『永遠葬』

一条真也です。
75冊目の「一条真也による一条本」紹介は、『永遠葬――想いは続く』(現代書林)です。宗教学者である島田裕巳氏の著書『0葬――あっさり死ぬ』(集英社文芸単行本)に対する反論の書であり、終戦70年記念の本です。2015年7月22日の刊行でした。


永遠葬――想いは続く』(現代書林)


本書には、「想いは続く」というサブタイトルがつけられています。帯には、著者近影とともに「人は『永遠』に弔われる存在です。あなたは儀式で守られています。」というキャッチコピーに続いて、「葬儀やめますか、そして人類やめますか? 時代に合わせた葬儀をみんなで考える時がきました。わたしはそれを総称して『永遠葬』として提案します。」と書かれています。


永遠葬』の帯


2010年、わたしは島田氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)というベストセラーに対し、『葬式は必要!』(双葉新書)を書きました。5年後、再び島田氏の著書『0葬』に対抗して本書『永遠葬』を執筆したわけです。 


あれから5年が経ちました・・・・・


意図的なカウンターブックであることを強調するため、判型・ページ数・定価など、『0葬』とまったく同じで、装丁も意識して作られています。 これは版元のアイデアですが、ここまで徹底しているのは見たことがありません。
2冊を並べると、映画化もされた某ベストセラー小説のタイトルが浮かび上がってきます。もちろん偶然ですが。


2冊を並べてみると・・・・・・


なお、本書では『葬式は、要らない』や『0葬』に対する批判を展開していますが、それらの本の著者である島田裕巳氏その人には何の恨みもありません。それどころか、わたしは島田氏を才能豊かな文筆家としてリスペクトしています。島田氏とわたしの間には、さまざまな交流もあります。そのあたりも本書に書きました。

 

本書の目次構成は以下のようになっています。
はじめに「葬儀は人を永遠の存在にする」
プロローグ 東日本大震災の教訓
孤独葬は「無の恐怖」につながる
無縁社会」への反論
津波が妄言を流し去った
葬儀を取り巻く環境が変化している
「縁」と「絆」を見直す
第1章 『葬式は、要らない』
     から『0葬』へ
『葬式は、要らない』の内容と感想
葬式は贅沢で構わない
自分の葬式をイメージする
NHKでの公開討論
島田裕巳氏との再会
著書を贈り合い、インタビューを受ける
『0葬』を読んで仰天する
違和感が炸裂する文章
死者の「たましい」と遺族の「こころ」
葬儀無用論者の先駆者
ブッダの葬儀について
葬儀費用の間違いを訂正
葬式組から冠婚葬祭互助会へ
仏教式の葬儀は必要か
仏教と葬儀の関係
物語が「こころ」を救う
「樹木墓地」の持つ意味
「不自然葬」から「0葬」へ
日本人の「こころの未来」のために
第2章 葬儀について
    もう一度を考えよう
家族葬の意味を考える
家族葬で本当にいいんですか?
「迷惑」というキーワード
「迷惑」は建前、「面倒」が本音
面倒くさいことの中にこそ幸せがある
葬儀の役割とは何か
葬儀は死者を描いたドラマ
葬儀無用論を点検する
葬儀とは「死者を弔う心」のあらわれ
「老い」と「死」に揺れる魂を安定させる
グリーフケアの重要性
グリーフケアはなぜ必要か
グリーフケアの日本での動き
無縁社会を生きる
死を見つめ、縁を作る
ホモ・フューネラルーー葬儀する人間
ネアンデルタール人ホモ・サピエンス
第3章 日本はいつから変わったのか
個性豊かな葬儀を好む団塊の世代
団塊の世代が価値観を変えた?
団塊の世代」とは何か
団塊の世代には唯物論者が多い?
反抗心だけを植え付けられた世代
論語』にも葬式のことが書かれている
人生の最大事は親の葬礼
第4章 日本仏教の大切な役割
これでいいのか、日本仏教!
現役僧侶の貴重な発言
仏教には無縁はない
葬式仏教正当論
インド仏教が衰退した理由
宗教にとって葬儀が一番大事
お盆が意味するもの
日本人の「こころ」がお盆を必要としている
墓参りは必要!
お盆は休みのためにある?
日本人における「家」の役割
葬式仏教はグリーフケア仏教
第5章 「永遠」というキーワード
團十郎の葬儀に学ぶ
「式即是空 空即是式」の意味
「0」も「∞」も古代インド人が発明した
「ゼロの未来」の恐怖
「ゼロ」と「シンプル」の差
「0葬」は全体主義・根絶主義である
ナチス・オウム・イスラム
ブッダが考えたこと
ブッダが説いた「空」の思想
仏教に近づく物理学
一度生まれたエネルギーは消滅しない
人は葬儀によって永遠に生きられる
月は「永遠」のシンボルである
第6章 大いなる「永遠葬」の世界
自由葬の中での迷い
日本人の死生観と四大「永遠葬」
海洋葬~涙は世界で一番小さな海
実録 海洋葬セレモニー
樹木葬~桜と日本人
萩の山寺の樹木葬
宇宙葬~衛星ロケットに故人の遺骨を乗せる
月面葬~『ロマンティック・デス』の時代が来た!
月への送魂――人間の死は宇宙的事件である
家族葬」のイノベーション
第7章 冠婚葬祭互助会
    の新たなる役割
変化が起きる時差は五〇年
互助会が「無縁社会」を招いたのか
セレモニーホールの登場
葬儀の主導権の移動
冠婚葬祭互助会の使命と役割
エピローグ 「終活」から「修活」へ
おわりに「戦後七〇年を迎えて」

