「オリエント急行殺人事件」

一条真也です。
ヘルシンキ発のAY073便で帰国しましたが、ブログ「ダンケルク」で紹介した作品に続き、機内で映画「オリエント急行殺人事件」を観ました。
アガサ・クリスティのあまりにも有名なミステリーの映画化で、わたしはトリックや真犯人をもちろん知っていましたが、それでも大いに楽しめるエンターテインメント大作でした。とにかく映像が美しかったです。


ヤフー映画の「解説」には、以下のように書かれています。
「これまで幾度も映像化されてきたアガサ・クリスティの傑作ミステリーを映画化。ヨーロッパ各地を巡る豪華列車を舞台に、世界的な名探偵エルキュール・ポアロが客室で起きた刺殺事件の解明に挑む。『ヘンリー五世』『世にも憂鬱なハムレットたち』などのケネス・ブラナーが監督と主演を兼任。さらにジョニー・デップミシェル・ファイファーデイジー・リドリージュディ・デンチペネロペ・クルスら豪華キャストが集結する」



また、ヤフー映画の「あらすじ」には以下のように書かれています。
「トルコ発フランス行きの豪華寝台列車オリエント急行で、アメリカ人富豪のエドワード・ラチェット(ジョニー・デップ)が刺殺体で発見される。偶然列車に乗り合わせていた探偵のエルキュール・ポアロケネス・ブラナー)が、鉄道会社に頼まれ密室殺人事件の解明に挑む。乗客のゲアハルト・ハードマン教授(ウィレム・デフォー)やドラゴミロフ公爵夫人(ジュディ・デンチ)、宣教師のピラール・エストラバドス(ペネロペ・クルス)、キャロライン・ハバード(ミシェル・ファイファー)らに聞き取りを行うポアロだったが・・・・・・」


監督で主演のケネス・ブラナーポアロ役は見事でした。
髭も立派ですし、何よりも、「ローレンス・オリヴィエの再来」と呼ばれるシェイクスピア俳優であるだけあって、威風堂々とした名探偵ぶりでした。ラスト近くで、オリエント急行から降りた乗客たちを前にポアロが事件の真相を解き明かす場面などは、神々しいほどでした。


ポアロの背後に控えるオリエント急行がまるで神そのもののように見えました。この場面をもって、ケネス・ブラナーがメガホンを取った本作は、これまで何度も作られた「オリエント急行殺人事件」とは一線を画す芸術作品となったように思います。いくら事前に真犯人を知っていても、すぐれたミステリー映画というものは、やはりハラハラドキドキします。
贅沢すぎる名優たちの競演はもちろん、舞台となっているオリエント急行の車内の豪華さにも心が踊りますね。


ブダペスト駅のホームにて

ウィ−ン駅の構内にて



それにしても、オリエント急行の車窓から見えるヨーロッパの風景の美しいことといったら! わたしはヨーロッパから日本に帰国する機内でヨーロッパを最も美しく描いた映画を観たわけです。このたびの中欧視察では、ブダペストからウィーン、ウィーンからザルツブルグへの列車の旅も楽しみました。


遊びの神話』(PHP文庫)



オリエント急行の起源は国際寝台車会社によって1883年に運行が開始されたパリ‐コンスタンティノープルイスタンブール)間の列車(当時は一部船舶連絡)です。その後、西ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ国際寝台車会社の列車群が「オリエント急行」を名乗るようになりました。
拙著『遊びの神話』(東急エージェンシー、PHP文庫)の「列車」の章には「“青い貴婦人”オリエント急行」という一文が収められており、その歴史と魅力について書かれています。


1872年、ベルギーの銀行家の息子であるジョルジュ・ナゲルマケールスは国際寝台車会社を設立しました。彼は1868年にアメリカを旅行しましたが、アメリカのプルマン社の寝台車に感銘を受け、ヨーロッパでの寝台車会社の設立を思い立ったのです。アメリカ人の大富豪、ウィリアム・ダルトン・マンもこの会社の設立を支援し、当時大陸ヨーロッパに進出しようとしていたプルマン社との参入競争を繰り広げていました。


