さらば、渡哲也!

一条真也です。
75回目の「終戦の日」に、呼吸器疾患で療養中だった俳優の渡哲也さんの逝去を知りました。所属事務所の石原プロモーションが14日に発表しました。

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ヤフー・ニュースより

 

渡さんは10日午後6時30分、肺炎のため亡くなられたそうです。78歳でした。1976年の日本テレビ系ドラマ「大都会」シリーズ、79年のテレビ朝日系「西部警察」シリーズでお茶の間のスターとなり、87年に石原裕次郎さん(享年52)が亡くなった後は、石原プロを長年にわたって支え続けました。



国民的スターだった石原裕次郎さんが代表作「赤いハンカチ」を大ヒットさせた1964年、当時22歳だった渡さんは裕次郎の大ファンで、一目でも姿を見られたらという軽い気持ちで撮影所へ見学に行きました。その折に日活からスカウトされ進路が決まってしまいます。裕次郎さんに初めて会ったのがその年の4月。新人として撮影所の挨拶回りをしたとき、他の先輩は座ったまま挨拶を返す中、撮影所の食堂にいた裕次郎さんだけが立ち上がって渡さんを迎え、丁寧な物腰で「頑張って下さい」と励ましたそうです。この初対面は渡さんに強い印象を残し、その後の運命を大きく変えました。倒産寸前の石原プロに、人気絶頂だった渡さんが入社したのです。まさに、ブログ『結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』で紹介した本の内容を連想するようなエピソードです。



「あばれ騎士道」(1963年・日活)でデビューして以来、二枚目スターとして多くの映画に出演した渡さんですが、わたしが一番好きな作品は「仁義の墓場」(1975年・東映)です。戦後暴力史上、最も凶暴といわれた異色ヤクザ・石川力夫の30年の人生を描いた作品ですが、戦後の混乱期、暴力と抗争に明け暮れる新宿周辺を強烈に生き、そして散った異色のヤクザの人生を実録タッチで描いた深作欣二監督の最高傑作です。石川力夫に扮した渡さんが妹の恋人に怒りを感じてコーヒーの中に吸いかけのタバコを突っ込んだり、愛妻の遺骨をボリボリ齧ったり、名場面の連続でした。本当にカッコよくて、この映画を観てヤクザに憧れた若者は多かったのではないかと思います。



また、「男たちの大和/YAMATO」(2005年・東映)での第二艦隊司令長官・伊藤整一海軍中将の役も良かったですね。ちょうど「終戦の日」に訃報に接したこともあり、今日はこの映画のDVDを観直したいと思います。余談ですが、戦艦大和は沖縄を守るために出航し、敵の猛攻撃に遭って撃沈させられました。映画の中に「沖縄を守るということは、日本を守るということですね」という兵士のセリフが出てくるのですが、わたしは現在、日本で最も新型コロナウイルスの感染が拡がっている沖縄の人たちのことを考えてしまいます。どうか、日本政府も「沖縄を守るということは、日本を守るということ」という認識を持っていただきたいです。感染拡大の中で、「GoToトラベル」などをやっている場合ではありません!



渡さんは歌手としてレコードもたくさん出していますが、わたしは「くちなしの花」(1973年・ポリドール)が一番好きです。昔はカラオケでもよく歌いました。歌詞は特攻隊隊員の遺書とも言われています。発売翌年の1974年入ってから有線放送などでじわじわヒット、週間オリコンチャート最高で4位を記録、90万枚を売り上げるという、歌手・渡哲也の最大のヒット曲となりました。この曲で、1974年末の「第25回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしますす。それから19年後の1993年末の「第44回NHK紅白歌合戦」で2回目の披露となりました。渡さんや裕次郎さんが「くちなしの花」を始めてみたときヒットするとは全く考えておらず、裕次郎さんも「この曲が流行ったら銀座を逆立ちしてやる。」と言っていたそうです。



