松本清張記念館

一条真也です。
建国記念の日」となる11日の小倉は天候に恵まれた日となりました。この日、わたしは北九州市立「松本清張記念館」を訪れました。松本清張といえば、司馬遼太郎と並ぶ昭和を代表する国民作家です。昨年は清張生誕110年でした。わたしは、清張原作の映画を集めたDVD-BOX「松本清張セレクション」全3集、全15本を昨年末から鑑賞していましたが、昨夜ようやくすべて観終わりました。すると、もっと清張のことが知りたくなり、久々に記念館を訪れたいと思ったのです。

 

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松本清張記念館の前で

 

生涯に700冊もの著作を残した作家・松本清張は、1992年(平成4年)8月4日に享年82歳で逝去しました。その生前の功績を称え後世に語り継ぐことを目的として、清張の郷里である小倉北区に記念館を建設することになり、死後からちょうど6年目の1998(平成10年)8月4日に小倉城址域の南西端の一角に開館しました。

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松本清張記念館の礎石 

館内では、作家としての清張の業績について、映像や展示物などで紹介しています。なかでも、東京都杉並区高井戸の自宅の外観をはじめ、遺族から寄贈を受け、書斎や書庫・応接間を清張が亡くなった当時の状態で忠実に再現した展示室が目玉の1つです。ある。また、オリジナルドキュメンタリー映像「日本の黒い霧 - 遙かな照射」の上映も行っている他、随時実施される企画展、講演会などのイベントも開催されています。

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プログラム『松本清張記念館』より



松本清張記念館公式HPの「松本清張について」というページでは、「全力で駆け抜けた巨人 松本清張」として、以下のように書かれています。
松本清張はあらゆる規範をこえた作家である。日本の文学史上初めて出現した多様にして明確な個性を有する作家ということができる。芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」が本来は直木賞の候補作だったという経緯が示すように、一つの型に分類することが不可能な大きさを持った文学者だった。『脱領域の文学』と評される萌芽を出発から胚胎していたのである」



続いて、以下のように書かれています。
「作家としては異例の四十二歳からのスタートであったが、新しい物語性と平明さが多くの読者に支持され、『点と線』『眼の壁』などが空前のベストセラーとなった。売れる作品への『中間小説』という一括りの評価に反撥しての『文学には純文学と通俗文学の二つしかない』とする発言は、松本清張の文学観、文学への矜持を端的に表すものであった。主題によって形式を決定し、表現の方法を考える。そして『内容は時代の反映や思想の照射を受けて変貌を遂げてゆく』という主張は、現役のまま八十二歳で没するまで変わることはなかった」

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館内に置かれた『松本清張全集』

さらに、以下のように書かれています。
「主題への関心のおもむくままに重ねられた探求によって、主題はさらに深まり広がって行った。小説世界の枠をとびこえるのは時間の問題であったろう。不断の向上心、強靭な精神力で自らを動かし、つねに新たな分野へと向かって行ったのである。フィクション、ノンフィクション、評伝、古代史、現代史へと創作の領域を拡大し、驚異的な努力で独自の世界を構築したのである。いずれの分野においても、究極の目的は人間存在の深奥を見据えることであった。普遍的なテーマによって人間を描き、歴史・社会の闇に迫ろうと試みた一作家の孤独な営為は、じつに多くの人びとに感銘と勇気を与えつづけたのである。作家生活四十余年、その作品は長篇、短篇他あわせて千篇に及ぶ」

f:id:shins2m:20200211151243j:plain特別企画展「E・A・ポーと松本清張」の看板

 

この日、記念館の地下展示室では、清張生誕110年・ポー生誕210年 特別企画展「E・A・ポーと松本清張」が開催されていました。松本清張記念館公式HPに「開催趣旨」が以下のように書かれています。
「2019年は、松本清張が生まれて110年、エドガー・アラン・ポーが生まれて210年にあたります。清張は、ポーが生を受けたちょうど100年後に、誕生したのです。これを記念し、エドガー・アラン・ポー松本清張についての企画展を開催します。清張は、若いころからポーを愛読していました。ポーは推理小説の始祖と言われ、清張のみならず、日本はもちろん世界のミステリー界にとって重要な作家です。この二人の作家の記念すべき節目の年に、清張作品に見えるポーの世界を紹介するとともに、両作家の直筆資料など、貴重な品々を展示いたします」

f:id:shins2m:20200211151433j:plain「E・A・ポーと松本清張」の看板前で

f:id:shins2m:20200211154227j:plain特別企画展「E・A・ポーと松本清張」の撮影コーナー

 

エドガー・アラン・ポーの影響を受けた作家といえば、ペンネームそのものがオマージュとなっている江戸川乱歩が思い浮かびますが、松本清張も強く影響を受けていたことを知りました。清張は『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞作しましたが、故郷の小倉に縁があった森鷗外の文学を愛読していたことで知られています。その鷗外の『諸国物語』にはポーの「大渦巻」をドイツ語から重訳した「うずしほ」という作品が収められており、これを清張が読んで影響を受けた可能性が高いそうです。わたしは、「DNDリーディング」ともいうべき作家間の影響関係に関心が深いので、非常に興味深く感じました。

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各種プログラムを求めました

 

同じく地下にあるミュージアムショップでは、資料として『松本清張記念館』『松本清張展』『松本清張砂の器」展』『世界文学と清張文学』『E・A・ポーと松本清張』といったプログラム、「霧の旗」「球形の荒野」「花実のない森」「黒い画集 あるサラリーマンの証言」のDVDなどを求めました。いつか、わが社の「友引映画館」で清張映画祭などを開催したいと考えています。松本清張記念館を出た後は、小倉城周辺を散策して、リバーウォークで買い物をしてから帰宅しました。

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小倉城周辺を散策しました

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小倉城とリバーウォーク

 

2020年2月11日 一条真也