 

葬儀は何のために行うのか――その明確な答えを書いたつもりです。「家族の絆」がクローズアップされる一方で、「老い」や「死」がなぜ軽んじられるのか。「終活」という問題が大きなテーマになる中で、葬儀の重要性、必要性を語りました。葬儀という「儀式」の必要性を説き、さらに変わりつつある死の迎え方の現実を豊富なデータや実例で紹介しながら、葬儀の実践方法をも紹介します。いわば、『葬式は必要!』のアップデート版です。

 

 

島田氏の提唱する「0葬」とは何か。通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」をさらに進めた形で、遺体を完全に焼いた後、遺灰を持ち帰らずに捨ててくるのが「0葬」です。わたしは、葬儀という営みは人類にとって必要なものであると信じています。故人の魂を送ることはもちろんですが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれます。もし葬儀が行われなければ、愛する家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きるでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。儀式という「かたち」は人間の「こころ」を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。


わたしは、決してわが社や業界のために本書を書いたのではありません。わたしは、「会社は社会のもの」と考えています。社会に要らない会社や業界など消えてもいいと思っています。でも、葬式は社会にとって必要なものです。日本人の「こころ」に必要なものです。日本人が本気で「葬式は、要らない」と考えはじめたら、日本は世界の笑いものになります。いや、それどころか、人類社会からドロップアウトしてしまう危険性があります。そんな事態は絶対に避けなければなりません。ですから、わはしは悲壮感をもって『葬式は、要らない』に対抗して『葬式は必要!』を書き、今また『0葬』に対抗して『永遠葬』を書きました。


葬儀によって、有限の存在である“人”は、無限の存在である“仏”となり、永遠の命を得ます。これが「成仏」です。葬儀とは、じつは「死」のセレモニーではなく、「不死」のセレモニーなのです。そう、人は永遠に生きるために葬儀を行うのです。「永遠」こそが葬儀の最大のコンセプトであり、わたしはそれを「0葬」に対抗する意味で「永遠葬」と名づけたのです。本書で、わたしは葬儀の本質と重要性を述べるとともに、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」あるいは遺骨を火葬場に置いてくる「0葬」を批判しました。 これらの超「薄葬」が、いかに危険な思想を孕んでいるかを声を大にして訴えました。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は、ナチスオウム真理教イスラム国の巨大な闇に通じています。



