安倍首相の辞任表明に思う

一条真也です。
28日、東京から北九州に戻りました。
その日の17時から首相官邸で行われた会見で、安倍晋三首相は辞任を表明しました。



安倍首相は、「8月上旬に(持病の)潰瘍性大腸炎の再発が確認された。病気の治療を抱え、体力が万全でない中、大切な政治判断を誤ること、結果を出せないことがあってはならない。総理大臣の職を辞することとした」と述べています。じつは、今日の夕方に記者会見が開かれると分かった時点で、わたしは「安倍首相は辞任を表明するだろうな」と思っていました。

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健康上の理由で辞意を表明

 

「一度ならず二度までも、途中で政権を投げ出すのか」という批判の声もあるようですが、健康に不安があるわけですから仕方がありません。誰もがいつ病気になるかもしれません。ブログ「グッバイ、リチャード!」で紹介したジョニー・デップの主演映画のように、いきなり末期がんで余命半年の宣告を受けるかもしれません。健康上の理由で辞める人を責める資格など、誰にもありません。「首相たるもの、いくら病気になっても、死んでも職責をまっとうしろ!」などというのは単なるブラック国民です。健康が優れなければ仕事を休めばいいし、続けるのが辛いのなら辞めればいいのです。

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もう一度、首相になると信じていました

 

わたしは、もともと父が安倍晋太郎先生を応援していた関係で、安倍ファミリーのシンパでした。安倍晋三首相が父上の秘書をしていた31年前、わたしの結婚披露宴にも参列していただきました。ですから、首相になられたときは本当に嬉しかったです。最初に辞任されて、しばらくしてから小倉に来られたとき、わたしがメンバーである勉強会にお呼びして、お話をお聴きました。そのとき、一緒に記念写真も撮影したのですが、非常にお元気な様子で、わたしは「これなら、もう1回、首相になってくれるのでは?」と思ったことを記憶しています。

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歴史的大勝から二度目の政権誕生へ

 

ブログ「取り戻す!」に書いたように、2012年12月16日、自民党は歴史的大勝を果たし、安倍首相の返り咲きが決定的になりました。わたしは、安倍首相のことを「石原慎太郎氏と並んで、わたしが最も尊敬する政治家です。日本をダメにした民主党政権が終りを告げ、この日が来るのを待っていました。じつに、かの吉田茂以来の再登板が現実のものとなります。安倍新首相が元気な日本を取り戻してくれることに心から期待しています」とブログに書きました。わたしが一番期待していたのは、憲法改正でしたが、これは実現しませんでした。まことに残念です。安倍首相自身は、今日の記者会見で拉致問題、日露平和条約、憲法改正を挙げて「残念ながらそれぞれの課題は残った。痛恨の極みだ」と述べた上で「政権としてだけでなく、党として強力な態勢で取り組んでいただくことを期待したい」と強調しました。



安倍首相の連続在任日数は、2012年12月の第2次安倍政権発足以降、今月24日で2799日となり、佐藤栄作元首相を抜いて歴代1位となりました。第1次政権と合わせた通算在任日数は、19年11月に戦前の桂太郎元首相(2886日)を超えて最長記録を更新しています。志半ばでの辞意表明は残念ではありますが、 連続在任日数が歴代1位になったことで、ご本人も気持ちに区切りがついたのではないでしょうか。この記録は、文字通りの前人未到です。マスコミは「安倍一強」などと揶揄しましたが、野党もだらしなく、また自民党内にも強力なライバルがいなかったこと自体が、政治家としての安倍晋三氏の実力ではないでしょうか。

 

しかし、今年に入ってからは新型コロナウイルスで政権の対応への批判が増し、マスコミ各社の世論調査では内閣支持率が低迷していました。
さらには、コロナ対策などによる疲労の蓄積が側近から指摘されていたことも周知の事実です。たしかに、わたしもアベノマスクは不要だと思いましたし、全国一斉休校のタイミングにも疑問を感じました。
それでも、実際に自分が一国の指導者になったと仮定したとき、前代未聞の非常時にどれだけのことが出来たのかと思います。誰でも評論家になって、人がやったことにケチをつけるのは簡単ですが、「それなら、おまえがやってみろ!」という話ですね。

 

 

いま、わたしは『コロナ後の世界を生きる』村上陽一郎編(岩波新書)という本の書評を書いているのですが、さまざまな分野の論客が寄稿している同書で、同書の編者でもある東京大学名誉教授(科学思想史)の村上陽一郎氏は、以下のように述べています。
「今日の社会に必要な理念の1つ、それも重要なそれは『寛容』ではないか。例えば為政者の場合、こうした非常時の事後評価に常に付きまとうディレンマがある。それは『あのときなすべきでなかったことをした』と『あのときなすべきであったことをしなかった』という肢の間に起こるディレンマである。それに対して、私たちは、厳しい批判をぶつけがちである。正当な吟味による批判がなければ、社会は前に進めないが、しかし、そこには『寛容』が求められるのでもある。為政者は上のディレンマに基づくいわれのない非難をも受け入れる寛容さが必要である」

f:id:shins2m:20200828174839j:plain長い間、お疲れ様でした !

 

また、村上氏は「評価する側にも、人間は常に『ベスト』の選択肢を選ぶことのできる存在ではないことへの理解が必要とされるだろう。その意味で、私は、『寛容』の定義の1つとして、人間が判断し行動するとき、『ベター』と思われる選択肢を探すべきであって、『ベスト』のそれを求めるべきではない、というルールを認めることである、と書いておきたい。今回のウィルス禍によって、社会のなかに少しでも、こうした『寛容』を受け容れる余地が広がるとすれば、不幸中の幸いではなかろうか」とも述べておられます。
わたしも、まったく同感です。最後に、安倍首相には「長い間、本当にお疲れ様でした。どうか、ゆっくりお休み下さい」と言いたいです。

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29日の各紙朝刊 

 

2020年8月28日 一条真也