老いること、生きること

一条真也です。
18日の早朝から松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。わが社は「礼の社」ですので、何よりも儀式を重んじるのです。新型コロナウイルスの新規感染者もずいぶん減少してきましたが、全員マスクを着けてソーシャルディスタンスを十分に配慮しました。

月次祭のようす

まだまだ感染対策への配慮を!


玉串を奉奠しました


みんなで拍手を打ちました

 

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長が不在でしたので、代わりにわたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。わたしに続いて玉串奉奠した東専務と一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。儀式によって「かたち」を合わせると、「こころ」が1つになる気がします。

最初は、もちろん一同礼!

冒頭、マスク姿で挨拶をしました

 

神事の後は、恒例の「天道塾」です。この日は佐久間会長が欠席でしたので、最初にわたしが登壇して開塾の挨拶をしました。そのまま、わたしが講話もしました。冒頭、わたしは「昨日、タクシー業国内最大手の第一交通産業の創業者である黒土始様がお亡くなりになられました。昨日の午前中、ご自宅にお参りに伺い、お別れをさせていただきました。第一交通産業さんの創業時から松柏園とは深い関係があり、わたしの成長を温かく見守って下さった大恩人です。心より御冥福をお祈りいたします」と述べました。

ヤフーニュースより

最近、「老い」について考えます

 

わたしは来月で還暦を迎えますが、最近どうも体の調子が良くないです。麦粒腫で目をやられたり、扁桃腺炎で喉をやられたりと、免疫力が下がっている感じがします。でも、まだまだ頑張ります!」と言いました。それから、この日着用していたネクタイを指さして、「この赤いネクタイは、ゼンリンプリンテックスの大迫益男会長から還暦祝いに贈られたものです。昨日、届きました」と紹介。「この1年は、なるべく赤いものを身につけて」と書かれた丁重なお手紙も同封されており、感激いたしました。


マスクを外して、最新刊を紹介しました

 

それから、マスクを外して、最新刊『供養には意味がある』(産経新聞出版)を紹介しました。わたしは、「全国の図書館から異例の大量注文があるなど、おかげさまで好評のようです。また一昨日、ついに次回作『ウェルビーイング?』と『コンパッション!』を2冊同時に脱稿しました。この天道塾でも、これまでウェルビーイングとコンパッションについて話してきましたが、どちらも今後の社会に不可欠のものです」と述べました。

イギリス映画「生きる LIVING」を紹介



続いて、映画についての話題に移りました。最近も多くの映画を観ましたが、この日はイギリス映画「生きる LIVING」を取り上げました。「最期を知り、人生が輝く」というテーマですが、主人公の「生きることなく、人生を終えたくない」という言葉が心に沁みました。第2次世界大戦後のイギリス・ロンドンを舞台に、仕事一筋で生きてきた男性が死期を宣告されたことで、自らの人生を見つめ直す物語です。1953年、第2次世界大戦後のイギリス・ロンドン。役所の市民課に勤めるウィリアムズ(ビル・ナイ)は、毎日同じことを繰り返し、仕事に追われる自分の人生にむなしさを感じていました。ある日、医師からがんで余命半年であることを告げられます。最期が近いことを知った彼はこれまでの味気ない人生を見つめ直し、残された日々を大切に過ごして充実した人生にしたいと決意するのでした。


日本映画「生きる」を紹介


「生きる  LIVING」は、黒澤明監督の不朽の名作「生きる」(1952年)のリメイク作品です。「生きる」の主人公は、市役所の市民課長・渡辺(志村喬)です。彼は30年間無欠勤、事なかれ主義の模範的役人です。ある日、渡辺は自分が胃癌で余命幾ばくもないと知ります。絶望に陥った渡辺は、歓楽街をさまよい飲み慣れない酒を飲みます。そして、「自分の人生とは一体何だったのか?」と考えます。彼は人間が本当に生きるということの意味を考え始め、そして、初めて真剣に役所の申請書類に目を通します。そこで彼の目に留まったのが市民から出されていた下水溜まりの埋め立てと小公園建設に関する陳情書でした。


映画の主人公を自分に重ね合わせました


おかげさまで還暦を迎えます!