西ヨーロッパとオリエントを結ぶオリエント急行は同社の看板列車として計画されており、1880年代初めにはパリ・ウィーン間で食堂車や豪華寝台車の運行が始まっていました。オリエント急行の開通記念列車は1883年10月4日夜にパリ・ストラスブール駅(現パリ東駅)を発車し、6日かけてコンスタンティノープルイスタンブール)に到着しました。
ちなみに、『遊びの神話』で取り上げたオリエント急行とクイーン・エリザベス2世号の乗客となることは、わが生涯の夢です。


さて、この物語の内容をすでに知っている人には説明不要でしょうが、「オリエント急行殺人事件」には実際に起こったある事件が登場します。「リンドバーグ愛児誘拐事件」です。Wikipedia「リンドバーグ愛児誘拐事件」の「概要」には以下のように書かれています。
「1932年3月1日、初の大西洋単独無着陸飛行に成功したことで有名な飛行士チャールズ・リンドバーグの長男チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・ジュニア(当時1歳8ヶ月)がニュージャージー州自宅から誘拐される。現場には身代金5万ドルを要求する手紙が残されていた。10週間に及ぶ探索と誘拐犯人との身代金交渉をしたが、5月12日に邸宅付近でトラック運転手が、長男が死亡しているのを発見した」

2年後、身代金の金券がガソリンスタンドで使用され、ドイツ系ユダヤ人[要出典]移民のリチャード・ハウプトマン(英語版)が浮かび上がった。彼の家には1万2千ドル以上の金券と拳銃が隠されており、これは仕事仲間のイシドア・フィッシュから預けられたものだと話していた。後にフィッシュはドイツで死亡していて、渡航の際に金券を使用している。リンドバーグが身代金を支払った後に、ハウプトマンは大工の仕事を辞めている。ハウプトマンが犯人として注目されると、目撃証言などが報告されている。なお、フィッシュとハウプトマンは詐欺を働いていた過去があった」
Wikipedia「リンドバーグ愛児誘拐事件」


「3年以上後に、殺人で告訴されたハウプトマンの裁判が始まった。ハウプトマンは裁判の終了まで無罪を主張し、弁護のために大金を支払ったが、死刑判決が出され、1936年4月3日に死刑執行された。彼は事件当日に仕事をしているというアリバイがあり、夜の9時に妻を迎えに行っているが、出勤簿などは裁判までに消失している。この事件をきっかけに、複数州にまたがる誘拐犯行は連邦犯罪であり、自治体警察ではなく連邦捜査局管轄と定める「リンドバーグ法」が成立した。アガサ・クリスティの小説『オリエント急行の殺人』の序盤で登場する誘拐事件は本事件を参考にしているとされる」(Wikipedia「リンドバーグ愛児誘拐事件」


この「空の英雄」の愛児が誘拐され殺害された事件は世界的な注目を集め、多くの人々がその真相について推理を働かせました。死刑となったハウプトマンはじつは免罪だったなどとも言われました。『リンドバーグの世紀の犯罪』グレゴリー アールグレン&スティーブン モニアー著、井上健訳(朝日新聞社)では、リンドバーグ関与説が述べられています。ともに法律家である2人の著者は、事件の経緯に疑念を抱き、克明な調査によって「最も無理のない推論は、長男の死にはリンドバーグ自身がかわり、誘拐事件はそもそも存在しなかった」ことを論証します。かつて、『リンドバーグの世紀の犯罪』を夢中になって読んだわたしも、リンドバーグ関与説を支持する立場にあります。クリスティはこの可能性について考えなかったのでしょうか?
もし、そうだとしたら、「オリエント急行殺人事件」の犯人は見当違いの殺人を犯したことになります。まさに、「事実は小説よりも奇なり」ですね。


2018年4月17日 一条真也