『グリーフケアの時代』書評

一条真也です。
パンデミック×パラリンピックパラドックスの3P都市・東京に来ています。25日、一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の正副会長会議・理事会・総会が行われ、グリーフケア資格認定制度に関する諸事が決定しました。いよいよ、「グリーフケアの時代」が始まったことを実感します。そんな折、天理大学おやさと研究所教授(哲学・倫理学)の金子昭先生からメールが届きました。内容は、同研究所が毎月刊行しているニューズレター「グローカル天理」の9月号に『グリーフケアの時代』(弘文堂)が紹介されたというご案内でした。

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グローカル天理」2021年9月号 

 

グリーフケアの時代』は、 上智大学グリーフケア研究所所長の島薗進先生、同研究所特任教授の鎌田東二先生、そして同研究所の客員教授である佐久間庸和の3人の共著です。同書について、金子先生はこう書いておられます。
「死別の悲嘆(グリーフ)にある人々にどう寄り添うべきか、これがグリーフケアの課題である。言葉としては新しいが、グリーフケアは人類が昔から行ってきた、残された人々に対する支援である。古来、その主要な担い手は宗教者であった。この古くて新しいテーマが、生死の問題に向き合う我々すべての課題として、今日再び浮上してきたのである。タイトルが示す『グリーフケアの時代』とは、まさに我々の時代のことを指す。本書は全3章からなる。上智大学グリーフケア研究所の3 人のスタッフが各1 章を担当し、それぞれの立場からグリーフケアの時代状況を語る。以下、各章のポイントと私なりの読みどころを紹介したい。
第1章 島薗進現代日本人の死生観』
古来より、日本人は伝統や心情の中で自らの死生観を培ってきた。しかし、そうした伝統や心情から断絶しているのが現代であり、現代日本人の死生観にはこの断絶の痛みが見いだされる。島薗氏は、その痛みを故郷喪失と呼ぶ。グリーフワークが『死者をしのぶ思いを更新していく、終わりなき作業』だとすれば、現代日本人は故郷喪失に耐えつつ、自らの死生観をそれぞれの形で更新しているのだと言えよう。島薗氏は、この文脈の中で、新宗教を『故郷喪失の経験を持つ人々が、新たな故郷を再建する運動』だと位置付けた。その典型的な例が天理教だという。天理教では、『親神』を信じ、『親里』である“おぢば"に帰ることを信仰の要に据えているからである。また、新宗教の成長期は、童謡が人々に愛された時期と重なる。そしてその時期は、また大衆のナショナリズムの高揚期でもあった。こうした指摘から、宗教を日本人が共有する死生観の次元で見る、島薗氏の視座を窺うことができる。
第2章 鎌田東二『人は何によって生きるのか』
死は人類永遠のテーマであり、どの世界宗教も死及び死に伴う苦しみをどう安んじて受け止めたらよいかを説いてきた。鎌田氏はまず、これに対するユダヤキリスト教、仏教、神道の答え方を紹介する。とくに力点が置かれるのが、仏教と神道の心観であり、なかんずく神道の『安心論』である。鎌田氏によれば、神道には2種類の安心論の思想があるという。すなわち、死後の魂の行方を探究することで、心の安定を図る平田篤胤の思想と、死後世界に積極的な関心を示さず、『安心なきが安心』という態度を取る本居宣長の思想とである。鎌田氏自身は、50代を境に篤胤的な生き方から宣長的な生き方に共感的に理解できるようになったという。鎌田氏は、それ自体は宗教的でありつつも、特定の宗教色を脱した身心変容技法に着目する。というのも、宗教とは「聖なるものとの関係に基づくトランス(超越)技術の知恵と体系」と定義されるからである。そうした身心変容技法の一例が、仏教色を排したマインドフルネス瞑想である。また東日本大震災を契機に誕生した臨床宗教師は、自宗の布教伝道をせず、相手の死生観や信仰を尊重して寄り添うことに努める、新しいタイプの宗教者だ。臨床宗教師は、宗教の境界を超えて、人々の悲嘆や苦悩に向き合う存在なのである。
第3章 佐久間庸和グリーフケア・サポートの実践』
佐久間氏は冠婚葬祭会社の社長であり、一条真也という筆名で数多くの論考やエッセイを書いている。佐久間氏によれば、葬儀もまたグリーフケアであり、これをサポートするのが葬祭業であるという。本章では葬儀の場での遺族への対応、また自社で葬儀を行った遺族会無宗教形式)の組織化、そしてこれに関連した諸々の支援(佐久間氏はそれを纏めてグリーフケア・サポートと呼ぶ)について解説がなされる。興味深いのは『葬祭ディレクター』という制度だ。グリーフケアとしての葬祭儀礼には相応の専門性が求められる。そこで厚労省の認定資格制度として1996年に発足したのが葬祭ディレクターである。認定資格は1級、2級があり、1級はすべての葬儀における相談から会場設営、式典運営に至る詳細な知識と技能が求められ、2級は個人葬における同様の知識と技能がカバーされる。資格取得には一定期間の実務経験が必要となる。この認定葬祭ディレクター資格は、葬祭業界で働く人たちの知識や技能の向上を図ると同時に、彼らの社会的地位を高めるために創設されたという。
以上3つの章を要約するならば、島薗氏は現代日本人の死生観の実相について説き起こし、鎌田氏は諸宗教の身心技法的実践について論究し、佐久間氏は葬祭業においてなされる現場サポートの実際について説明していると言えるだろう。3人の執筆者に共通するのは、特定宗教に依拠しないという意味で、いわば脱色された宗教性の中でグリーフケアが語られていることだ。もしかしたら、これが現代のグリーフケアを特徴づける性格なのかもしれない。現在、新型コロナウイルスの感染拡大の中、グリーフケアの現状は厳しい状況にある。感染防止のために最後の看取りもできず、まともな葬儀も行えないなど、遺族にとってやり切れない思いが残ってしまう。そのため、葬儀や遺族会にオンラインを導入する試みなど、コロナ禍の中で現場ではさまざまな模索が行われている。そうしたコロナ禍にあっても、3人のメッセージはグリーフケアの基本に関わるものであり、本書はグリーフケアを考えるに当たって、押さえておくべき必須のテキストだと言えるのである」

 

 

金子先生の書評は、『グリーフケアの時代』をたいへんがっちりと読み込まれ、要所をきっちりと抑えた紹介と的確な論評だと感じました。著者の1人として、非常に嬉しく思いました。また、葬祭ディレクター資格制度についての高い評価には「倫理学者は、こういうところに興味を感じられるのか」と意表を衝かれました。葬祭ディレクター資格制度に続いて、業界ではグリーフケア資格認定制度を立ち上げたわけですが、さらなるグリーフケアの普及に尽力する覚悟です。無縁社会にコロナ禍が加わり、社会全体のグリーフが増大しています。なんとか、自分なりの方法で「グリーフケアの時代」を拓きたいと願っております。達意の書評を書いて下さった金子先生には心より感謝申し上げます。

 

2021年8月26日 一条真也