 

「生きる」は、非人間的な官僚主義を痛烈に批判するとともに、人間が生きることについての哲学をも示した名作でした。「生きる  LIVING」は「ここまで同じか!」と驚くくらい、黒澤明版の「生きる」とストーリーがまったく同じです。しかしながら、黒澤版よりも上映時間が約30分短くなっており、その理由はストーリーは同じでも描写が違うからです。公園建設の嘆願書を持参した市民が市役所の中をたらい回しにされるシーンでも、黒澤版は15ヵ所ぐらいですが、イシグロ版は5ヵ所と少な目です。でも、人生をブルシット・ジョブに費やしてきた虚しさは両作品ともに見事に表現しており、公園のブランコに揺られながら、渡辺は「ゴンドラの唄」を、ウィリアムズは故郷のスコットランド民謡である「ナナカマドの木」を歌うシーンが哀愁に満ちていました。


「生きる」の死生観について考察


熱心に聴く人びと

 

半年の余命宣告をされたウィリアムズが外見的に物静かなままであると書きましたが、内心はもちろんそうではありません。自身の命があと半年という事実にショックを受け、迫り来る死の不安に怯えています。酒に逃げ、自死さえ図ろうとします。「生きる」の渡辺などは、傍から見ても混乱のきわみで、まるで狂人のように見えました。ここで、わたしは思うのです。ともに時代は1952年。第2次世界大戦が終結してから、わずか7年後です。日本でも、イギリスでも、膨大な数の死者を出しました。年齢的に渡辺やウィリアムズが従軍していないとしても、彼らの周囲には多くの死者がいたはずです。つまり、1952年当時は、もっと「死」が身近だったはずなのに、なぜ2人とも、それほど自身の「死」の宣告に驚くのでしょうか?


死は人類最大のミステリー

 

もちろん、家族や友人や知人などが亡くなったとしても、それはあくまでも「二人称」や「三人称」の死です。自分という「一人称」の死とは訳が違います。なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。まさに死こそは、人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題なのです。拙著『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)では、その不条理を受け容れて心のバランスを保つための本を紹介しました。「死生観は究極の教養である」が同書のコンセプトです。

死生観は究極の教養である!

 

最近、「死生観は究極の教養である」ということを思い知らせてくれた方がいました。以前より親しくさせていただいている人生の大先輩なのですが、がんのステージ4の宣告を受けられた後、残された時間で「やるべきこと」のリストを作成し、病気になってからも精力的に活動され続けておられるのです。わたしは、その方に心から尊敬の念を抱き、自分が余命宣告されたとしても、粛然とその運命を受け容れ、人生を卒業するその日まで自らの使命を果たしたいと思いました。もっとも、「生きる」や「生きる  LIVING」の時代は今から70年前であり、がんという病気が当時は現在のように「誰でもなる病気」と考えられるほど一般化していなかったのでしょう。それゆえ宣告されたときのショックも大きかったのだと思います。しかし、別に末期がんの患者でなくとも、誰だって半年後に、いや明日死ぬかもしれません。いつ人生が終わるかもしれない状況は、じつは万人が同じなのです。

葬儀から本当の物語が始まる!


熱心に聴く人びと

 

原作が同じなので当然といえば当然ですが、「生きる」も、「生きる  LIVING」も、主人公が亡くなって葬儀が行われます。そして、そこから本当の物語が始まります。葬儀に参列するために集まった人々が故人について語り合う中から、主人公のこの世での最後の日々の様子が明らかになっていくのです。そして、渡辺もウィリアムズも残り時間を自身のために使わず、市民のため、それも未来ある子どもたちのための公園作りに精力的に取り組んだことがわかるのでした。コロナ前、わたしは「終活」をテーマにした講演をよく依頼されました。わたし自身は、「人生の終(しま)い方の活動」としての「終活」よりも、前向きな「人生の修め方の活動」としての「修活」という言葉を使うようにしています。『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)という本も書きました。


