『永遠の知的生活』

一条真也です。
もうすぐ中国哲学者の加地伸行先生(大阪大学名誉教授)との対談本『論語と冠婚葬祭』(現代書林)が刊行されますが、わたしはこれまでに何冊かの対談本を上梓しています。特に思い出に残るのが、英文学者で上智大学名誉教授であった故渡部昇一先生との対談本『永遠の知的生活』(実業之日本社)です。71冊目の「一条真也による一条本」紹介として、同書を取り上げたいと思います。

永遠の知的生活』(実業之日本社

 

2014年12月に発売された同書には、「余生を豊かに生きるヒント」というサブタイトルがつけられています。また、帯には渡部先生の書斎でのツーショット写真とともに「人は死ぬまで学び続ける。それが最高の幸せ」と書かれています。ブログ『知的生活の方法』で紹介した大ベストセラーから38年、稀代の碩学渡部昇一先生とわたしが「知・老い・死」を語り合った対談集です。 孔子ソクラテスパスカルゲーテエマソンヒルティ、石田梅岩佐藤一斎新渡戸稲造渋沢栄一・・・・・・人類遺産ともいえる先人の叡智に触れる喜び、 読書の効用を説き、老いてもなお、学ぶことの価値を語り合います。巻末には2人による「永遠の知的生活のためのアドバイス」も収録されています。


帯の裏では「目次」を紹介

 

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」(一条真也
■第1章 書斎のある生活
    ――「読書」との出会い
■第2章 記憶と忘却のはざまで
    ――記憶こそ人生
■第3章 豊かな老後の実現
    ――老いて学ぶ
■第4章 知的生活の死生観
    ――人は必ず死ぬ・・・
■第5章 日本人を語る
    ――心学とカミ文明圏
■終  章 ――永遠の知的生活
「おわりに」(渡部昇一

 

読書は「知的生活」の基本です。そして「知的生活」といえば、渡部昇一先生です。渡部先生は「稀代の碩学」であり「知の巨人」、そして「現代の賢者」として知られます。2014年の七夕、わたしはかねてより心から尊敬している渡部先生のご自宅を訪問し、謦咳に接する機会を得ました。わたしの中学時代の同級生に、東北大学大学院教授の江藤裕之君がいます。彼は上智大学で渡部先生の下で学んだ愛弟子でもあります。その江藤君と東京の最寄駅で待ち合わせし、そこから渡部先生の御自宅へ向かいました。以前、渡部先生とは一度お会いしたことがあります。わが業界団体の講演にお招きしたのですが、そのとき控室でお話しさせていただきました。渡部先生は、わたしのことをよく憶えておられました。

 

 

わたしは渡部先生の著書はほとんど読んでいるつもりですが、最初に読んだ本は大ベストセラー『知的生活の方法』(講談社現代新書)でした。この本を中学一年のときに読み、非常にショックを受けました。このときから、読書を中心とした知的生活を送ることこそが理想の人生になり、生涯を通じて少しでも多くの本を読み、できればいくつかの著書を上梓したいと強く願いうようになりました。わが書斎にある『知的生活の方法』は、もう何十回も読んだためにボロボロになっています。表紙も破れ、セロテープで補修しています。この本は、わたしのバイブルです。


渡部先生の書斎を写真入りで紹介

 

「世界一」とされる渡部先生の書斎に続いて、書庫を拝見しましたまさに、わたしにとっては夢のような時間でした。対談の最初は、わたしにとっての「恩書」である渡部先生の大ベストセラー&ロングセラー『知的生活の方法』の思い出から始まって、先生の世界一の書斎および書庫のお話、それから「四大聖人」「心学」「カミ文明圏」といった日本人の本質に迫るテーマを語り合い、最後は靖国神社を中心とした「鎮魂」「慰霊」の問題について意見交換をさせていただきました。


わが書斎や実家の書庫も紹介

 

いろいろな話をさせていただきましたが、わたしは「心学」について質問させていただきました。神道・仏教・儒教が日本人の「こころ」を支えており、それらが共生した「かたち」が冠婚葬祭ではないかという持論を述べさせていただいたところ、渡部先生は「そうですね、日本は“カミ文明圏”なんですよ」と言われました。「ゴッド」ではなく「カミ」。渡部先生いわく、カミ文明圏の中に神道も仏教も儒教も取り込まれてきたのです」と言われました。

 

 

