「うさぎの会」など様々な角度から、持続的な心の安定(幸福)をサポートさせていただいています。これまで悲嘆や不安の受け皿の役割は、これまで地域の寺院や地域での縁ある方たちが担ってきましたが宗教離れが進み、人口も減少していく中で、その縁は薄れていっています。 「月あかりの会」や「うさぎの会」をサポートして気づいたのは、地縁でも血縁でもない、新しい「縁」が生まれていることです。会のメンバーは、高齢の方が多いので、亡くなられる方もいらっしゃいますが、その際、他のメンバーはその方の葬儀に参列されることが多いです。楽しいだけの趣味の会ではなく、悲しみを共有し、語り合ってきた方たちの絆はそれだけ強いのです。


愛する人を亡くした人」が失うもの

 

月あかりの会」は、この悲嘆による人的ネットワークとしての新しい縁である「悲縁」という新たな縁を生み出します。悲縁によって相手を支えることで、自分も相手から支えられるグリーフケア・サポートとしての「月あかりの会」をサポートしています。冠婚葬祭互助会でもグリーフケアのサポートに向けての取組みとして、グリーフケア資格認定制度を創設し、2020年11月 小倉で「グリーフケア資格研修発会式」が開催されました。現在ではグリーフケアの専門家としてのグリーフケア士は1,000名を超え、またその上位資格である上級グリーフケア士も32名おりまして、グリーフケアを広め、実践していくために活躍しております。

グリーフケアの時代」がやってきた!

 

また、コーディネーターから「今日の感想やこれから進めていこうとされていることなどについてお話しください」とのリクエストがあり、以下のような話をしました。わたしは平成19年(2007年)にグリーフケアの書である愛する人を亡くした人へ(現代書林)を書いたのですが、ほとんどの人が「グリーフケア」という言葉を知らなかったことが思い出されます。この本を原案とした映画を「君の忘れ方」も来年1月に全国公開されます。本日は多くの方々がグリーフケアに関心を持ち、この「グリーフケアの時代に」を観ていただいたことは、これからが「グリーフケアの時代」となることを強く感じています。


なぜ、「死」を「不幸」と呼ぶのか?

 

グリーフケアに取り組んで20年以上、わたしが、どうしても気になったことがありました。それは、日本では、人が亡くなったときに「不幸があった」と人々が言うことでした。わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのか。どんな素晴らしい生き方をしても、どんなに幸福感を感じながら生きても、最後には不幸になるのか。亡くなった人は「負け組み」で、生き残った人たちは「勝ち組」なのか。わたしは、そんな馬鹿な話はないと思います。


「死」は「不幸」ではない!

 

わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来かならず不幸になるからです。死は決して不幸な出来事ではありません。愛する人が亡くなったことにも意味があり、あなたが残されたことにも意味があるのだと確信しています。そして、人が亡くなっても「不幸があった」と言わなくなるような葬儀の実現をめざしています。そして、死のことは「人生の卒業」、葬儀のことは「人生の卒業式」と呼んでいます。さらには、「終活」の「終」という言葉に違和感をおぼえます。なぜなら、わたしは「命には続きがある」と考えているからです。ですから、「終活」ではなく、人生を修める活動としての「修活」を提唱しています。


北九州から「老いの豊かさ」を発信しよう!

 

わたしたちの住む北九州市は、日本の政令指定都市で最も高齢化が進んでいます。日本は世界で最も高齢化が進んでいますから、北九州市は世界一の高齢化国といっていい。ならば、多くの高齢者が死を「不幸」だととらえていては世界一不幸な街になってしまいます。ぜひ、避けられない死を前向きにとらえて「幸福」な老後というものをデザインしなければなりません。これまで炭鉱や製鉄で日本中を豊かにしてきた北九州ですが、今度は「老いの豊かさ」を全国、いや全世界に発信すべきだと思います。そして、この街において、「心ゆたかな支え合う社会」としてのハートフル・ソサエティを実現すべきです。

「縁」の再構築のお手伝いをしたい!

 

寺院との関係が希薄になり、地縁や血縁が薄まってきているいま、 紫雲閣を展開するわが社はセレモニーホールのコミュニティホール化を図っています。このコミュニティホールは葬儀だけでなく、地域の方が集い、さまざまなことに使っていただける、地域に無くてはならない施設です。そして、そのコミュニティを支えるものは「悲縁」となるのです。これからのグリーフケアの時代を担っていくために「縁」の再構築のお手伝いを行いたいと思います。最後は盛大な拍手を浴びて、わたしたちは降壇しました。最後に関係各位および、連休でお忙しい中かつ大雨の中を会場に駆けつけて下さった皆様に感謝いたします。

 

2024年7月14日  一条真也