34回目の結婚記念日

一条真也です。
5月20日は、わたしたち夫婦の34回目の結婚記念日です。わたしたちは、1989年5月20日に結婚しました。結婚式は小倉の「松柏園ホテル」で、披露宴は松柏園および八幡の「松柏園グランドホテル」(現在のサンレーグランドホール)で、昼夜2回行いました。わたしが26歳になったばかりで、妻は22歳のときでした。

34回目の結婚記念日を迎えました

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小倉ロータリークラブの花見例会で

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結婚30周年の年に訪れた函館の八幡坂にて

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知人の金婚式で

サンレー創立50周年記念祝賀会の後で

 

昨年6月、わたしの長女が結婚しました。新型コロナウイルス感染防止に万全の配慮をした上で結婚式および結婚披露宴を挙げさせていただきました。わたしが妻と結婚したのはもう34年も前ですが、娘を育て上げて無事に結婚させて、わたしたちは夫婦として一人前になったような気がしています。長女の結婚披露宴では、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生が乾杯のご発声を務めていただき、祝いの法螺貝まで奏上して下さいました。


長女の結婚披露宴でのわたしたち夫婦

 

わたしは鎌田先生ともう20年近くも「ShinとTonyのムーンサルトレター」というWeb往復書簡を交わしています。鎌田先生の愛称がTonyで、わたしがShinですが、ムーンサルトレター第207信で、鎌田先生は「父としての熱い、熱い、大量の涙・涙・なみだ、たいへん共感できます。会場のみんながうれしいもらい泣きをしました。Shinさんのお気持ちがすべての会場の方々に伝わったとおもいます」と書いて下さいました。

涙ながらに妻への感謝を述べました

 

また、鎌田先生はブログ「長女の結婚披露宴2」の中で、わたしが「長女が生まれたときは、会社が危機的状況にありました。(中略)わたしは『これから、会社はどうなるんだろう?』『この子を無事に結婚させることができるだろうか?』と不安でいっぱいでした。でも、わたし以上に大きな不安をがあったはずなのに、何も文句を言わずに幼子を抱いて小倉までついてきてくれた妻が支えてくれました」と挨拶したことに触れられています。このとき、わたしの心の中には「夫婦は世界で一番小さな互助会」という考えが浮かんでいました。結婚しておいて良かったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための相互扶助システムだと思います。

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志賀社長から届いたLINEの画像

 

ところで、一昨年、埼玉県に本社を置く冠婚葬祭互助会の(株)セレモニーの志賀社長から面白い画像がLINEに届きました。「結婚前のアナタ(右から読んでね)」では、「幸せになりたいの。嫌よ、貴方と別々になんて・・・そんなの私じゃないから。一生私の愛する人は貴方だから、おねがい。」と読めます。一方、「あれから40年・・・(左から読んでね)」では、「だから、おねがい。私の愛する人は貴方じゃないから。一生なんて・・・そんなの私嫌よ、貴方と別々に幸せになりたいの。」と読めます。これを考えた人のセンスには脱帽ですね!
もちろん、わたしたちは右からです!(笑)


34年前の思い出の写真

 

2023年5月20日 一条真也