テリー・ファンク、死す!

一条真也です。
24日の朝、ヤフーニュースで「【訃報】”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳で死去」というバトルニュース配信記事を見つけました。わたしは、「ああ、テリーも亡くなったのか」と思いました。


ヤフーニュースより

 

記事には、「24日、”テキサス・ブロンコ”テリー・ファンクさんが79歳でこの世を去ったことをWWEが発表した。テリー・ファンクさんは1965年にデビューし、1970年からは日本プロレスで兄のドリー・ファンク・ジュニアとのタッグチーム"ザ・ファンクス”として活躍。2009年にWWE殿堂入りしていた」と書かれています。


また、記事には「盟友のリック・フレアーもX(旧:Twitter)で『テリー・ファンクは偉大なレスラーであり、エンターテイナーであり、信じられないほど恐れ知らずで、そして素晴らしい友人でした。友よ、安らかに眠れ。プロレス界であなたのかわりは誰もいない』と投稿し、追悼の意を表した」とも書かれています。


わたしは、テリー・ファンクが79歳で亡くなったことに感慨をおぼえました。なぜなら、昨年10月1日に亡くなったアントニオ猪木さんも享年79歳だったからです。つまり、猪木さんとテリーは同世代ということになります。日本プロレス時代に行われたBI砲(馬場&猪木)とザ・ファンクスの試合では、若獅子・猪木とテキサスの荒馬・テリーの激突が新鮮でした。2人とも若かった!


テリーの印象的な試合といえば、なんといっても、1977年12月15日in蔵前国技館全日本プロレス「最強タッグ決定リーグ戦」決勝戦で行われたザ・ファンクスvsアブドーラ・ザ・ブッチャーザ・シークの一戦です。最終日のここまで馬場&鶴田組13点、ザ・ファンクス12点、ブッチャー&シーク組12点・・・この最終戦で優勝が決まる大一番でしたが、ブッチャー&シーク組がなんとフォークを持ち出してテリーの腕を鮮血に染まりました。12月24日のクリスマスイブにゴールデンタイムで放送され、抗議・苦情も含めて大反響を呼びました。

 

テリーの引退試合もよく記憶しています。1983年8月31日、超満員の蔵前国技館で行われ、ザ・ファンクスvsスタン・ハンセン&テリー・ゴディのタッグマッチでした。試合前のセレモニーではジャイアント馬場との固い握手もあり和やかな表情だったテリーですが、試合が始まると表情が一変。壮絶な試合となり、超満員の大観衆からはテリーコールが起こりました。悲鳴と歓声が飛び交った試合後、テリーの涙の絶叫スピーチが感動を呼びました。


ただし、テリーは感動の引退試合の後、何度もプロレス界に復帰しました。「引退→復帰」の常連として、大仁田厚と共にテリーの名前も有名になりました。その大仁田のライバルとしてインディーズのFMWに参戦したときは悲しかったことを憶えています。1993年5月5日、川崎球場でテリーと大仁田は有刺鉄線電流爆破デスマッチで激突しましたが、その頃、プロレスへの情熱を失いかけていたわたしは完全スルーしました。


最近、全日本プロレスの黄金期を支えた外国人レスラーの凄みを再確認することも多いのですが、テリーはショー的要素の強いパフォーマンスが目立ち過ぎて、わたしは好きなタイプではありません。技巧派である兄のドリーの方が好きです。日本プロレス時代に行われたドリーvs猪木のNWA世界ヘビー級戦は最高でした。それでも、テリー・ファンクがプロレス界を盛り上げたレジェンドの1日とであることは間違いありません。天に召された彼の魂が安からんことを祈っています。


2023年8月24日  一条真也