社会を持続させる互助会

一条真也です。
17日の午後、東京から小倉に戻りました。
18日の早朝から、ブログ「春季例大祭」で紹介した神事が行われ、朝粥会が開かれました。その後、松柏園ホテルで恒例の天道塾が行われました。

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最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20220318085839j:plain訓話する佐久間会長

 

神事の後は、恒例の「天道塾」です。最初に佐久間会長が登壇し、一昨日の地震の話題を取り上げました。今から11年前の東日本大震災の発生の際、会長は東京の九段会館にいました。そこから定宿の赤坂プリンスホテルまで歩いて帰り、37階の客室まで戻った体験談を語りました。とても37階までは階段で登れないと途方に暮れたとき、知り合いのホテルマンが裏にある非常用のエレベーターで案内してくれたそうです。ホテルのロビーには何百人の避難された方々がいて、ホテルから提供された毛布をかぶって夜を明かしたそうです。今はもう存在しない同ホテルのセキュリテイとホスピタリティの素晴らしさを讃えました。

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訓話する佐久間会長

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佐久間会長の訓話を聴きました

 

それから、会長は「茶のある人間になろう!」と訴え、茶道を学べば「気づき」「気くばり」「気ばたらき」を体得することができ、さらには「うやまい」「ふるまい」「もてなし」の世界に通じることを力説しました。もともと栄西が中国から日本に持ち帰った茶は健康のためのものでしたが、千利休によって作法が確立され、茶道は総合芸術となってゆきます。会長は「これからの茶道は、ヘルス・アートです!」と言いましたが、それを聞いたわたしは「体へのケア、心へのケア・・・茶道は、ヘルスケア・アートではないか」と思いました。そして、サービス業がケア業へ進化するカギは茶道にあるような気がしてきました。

f:id:shins2m:20220318094055j:plain淡いピンクの不織布マスク姿で登壇

 

続いて、わたしが、「春」を意識した淡いピンクの不織布マスク姿で登壇しました。まず、「オミクロン株によるコロナ感染拡大はピークアウトを迎えたとも言われていますが、まだまだ新規感染者は多いです。濃厚接触者も多いです」と言いました。そんな中、2月24日にはロシアがウクライナに軍事侵攻を開始しました。3月16日の23時36分頃、福島県沖で震度6強の地震が発生しました。パンデミックに戦争に自然災害・・・・・・世界はまさに絶体絶命なのかもしれません。地震といえば、3月11日、あの東日本大震災の発生から11年目を迎えました。その日、わたしは、四谷にある上智大学のキャンパスに向かいました。ここにある6号館で開かれる「実践宗教学研究科シンポジウム」に参加するためでした。

f:id:shins2m:20220318094109j:plainマスクを外しました

 

このシンポジウムでは、上智大学グリーフケア研究所島薗進先生、鎌田東二先生、伊藤高章先生が上智大教授を退官されるにあたっての最終講義が行われました。島薗先生はわがグリーフケアの師であり、鎌田先生は魂の義兄弟であり、伊藤先生は全互協グリーフケアPTのメンバーで、グリーフケア資格認定制度の発足と運営にひとかたならぬご尽力をいただいています。お三方とも大変お世話になっている方々ばかりですので、「いざ、四谷!」と出張先の長崎から博多を経て駆け付けました。

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悲嘆とは失ったものの大きさの裏返し!

 

この日のシンポジウムは、13時からの開始でした。トップバッターは伊藤先生で、テーマは「“実践宗教学する”を学ぶ」でした。クリスチャンである伊藤先生は冒頭で「ルカによる福音書」を引用され、ケアに学び、ケアを実践することの意義を説かれました。伊藤先生は「強者へのケアはあり得るか?」という問題提起をされましたが、それを聞いたわたしは「いま、世界中で最もケアが必要なのはプーチンではないか」と思いました。あと、「言葉になりえないものを扱うのが文学であり、芸術である」という指摘も印象的でした。さらに、質疑応答での伊藤先生の「悲嘆とは失ったものの大きさの裏返しです。悲嘆を抱えないための唯一の方法は、誰も愛さないことです」との発言が心に残りました。このような素晴らしい方の指導を受けた全互協のグリーフケア資格認定制度のファシリテーターたちは本当に幸せだと思いました。

f:id:shins2m:20220318094142j:plain宗教→死生学→グリーフケアの道

 

