「燃えよ剣」

一条真也です。
15日から公開の日本映画「燃えよ剣」を観ました。前日に観たブログ「DUNE/デューン 砂の惑星」で紹介した映画は大傑作でしたが、この「燃えよ剣」もかなりの傑作で、上映時間の148分が一気に過ぎ去った感じです。主役の土方歳三を演じた岡田准一は安定の剣さばきでしたし、近藤勇役の鈴木亮平沖田総司役の山田涼介、芹沢鴨役の伊藤英明も、みんな良かったです!


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
司馬遼太郎のベストセラー小説を原作にした時代劇。新選組の副長・土方歳三の姿を、近藤勇沖田総司といったほかの志士たちの人生と共に活写する。監督は『クライマーズ・ハイ』などの原田眞人。『関ヶ原』で原田監督と組んだ岡田准一をはじめ、NHKの大河ドラマおんな城主 直虎』などの柴咲コウ、同じく大河ドラマ西郷どん』などの鈴木亮平、『暗殺教室』シリーズなどの山田涼介、『悪の教典』シリーズなどの伊藤英明らが共演。池田屋事件の舞台となった旅館・池田屋を再現している」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「江戸時代末期、黒船来航と開国の要求を契機に、天皇中心の新政権樹立を目標とする討幕派と、幕府の権力回復と外国から日本を守ることを掲げた佐幕派の対立が表面化する。そんな中、武士になる夢をかなえようと、近藤勇鈴木亮平)や沖田総司(山田涼介)らと京都に向かった土方歳三岡田准一)は、徳川幕府の後ろ盾を得て芹沢鴨伊藤英明)を局長にした新選組を結成する。討幕派勢力の制圧に奔走する土方は、お雪(柴咲コウ)という女性と運命の出会いを果たす」


日本の時代劇の中で「新選組」は人気のテーマで、数えきれないほど映画やドラマになっています。江戸時代末期(幕末)の京都で治安維持活動、特に尊攘派志士の弾圧活動をした浪士隊です。京都守護職に所属し、発足時は24名でしたが、最大時は約230名でした。わずか6年しか存続しませんでしたが、「最強の剣客集団」として知られました。わたしが新選組に興味を抱いたのは高校生のときで、「週刊少年キング」で望月三起也のマンガ『俺の新選組』を読んだときだったと記憶しています。その流れで、司馬遼太郎の『燃えよ剣』も読みました。

 

 

燃えよ剣』は、数多くの司馬作品の中でも最も人気のある作品の1つ。アマゾンの「内容紹介」には「幕末の動乱期を新選組副長として剣に生き剣に死んだ男、土方歳三の華麗なまでに頑な生涯を描く。武州石田村の百姓の子“バラガキのトシ”は、生来の喧嘩好きと組織作りの天性によって、浪人や百姓上りの寄せ集めにすぎなかった新選組を、当時最強の人間集団へと作りあげ、己れも思い及ばなかった波紋を日本の歴史に投じてゆく。『竜馬がゆく』と並び、“幕末もの”の頂点をなす長編」と書かれています。

f:id:shins2m:20211016233111j:plain映画「燃えよ剣」公式HPより

 

古来、歴史は勝利者が語ることによって「正史」が創り出されます。これは洋の東西を問いません。戦後76年目にして日本が「自虐史観」の呪縛から脱却できないことを考えれば容易に理解できることです。司馬遼太郎は、『燃えよ剣』の中で、以下のように土方歳三に語らせています。
「近藤さん、あんた日本外史の愛読者だが、歴史というものは変転してゆく。そのなかで、万世に易(かわ)らざるものは、その時代その時代に節義を守った男の名だ。新撰組はこのさい、節義の集団ということにしたい」
「たとえ御家門、御親藩譜代大名、旗本八万騎が徳川家に背をむけようと弓をひこうと、新撰組は裏切らぬ。最後のひとりとなっても、裏切らぬ」
「目的は単純であるべきである。思想は単純であるべきである。新撰組は節義にのみ生きるべきである」
「昨日の夕陽が、きょうも見られるというぐあいに人の世はできないものらしい」


新選組は映画やテレビ、小説でも数多く取り上げられており、枚挙に暇がありません。平成以降の映画でいえば、「幕末純情伝」(1991年)「御法度」(1999年)「壬生義士伝」(2003年)、TVではNHK大河ドラマ新選組!」(2004年)が記憶に新しいところです。小説も多いのですが、新撰組副長であった土方の「いきざま」を描いた司馬遼太郎の『燃えよ剣』は、数多い司馬作品の中でも人気のある小説です。もっとも、幕末を題材とする小説や映画は、ペリー来航から明治維新までの間が、わずか15年ほどであるため、誰を主人公に描いたとしても幕末明治維新の主要な人物が登場することになるのですね。そう、この時代は群像ドラマそのものです。


燃えよ剣」の物語は、フランス軍人ジュール・ブリュレのインタビューに土方歳三が回想を交えながら答える形で進みます。土方の口から、彼の人生が詳しく語られていきます。天保6年5月5日(1835年5月31日)、武州武蔵国多摩郡石田村(現・東京都日野市石田)豪農の末っ子として生まれた彼は、幕末期の幕臣新選組副長。蝦夷島政府陸軍奉行並。 諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷島政府」では、軍事治安部門の責任者に任ぜられて指揮を執りました。