本書を上梓した2015年は、終戦70年の大きな節目の年でした。日本人だけでじつに310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって70年目の節目だったのです。わたしは、この年こそは、日本人が「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る年であると強く思いました。そして、この時こそ、「血縁」や「地縁」の重要性を訴え、有縁社会を再生する必要がある。わたしは、そのように痛感していたのです。



そして、わたしたちは、どうすれば現代日本の「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切ではないでしょうか。本書で、わたしが現在取り組んでいる葬イノベーション――四大「永遠葬」を紹介します。日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが対応したスタイルで、「樹木葬」「海洋葬」「月面葬」「天空葬」となります。この四大「永遠葬」は、個性豊かな旅立ちを求める「団塊の世代」の方々にも大いに気に入ってもらえるのではないかと思います。

島田裕巳の『経堂日記』」より

 

永遠葬』の出版には、各方面から大きな反響があり、ブログ『0葬』で紹介した本を書かれた文筆家の島田裕巳氏のブログ「島田裕巳の『経堂日記』」でも取り上げられました。「7月24日(金)鶴見俊輔さんの訃報と『永遠葬』の本」という記事に「一条真也氏から、『0葬』へのアンサーブックだという『永遠葬』の本が届く。SJSに行く電車のなかで大半読んでしまったが、私の本に対する批判というより、同じ方向性を目指しているように思えた。なにしろ、彼の言う永遠葬は、樹木葬、海洋葬、月面葬、天空葬だったりするわけで、私の監修した『自然葬のススメ』と変わらない」と書かれています。この島田氏のブログのことは、大手冠婚葬祭互助会のアークベルの北村芳明社長から教えていただきました。北村社長は「海や山への散骨と火葬場に遺灰を捨てるのとでは全然違うよね!」と言われていましたが、それにしても北村社長が島田氏のブログをチェックしたことにビックリです(笑)。


青木新門氏の「新門日記」より

 

ブログ『納棺夫日記』ブログ『それからの納棺夫日記』で紹介した本を書かれた作家の青木新門氏のブログ「新門日記」の7月30日の記事には、こう書かれています。
一条真也氏(=佐久間庸和 (株)サンレー代表・全国冠婚葬祭互助会連盟会長)から8月4日発売の新著『永遠葬』が送られてきた。内容は島田裕巳氏の『葬式は、要らない』や近著『0葬』を批判した『葬式は要る』という立場で、なぜ要るのかということを多くの事例や理由をあげて書かれた本である。島田氏が個の命にとらわれているのに対して、一条氏は永遠を見据えているのがいい。氏は京都大学こころの未来研究センターの研究員でもある。私も島田祐巳氏が『葬式は、要らない』を出した時、当時本願寺の教学研究所の所長をしておられた浅井成海師と対談形式で『葬式は要る』と題して出版する計画があった。ところが企画したPHP出版と打ち合わせていたら浅井氏が末期癌で急逝され、出版の話はたち切れとなってしまった。あの時島田氏の本を読んで感じたことは、NHKのクローズアップ現代のように、葬式や宗教を社会現象学的に取り上げているだけだと思った。事物の現象の本質が全くわかっていない人だと思った。現象の本質がわかっていないということは、死の本質がわかっていないということであり、宗教の本質がわかっていないということでもある。後から島田氏はマックスウェーバーの流れをくむ橋爪大三郎氏の弟子だと知って、なるほどと思ったものだった。こういう現象の上辺をなでたようなものを書いて時流に乗るのがうまい学者の本はよく売れるが、酒鬼薔薇聖斗の近著『絶歌』が売れるのと同じような市場経済優先の社会現象のように私には映るのだった。しかしそのことが多くの人を惑わす結果になるから困るのである」


新文化」2015年8月13日号

 

