上半期振り返りと二宮尊徳  

一条真也です。
18日の早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。わが社は「礼の社」を目指していますので、何よりも儀式を重んじるのです。新型コロナウイルス感染症法上の位置付けが季節性インフルエンザと同じ「5類」に移行しましたが、万全を期して全員マスクを着けてソーシャルディスタンスを十分に配慮しました。

月次祭のようす

まだまだ感染対策への配慮を!

 

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、この日も祭主であるサンレーグループ佐久間進会長が不在でしたので、代わりにわたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。

心をこめて拝礼しました

東専務に合わせて拝礼

 

この日は、わたしに続いて東専務が玉串奉奠をしました。東専務と一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。その拝礼は素晴らしく美しいものでした。わが社が「礼の社」であることを実感しました。儀式での拝礼のように「かたち」を合わせると「こころ」が1つになります!

「天道塾」の開催前のようす

最初は、もちろん一同礼!

マスク姿で登壇しました

マスクを外しました

 

神事後は恒例の「天道塾」です。この日も佐久間会長が欠席でしたので、最初にわたしがスカイブルーの不織布マスク姿で登壇し、開塾の挨拶をしました。わたしは、「おはようございます! 毎日、暑いですね。昨日は『海の日』でしたが、環境省気象庁は今年最多の32都府県に熱中症警戒アラートを発表したそうです。小倉では15日から小倉祇園祭りが始まりましたが、3年ぶりの完全開催でした。その日、小倉紫雲閣ではサンクスフェスタが行われ、大盛況でした。今日は、『今年の半期を振り返って』ということで、各事業部の責任者から発表していただきます。ニューフェイスもいて緊張しているかもしれませんが、よろしくお願いします!」と述べてから、降壇しました。


「半期を振り返って」がスタート!


最初は、北陸本部の報告でした


次は、沖縄本部の報告でした


続いて、大分事業部の報告でした


続いて、宮崎事業部の報告でした


わたしも、しっかり聴きました


最後の北九州本部は東専務が報告

沖縄の康弘社長が「まとめ」をしました

続いて、「今年の半期を振り返って」として、インターネット会議が行われました。サンレーの北陸・沖縄・大分・宮崎・北九州の順で業績や活動の報告がありました。それぞれの地の本部長や事業部長が今年の総括と来年の展望について語りました。その後、サンレー沖縄の佐久間康弘社長が「まとめ」の発表を行いました。

最後に、わたしが登壇しました

 

それから、わたしが登壇して、総括をしました。
総括を終えた後、わたしは「『猛き黄金の国 二宮金次郎上下巻、本宮ひろ志著(集英社)を読みました。コミックを読んだのは、『真の安らぎはこの世になく』1を読んで以来です。同書は仮面ライダーという架空のヒーローの物語ですが、本書は二宮金次郎という実在のヒーローの物語です。命を救った人間の数は、仮面ライダーよりも金次郎の方がはるかに多いです。『猛き黄金の国』の第一話の冒頭に、いきなり伊能忠敬が登場します。日本全国を測量するために小田原を歩いていた忠敬が出会ったのは、二宮金次郎と名乗る少年でした。12歳の金次郎は薪を背負い『中庸』を読みながら歩いていました。『中庸』とは、『論語』『孟子』『大学』と並んで『四書』と呼ばれる儒教の最重要書です。『中庸』を読み終えた後は『大学』を読むのが一般的でした」と述べました。

『猛き黄金の国 二宮金次郎上下巻(集英社

 

それから、わたしは以下のように言いました。
忠敬は金次郎に「どうだ、『大学』を読む前に『経典余師』を読んでみては?」と薦めます。『経典余師』は、江戸中期の経書の簡明な注釈書です。儒者の渓百年が著者で、天明元年(1781年)に全10巻で刊行されました。四書の本文を解釈したもので、上欄に仮名で読みを記してあります。忠敬から米の握り飯をご馳走になりながら、金次郎は「『経典余師』僕も読みたいと思っていますが、高くて買うお金がありません」と言います。そんな金次郎に忠敬は「『経典余師』は大学・中庸・論語孟子を読む前に読んでおくと、四書を読むのが楽になる。『中庸』を読み終えたら、大学まで読み始めそうだな、君は・・・」と言うのでした。


本を掲げて話をしました

 

伊能忠敬から貴重なアドバイスを受けた金次郎は、『経典余師』を読んでから『大学』を読み始めます。薪を運びながら『大学』を読んでいたある日、金次郎は1人の老人に声をかけられます。「あんたの読んでいるその本は『大學』だろう」と問う老人に「はい」と答えると、老人は「だったら、『経典余師』を読んでおくとよいぞ」と言います。「はい、昔ある人にその本を教わり、買いました」と答える金次郎に、老人は「本物じゃのォおぬし・・・『大學』を読むのに『経典余師』を読んでおるか」と感心するのでした。金次郎が名を尋ねると、老人は「本好きのじじいじゃ」とだけ言って去っていきますが、彼は小田原藩儒学者である宇野椎之進でした。


学問は実践のためにある!

