日本仏教は破綻している? 

一条真也です。
注目の第90回アカデミー賞は、ブログ「シェイプ・オブ・ウォーター」で紹介した映画が作品賞をはじめ最多4冠に輝きましたね。
6日、「サンデー毎日」3月18日号が発売されます。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第120回のタイトルは、「日本仏教は破綻している?」です。
ついに120回を数えましたが、じつは123回をもって連載を修めたいと考えています。名残惜しいですが、あと3回、心をこめてしっかり書きます。


サンデー毎日」2018年3月18号



「葬式は、要らない」とか「寺院消滅」などと言われて久しいが、現代の日本仏教が大きな過渡期を迎えているのは間違いないでしょう。少し前、わが社のセレモニーホールの支配人たちを前に講演を行いました。会場は、ふだんは葬儀で使われている部屋でした。「導師入場」ならぬ「講師入場」として、演壇に進んだわたしは身の引き締まる思いでした。



まず、現代日本における葬儀の現状について語りました。
近年、葬儀と一緒に初七日や四十九日の法要も済ませるのが一般的です。本来、「初七日」とは命日を含めて7日目の法要であり、以後、7日ごとに法要が営まれ、命日から数えて49日目に「四十九日」の法要が営まれていました。



なぜ、7日ごとに法要が営まれたのか。それは、亡くなった人に対して閻魔大王をはじめとする十王からの裁きが下され、49日目に死後に生まれ変わる先が決められるという信仰があったからです。故人が地獄、餓鬼、畜生、修羅などの世界に堕ちることなく、極楽浄土に行けることを祈って法要が行われました。「四十九日」の法要までが忌中で、神社への参拝や慶事への出席などは遠慮する習わしです。



しかし、現代社会では親類も遠くに住んでおり、仕事などの都合もあって、7日ごとに法要するのが困難になってきました。49日目に再度集まるのも大変です。葬儀の日に「四十九日」の法要まで済ませてしまうというのは、合理的な考え方かもしれません。でも、それは、伝統的に信じられてきた閻魔大王の裁きのスケジュールを人間の都合に合わせてしまうことでもあり、じつは仏教の教義から言えば、トンデモないことなのです。



それこそ実際の裁判での被告が、裁判長に対して「自分は忙しいので、一審、二審、三審を同じ日にやってくれませんか」と要求するのと同じ。
こんな無法がまかり通っている時点で、すでに日本の仏教は破綻しているとの見方もあるそうです。うーむ。


サンデー毎日」2018年3月18号の表紙



2018年3月6日 一条真也