対談は5時間以上にも及びましたが、最後にわたしは書名にもなっている「永遠の知的生活」について語りました。わたしは「結局、人間は何のために、読書をしたり、知的生活を送ろうとするのだろうか?」と考えることがあります。その問いに対する答えはこうです。わたしは、教養こそは、あの世にも持っていける真の富だと確信しています。あの丹波哲郎さんは80歳を過ぎてからパソコンを学びはじめました。霊界の事情に精通していた丹波さんは、新しい知識は霊界でも使えると知っていたのです。ドラッカーは96歳を目前にしてこの世を去るまで、『シェークスピア全集』と『ギリシャ悲劇全集』を何度も読み返していたそうです。

 

 

死が近くても、教養を身につけるための勉強が必要なのではないでしょうか。モノをじっくり考えるためには、知識とボキャブラーが求められます。知識や言葉がないと考えは組み立てられません。死んだら、人は精神だけの存在になります。そのとき、生前に学んだ知識が生きてくるのです。そのためにも、人は死ぬまで学び続けなければなりません。わたしがそのような考えを述べたところ、渡部先生は「それは、キリスト教の考え方にも通じますね」と言って下さいました。

 

 

わたしは、読書した本から得た知識や感動は、死後も存続すると本気で思っています。人類の歴史の中で、ゲーテほど多くのことについて語り、またそれが後世に残されている人間はいないとされているそうですが、彼は年をとるとともに「死」や「死後の世界」を意識し、霊魂不滅の考えを語るようになりました。『ゲーテとの対話』では、著者のエッカーマンに対して、ゲーテは「私にとって、霊魂不滅の信念は、活動という概念から生まれてくる。なぜなら、私が人生の終焉まで休みなく活動し、私の現在の精神がもはやもちこたえられないときには、自然は私に別の生存の形式を与えてくれるはずだから(木原武一訳)」と語っています。

 

 

渡部先生は「キリスト教の研究家にこんなことを教えてもらいました。人間が復活するときは、最高の知性と最高の肉体をもって生まれ変わるということです」と言われました。わたしが「これらかもずっと読書を続けていけば、亡くなる寸前の知性が最高ということですね。そして、その最高の知性で生まれ変われるということですね」と言ったところ、先生は「そうです。それに25歳の肉体をもって生まれ変われますよ」と言われました。これほど嬉しい言葉はありません。わたしは「それを信じてがんばります。まさに『安心立命』であります」と述べました。


生涯忘れられない対談となりました

 

わたしは、ゲーテと同じく理想の知的生活を実現された、おそらく唯一の日本人であろう渡部昇一先生に対して、エッカーマンのような心境でお話しを伺わせていただきました。渡部先生は対談当時84歳でしたが、95歳まで読書を続け、学び続けると宣言されていました。渡部先生ほどの現代日本最高の賢者でも学ぶことをやめない。そのことに、わたしは猛烈に感動しました。そう、人は死ぬまで学び続けなければならないのです。その渡部先生は2017年4月17日午後1時55分、心不全のため逝去されました。86歳でした。クリスチャンであられた渡部先生の魂が神のみもとで安らかであられますように・・・・・・。

f:id:shins2m:20220318151740j:plain論語と冠婚葬祭』がもうすぐ発売!

 

渡部先生なき後、わたしが日本における最後の「知の巨人」と尊敬申し上げる方がおられます。日本における儒教研究の第一人者である加地伸行先生(大阪大学名誉教授)です。加地先生とわたしの対談本『論語と冠婚葬祭』が今月末に発売されます。日本一わかりやすい儒教の入門書であり、冠婚葬祭の本質も理解できる内容となっています。仏式葬儀の中には、儒式葬儀の儀礼が取り込まれています。インドにおける本来の仏教に、果たして今のような葬儀の儀礼があったのかどうかさえ疑問です。

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両先生と対談させていただいた幸せ!

 

加地先生は、「日本仏教はもちろんすぐれた宗教として存在する。私は仏教信者でありつつ、儒教的感覚の中で生きている」と述べておられます。この言葉は、多くの日本人にも当てはまるものです。そして、日本人の葬儀の本質とは仏教でなく儒教の儀式であり、そこでは直葬などありえないのです。渡部昇一先生と加地伸行先生のお二人の「知の巨人」の形骸に接することができたわたしは、本当に幸せ者だと思います。先生方への感謝の念しかありません。

 

 



2022年3月19日 一条真也