出版業界のオピニオン・ペーパーである「新文化」の最新号(8月13日号)にブログ『永遠葬』で紹介した拙著が紹介されました。記事は「現代書林 『0葬』へのアンサー本」「ほぼ同一体裁で刊行」という見出しで、以下のように書かれています。
「葬式の在り方について書かれた、ほぼ同じ体裁の2冊。だが、その出版元は異なる2社である。7月下旬、著述家・一条真也氏の『永遠葬 想いは続く』(現代書林)が発売された。これは、昨年1月に集英社から刊行された宗教学者島田裕巳氏の『0葬 あっさり死ぬ』のいわば『アンチテーゼ本』。『葬式は誰のために、何のために行うのか』をテーマに相反する主張を繰り広げている2冊だが、『永遠葬』は意図的に『0葬』の四六判の判型からページ数の208頁、定価1200円、装丁デザインまで同じようなものにしている。実は、以前にも一条氏は、島田氏の『葬式は、要らない』が発売された後、『葬式は必要!』を上梓している。今回の『0葬』について一条氏は、その考え方に共感する部分はありつつも、「(島田氏は)どうしてここまで人間の人生に価値を置かないのか」と『永遠葬』で記している。だが、両者は真っ向から対立しているわけではない。お互いに親交もあり、一条氏が『永遠葬』を献本すると、島田氏は自身のブログで「私の本に対する批判というより、同じ方向性を目指しているように思えた。彼の言う永遠葬は、(中略)私の監修した『自然葬のススメ』と変わらない」と共通項を認めている。一条氏も『もとより島田氏個人には恨みはありません。ですから、殺伐としたアンチ本ではなく、「遊び心」のあるアンサーブックを目指したのです』と語る。そして改めて『葬儀によって、有限の存在である「人」は、無限の存在である「仏」となり、永遠の命を得ます。これが「成仏」です。葬儀とは、じつは「死」のセレモニーではなく、「不死」のセレモニー』と主張する。現代書林の坂本桂一社長は『一条氏から同じようなものにしたいと提案があった。(2点が)議論のきっかけになり、お互いに売れたらいい』と話している」


北日本新聞」2015年9月7日朝刊

 

また、「北日本新聞」には、わたしのインタビュー記事が掲載されました。「葬儀めぐり2冊が論争」の大見出し、「装丁も類似 在り方問う」の見出しです。8月27日に東京で取材を受けたものです。「時代のエッジ」という早川さや香さんの記事で、「本のへ理屈ですが」というシリーズものです。基本的には『永遠葬』(現代書林)についてのインタビューですが、その内容および『0葬』へのカウンターブックを出した経緯などについて質問されました。早川さんは、ブログ「新文化に『永遠葬』の記事が紹介されました」の内容を読まれたそうで、非常に興味を抱かれたそうです。記事には、こう書かれています。
「葬儀の在り方について問う、ある本とそのアンチ本が注目されている。タイトルの書体、帯のデザインもそっくりで、ここまで体裁をそろえた出版バトル(?)は珍しい。『0葬(ゼロそう)』(集英社)の著書は宗教学者島田裕巳氏。少子高齢化・都市化時代に伴う簡素化せざるを得ない葬儀の在り方を考察し、火葬場で遺体を完焼して「遺骨を持ち帰らない」無葬儀を提案した。これに反対し、著述家の一条真也氏が、供養の普遍性を説く『永遠葬』(現代書林)を今夏出版。よい議論のきっかけのためデザインを似せたいと、自ら版元に提案した。以前にも一条氏は島田氏の『葬式は、要らない』の出版後に、『葬式は必要!』を上梓し、今回は2回戦目といえる。だが、一条氏が献本した『永遠葬』の感想を島田氏に聞くと、『対立というよりは、自然葬のすすめなど、同じ方向に進んでいるよう」と肯定的。一条氏も「島田さん個人には恨みなどなく、学者として尊敬し、著書を贈り合うなど交流もある。遊び心でこのような体裁にしました』と語る」

 