次に、島薗先生が「上智大学の9年間に学んだこと――グリーフケア・死生学・実践宗教学」の講義をされました。島薗先生は、東京大学の医学部に入学され、精神学科に進まれましたが、そこが日本における学生運動の発火点となり、島薗青年も巻き込まれていきます。ちょうどベトナム戦争に対する反戦運動が盛んな頃で、ロシアがウクライナ侵攻した現在のように世界が混乱している時期でした。その後、医学から宗教学へ自身の進む道を変更された島薗先生は、天理教中山みき金光教の赤沢文治といった新興宗教の教祖を研究します。若くして、宮田登五来重・桜井徳太郎といった大学者とも共著を出す活躍ぶりでした。その後、研究対象を宗教→死生学→グリーフケアへと変えてこられました。

f:id:shins2m:20220318095413j:plain「ケア」は人類の普遍思想だ!

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熱心に聴く人びと

 

島薗先生が挙げられた「喪の仕事」と「悲しみの容れ物」、「魂のふるさと」と「悲劇的なもの」というキーワードも非常に興味をそそられましたが、何と言っても、「愛」「仁」「慈悲」「絆」「和」などポジティブな人と人との関わりについての鍵概念は「ケア」と関わりがあるという発言が非常に印象的でした。ということは、「ケア」はイエス孔子ブッダの思想にも通じ、キリスト教儒教や仏教の教えをも貫くことになります。これはもう、人類の普遍思想ではないですか! わたしは「愛」「仁」「慈悲」「絆」「和」などを「ハートフル・キーワード」として捉えていますが、「ハートフル」と「ケア」が同義語のような気がしてきました。まさに、目から鱗です。最後に、「子どもの頃からお墓参りに連れて行ってもらったのが原点で、そこから死生学やグリーフケアへと流れたのかもしれません」という発言が心に残りました。

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儀礼の本質とは?

 

最後は、鎌田先生による「日本の物語文化とケアの文化――日本三大悲嘆文学と四国遍路を事例として」です。鎌田先生の登壇時間は14時45分からで、まさに東日本大震災の発生時間の頃でした。冒頭、鎌田先生は聴講者一同に黙祷を呼びかけられました。当然ながら東日本大震災犠牲者への追悼の黙祷かと思いましたが、鎌田先生は「ウクライナ、コロナ、東日本大震災をはじめとした自然災害で命を落とされたすべての方々のために」と言われました。わたしは静かな感動をおぼえるとともに、「鎌田先生らしいなあ」と思いました。儀礼についても語られ、「リアルからいったん離れて、あえてフィクションの世界に身を投じる」ことが儀礼の本質であると指摘されましたがつねづね儀礼や儀式について考え続けているわたしも、これには膝を打ちました。そう、儀式という営みは物語の世界です。さすが鎌田先生は日本を代表する宗教哲学者です!

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「まつり」と「うた」は日本人の生存戦略

 

鎌田先生の最終講義は、日本三大悲嘆文学としての『古事記』と『平家物語』と『苦海浄土』についての解釈が主な内容でしたが、特に印象的だったのは「いのちの賛歌としての『古事記』は日本人の生存戦略の書でもある。すなわち『まつり』と『うた』を発明したのがそれである」というくだりは、わたしのハートをヒットしました。なるほど、「まつり」と「うた」は日本のSDGsに関わっていたのか! ならば、コロナ以前にサブちゃんの「まつり」をカラオケで「うた」っていたわたしはどうなる?(笑)また、鎌田先生は、大国主命(オホナムヂ)が兄たちからいじめられ続け、2度も殺されたことを挙げ、「こんなエピソードが神話として残っている日本は変な国です」と言われました。今年、鎌田先生とわたしは『神道と日本人』という対談本を上梓する予定ですが、ぜひこの「変な国」について大いに語り合いたいです。

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互助会は社会を持続させるシステム

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熱心に聴く人びと

 

鎌田先生の最終講義で「『古事記』と日本におけるSDGs」を学びましたが、「SDGs」は今や国際的なキーワードです。「持続可能な開発目標」という意味ですが、冠婚葬祭互助会は社会を持続させるシステムそのものではないでしょうか。結婚式は、夫婦を生み、子どもを産むことによって人口を維持する結婚を根底から支える儀式です。一方葬儀は、儀式とグリーフケアによって死別の悲嘆によるうつ、自死などの負の連鎖を防ぐ儀式です。冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる重要な文化装置なのです。

f:id:shins2m:20220318094956j:plainSDGsこそ、互助会の出番である!

