一条真也です。
25日の夜、沖縄から北九州に戻りました。ブログ「沖縄祝賀会」で紹介した行事をもって、一連のサンレーグループ新年行事がすべて終了。1月4日の北九州にはじまって、9日の大分、10日の宮崎、16日の北陸、そして25日の沖縄と新年祝賀会を行ってきましたが、わたしは「まつり」に続いて、「勝手にシンドバッド」を歌いました♪
北九州で歌いました♪
大分で歌いました♪
宮崎で歌いました♪
北陸で歌いました♪
沖縄で歌いました♪
「まつり」と「勝手にシンドバッド」といえば、昨年末のNHK紅白歌合戦で特別出演した北島三郎とサザンオールスターズが歌った国民的名曲です。この2曲が揃えばもう無敵のコラボですが、ただでさえテンションの高い「まつり」の直後にさらにテンションの高い「勝手にシンドバッド」を歌うというのは正直しんどかったです。特に、25日の沖縄では前々日も前日もカラオケを20曲づつぐらい歌った後でもあり、泡盛を飲み過ぎたこともあって声が枯れてしまっていました。最後の最後で痛恨の極み!
昨年末の紅白の大トリ曲でした!
ユーミンと桑田が奇跡の競演!
「勝手にシンドバッド」は1978年6月25日に発表されたサザンオールスターズのデビューシングルですが、そのユニークなタイトルは沢田研二「勝手にしやがれ」とピンクレディー「渚のシンドバッド」を合体させたものです。ちなみに、両曲ともに阿久悠が作詞しています。昨年の紅白ではサザンが平成最後の大トリで「勝手にシンドバッド」を歌ったとき、ユーミンが桑田佳祐と一緒に腰をくねらせて踊り狂った歴史的な感動シーンが甦ります。ブログ『サザンオールスターズ 1978-1985』で紹介した本を書いた音楽評論家のスージー鈴木氏は、とにかく「勝手にシンドバッド」という歌が凄い歌であったことを強調しています。
では、「勝手にシンドバッド」の何が凄かったのか。何が革命だったのか。鈴木氏は、その答えをこう述べています。
「ひと言でいえば、『日本語のロック』を確立させたことに尽きる。今となっては信じられないが、70年代の半ばまで、『日本語はロックに乗らない』と、真面目に考えられていたのである。そんなつまらない固定観念が、《勝手にシンドバッド》1曲によって、ほぼ完全に抹殺された。『日本人が日本語でロックを歌う』という、今となっては至極当たり前な文化を、私たちは享受できるようになった」
続けて、著者は以下のように述べています。
「例えば、『早口ボーカル』『巻き舌ボーカル』と言われるほど、日本語を、口腔内を自在に操って発声することが普通になったこと。例えば、『胸さわぎの腰つき』という、おそらくは英語に訳せないであろう、意味から自由な新しい日本語=『桑田語』が受け入れられるようになったこと。例えば、それまで、日本のお茶の間に、決して響いたことのない16ビートや不思議なコード進行が、ブラウン管から流れ出したこと。これらすべてが、桑田佳祐率いるサザンによる『革命』の結果なのである」
わたしはサザンは大好きですが、カラオケで「勝手にシンドバッド」はあまり歌いません。わたしは、「いとしのエリー」「栞のテーマ」「Oh!クラウディア」「YaYa~あの頃を忘れない」「素敵なバーディー(NO NO BIRDY)」「真夏の果実」「涙のキッス」「TSUNAMI」「蛍」といったバラードを好みます。また、アップテンポな歌では「思い過ごしも恋のうち」「匂艶 THE NIGHT CLUB」「太陽は罪な奴」「LOVE AFFAIR~秘密のデート」「HOTEL PACIFIC」「涙の海で抱かれたい~SEA OF LOVE」などをよく歌います♪
でも、今回のツアーで「勝手にシンドバッド」という歌の奥の深さがよくわかりました。もう「まつり」と続けて歌うことはないでしょうが、カラオケスナックなどで盛り上がりたいとき、ときどき歌いたいと思います。
これからも、盛り上がりたいときに歌います!
2019年1月27日 一条真也拝