 

後に城内で金次郎と対面した椎之進は、「わしはただの学問屋じゃ。その学問をどう実際の世で使うか。それの何一つやれていないわしは、ただのクソじゃよ、二宮金次郎君」と言います。それを聞いた金次郎は「そっそんな!」と絶句しますが、この椎之進の言葉は真実だと思います。「尊徳」と名のった晩年の金次郎は、「学者と坊主」が嫌いだったそうです。「理論や教説よりも、現実を良く変えなければ意味がない」と考えていたのでしょう。わたしも大の本好きで、子どもの頃から本ばかり読んでいたので、6歳下の弟からは「兄ちゃんは二宮金次郎みたいだ」と言われたこともありますが、父から「学者になるな。評論家になるな。実践しなければ、本など読んでも意味がない」と言われ続けてきました。そんなことを思い出しました。


五常講」は互助会のルーツ

 

二宮金次郎は、貧しい農民たちが豊かに生きていくのはどうすればいいかを考え続け、実践し続けた人ですが、具体的な方策として「五常」というものを発案しました。しかし、彼の名前ではなく宇野椎之進の名で発表します。自分のような名も地位もない人間よりも、宇野のような大学者の名前で発足した方が効果的であるという実践的な考えからでした。金次郎の頼みを受けた椎之進は、五常講について「五常とは仁義礼智信・・・儒教が重んじる5つの徳目を言う。この人倫五常の道によって、余裕のある者は仁をもって金を貸し出し、借りる者は義をもって講より借り入れをする。礼をもって貸してくれた者に感謝し、誠実かつ一日でも努力工夫する。貸した者に借りた者が相互に信頼しあうのが信だ。これを実行に移す小田原藩服部家の中で互いを助け合うという制度として、名づけて五常講じゃ」と言うのでした。この五常講についての説明は、互助会の理念そのものでもあります。「相互扶助」という言葉そのものも使っており、互助会のルーツは二宮金次郎にあったのかもしれません。


熱心に聴く人びと

 

わたしは、思いやりを意味する「コンパッション」と健康・幸せを意味する「ウェルビーイング」という2つの考えが陰陽の関係にあると考えていますが、江戸時代に「コンパッション村」「コンパッション藩」「コンパッション共同体」と、そこにおける「ウェルビーイング」の実現を図ろうと社会実践をしていたのが、二宮尊徳だという説があります。宗教哲学者で京都大学名誉教授の鎌田東二先生が唱えておられます。二宮尊徳こそ、江戸時代における「コンパッション都市」づくりの先駆者だというのです。彼の思想は、すべての事象は根本的に陰陽の関係にあり、それが「相生」するか、「相克」するかの違いに帰着します。「コンパッション」は重要な思想ですが、もしそこに、押しつけがましさとか強制とか共感支配とかがあると、それはもはや「相生」ではなく「相克」になる可能性があり、その場合、「共感都市」が、「相克的叫喚・受苦受難都市(共同体)」になる可能性もあるというのが鎌田先生の考えです。


尊徳のコンパッション精神について

 

二宮尊徳は、終生、コンパッションの精神をもって農民のウェルビーイングに尽力し続けた人でした。そのため、武士階級と衝突することが多々ありました。反抗的な尊徳を殺そうとする武士が「おのれは武士をなめすぎておる。この国は武士が治めているのだ」と言う場面が『猛き黄金の国 二宮金次郎』下巻の第十二話「言葉」にありますが、その武士に対して尊徳は毅然として「あなたにとって国を治めるとは民になめられるな! それが第一ですか? 民の上に君臨するだけですか?」と言い放つのでした。尊徳は「農民に過酷な年貢の要求を増すぐらいなら、まずは武士の俸禄を下げよ」とも言っています。当時としては、信じられないほど過激で人道的な発言でした。


熱心に聴く人びと

 

今また、尊徳の発言が思い出される現実があります。政府税制調査会増税対象として「通勤手当」をリストアップしたとして、一部で報じられています。また、税調の答申では「退職金増税」なども挙げられているといいます。それに対して、「サラリーマン増税」より「政治家増税」が先であるという意見があります。月額100万円の文通費、政治資金への課税は当然ながら、居眠り税、失言税、まともに質問に答えない税などを徴収すべきであるというのです。「真面目に働いて国を支えてくれる人達より、政治家こそ率先して多くの税金を納めるべきだ」との意見が多いようですが、わたしもまったく同意見です。かつての武士は政治家、農民はサラリーマンであると考えれば、今こそ二宮尊徳の思想を思い起こす必要があります。

自分の仕事に誇りを持つ!

 

最後に、わたしが最も尊徳を尊敬する点は、心の底から農業に誇りを持っていたことです。極貧の中にあっても、少年・金次郎は「父ちゃん、母ちゃん、おいらを農民に生んでくれて、ありがとう!」と田んぼに向かって叫びます。この場面が一番感動しました。人間の幸せとは「自分の仕事に誇りを持つ」ことに尽きるからです。最後に、わたしは「まことに不遜ではありますが、冠婚葬祭業という礼業に対するわたしの想いは、農業に対する尊徳の想いに通じているように思います」と述べてから降壇しました。

最後は、もちろん一同礼!

 

2023年7月18日 一条真也