土方の口からは、自身の人生だけではなく、新選組の「始まり」から「終わり」までが語られます。盟友であった新選組局長の近藤勇、一番組隊長の沖田総司に関するエピソードが最も興味をそそられますが、初代筆頭局長の芹沢鴨の存在感も大きいです。剣は滅法に強いが酒と女に溺れた新選組の問題児・芹沢は、文久3年(1863年)9月16日あるいは18日に暗殺されます。その日、新選組は島原の角屋で芸妓総揚げの宴会を開きました。宴席が終るとすっかり泥酔した芹沢らは女たちと同衾しましたが、そこを襲われたのです。とどめを刺したのは、芹沢が可愛がっていた沖田だとされています。土方は、「芹沢さんは悲しみを酒と女で封じ込めた」と語っていますが、一体、芹沢のグリーフとはどのようなものだったのでしょうか?


その芹沢と近藤、土方が「士道」について議論する場面が登場します。新しい士道を選ぶという意味で「新選組」と名づけた土方に対して、芹沢は「士道とは何か?」と問います。「士道は士道である」という近藤、「武士らしく生きる道を求める」という土方に向かって、芹沢は「士道とは仕える主君あってのもの。新選組は何に仕えるのか?」と疑問を呈しますが、これは芹沢の方が正しいと思いました。近藤勇土方歳三も、新選組のメンバーは武士の出身ではありません。そんな彼らが士道を求めるのは抽象的なロマンティズムであり、ある意味で彼らの活動は「侍ごっこ」と見られても仕方がなかったと思います。


新選組はその組旗に「誠」の一字を入れました。誠とは何でしょうか。四書のひとつ『中庸』には、「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」と説かれています。誠とは、天が定めた道です。だから誠を身に備えることは、人としてのあるべき道なのです。誠という字は「言」と「成」からできています。何かを志し、それを述べることが「言」で、それを行うことが「成」です。述べて行わなければ誠ではありません。誠の道はこれによって向上するものであり、達すると誠の極みで、これを「至誠」と呼びます。しかし、「誠」を掲げた新選組が求めたのは、結局は武士になりたいという「夢」でした。さらに土方自身は、大名になりたいという夢を抱いていました。この映画のキャッチコピーも「時代を追うな。夢を追え。」です。土方たちが追っていたのは「夢」だったのです。


「夢」とは、あくまでも私的な目標です。公的な目標は「志」と呼ばれます。「志」を持つ者を「志士」と呼びます。新選組が斬ったのは、まさに志士と呼ばれる人々でした。志士のシンボルともいえる坂本竜馬の暗殺には関与していないと思われますが、土方歳三も多くの志士を斬りました。吉田松陰は、人生において最も基本となる大切なものは、志を立てることだと日頃から門下生たちに説いていました。そして、志の何たるかについて、「志というものは、国家国民のことを憂いて、一点の私心もないものである。その志に誤りがないことを自ら確信すれば、天地、祖先に対して少しもおそれることはない。天下後世に対しても恥じるところはない」と述べています。「夢」と「志」が対決すれば、最終的に「志」が勝つに決まっています。

f:id:shins2m:20211016232841j:plain映画「燃えよ剣」公式HPより

 

「誠」と「志」のぶつかり合いであった新選組の血で血を洗う闘いを描いた「燃えよ剣」において、紅一点ともいえる「お雪」を演じた柴咲コウの存在感はさすがでした。やっぱり、圧倒的な美人ですね。しかし、NHK大河ドラマおんな城主 直虎」(2017年)で主役の伊井直虎を演じた彼女は、長州藩士の未亡人を演じるには目力と貫禄がありすぎる感もありました。土方の想い人といえば、兄の紹介で出会い、婚約までした「琴」が有名です。また、新選組を結成してから浮名を流した祇園の芸妓である「野菊」も知られています。現存している写真からもわかるように土方はかなりのイケメンです。女性からはすごくモテたようですが、これは納得できますね!

f:id:shins2m:20211016233149j:plain映画「燃えよ剣」公式HPより

 

お雪というのはおそらく創作上の女性でしょうが、負傷した土方を介抱した絵師として描かれています。土方と雪が向かい合って食事をする場面は心が温かくなりますし、はるか函館の地まで土方を追っていった雪が、ようやく土方と再会して二人が抱擁する場面は感動的でした。土方がフランス軍人の取材を受けた直後ということもあり、二人の再会シーンはまるでフランス映画の1コマのようでした。クロード・ルルーシュ監督の「男と女」はわたしの大好きなフランス映画の名作です。「燃えよ剣」で、土方とお雪のような「男と女」の燃える恋が描かれたことは、殺人シーン続きの映画の中での唯一の救いでもありました。