また「多い共通項」の小見出しで、こう書かれています。
「確かに2冊の内容は、制度疲労を起こしている仏式葬儀への疑問、地域社会の希薄化・多様化に応じた葬儀のイノベーションの提案など、共通項も多い。しかし、葬儀を『行わない』『ゼロ』にするという極論は認めがたいと一条氏は強調。『葬儀はただのカタチではない。ご遺族たちは、死者を送るという“物語”があってこそ心が救われる。そして故人にとって葬儀は最大の自己表現であり、魂の尊重です。人間は、葬儀を行うからこそ人間。葬儀によって無限の存在である“仏”となり、永遠の命を得ると私は信じています。時代に即した散骨スタイルや、島田さんの『葬送の自由をすすめる会』には大いに賛成ですが、そういう運動に取り組まれる時点で無葬儀がよいと思っていないのでは』個人的な経験で言うと、0葬どころか、自然葬にもなじめない。私は10年前にある雑誌で、型破りな葬儀社社長が主人公の漫画原作賞を受賞させていただいたことがある。実在のさまざまな事例をヒントにした。ウエブ上で見積もり料金の細部を公開し、業界のグレーを破った葬儀社。たばこをこよなく愛した故人のため『マイルドヘブン』というたばこパッケージふうの墓を建てたご遺族・・・。葬儀のあり方を問い直し、自然葬という言葉が広がり始めた2000年代だった」

 

さらに「骨に対する信仰」として、こう書かれています。
「しかしその後、自分の義父が亡くなり、かねてから故人が望んだ樹木葬を目にしたときは、かなり動揺した。地面にうがった穴に直接じょうごで遺灰を流し入れる光景は受け入れがたく・・・。『骨に対する信仰が強いからですよ。そこに魂が宿るわけではないし、太古から人々が行ってきたように骨を自然に還さないことこそ“不自然葬”では?ご遺体をきちんと処理し、ご冥福は他で祈る。現代人は、ハカや死者との同居という重荷を下ろし「あっさり死ぬ」でもいいのではないでしょうか』と島田氏。事実、『人が一人死ねば(葬儀・墓の新規建立ふくめ)500万円かかる』と統計のある東京では、葬儀の4分の1近くが火葬のみ行う『直葬』となった。だがこうした島田氏の主張は首都圏の事情であり、真宗王国と呼ばれるわが富山県の多くの方は賛同しかねるだろう。永遠の『生』を得るために、仏式葬儀だけでなく樹木葬、海洋葬、天空(ロケット)葬に取り組む一条氏の進取性にも戸惑うかもしれない。『今度2人で対談し本にまとめたい』と一条氏は言う。島田氏にその旨を伝えると『拒む理由はないです』と快諾。意見は違えど議論は自由。どう生き死ぬかも自由。2冊のバトルは、出版業界の中だけでなく、今の私たちの生き方に直接問いかけてくる。(スタジオポケット代表、富山市出身、東京)」

葬式に迷う日本人』(三五館)

 

北日本新聞」の記事の中に触れられている島田氏との対談本は、2016年10月に上梓した『葬式に迷う日本人』(三五館)で実現しました。同書には、「最期の儀式を考えるヒント」というサブタイトルがつけられ、現代日本における「葬」のすべてが書かれています。帯には「要る? 要らない?」「最初で最後の直接対決!」「論争から見えてきた新しい葬儀のカタチとは?」というキャッチコピーが踊っています。また両者の写真が使われ、島田氏は「不要論者 宗教学者」、わたしは「絶対必要論者 冠婚葬祭業大手社長」というレッテルが貼られています。葬儀やお墓について考えている方、冠婚葬祭業界および仏教界の方々は必読の書だと言えるでしょう。わたしたちが共著を出した事実には驚かれた方も多かったようです。たしかに「葬儀」に対する考え方は違いますが、いがみ合う必要などまったくありません。意見の違う相手を人間として尊重した上で、どうすれば現代の日本における「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切ではないでしょうか?

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2022年5月23日 一条真也