渡さんのデビュー20周年のときに2人で「くちなしの花」を歌う動画がYouTubeで観ることができますが、渡さんの照れ臭そうで嬉しそうな顔が印象的です。「ああ、渡哲也は本当に石原裕次郎のことが好きで好きでたまらなかったんだな」ということがわかります。芸能界最強コンビとして、石原プロを支えた2人の絆は強かったですが、石原裕次郎、渡哲也という日本を代表する俳優を起用した「松竹梅」のCMが、1970年の石原裕次郎第1弾CMから数え、今年で50周年を迎えました。宝酒造株式会社は、石原裕次郎、渡哲也が出演する、よろこびの清酒「松竹梅」の新CM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」篇が、2020年7月29日から全国でオンエアされています。今回の50周年記念CMで実現したのが2人の“幻の共演”でした。渡哲也の「よろこびとは?」という問いに対し、石原裕次郎が「飲むことよ!」と答える問答シーンがあり、よろこびの清酒「松竹梅」ならではのCMとなっています。



オリジナルのCMでは、裕次郎の相手を務める和尚は宇野重吉(寺尾聡の父)が演じたのですが、令和になって渡和尚が実現しました。渡さんは、「宝酒造さんには、窮地に陥った時からコマーシャルの制作などでお力添えをいただき、五十数年長きに渡り有難く感謝いたしております。最後のコマーシャルを裕次郎さんとの共演で終わらせていただきますのは感慨深いものがあります。本当に有難うございました」とのコメントを寄せています。思うに、この裕次郎さんとのCM共演で、渡さんは「もう思い残すことはない」と思われたのではないでしょうか。死の直前、新しいCMが好評だと聞いて、渡さんは「それは良かった」と語ったそうですが、オンエアが間に合って良かったですね。7月17日、裕次郎さんの命日に、石原プロは来年1月16日での解散を発表。渡さんは大切な節目を迎えたことに安心した様子だったといいます。

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ヤフー・ニュースより 

 

最後に、石原プロによると、渡さんの「静かに送ってほしい」という強い希望により、家族葬を執り行ったそうです。「お別れ会」も渡さんの意向により行わないとか。これは寂しいですね。わたしは、最近の大物芸能人や俳優の死去がなぜかリアルタイムで知らされず、「葬儀は近親者のみですでに終えたという」といった報道に接するたびに、寂しさを感じていました。「昭和」を代表する大スターであった石原裕次郎さんも美空ひばりさんも、亡くなったと同時にニュース速報が流れ、青山葬儀所で営まれた告別式には多くのファンが参列しました。ブログ「スターの葬儀」で、わたしは「歌手にしろ俳優にしろ、芸能人というのはファンあってのもの。ファンに支えられて生活し、輝かしい人生を送ってきたはず。ファンには長年応援してきた芸能人がこの世を去った日にそれを知り、その日に悲しむ権利があるはずです」と書きました。

f:id:shins2m:20190921094759j:plainソナエ」2019年秋号 

 

また、「わたしもファンだった高倉健がすでに亡くなっていたことを知ったときは非常に寂しい思いをしました。さらに、青山葬儀所のような大きな会場できちんとお別れできることは、ファンにとっては最高のグリーフケアになることでしょう」とも書きました。本当は、渡さんには裕次郎さんと同じように、青山葬儀所で葬儀を行ってほしかったです。特に、故人は青山学院大学の出身でしたし・・・・・・でも、渡さん自身は「裕次郎さんは太陽だけど、俺は月だから」と考えていたのかもしれませんね。「くちなしの花」を一緒に歌う動画を観ていたら、そんな気がしました。
可能ならば、ジャニー喜多川さんがジャニーズ事務所のファミリーたちに見送られたようなセレモニーだけでも石原軍団の方々によって行っていただきたいです。それが来年1月で幕を閉じる石原プロにとっても最高の「修め方」になるような気がします。渡哲也さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。

 

2020年8月15日 一条真也