燃えよ剣」を観て、わたしは「男の人生とは、どうあるべきか」について考えました。男であれば、だれでも「節義」を守り通した土方の「いきざま」に、心を強く揺さぶられるのではないでしょうか。事実、土方は函館戦争に旧幕府軍として参戦し、見事に散っていきます。ただ一騎、官軍参謀府に向かい、官軍から「誰何」された土方は、「新選組副長 土方歳三新選組副長が参謀府に用がありとすれば、斬り込みにゆくだけよ」と最期の言葉を口にします。もともと武士の出身ではなかった土方は「サムライ」として死んだのです。そこには彼の美学が凝縮された「人生の修め方」がありました。もちろん、ここには司馬遼太郎の脚色があります。実際の土方は、箱館市中と五稜郭の間にあった一本木関門付近で、官軍兵士に狙撃されて戦死したと伝えられています。

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近藤勇の肖像写真

 

わたしたちが故人を偲ぶよすがとなるのが遺影です。映画「燃えよ剣」には、当時の写真撮影シーンが2回登場し、非常に興味深かったです。当時、写真は「ほとがら」と呼ばれていました。“photograph”を当時の日本人が聞き取った結果、「ほとがら」になったのでしょうが、「ほとがら」つまり「仏骸」と意味にも取れます。実際、幕末に日本に入った写真技術は被撮影者の魂を抜く呪術だと信じられていましたし、非常にスピリチュアルな印象がありました。近藤勇の「ほとがら」撮影シーンでは、近藤が顔に白粉を塗っていました。当時の写真技術で被写体をくっきり写すためには白粉を大量に塗る必要があり、また写真が撮影されるまで息を止めなければなりませんでしたが、白い顔で息を止める近藤の姿はまさに死者のようで、それを土方は冷ややかな目で見ていました。

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土方歳三の肖像写真

 

その土方自身も、後に肖像写真を撮影します。新選組副長だった土方歳三は各地を転戦し、蝦夷地に渡り箱館戦争を戦いましたが、半年近くにわたった箱館滞在中に田本写真館で肖像写真を撮影しました。写真には、「箱館市中取締 裁判局頭取」とあります。映画にはそのときの撮影風景が描かれていました。カメラマンの向こうに、すでに亡くなった土方歳三沖田総司井上源三郎らが笑顔で見物している姿が土方には見えました。青春を共にした新選組の仲間たちと離れて蝦夷の地に向かった土方は孤独でしたが、今は亡き仲間たちに支えられて生きていたということを示すシーンでした。


五稜郭タワー内にある土方歳三銅像

 

土方歳三の辞世は「たとえ身は蝦夷の島辺に朽ちるとも 魂(たま)は東(あずま)の 君をまもらむ」でした。これは吉田松陰の「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂」(『留魂録』)を念頭に置いての辞世と見ましたが、「賊軍」とされる土方歳三は、「官軍」の指導的位置にあった吉田松陰をどう見ていたのでしょうか? ちなみに新選組は「誠」を掲げ、松陰は「至誠」を信条としていました。将軍を守るべき「旗本八万騎」の大半は「へっぽこ侍」にして烏合の衆であり、徳川譜代の諸大名さえ徳川幕府に反旗を翻すなか、新選組幕臣として最後まで幕府軍として戦い抜くのです。後世のわたしたちは大きな歴史の流れを俯瞰しながら、歴史上の人物を評することができる訳ですが、結果から批評するだけではなく、その人物がその時代に「何を信じ、何を守るために戦ったのか」に想いを馳せなければならないでしょう。

f:id:shins2m:20211018084344j:plain土方歳三銅像

 

昨今、わたしは、利己的で節操のない企業が多いと感じていました。また、コロナ以前から冠婚葬祭においても「ナシ婚」「家族葬」「直葬」など自ら世の中との関係性を蔑にする人が増えていました。こうした風潮にあって、わたしは「冠婚葬祭互助会に大義はあるか、守るべきものは何か」というものが問われているような気がしてなりませんでした。「人して何が正しいか」という基準で物事をみなければ、人も、その人が集まった集団、企業も「目に見えない大切なもの」を喪ってしまうのではないでしょうか。「燃えよ剣」を観終えたわたしは、函館の五稜郭タワー内にある土方歳三銅像の前で「自らの信念と美学に恥じない生き方をしたい」と願ったことを思い出しました。


最後に、「燃えよ剣」の上映前に「峠」の予告編が流れました。司馬遼太郎の名作『峠』の初の映画化で、監督・脚本は小泉堯史、主演は役所広司です。敵軍50000人に対して、わずか690人で挑んだ「知られざる最後のサムライ」である河井継之助の人生を描いた作品です。慶応4年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発。越後の小藩、長岡藩の家老・河井継之助は、東軍・西軍いずれにも属さない、武装中立を目指します。戦うことが当たり前となっていた武士の時代、民の暮らしを守るために、戦争を避けようとしたのです。しかし、和平を願って臨んだ談判は決裂。継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下すのでした。映画のコピーには「妻を愛し、国を想い、戦の無い世を願った継之助の、最後の戦いが始まった」「この心、今を生きる」とあります。コロナ禍により何度も公開が延期された作品ですが、2022年に全国公開がついに決定しました。ぜひ、観たいと思います。楽しみです!

 

2021年10月17日 一条真也