自分の葬儀をイメージする

 

そんな講演会でよくお話しするのが、「講演を聴いておられるみなさん自身の旅立ちのセレモニー、すなわち葬儀についての具体的な希望をイメージして下さい」ということです。自分の葬儀について考えるなんて、複雑な思いをされる方もいるかもしれません。しかし、自分の葬儀を具体的にイメージすることは、残りの人生を幸せに生きていくうえで絶大な効果を発揮します。「死んだときのことを口にするのは、バチがあたる」と、忌み嫌う人もいます。果たしてそうでしょうか。わたしは自分の葬儀を考えることは、いかに今を生きるかを考えることだと思っています。ぜひ、みなさんもご自分の葬義をイメージしてみていただきたいと思います。そこで、友人や会社の上司や同僚が弔辞を読む場面を想像して下さい。そして、その弔辞の内容を具体的に想像して下さい。


葬儀から現在の生へフィードバックする

 

そこには、あなたがどのように世のため人のために生きてきたかが克明に述べられているはずです。葬儀に参列してくれる人々の顔ぶれも想像して下さい。そして、みんなが「惜しい人を亡くした」と心から悲しんでくれて、配偶者からは「最高の連れ合いだった。あの世でも夫婦になりたい」といわれ、子どもたちからは「心から尊敬していました」といわれるシーンを頭の中に描いてみて下さい。いかがですか、自分の葬儀の場面とは、「このような人生を歩みたい」というイメージを凝縮して視覚化したものなのです。そんな理想の葬式を実現するためには、残りの人生において、あなたはそのように生きざるをえないのです。

自分の幸福な葬儀をイメージしよう!

 

わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼ばないようにしています。なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来必ず不幸になるからです。死はけっして不幸な出来事ではありません。それは人生を卒業するということであり、葬儀とは「人生の卒業式」なのです。最後に「さあ、あなたも自分の幸福な葬儀をイメージすることによって、『美しく人生を修める』準備を進めてみませんか?」と言って降壇しました。ちなみに、昨日101歳でお亡くなりになられた黒土始氏ほど見事な「人生の修め方」をされた方はいないと思います。ぜひ、わたしたちで最高の「人生の卒業式」をお手伝いさせていただきたいです。

康弘社長が業界のビジョンを説明


ドラえもんの未来からの話を聴いた気がしました

 

わたしの次は、 サンレー沖縄の佐久間康弘社長が「互助会の将来ビジョン」について業界のビジョン研究会の活動についてレポートしました。メタバースをはじめとしたAIなど先端的な話が多かったですが、最後の「AI or  人間」ではなく「AI with 人間」のシンボルが「ドラえもん」であるという話が心に響きました。そういえば、康弘社長は子ども頃から「ドラえもん」の大ファンで、コミックスも全巻読破していることを思い出しました。なんだか、沖縄から弟が報告しているのではなくて、未来からドラえもんが報告しているような気がしました。


最後に登壇して締めました

最後は、もちろん一同礼!

 

最後は、わたしがもう一度登壇し、締めの挨拶をしました。わたしは、「映画『生きる』の関係で、がんの話をしましたが、日本人の健康における大問題には、うつ病もあります。40年前にわが社がウェルビーイングを提唱したとき、今後訪れるであろう『うつ病社会』を予防し、『心ゆたかな社会』をプロデュースしたいという想いがありました。わたしたちは医療機関ではないので『がん』をなくすお手伝いはできませんが、グリーフケアをはじめとしたさまざまなケアによって『うつ』をなくすお手伝いはできます。おかげさまで、今年の第一四半期は絶好調でした。ぜひ、この勢いで最後まで走り抜きましょう!」と訴えて、この日の天道塾は終了しました。来月の天道塾が開かれる日は、もう還暦を迎えています。ちなみに、還暦を迎える5月10日は、全互連の移動理事会で山形県の米沢に行くことになっております。

 

2023年4月18日 一条真也