 

そして、互助会の根本理念である「相互扶助」は、社会の持続性により深く関わります。貧困ゆえに入浴の習慣を知らない小学生や一日一回しか食事ができない子どもがいるという。その事実を知り、「なんとかしなければ!」と強く思いました。SDGsといえば、まずは環境問題が思い浮かびますが、人権問題も貧困問題も児童虐待も、すべての問題は根が繋がっている。その意味で入浴や食事がままならないお子さんを見て見ぬふりはできません。子どもたちに「日王の湯」の風呂に入ってもらった後、食堂でカレーライスをお腹いっぱい食べてもらうイベントを開催しましたが、新しい互助会の在り方だと思います。七五三のような通過儀礼を挙げてもらえない子どもたちには、合同七五三なども考えたいです。儀式の素晴らしさを知れば、将来は互助会との縁ができるかもしれません。

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暴力団」の反対語は「互助会」である!!

 

ブログ「奥田知志さんの来社」で紹介したように、いま、北九州市では「希望のまち」プロジェクトが始動しています。全国的に有名な暴力団の本部跡地に一大福祉施設の建設が計画されています。わが社が参加する上で、クリアすべき問題はまだ残っています。しかし、わたしの想いとしては、ぜひ、わが社も参加して、日本一の「子ども食堂」を運営し、日本一の「合同七五三」を開催したいです。「隣人愛の実践者」こと認定NPO法人抱樸の理事長である奥田さんはNHK「プロフェッショナル 仕事の達人」に2回登場した人です。他に2回登場した人は、野球のイチロー選手、サッカーの本田圭佑選手、そして宮崎駿監督の3人しかいないそうなので凄いですね!

f:id:shins2m:20220305093655j:plain奥田知志ツイッターより

 

奥田さんとわたしは同年齢ですが、これまでにブログ「隣人対談」ブログ「無縁社会シンポジウム」ブログ「茂木健一郎&奥田知志講演会」ブログ「包摂社会シンポジウム」ブログ「最期の絆シンポジウム」ブログ「支え合いの街づくり」ブログ「荒生田塾講演」などで紹介したとおり、数多くの対談やシンポジウムでご一緒させていただきました。活動の場は違っても、ともに有縁社会あるいはハートフル・ソサエティの創造を目指している点では同じであり、同志であると思っています。その奥田さんがツイッターで「一条さんと一緒に希望のまちを創ります」と宣言して下さいました。

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最後は、もちろん一同礼!

 

そして、わたしは「暴力団の反対語は何だと思いますか? 警察? 違います。わたしは、暴力団の反対とは互助会だと思っています。暴力団がある意味で、プロのハラスメント組織なら、互助会はプロのケア組織であるべきです。高い志を掲げて、頑張りましょう!」と言いました。最後に「今日、春季例大祭も行いました。みなさん、春は近いです。わが社の春も近いです!」と笑顔で述べてから、わたしは降壇しました。

f:id:shins2m:20220318130957j:plain論語と冠婚葬祭』がいよいよ発売されます!

 

最後に、天道塾の終了後に嬉しいメールが届きました。日本における儒教研究の第一人者である加地伸行先生(大阪大学名誉教授)とわたしの対談本『儒教と日本人』の正式タイトルが『論語と冠婚葬祭』に決定し、その表紙と帯のデザインが送られてきたのです。当事者のわたしが言うのも何ですが、この本、むちゃくちゃ面白いです。日本一わかりやすい儒教の入門書ではないでしょうか。また、冠婚葬祭の本質が理解できます。仏式葬儀の中には、儒式葬儀の儀礼が取り込まれています。インドにおける本来の仏教に、果たして今のような葬儀の儀礼があったのかどうかさえ疑問です。加地先生は、「日本仏教はもちろんすぐれた宗教として存在する。私は仏教信者でありつつ、儒教的感覚の中で生きている」と述べられています。この言葉は、多くの日本人にも当てはまるものでしょう。そして、日本人の葬儀の本質とは仏教でなく儒教の儀式であり、そこでは直葬などありえないのです。冠婚葬祭業界を救う「救業の書」、そして日本を救う「救国の書」となる予感がする『論語と冠婚葬祭』ですが、今月末に発売、もうすぐアマゾンにもアップされます。どうぞ、お楽しみに!

 

2022年3月18日 一条真也